今、そこにある映画

傑作も駄作も、ともに見る。ともに、愛する。 変態です。出来れば映画はフィルムで見たい。別ブログ「昔の映画を見ています」もあるでよ

アメリカ・ヨーロッパ映画

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「湖のほとりで」

 劇場の予告編など見て、なんとなく気になってはいたのだが、それほど優先順位も高くなく、見逃したものを、DVDにて。イタリア製のミステリ。
 美しい湖のほとりの田舎町で、少女が消息を立つ。すわ、誘拐か。いや、この、すわ、も死語かいな。
 親が探し回る。母親が父親に言う「村の外も探さないと」。
 父親「なぜ村外?」。
 小さな村なので、住民みんなが顔見知り。幼女を誘拐するような変態は村民にはいないということか。
 都会から、初老の刑事が出向してくる。捜査が始まる。並行して、<見た目>変態そうな、村の中年男の車に乗り込み、会話する少女の描写。サスペンスが高まる。
 以下、若干のネタバレ。未見の人は、読まないように。

 この少女失踪事件の捜索の途中で、別の事件が発生する。湖のほとりで、全裸の若い女性の殺害死体が発見されるのだ。その死体は全裸のまま、不自然なポージングが施されている。お上品な、横溝映画ですな。
 以下、初老刑事らの、地道な聞き込み捜査が、彼の家庭描写も含めて、展開される。
 なんとも低刺激な展開と感じるのは、このところ、ミステリ映画といえば、どぎつい韓国映画の極め付けばかり見ているせいか。これが韓国映画なら、冒頭の少女は、容赦なく血まみれの死体で発見されているはず。少女の代わりに、大人の(と、言ってもまだ女子高生だが)女性が殺される。まあ、西洋では女子高生も大人のうちか。
 イタリア映画も成熟?したなあ、と。60年代のマカロニ・ウェスタンとか、70年代のダリオ・アルジェントらのドギついホラーとか、あるいは、日本の70年代の東映やくざ映画とか、日活ロマンポルノとか、若松孝二のピンク映画とか、えぐい映画描写があったもので。第二次世界大戦の枢軸国だった、日伊の戦後60〜70年代は、まだまだ中進国だった。映画が、ある種の勢いを持つのは、中進国の時代のみに限られるようで、もはや<老大国>となった日伊は、まあ、少なくとも、ミステリ映画では、エグミのある描写は、イマイチだよね。成熟?以前の現在の韓国では、まだまだ、ハードな描写が続く/求められる/息を吐くように自然に出来てしまう。
 日本映画が、勢いの点で、韓国映画に負けている、としたら、それは、成熟ゆえの<後退>、<洗練>の悪しき結果なのだろうか。
 まあ、映画自体はそこそこなので、こういう雑念ばかり浮かぶなあ。

「ハート・ロッカー」

 男性アクションの雄(女だけど)キャスリン・ビグローが、まさかの大ヒット!
 B級娯楽アクション一筋の人、と思っていたら、アカデミー賞主要6部門制覇とは。しかし、“シリアス”にイラク戦争を描きつつ、同時に娯楽性も抜群。サスペンス・アクションとしても、いい。
 これまでは、スタイリッシュで調子いいアクションとか(「ハート・ブルー」)、ぬるいアクションとか(「K−19」「ストレンジ・デイズ」「ブルースチール」)ぼく的には、やや不満がある監督ではあったが。狙いは良かったんだけど、実際はねー、という。そのビグローの最高作だ。
 しかし。
 世間では、リアルに“イラク戦争”を描いた本作が、戦争をファンタジックに描いた「アバター」に勝った、という言いようがされているが。もちろん、これが<フィクション>である以上、リアルもシリアスもカギカッコ付であることは、明確にしなければならない。一番顕著なのは、砂漠の中で、傭兵部隊とともに、見えない狙撃兵と戦うシーン、これはどう見てもずぶずぶの娯楽アクションの定番的描写であり、ぬけぬけと、あるいは、もともとの資質であるB級アクションを展開しているのに、これぞリアルでシリアスな戦争描写だ!、というのは、あまりに映画を知らないうぶな見方だろう。
 主人公の危険を顧みない飛ばしっぷりも、まさにヒーロー映画そのものだ。無名の、地味な俳優が演じているから、ごまかされてしまうけれども。ここのところ、ヒットがなかったビグローだから、こんな低予算になったので、ヒット作連発のビグローだったら、キアヌ・リーブスがやっていても、おかしくない役だ。もっとも、それだとアカデミー賞は取れないだろうけれども。
 リアルに戦争を描くといっても、まず、当然のごとく、視点はアメリカ側寄り。対ゲリラ戦であり、いわゆる非対称戦争なのだから、どう見ても勝ち目がないだろう。
 戦争映画としては、やや<こぎれい>かな。キャラも設定も。そこら辺に女性監督の美学を感じるのは偏見か。逆に、帰国後の、主人公の妻の寡黙さ(映画上の)には、徹底して女性性を描かないビグローの個性を感じる。だいいち、イラクにだって女性兵士はいるはずなのに、まるきり描写から排除している。ここら辺がビグロー映画の面白いところ。 
 サスペンスの次々の中断(少年の家を訪ねる際の、そこにいる男女の描写も予想を裏切り続ける)と持続。パワフルでありつつ、ナイーヴな展開の面白さ。

