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丸ピカにて。
いかにもイーストウッドらしい快作だ。どういうところが彼らしいかというと、まるきり平常心で作られている。もともと彼の映画には派手さや大作感がまるきり欠けているのだ。
だから「ファイヤーフォックス」とか「硫黄島」二部作とか「許されざる者」とか、大作っぽい映画を撮ると、逆に安定感が邪魔してしまう。沈潜した、妙に高揚感に欠けた<物足りない大作>になってしまう。「マディソン郡の橋」もひどかったからねー。たとえ若かったとしても、恋愛的高揚感に欠けたイーストウッドとストリープで、しかもイーストウッド演出ですからねー、マディソン郡の橋を叩いて、渡る前に壊した映画でした。
それゆえかどうかは知らぬが、かつてイーストウッド映画は、スプラッシュ扱いをされたこともあるのだが、スプラッシュとはもちろん、配給会社が買い付けたのが、結局日本の市場では売り物にはならないと判断され、東京のロードショーもなく、地方での二本立て公開(その昔は今と違って、東京の外国映画ロードショー作品を、よほどの大作でない限り、二本立てで地方の映画館は公開していた)するための、おまけの、添え物の、いわば地方どさ回り専用の映画のことで。かのダーティーハリー氏、落ちぶれて、どさになるの図。まあ、いまだったら銀座シネパトで二週間限定ロードになるクラスか。そういえばイーストウッドの新作をシネパトで見た記憶も。今の時代はDVDを売るハクヅケにも、やはりロードショーしたの実績が必要なのだろう。
しかし、その落ちぶれ感が妙にマルパソ作品に合っていたのも事実で。まあもともと、TVドラマやイタリアくんだりのどさウェスタンで名を上げた人だからね。
派手さはないが、プログラム・ピクチャア的なつつましさで淡々とわが道を行くのが、イーストウッド/マルパソ映画の身上であったのですね。そういう意味で、久々にイーストウッドらしい映画を堪能しました「グラン・トリノ」。いい意味で枯れた味わいで、しかもなおかつ若々しい、ユーモアもふんだん、要するに御大のしわしわの顔を見せてりゃ満足なんだろお前ら、とローテク、ローコス、省エネ殺法ならぬ、省エネ撮法で、軽くまとめてやったぜ、という。で、俺らのほうも、しわしわの顔に大満足(笑)。不機嫌そうな顔でうーうーうなってりゃ満足するんだから、俺ら観客も安く見られたもんだよね。
なんせキャストが、御大を除けば、仲間うちの役者や、自分の息子、無名俳優、移民のど素人などなど、これくらい俳優費が安上がりな映画もハリウッドでは珍しいだろうし。ラストにゃ俺の歌も聞かせてやるぜお前らよーく聞け、といわんばかりに自演の歌までくちずさむ、ただシャイな性格ゆえか、自演は途中まで、あとはプロの歌手に任せているが、それだって省エネ唱法といえばそれまでだ。
かつてのガン捌きもうまい<裁きの男>が<裁きと許しの男>になり、いままた<裁きと許しと癒しの男>になりおおせる。うまいもんです。
御大のオオトリ出演という「グラン・トリノ」だが、こういう映画だったら、毎年一本は見せてもらいたい。それがプログラム・ピクチャア魂というもので。
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