日本の感性をよみがえらせよう

PC不調と、私事雑用多忙のため停止させて頂きます。

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 一九七〇年十一月十二日、パリにいた私は一個の小包を受け取った。差出人は
三島由紀夫……
私は、三島由紀夫と出会ったことがなかった。いぶかしい思いで包みを解くと、華麗な箱入りの『豊饒の海』三冊が現れた。三冊とも「竹本忠雄様  三島由紀夫」と雄勁な筆致で献辞が入れられていた。

私は、感想でも書き送らねば申し訳ないと、一日延ばしに返事を怠っていたところ、二週間後に、日本大使館から電話がかかった。電話は三島由紀夫の自刃を知らせてきて、フランスのジャーナリストが殺到して、大使館としては当事件にコメントする立場に無いので、竹本さんを紹介してもいいですかというのである。

私はフランスに住んで七年、常に日本の立場で、発言してきた。文化の「交流」なるものは、決して見かけほどには、優雅でも生やさしいものでもなく、時と場合によっては「交戦」の様相をさえ呈しうるものである。事は、文化の優雅ではなく、武の果断に関わっている。事件の真相は窺うべくもなかったが、そこに「暴力」を感じとったが最後呈されるであろうこの国の良識家の批難攻撃は、潮の遠鳴りにも似て、不安な矢ぶすまの音を遠く響かしめている。私は、自分が危い一線に立っていると感じた。

しかし、ためらいはなかった。のみならず、昂揚の気持ちが涌然として身うちに興りつつあるのを感じた。
死を決した人が、その死の決行に先んじて、わざわざ航空便で畢生の大作を一面識もない異国の日本人に送りよこしたということは、なにごとかそこに託したい念願があったればこそではなかろうか?
「分かりました……」
と、思わず答えていた。


三島由紀夫の自決の知らせを聞いて、パリで見た反応の第一は日本人画家たちだった。その中の一人の言葉は、私の胸に太釘を打ち込んだようなショックを残した。
「なんという破廉恥なことをしてくれたもんだ!」と吐き出すように言った。
「これからは、もう恥ずかしくって、フランス人と顔を合わせる事もできやしない……『豊饒の海』なんか、ありがたがって読んでいたけど、今夜、セーヌ川に持っていって、どんぶりこと捨ててしまうんだ!」

その後、もっと知的なパリ派の日本人の何人かが、「三島」の名を聞くたびに露骨に示した嫌悪の情は、けっして、この「どんぶり氏」に劣るものでもなかった。

フランス側からの反応で最初に見たのは、「ル・モンド」紙のニュースだった。
「失敗したクーデター」という見方が大半だった。「これを機会に日本の右翼が台頭してくることが恐れられている」との結語は、おそらく日本のマスコミの反応をコピーしたものであろう。

「気でも狂ったか」という佐藤首相の言葉も引用され、以後、三島事件が論じられるたびに繰り返され、事件に対する日本の世俗的見方の代表格として印象づけられていった。

そのうち日本からの詳細が届くにつれ、予想された以上に批判、ときには悪態に近い批難が、いかに世上に満ちみちているかを知った。「平和日本」の「茶の間の良識」なるものを否応なしに感じさせられた。切腹によって終結したクーデターなるものは、つまるところ「グロテスク」であり「アナクロニズムの極致」であるというのが、要するにそれら石打つ人々の嘲笑の的であるように思われた。

まして、十分な事情を知らぬ一般のフランス人のあいだで、この出来事が、当初、なによりもまず「ファナティックな暴力」として受けとられたとしても、まったく致し方のない反応というべきであったろう。そして程無く、私は全フランス注視の公開テレビ番組で、真っ向からこうした反撃に立ち向う立場に置かれた。

事件後何日目かのことだった。フランス国営テレビから電話が鳴った。毎週のレギュラー番組「文芸討論会」でミシマを取り上げたいから出席してくれというのだった。

放送当夜、私は風邪で高熱を出し、参加は諦めることにしたが、スタジオ入り三〇分前になったとき、ゆえ知らぬ力に引っ張り上げられるかのように、ガバと跳ね起きた。何のために三島由紀夫はあれほどの苦しみに耐えて死を選んだのか、との考えがよぎるや、ベッドの上に起き上がってしまっていた。そしてスタジオに駆け込んだ。