 ついこの間「グラン・トリノ」「チェンジリング」を見たばかりのクリント・イーストウッド監督の新作、この後にも新作が続くみたいで、じいちゃん快進撃やなあ。
 ネルソン・マンデラ役が極め付きに素晴らしいモーガン・フリーマンが製作総指揮をかねる。ということは、イーストウッドは、盟友・名優であるこの主演兼製作者に、頼まれた、いわゆる雇われ監督なのであろうか。
 27年もの獄中生活を体制側から不当に強いられたマンデラも、しかし南アフリカの大統領に当選すると、黒人と白人の宥和政策を採る。本来白人のものであるラグビーを、自国開催のワールド・カップの興奮をともに共有することで、国内和解に資する。
 これは、近年ほとんどの映画で、赦しと癒しをテーマにしている、なおかつ異民族同士の争いと、和解をもテーマとしている、イーストウッドにこそふさわしい映画といえる。イーストウッドは見事にそれに応えた。快作。
 実在している、しかもなお生きている、有名な国際的リーダーの、波乱に満ちた生涯を描く。しかもワールド・カップというこれまた実在する国際イヴェントを舞台として。普通の監督なら、力みに力んだ<感動の問題作>に仕立て上げるだろう。しかしそこはそれイーストウッド、なんの野心も感じさせない、ひょうひょうとした、風通しの良い映画にしている。さすがですね。
 映画に<力みに力んだ感動作>を求める観客には、彼の<薄味>は物足りなかろうが、まあ、かめばかむほど味わいの出るスルメみたいな人で。その点、まだまだ若いマット・デイモン(ナショナル・チーム主将役)には、この味わい、まだまだですな。ただ、SPたち、秘書たち、などなど無名役者の個性ある演出は、いいねー。役者出身の監督は、コネもあるんだろうし、すぐにわらわらと有名俳優総出演映画を作りたがる傾向にあるが、著名スタアは一人かふたりいればいい、あとは無名俳優使い放題のイーストウッド、ローコスト演出の素晴らしさ。
 ある種のゆるい、風通しの良い通常作品の中に、フリーマンのさりげない名演、そして一見テロリスト風?のいきなりの登場、など要所要所をシメる。こういうのを緩急自在というのかね。
 なお今年はサッカーのほうのワールド・カップが開かれる南アフリカ、殺人・強姦などの犯罪数がすごくて、慎重さで名高い日本のマスコミは女性記者は一切送らない、という報道を見たが、というと、女子アナの現地中継もないのかな。より世情悪化しているらしいのだが、マンデラの家庭生活の不和も含めて、そういうネガティヴな部分は、さりげなく触れるのみ。まあ、ここは、雇われ監督の節度というものか。

