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サイタニのブログの竹田恒泰著「皇族たちの真実」よりの、つづきです。

直系や近親に男系男子がない場合、たとえ遠くとも、傍系から男系男子を皇位継承者にする方法が取られるのが、不変の法則でした。

これはある意味、直系に於いて、皇位継承の皇子が幼少に無くなる、或いは若くして亡くなることなどが続いていたりする場合も多いようですから、これによってある種の遺伝的なもの、あるいは体制的なものなどが、傍系に移ることで、刷新されて、健全化する効果があったのではと、私は思います。

光格天皇は、傍系として軽んぜられているという事を幼少ながら感じ取っておられたらしく、理想的な天皇像を追い求め、それを立派に演じよう、という志を強くお持ちだったようです。光格天皇を案じた先々代の後桜町院は天皇に学問を熱心におすすめになり、その助言に従って、光格天皇はよく努力されました。一七歳では近臣の補弼を得ながら、自ら朝廷の中心となって、政務を取り仕切っておられたようです。この点も、この時代の数代の天皇とは異なっていました。

そして、この光格天皇の理想の天皇像を追求され、時には幕府にも意見を言われる姿勢が、多くの庶民の間で、天皇の権威を高めてゆき、後の大政奉還の基を築いたと思われます。



先帝の皇女を皇后に
 
光格天皇のように傍系から践祚した例は、一二四回繰り返されてきた皇位継承のドラマの中でも継体天皇、後花園天皇、そして光格天皇のわずか三例しか存在していない、いずれも皇室にとって危急存亡の秋であった。

 
ここで極めて重要な点を指摘しなくてはいけない。崩じた後桃園天皇の皇女欣子内親王が光格天皇の皇后とされたことである。これは、閑院宮出身の光格天皇と先帝との血縁を濃密にするための措置にほかならない。

 
新帝は閑院宮から擁立されたが、天皇家を置き去りにすることはなかつたのだ。皇位継承者が不在という局面で傍系から天皇を擁立したことは、皇位を男系継承させ、最も重要な伝統を守ったことになるが、一方で新帝と先帝が遠縁であるという問題を生じさせた。しかし、先帝の皇女が新帝の皇后になることにより、新帝と先帝との間の血縁を一挙に近づけることに成功した。

この方策にはモデルがあり、その先例に従ったものだった。それは継体天皇の例である。皇統断絶の危機の一つとして既に示した武烈天皇から継体天皇への皇位継承のとき、傍系の継体天皇は、武烈天皇の姉で仁賢天皇皇女に当たる手白香皇女を皇后としたことは既に述べたが、光格天皇が欣子内親王を皇后としたのは、この先例に従ったものだった。

 
ちなみに、手白香皇女は後に継体天皇の嫡子たる欽明天皇を出産したことも注目すべきである。それにより現在の天皇家の血筋は手白香皇女を通じて仁賢天皇以前から、また継体天皇の父系を通じて応神天皇以前から繋がっていることになるからだ。



祐宮が選ばれた理由

安永8年当時世襲親王家は四家あり、その中に多数の男子皇族がいた。誰を天皇にするべきかの選考を行なうに当たり、継体天皇を先例とし、先帝の皇女との婚姻が前提、もしくは優先されたと考えられる。すると侯補者はおのずとわずか数名の若年皇族に絞られることになる。

安永8年生まれの先帝の皇女との婚姻を考えると、年齢的に釣り合っている必要があり、また未婚者で、かつ宮家を継承する予定がないことが望ましい。またその頃、宮家の当主とならなかった男子皇族は出家して門跡寺院の門跡となることが慣習であったが、門跡を継いだ入道親王を還俗させるよりは、いまだ門跡を継いでいない若い皇族の中から候補者を選ぶことが優先されたと考えられる。安永8年に御桃園天皇が崩御した時の未だ門跡を継いでいない皇族男子は八方あった。


嘉禰宮(後の貞敬親王(さだよししんのう))は伏見宮当主を、また美仁(はるひと)親王は閑院宮当主をそれぞれ継承する予定があったため、この二人は候補から外されたのではないだろうか。
 
 
また、当時は幼児の死亡率が高いため、少なくとも5歳程度に育っていた方が安心できたと思われる。よって特に幼少の佳宮(よしのみや)、艶宮(つやのみや)、健宮も早い段階で候補から外されたと思われる。
 
すると、残るは閑院宮の公延(こうえん)入道親王、祐宮、そして寛宮の三方となるが、その中で祐宮が選ばれた理由は明確ではない。推論するに、公延入道親王は明和4年一1767)に仏門に入って以来だいぶ時間が経過していたことが懸念され、年齢的な問題で候補から外されたのではないだろうか。
 
 
また寛宮は安永8年3月に召し返しになっているものの、安永2(1773)にいったん梶井門跡を継いでいることが関係しているように思われる。すると、祐宮は門跡を継いでいない皇族の中で適齢であり、この条件を満たすのは祐宮一人だったことになる。
 
 
祐宮以外の侯補は既に門跡となっていたか、もしくはそれが正式に決まっていた。祐宮は将来聖護院門跡を継ぐことが予定されていたものの、その正式な手続きを済ませていなかったことが強く影響したとみえる。

ちなみに、聖護院門跡は後に弟の寛宮が継ぐことになる。さらに、祐宮が最終侯補とされたのは、四つの世襲親王家のうち、最も新しい宮家が閑院宮であったことが大きく作用している。つまり閑院宮は 天皇家から最も近い血筋を引いているのだ。したがって、初めから閑院宮は最有力侯補であったと思われる。このように、傍系から即位する皇族として祐宮が選ばれたことには必然性があった。
 
