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竈神(高野山金剛峯寺)
我々の祖先は「火」を神聖なものとして、生活していく上で欠かせないものとして、暖をとったり食物を煮炊きしたりする炉(ろ)や竈(かまど)の神さまを大切にしてきました。また、竈の煙が盛んに出ることは、家が栄えるしるしともいわれ、竈の神さまは家の神としての性格も持っています。
人は「火」を扱うことによって集団生活が始まったと言われています。日本では、縄文時代の中期ごろの竪穴(たてあな)住居の内部に炉がもうけられていましたが、それ以前は火はおもに屋外でたかれていました。この頃から一つの屋根の下で火をかこんで家族が共同生活する住まいが生まれました。
かまどは元来は釜をおく場所の意味でしたが、生活の中心となる火所として、家や家族自体を表象するものともされました。そのため家や家族をかまどや煙を単位としてかぞえる風習もあり、今日でも家をたてることを「かまどを起こす」、破産することを「かまどを返す」、分家を「かまどを分ける」ともいいます。
聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれた仁徳天皇の御製
高き屋にのぼりて見れば煙り立つ
民のかまどもにぎはひにけり
そして三年間租税を免除し、その間は率先して倹約に努められ、三年後、どの家のかまどからも煙が立ち上っているのをご覧になって、詠まれた御製です。 竈(かまど)は生活そのものであったのです。 竈(かまど)の神さまは、火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神とも言われています。
神道では、竈三柱神(稀に三本荒神)をかまどや厨房・台所に神札を以て祀る信仰があります。
竈三柱神は奥津日子神(おきつひこ)・奥津比売命(おきつひめ)・軻遇突智、火産霊(かくずち)とされる。オキツヒコ・オキツヒメが竈の神で、軻遇突智が火の神です。
一般には上記画像のように、かまどや炉のそばの神棚に幣束や神札を祀りますが、祀り方の形態は地方によって変わります。
東北地方に伝わるカマ男、火男
東北地方の陸前(宮城県や岩手県)では、竈近くの柱にカマ男、火男、カマジンなどと呼ばれる粘土または木製の醜い面をかけて祀る風習があります。
釜神さま
火は、危ないから「火の用心」 神聖だから「火の要鎮」ともいいます。
上記にも述べていますが、軻遇突智、火産霊(かくずち)さまは火の神で、静岡県秋葉神社は防火の神として有名で秋葉講は全国に及んでいます。
昭和十八年から、平成13年まで、宮中賢所で内掌典を勤められ、平成12年11月 勲四等瑞宝章綬勲、内掌典長までなされた高谷朝子氏が、火について次のように述べられています。
朝子語録:その13 「お鍋の底」
お鍋を五徳から持ち上げまして、他所へ置きます時には、お鍋敷き等を
敷いて、お鍋を置くことが大切な心得でございます。 何故ならば、底が熱いからという事だけではございません。炊事の時、 お鍋をお火にかけますと、底がお火に当たりますので、清いお火を汚さな い為に、お鍋の底も清くして、お鍋敷きの上にのせましてございます。 (注)お火は清いものとされています。 朝子語録:その18 「淨火」
火は日であり、さらに霊(ひ)であって、誠に尊い霊妙なものでございます。 上代より引継がれました、賢所の尊いお火は決しておしめり(お消え)になりませぬよう内掌典は命をかけてお守り申し上げます。菜種油にしみ込みました、 お燈心の清い小さな御火でございます。天津火継とも教えられました。 竈(かまど)神を祀る、火の神を祀る、これらの風習は、昭和二十年代までは残っていましたが、生活様式の多様化のともない、現在は祀られていないのが実情です。
植村花菜さんが、亡き祖母との思い出や自身の半生を表現し、大ヒットした曲「ト
イレの神様」。紅白歌合戦でも歌われました。日本のしきたりを、柔らかく優しく伝え教えながら、孫の心身共に健やかな成長を願う。そしてその祖母に様々な感情を抱き成長する様子は、まさに典型的な日本の家庭のようであり、聞いていて心が豊かになりましたね。
日本では古来より厠(トイレ)には神様がいらっしゃるとして信仰されてきました。厠だけではありません。上述の竈(かまど)の神様、大黒柱、門口、井戸に至るまで神々が宿り、崇敬してきました。
ことに厠は唾を便壺に吐いてはならない、裸で便所に入ってはいけないとか、和歌山県の北部地方では、厠には咳をしてから入らなければならず、便所に唾を吐くと盲目になるとういう伝承もあり、様々な禁忌(きんき)が全国で伝承されています。禁忌とは逆にご利益もあって、厠を綺麗にすると美人になるとか、妊婦さんが便所掃除をすると、可愛い子供に恵まれるなどの信仰もあります。お正月には注連飾りをしたり、お幣束を奉ったり、お供え餅を上げたりする地方もあるようです。
神道では主に厠の神は、古事記や日本書紀の神話に見るところの、埴山昆売命(はにやまひめのみこと)と弥都波能売神(みづはのめのかみ)、とされており、往古より上記に示すような信仰、感謝と祈りが捧げられてきました。
リフオームでトイレを水洗トイレに改修するときなど、お祓いと感謝のご祈祷をしてきました。様々な厠の恩恵に感謝し、畏敬の念を持ち、例えば厠を埋めて改修する、長年の恩恵に深い感謝と祈りを捧げる。これは神の国日本に於いて、常に神々と共に生きる、日本人の在るべき姿です。
しかし、最近、地鎮祭はするものの、解体のお祓い(感謝のご祈祷)などをしなかったり、トイレや台所などは、一部改修だからと、神事を行わず、事を行っている様子が多々みうけられます。その方々は特に神々に対する感謝の念が無いと言う訳ではないようですが、ただ気づいていないと思いたいです。
今は植村さんのお祖母さんのように、日本の風習や伝統を、子々孫々に語り繋いでくれる、ご年配も少なくなり、近代化された設備や技術も、神々の存在を感じづらくさせているのも事実でしょう。 この様な時代だからこそ神々に感謝し、崇敬のこころを伝えてゆかなければならないと深く感じています。
親から子、子から孫へ、麗しい日本のこころ、習俗を伝承していきましょう。
次回につづく・・・・
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転載してくださり感謝を申しあげます。
☆
2011/9/28(水) 午後 4:03
カマちゃんですね、もちろん傑作です。
2011/9/28(水) 午後 5:09
カマちゃん様
いつも素晴らしい記事ありがとうございます。
☆ありがとうございます。
2011/9/29(木) 午前 3:20 [ さざんか ]
さくらの花びら様
傑作有難うございます。
2011/9/29(木) 午前 3:21 [ さざんか ]