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水戸藩脱藩浪士たちによる、時の大老・井伊直弼暗殺を描く。
これを、監督は、インタヴューで、テロであり、テロを美化する映画にはしたくない、といっている。 はたして、これは、テロなのか。 水戸脱藩浪士たちはテロリストなのか(ひとりだけ薩摩藩から参加)。 桜田門から江戸城に入ろうとして、ごくごく近くの、藩邸から、井伊直弼一行は、出立する。 あまりにも、短い距離。 この道筋に、浪士たちは、じっと立っている。確かに町人などに変装している者もいる。侍姿のままのものも多い。 そして、この道筋に、隠れひそむ所は少ないが、しかし隠れようとする意思もなく、ただただ、道端に立っているものばかりだ。 ピストルも持っているが、それで井伊を殺そうとするわけではなく、単に、音を立てて、襲撃の合図にするような、文字通りの鳴り物として使用している。武器として使おうという意思もないようなのだ。 使用するのは、もっぱら刀。これは侍の通常標準装備だから、隠し持った武器を使うわけでもないのである。 これを通常の意味でテロ、テロリストと、いえるのか。つまり、現代の感覚で、テロ、テロリストと、断言していいのか。 外国には、不平等条約を結ぶ、弱腰の土下座外交。 国内では、反対者を弾圧する安政の大獄断行。 この、独裁大老・井伊直弼を、当時としては、ほかに排除する方法がないので、暗殺する。 しかし、暗殺という言葉には、ひそかに殺す、という意味合いがあると思うが、彼らは、早朝堂々、井伊を殺す。まったく、逃げ隠れしないどころか、現代で言う犯行声明を、お上に届けようと準備して、実行する。 テロルと言うのは、少数の者を殺傷することにより、社会に恐怖を与え、その影響により、社会を不安化し、やがてはその社会を転覆するためのものであるわけだ。 しかし、すでに、為政者・井伊直弼のほうが安政の大獄で社会に不安を与えている存在なのだ。もちろん為政者だから、井伊の意図は、<社会に恐怖を与え、その影響により、社会を安定化せん>ものだが、もちろんそれは井伊直弼の勝手な思い上がりで、恐怖で社会は安定化はしないものだ。 ちなみに、映画は、過去の桜田門から、現代の桜田門になり、キャメラが横に振れると、国会議事堂が写される。 こんなショットを見せられると、その意図は、 <現代の国会にも、外国に弱腰・土下座外交、国内には強腰・暴政の、悪い大老は、いないのかえ>とか、 <そんな悪い大老でも、軽々に暗殺なんかしちゃだめよ(笑)>とか、の、 意図しか感じない。この映画見たら、仙谷、あのいやみな顔で苦笑するだろうね。ちなみに井伊直弼の時代も、将軍は、バカ殿扱いだったり、その次は10歳以下の幼君だったり、今とおんなじか(笑)。 と、<映画の現代性?>ばかり、語っているが、 映画自体の出来は、案外まとも、ということか。 凡匠・佐藤純弥に、しては、意外と、かっちり、まとまっている。 <面白味(雑味・けれん)>はないが、意外に本格派。終始映画は緊張を保ち、ちゃんと、面白く見られる。 何しろ、ここ近年、シリアスな映画に出演しては、その場違いな、臭みあるコメディ演技で、緊張をぶち壊す、本田博太郎が出演して、映画をズッコケさせないなんて(笑)、いかにも、本格な映画なのだ。 ただし、主人公・大沢たかおの妻になる、長谷川京子の、あの、気持ち悪い、くねくねの日常所作は、なんなの(笑)。武家の妻としては、あのくねくねは論外。設定の農家出身なら、ごつごつな所作は、演技としてありだと思うが、こちらもくねくねは、論外。映画を見ていて、本当に気持ち悪かった。 その息子役・加藤清史郎は、よいのだが。 大沢たかおは、好演。ただ、妻・長谷川と、愛人・中村ゆりが、わりと似た顔。大沢たかお(というか、この映画の関鉄之助)の趣味、丸わかり。監督の趣味か。 しかし、ラストの主人公の<死の直前の回想ショット>に、妻、息子のみ、というのは、どうなのか。自分のために死んでしまった、愛人の回想は、ないのか。 感動への、まとめに、走ったか。 また、水戸出身者としては、水戸藩関係者に、いわゆる茨城弁がないのが(笑)。 薩摩藩、越後藩の武士には、方言臭があるのに。 考えてみると、水戸藩のエリート武士は、江戸との行き来が多く、大沢たかおは、京橋の芸者を愛人にしているくらいだし。江戸藩邸詰めの者も多かったのか。主役グループに、<かっこ悪い>茨城弁をしゃべらせたくなかったのか。それはそれで差別だろ。 もっとも、織田信長も、豊臣秀吉も、映画では、名古屋弁をしゃべらないが。 大沢たかおは好きな役者なのだが、この映画では、登場する時間はおおいが、あまり主人公としての役どころとしては、しどころのない役で。 逃げに逃げて、悩む役だからね。あんまり、アクションしない役なのよ。 しかし、なかでは、越後藩剣術指南役との、一対一の立会いは、見事。 ●追記●なお、本作では、各人が死ぬときに、
○○○○ 斬首 享年×× ○○○○ 自害 享年×× などと、字幕で出る。 いかにも抑制された字幕の出し方だが、これは深作「仁義なき戦い」へのオマージュか。 そう、深作(もちろん水戸出身の、茨城弁トーカー)が、生きていれば、この映画の監督は、当然深作だったろう。もっと泥臭く、ギンギラギンの快作が出来ていただろう。深作の幕末映画、見たかったなあ。 ★にほんブログ村 映画劇場鑑賞
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