「イエスマン」

 DVDにて。ジム・キャリー主演のいわゆるひとつの<ハートフル・コメディー>。
 「(500)日のサマー」の、ズーイー・デシャネルがかわいかったので、「イエスマン」の彼女はめちゃくちゃかわいいぞ、といううわさを聞き、見てみることに。
 う〜ん。やっぱり、不思議ちゃん系ファニーフェイスの彼女は、予備知識なく偶然見るから良いので、意識してみると、ちょっと苦しいなあ(笑)。歌手でもあるらしい彼女が、歌も歌う。そこだけは、B級アイドルっぽくて、かわいいが。
 映画自体も、ネガティブ発想の銀行員キャリーが、何でも与えられたシチュエーションで、NOといわず、必ずYESを選択するという啓発セミナーに参加、以後ずうっーとYESと言い続けたら、どうなるか、という。どんないやな選択肢もYESと言いつづけたら、おばあちゃんに迫られたりもするけれど、結果は昇進し、ズーイーみたいな彼女も出来ました、めでたしめでたし、みたいな。ぬるいコメディー。
 だいいち、不思議ちゃんのズーイーが、心変わりしてキャリー捨てなきゃ、おかしいだろう。ジム・キャリーお得意のヘン顔に次ぐへん顔も、もう見飽きているよ。

 DVDにて。ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベイル両主演の西部劇。なかなかの快作。見せる。
 ラストのクレジットを見ていたら、原作エルモア・レナード、助演になつかしやピーター・フォンダ。改めて見直したら、まあだいぶお年を召して、もっとも西部劇だから、男は全員髭ずら、きれいにカットした髭もあれば、無精ひげもあり。ピーフォンは無精ひげのほうで、実はお顔(の変化)がよくわからぬ。
 日本では映画の西部劇は、これこの通りわずかながら公開されているが、小説のほうの西部劇は、あまり出版されない。売れないからだが、エルモア・レナードなら読んでみたいものだ。
 さて、極悪非道の強盗集団のボスがクロウ。ひょんなことから捕まえて(酒場女にハマっていて、つい油断)、ユマにある裁判所に護送する。その列車が3時10分に、町を出る。その汽車に乗せるための、試練を描く。当然、クロウ配下の強盗たちはボスを奪いにわらわらと襲撃してくる。街の無法者たちにも、金をやるから手を貸せ、といえば、これもわらわらと参加してくる。
 クロウを護送するのは、被害を受けているパシフィック鉄道の担当者と、ピンカートン探偵社の探偵たち、町の保安官とその助手の混成軍だ。それに、借金で首が回らない弱小牧場主のベイルが、200ドルで護送を請け負い参加する。
 まだ、強固な国の警察組織がほとんど確立されていない時代なので、民間警備・探索会社のピンカートン社が主力で、保安官など些少の権威付けのためのお飾りも同然なのだ。実際わらわらと無法者たちにホテルを取り囲まれると、いの一番に逃げてしまう。権威も何もないのだ。パシフィック鉄道の担当者も、後は任せた、とばかりホテルのほかの部屋に退散する。もっとも逃げた保安官は、ホテルを出たところで、蜂の巣。
 かくて、下請けの下請けである、ベイルひとりが、男の意地で、クロウを駅に連れて行く。汚れた街に、ただ一人、男の矜持あるのみ。ここが、泣かせどころ。いいねえ。西部劇の醍醐味だよね。
 必見の面白きウェスタンなのだが、もちろん、欠点もある。
 クロウという人気スタアを悪役にしたために、悪に徹しきれていない。そこが生ぬるちゃ、生ぬる。もっとも、この手の西部劇は、悪の改心というのも、裏テーマだから、致し方ないところもあるのだが。逆にクロウが<改心>したあとの、元配下の手下どもに対する扱いというか、裏切りというか、こちらはかなり非情なのもので、それこそ、お前がやるな、というところもあり。
 そして、一番の問題?は、西部劇に付き物の激しい騎馬戦だ。追う者たち、追われるものたちが、当時最高の自家用車である、馬に乗って戦う。エキストラたちはばんばん落馬する、のだが、馬たちが一頭すらも撃たれたり、倒れたりしないのね。アメリカ映画で必ずクレジットされる<当映画では、撮影中に一切の動物虐待を行っておらず>云々の、せいだが、昔の映画では、こういうシーンでは、馬がバンバン倒れていて、それこそしゃれにならないくらいの迫力だった。実際、倒される馬にしては、しゃれになっていないはずだ。そこが忌避されていて、そういう<大人の事情>がありあり。かといって、こういうアクションにCG使ったら、それこそ馬倒、じゃないや、罵倒されちまうし。う〜ん、難しいところだ。


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