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この原作が大ベストラー時に、読んだのだけれど、さくさく読めて、さくさく忘れる、ほどのよい通俗小説で、特に感慨というのはなかった。
このさくさく感がなければ、当然大ベストセラーには、ならない。 ほどのよい、恋の悩み、青春のモラトリアム。 まあ、夏目漱石「三四郎」以来のものの、現代版だ。 ある種の高級感?で、お上品にシュガー・コーティングされた、あけすけなセックス話。そう、セックスがからまなきゃ、こんなにベストセラーには、ならない。 濡れた、とか、開いた、なら、通俗低級?娯楽で、本作のように、濡れなかった、だの、開かなかった、なら、高級なゲージツでのセックス話というわけで。 でも、濡れた、でも、濡れなかった、でも、そのあけすけさには変わりはないから、高級感?を出すことによって、敷居は逆に低くなる、うまい手だったよね。化粧品は、高いほうが、むしろ売れる、そうで、つまりは、そういうこと。 で、問題は、菊地凛子だ(笑)。 一見、そんなこといわなそうな女の子が、濡れただの濡れなかっただのいうところに、価値(笑)があるわけで。おっさん顔で、下世話そうな、菊地凛子が、エロ話しても、なんだか、有り難味(笑)がないというもの。 場末の女が似合いそうな彼女が、この映画の高級感?を、はなから、引きずり落としている。 それに、菊地凛子では、精神に障害を負った、この役のリアリティを納得させるだけの説得力が、演技に、ない。ほどほどにうまいけれど、天然では、ない。 この映画のナオコさんから、天然さを取ったら、もう、だめでしょう。 松山ケンイチ、水原希子、ほかの皆さんは、好演しているのだが。 今回抜擢された新人さんの水原希子、雑誌のインタヴューなど読むと、アメリカ人と韓国人のハーフだそうな。なのに、水原希子、なんだそりゃ。芸名以前に、通名なのか。自分のアイデンティティは韓国人だ、と語る彼女の面妖さ。 でも、菊地凛子に比べれば、はるかに「ノルウェイの森」の世界観に、あってはいる。 男から見て<ご婦人は理不尽>、サンザン振り回されて、でも、理解はしようとする、そういう松山ケンイチくんの、愛の対象としては、その面妖さも含めて?、よろしい。 菊地凛子は、顔にも、演技にも、その裏表さが、ないからなあ。 この話のキモは、読書好きの主人公が、本を読むように、女の、人生の、死んでしまった友人(高良健吾)の、裏表を読むことにあると思うのだけれど、菊地凛子ではねえ。 水原希子が松山ケンイチに、 「あなた、青森って、行ったことある?」 「いや、ない」 ここでの松山ケンイチの演技には、説得力がなかった(笑)。 (理不尽な)女という「森」に分け入るには、松山ケンイチでは、ちょっと老成しているかもしれない。 「ジョゼと虎と魚たち」のころの妻夫木聡あたりか。寒そうな山の野っ原で、青カンならぬ、青フェラされるなら、やはり、松山ケンイチより、妻夫木くんでしょうな。根拠はないけど(笑)。 脚本・監督トラン・アン・ユンは、ほどのよいイージー・イメージ演出。日本とアジアと欧米のティストをミックスした美術は、画面を邪魔しないほどのよさ。リー・ピンピンの撮影のみが、このほどのよさを裏切るけれど、まあ、それも誤差の範囲内。 |

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