「ユキオ・ミシマの死は、単に政治的なものとして捉えられるべきではなく、われわれの文明にとって聖なるものの中心がいかに必要であるかを伝統的死の儀式にのっとって主張したものと見てしかるべきでありましょう……」
すぐ真向かいで炯々と目を光らせていたエティアンブル氏が、待ってましたとばかり噛みついて来た。
「しかし、ミシマは、結局のところ、ヒトラーの礼賛者ではなかったんですか?」
「なるほど、『わが友ヒットラー』という作品を彼は書いていますからね」と応じ、「だが、この題名は逆説なんですよ!」
相手の目をじっと視つめながら、私は切り込んだ。
「それでは、あなた方の作家、ジャン・ジュネのナチズム礼讃のほうは、いったい、どうなんですか?……」
思いがけない反撃にエティアンブル氏は不敵な面魂をびくりとさせた。そしてなにごとか呪文のように早口で口のなかでつぶやくと、こう締めくくろうとした。
「まあ、ミシマは、才能(デュ・タラン)の持主ではあるけどもね……」

どっこい、逃がさじ、と私は意を決していた。
今宵、何百万人ものフランス人がこの光景を見守っているであろう。ましてテーマは、いま話題騒然たる日本の作家ミシマであり、「ハラキリ」であり、大多数の彼らの目からすれば、さらにそれは「カミカゼ」というも同義語なのである。ただそれが、彼らの危惧する日本のファシズムの再来を意味するか否かの一点にかかっている。このままここで引き下がれば、「何だミシマとは要するにヒットラーの追随者にすぎなかったのか」との印象をもって落着してしまうだろう。

ともあれ、一歩も退かじとの決意を、そのとき私は固めていた。
そこで、こんなこともあろうかと懐に用意してきた“ウルトラC”――ただし一枚の紙片をおもむろに取り出すと、ずらりと一座を見まわして、こう言った。
「なにゆえの、このたびの、日本作家の不可解な挙であったか?
ここに、ミシマの高弟である詩人、ムツオ・タカハシ(高橋睦郎)が、本放送のため、フランスの心に宛てて書いてよこした証言があります……」

私は読んだ。
「詩人はこう言っております――
『ユキオ・ミシマの死の意義は、イエスの十字架上の死がその《受肉の完成》をもたらしたことを考えれば、おのずから明らかでありましょう……』」
一座は粛然とした。
「カトリックの国フランスの人々にはこの思想は分かってもらえるでしょう」と断って、私の畏友とする高橋氏が書き送ってきてくれた一言は、さすが有効なカウンターブローを相手にきめる上に決定的だったようである。

放送翌日に出た「パリ・テレ」紙に、次のような寸評があった。
「かんかんがくがくの、いつもの無意味な文芸討論会のなかで、昨夜、光っていたのは、あの日本人参加者のもたらした証言のみ……」

それまで7年間の滞欧生活を通じて、日本がヨーロッパと接触するその仕方について、時と共にある疑問を深めていた。
私は、接触の中心地パリにあって、ありとあらゆる祖国の文化流入と活動ぶりを見たが、そこでは「新しい日本」を打ちだそうとする外交姿勢と、文化的国際主義を旗印とする「進歩的文化人」の欧米風エリート意識がつねに大勢を制しているために、われわれ日本人の血脈中にあって否定しようのない、ある本質的特異性の面については、これを自覚し主張することを恐れ、ときにはこれを積極的に対決の白刃として繰り出すほどの勇気を欠いてきたのではないか――との疑問である。

交流の水路を往来する人士の言動を見ると、「われわれはこんなにも現代的です」と滑稽なほどにまで肩をいからせているようにさえみえる。在欧大使館が、「演武」などと聞くとアレルギー症状を起こしがちなのも、その一例である。
こんな事もあった。あるベルギー人が日本フェスティバルで武道を紹介したいから武道家を世話していただきたいと、在ベルギー大使館に頼んだところ、大使館文化部の外交官はこう答えたという「いまの日本に武道なんてありませんよ!」
こういった例は枚挙にいとまがない。

最近でこそややその風潮は改まってきたが、ヨーロッパで合気・空手・少林寺拳法などを教える日本の武芸家は、一般に、日本人側から冷飯を食わされてきたのが通例であって、彼の地の国々の大衆が三顧の礼をとってこれらの師範を奉迎する実態ときわだたしい明暗二相をなしてきたのである。ある意味で――文字通り身を張って――日本文化の発揚に勤め、かつ最大多数の碧眼の弟子たちの尊敬を集めてきた在外日本人は武道家をもって筆頭格とすると私は信じてきたくらいで、こうした日本側からの不認識にはいつも大いに憤懣をかこってきたのであった。

禅、神道に関しても同様であった。
その後、あの達磨のごとき面魂を持った永平寺の弟子丸泰仙師が渡仏して禅の実体験をフランス人にほどこし、かつこれに大成功を収めるに至って、自分の敵はフランスではなく日本にあったと嘆じたときも、まことにむべなるかなと共感を禁じえなかった。

こうした面の日本が強調されるのは困ると感ずる人がいることは、したがって明らかである。しかもどこよりも、われわれ日本人自身のあいだにいるのである。そのような反応が、終戦後、西欧的合理精神に学んだ日本の知識人の大半の姿勢を決してきた、と言っても過言ではないだろう。