 
 
近代への礎を築く
 
 
現代人の感覚では、時の 天皇の直系が皇位を継ぐべきだととらえるだろう。しかし、生前譲位や年少天皇が認められない時代や、嫡系継承よりも兄弟継承を優先した時代もあり、皇位継承の方法は時代によって大きな違いがあったことは事実である。

だが男系継承の掟(おきて)だけはいかなる場合にも変えられることはなかった。歴史的に皇位継承の順位は大まかには次のとおりである。
 
1、嫡系男子2、庶系男子 3、男系の傍系の男子 4

中継ぎ的に男系の女子生まれる順序などにより、庶系男子が嫡系男子を差し
置いて即位した例もあるが、基本的にはこのとおりである。
 
 
直系や近親に男系男子があればそれに越したことはないが、ない場合、たとえ遠くとも、傍系から男系男子を皇位継承者にする方法が取られてきた。これが不変の法則なのである。


続く 近代への礎を築く 
 
 
光格天皇が践祚したこのとき、表面上は空位がなかったかのように繕(つくろ)われたが、実際は先帝崩御から新帝践祚までの約一か月間、天皇が不在であったことになる。このように傍系から 天皇を擁立させたということは本家が途絶えたことを意味する。
 
祐宮は傍系であるも、東山天皇の曾孫に当たるため、前出の二例と同様に皇位が異なった家系に移ったわけではないが、光格天皇への皇位継承は綱渡り的な荒技であったことは事実である。
 
傍系から即位した光格天皇は、皇統を繋いだだけでなく、我が国の近代への礎を築く天皇となるそのため、光格天皇の即位は極めて重要な意味を持っといわなければならない。
 
光格天皇は安永8年に8歳という幼さで天皇の位に就き、後に譲位するまでの38年間在位した。この在位期間は 昭和天皇の64年、明治天皇の46年に次いで三番目の長さに当たる。

光格天皇は譲位後も更に23年間院政を敷いたため、通算62年間君臨したことになり、その長さは実質的には昭和天皇に匹敵する。光格天皇は歴代の天皇の中でも特に理想的な天皇像と君主意識を明確に持ち合わせた天皇であつた。幕府の勢いに陰りが見え始め、維新への足音が聞こえ始めた時期である。
 
そして孫の孝明天皇が日本史上極めて重要な時期に 天皇として大活躍するための確固とした基盤は、既に光格天皇がつくり上げていた

光格天皇は間接的ではあるが、後の明治維新に多大なる影響を与えたのだ。 光格天皇が崩御したとき、後に孝明天皇となる孫の統仁(おさひと)親王は9歳でああったが、光格天皇の気概は確実に孫に受け継がれていた。
 
また光格天皇は崩御の後にその功績を称えて「光格天皇」という天皇号が贈られたことには注目すべきである。当時は 天皇が崩御すると院号が贈られるのみだったのだが、数百年ぶりに天皇号が贈られたことで日本中が驚かされた。
 
天皇号が贈られることの意味は、このようにさらりと書いてしまうと分かりづらいが、実はこのことは朝廷にとって、いや日本の歴史にとって大事件であった。
 
先帝が崩御あそばされた後に「昭和天皇」と天皇号が贈られたことは読者もよく知っていることだろう。このように天皇が崩御した後に「何々天皇」という天皇号が贈られるのは現在では制度として確立しているが、光格天皇が崩御した時代は、天皇は崩御後「何々院」と称されるのみであった。
 
例えば後鳥羽上皇が「後鳥羽院」、白河上皇が「白河院」といった具合であり、「何々天皇」と称されることはなかった。遡(さかのぼ)れば平安時代中期の 村上天皇以前は天皇号が贈られていた。しかしその習慣は以降約900年間の長きにわたって中断されていた。
 

光格天皇に天皇号が贈られたことは、その偉大さを象徴するものであり、光格天皇の人生の総決算となった。



閉じる コメント(9)

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竹田氏はやはり宮家ですね。

傑作

2011/12/25(日) 午前 8:46 アメブロにタイトル同じで移行。

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カマちゃん様
やはり宮家というのは、こうした皇統の歴史もしっかりと学んでいるのですね。たとえ、今は宮家でなくなっても、宮家の本分と言うものをよく自覚されているのですね。
傑作ありがとうございます。

2011/12/25(日) 午前 11:28 [ さざんか ]

男系護持!

傑作○です。

2011/12/25(日) 午前 11:49 近野滋之

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こんの様
傑作ありがとうございます。

2011/12/25(日) 午後 2:26 [ さざんか ]

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

2011/12/26(月) 午後 2:50 近野滋之

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こんの様
いつも丁寧なご訪問ありがとうございます。

2011/12/26(月) 午後 3:06 [ さざんか ]

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内緒様
転載ありがとうございます。

2011/12/27(火) 午前 9:29 [ さざんか ]

そうですとも。少しは王政時代のフランスを見習うべきです。
さざんかさんは先日来て下さった、王政時代のフランスの話を憶えておられるでしょうか?

2011/12/29(木) 午後 4:59 [ - ]

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ZODIAC12様
ええ、一番印象に残ったのが、男系継承だったことです。まさかヨーロッパに男系継承というものがあるとは思っても見ませんでした。

2011/12/29(木) 午後 11:26 [ さざんか ]


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