こうまでしてわれわれが「古い日本」に目をつぶりたがっている謂れは何だろう。フランスの国営テレビが、制作した野心的フィルム「アンドレ・マルローとの旅日記――日本篇」が1979年にパリで試写されたときの光景が、胸によみがえる。ジャン・マリー・ドロー監督によるこのフィルムは、京都・奈良をとおって熊野の那智滝、伊勢神宮にいたるまでのマルロー最後の来日時の足跡を着実にたどることによって、マルローのいうところの「永遠の日本」と西欧精神の対話を忠実に再現せしめようとしている。
イメージ 1
アンドレ・マルロー
私は、このように深く高雅な意図をもったフランス国民の芸術的創造性なるものを永遠に讃美してやまない者である。ちなみにこの作品は、フランスで全国放映され、三十数紙の新聞がこれに賛辞を呈するほどの注目の的となった。ところでこの試写を見終わった日本外務省の文化担当官はなんと言ったか、「新しい日本が全然出て来ませんな。まあ、新幹線が、ちらりとは出てくるけれども、……」

この困惑、この激怒は、かりに口にこそ出さね、敗戦によって条件付けられた戦後日本のタブーの領域を犯すことを、誰もが大なり小なりおそれているという事実に、歴然と由来している。

三島由紀夫の自刃は、人がどのようにそれを受け取ろうと、私には、何よりもまず、このタブーの封印を一挙に切裂いた「侵犯」の行為と見えたのであった。そしてこの侵犯によって、そこの封じ込まれた日本の神聖なる恥部、もしくは恥部の神聖を白昼にさらけ出した行為という意味において、しかもこの行為の切っ先を、自己の身肉をとおして日本のみならず現代的世界の喉元に扼したという意味において、まことにもって驚天動地の「荒ぶる神」の出来事と見えたのである。

最も密やかな心奥の疑問にこたえてくれた鬼神の行動としてそれは私を震撼せしめたが、同時に、剣尖を突きつけられたヨーロッパのエスプリの側も深くこれに戦慄し、事件直後の皮相的一部の反撥をこえて、たちまちにして共感、礼讃の声々が広がっていく光景を見て、はたせるかなと感慨に打たれずにはいられなかった。

少なくとも、フランスにあっては、エティアンブル氏流の攻撃は、ほうはいとして興る讃嘆の念によって、たちどころに取って代わられていった。ときには同一人物のなかで、当初その口からほとばしった「野蛮」を非難する声が、真相を知るや、実に驚くべきことに、感動の涙にまで変化していく光景を目にしたのである。三島氏の遺言的一作『憂国』に感じた詩人、エマニュエル・ローテンの反応がそうであったように。


『パリ憂国忌』竹本忠雄著から
字数制限のため、書きなおしや省略をしました。

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閉じる コメント(22)

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私は長い習慣で毎日3時〜5時の間で目が覚めた時30分程座禅(神想観)をして再び寝ます。今日は寝ても目がさえて眠れませんので再び起きてブログ見ましたら、この記事でした。これを読む為に起こされたようです。文中に「ゆえ知らぬ力に引っ張り上げられるかのように、ガバと跳ね起きた」とありますように私も経験がありますが、今日も同じようでした。感動しました。傑作!

2011/10/25(火) 午前 5:42 [ サイタニ ]

素晴らしいです。

先日の民族派の酒席でもお話を伺ったばかりで、感動しました。

傑作○です。

2011/10/25(火) 午前 11:16 近野滋之

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hito様
転載、応援ポチありがとうございます。

2011/10/25(火) 午後 1:13 [ さざんか ]

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NICK様
たしかに三島由紀夫の作品には耽美主義が濃いので、そういう気持ちになる部分はありますね。そういう部分とは別に、また誰が言ったか忘れましたが、愚直過ぎるような純粋さと言うか生真面目さもあって、その死はやはり悲痛なものがありますね。
転載有難うございます。

2011/10/25(火) 午後 1:18 [ さざんか ]

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サイタニ様
この本は、30年くらい前に買ったものですが、その時には三島由紀夫に関するものをよく読んでいて、この本はヨーロッパからの視点で書かれていておもしろく感じましたが、最近もう一度この本を見たら、著者が竹本忠雄氏だったことに気づき、再びめくってみると、若いころとはまた違う感動がありました。
傑作有難うございます。

2011/10/25(火) 午後 1:25 [ さざんか ]

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こんの様
ある話題に出くわす時は、それが重なることがあって、なにか不思議な感じがしますよね。
傑作有難うございます。

2011/10/25(火) 午後 1:28 [ さざんか ]

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三島先生は遠い現在が見えておられたのでしょうね。
武士道精神は欧米の騎士道とまた違ったものですから、先生の自決は異質に映ったでしょうね。

傑作

2011/10/25(火) 午後 2:50 アメブロにタイトル同じで移行。

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カマちゃん様
ほんとですね。三島先生は、ある意味預言者的ですね。
竹本氏の対応がなかったら、誤解を生んでいたかも知れませんね。しかしそれを死の前に見ぬかれて、面識のない竹本氏にそれを託すことが出来る三島氏にも感嘆しますね。
傑作ありがとうございます。

2011/10/25(火) 午後 3:31 [ さざんか ]

三島由紀夫の自決の日のことは忘れられません。
少年期でしたが、駅のスタンドの夕刊がすべて売れきれていた光景ははっきりと記憶にあります。
帰路に急ぐ人々が茫然としていたんです。

2011/10/25(火) 午後 5:16 トマト王子

何か縁を感じます。

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

2011/10/26(水) 午前 11:10 近野滋之

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トマト王子様
この日のことを覚えている人は多いようですね。それだけ衝撃的だったのでしょう。子供でも、大人と言うか社会の衝撃が伝わったのかも知れませんね。

2011/10/26(水) 午後 5:27 [ さざんか ]

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こんの様、
こんの様のような民族派の運動を実際にやられている方には、特に見えないつながりが、色々なめぐり合わせを生むのかも知れませんね。

2011/10/26(水) 午後 5:30 [ さざんか ]

三島由紀夫の自決したのは戦後25年。
昭和45年は日本は経済成長の最盛期、昭和元禄といわれ日本国中うかれきっていました。
その時、憂国の士としてたちあがり主義をのべて自決した三島氏。
現在のようにネットが普及していれば、賛同するもの多数にて自決に追い込まなくてすんだのではと・・・。
その後の日本、日教組や民主党により逆方向に進んでしまった事が誠に悔しく思えてなりません。

傑作です!

2011/10/27(木) 午前 8:32 たけし

そうかもしれません。

故・野村先生との出会いも銀座のクラブでした^^

2011/10/27(木) 午前 10:40 近野滋之

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死罪等と違い、自らの生き方死に方を通して人に訴え気付かせ動かすというモノと言うのは日本以外ではあまり聞いた事がありません。
切腹と言う生の終わらせ方の凄惨さと、その時それを理解出来る説明がされた事は日本にもフランスにも良かったのだと感じます。

それにしても、海外に住んで居る日本人の「かぶれる」姿(例えば、フランスかぶれ)を見ると気持ちが悪いですね。最近は見ないのかもしれませんが・・・

★!

2011/10/29(土) 午前 8:08 ジョウジ

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たけし様
ほんとにそうです。三島氏の自決はほかにやりようはなかったのかとも思いますが、当時の情勢と氏の感性や哲学などすべてが総合されたもので、宿命のようなものだったのかも知れませんね。
しかし、その後の日本が今ひとつ三島事件を生かしきれなかったですね。おっしゃるように逆方向に言った気がしますね。
傑作ありがとうございます。

2011/10/29(土) 午後 2:01 [ さざんか ]

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こんの様、
そうですか、しかし銀座のクラブとは豪勢ですね。幕末の志士も料亭での会合が多かったというはなしもありますしね。

2011/10/29(土) 午後 2:03 [ さざんか ]

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ほんとにそう思います。フランスの日本大使館が、もはや古い日本を捨てることを意識して外交しており、また在仏日本人知識層の殆どが、同じような感じで三島事件に嫌悪を抱いていれば、もし竹本氏がおられなかったら、三島由紀夫も、日本も大きな誤解を受けていたかも知れませんね。
竹本氏はフランスへの日本文化の説明役としては、ほんとに適した人物です。近年も皇后陛下の和歌を集めたものを本にして出されています。そのまま日本語で、『セオト(瀬音)』と題して。

2011/10/29(土) 午後 2:16 [ さざんか ]

ここへは暫くです。

「武士の切腹は、イエスが十字架に磔になった時の精神と同質のもの」

これと同じ趣旨の事が新渡戸稲造の『武士道』にも書かれていますね。
それにしても当時の空気や、「進歩的」を気取った連中の言動・・・・「何と軽薄で浅はかなのか!?」と思います。


ナイス☆

2013/1/19(土) 午前 9:11 ZODIAC12

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コメントを頂きナイスまで、有り難うございます。
新渡戸稲造もそのように言っているのですか。
洋の東西を問わず、本質の判る人間には、きちんと見えるのですね。
フランス人の深い理解に比べると、同じ日本人が理解しなかったことが、何か恥ずかしいというか、悲しいものがありますね。

2013/1/22(火) 午後 4:27 [ さざんか ]

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