日本の感性をよみがえらせよう

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サイタニのブログからの転載です。

終戦時の昭和天皇の御聖断により、ポツダム宣言受諾の決定が下され、その速やかな停戦を行なうために、前線に皇族の方々が派遣されます。それは日本国始まって以来の敗戦という結果を受け止めるためには、皇族の方々が、天皇の意を伝えるという方法以外に、混乱なく戦争継続中の軍隊が戈(ほこ)を収める方法が無かったからであり、それ故、皇族という立場とその任務は重いものでした。


竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より


最前線へ飛ぶ皇族たち
 
皇族男子が日本の降伏を知らされたのは昭和20812日のことだった。
午後320分、在京する皇族男子全員が宮中の御文庫附属室に呼ばれた。
 
  
高松宮、三笠宮、賀陽宮(かやのみや)(恒憲王(つねのりおう)、邦壽王(くにながおう))、久邇宮(くにのみや)、梨本宮(なしもとのみや)、 朝香宮(あさかのみや)、東久邇宮(ひがしくにのみや)、稔彦王(なるひこおう)、盛厚王(もりひろおう))、竹田宮(たけだのみや)、閑院宮(かんいんのみや)、李王垠(りおうぎん)、李鍵公(りけんこう)
の、各皇族および王公族十三方が沈痛な面持ちで身なりを正す中、 大元帥服を御召になった 昭和天皇が御出ましになり、正面の玉座に御座りになった。
そのときの 昭和天皇の御様子については、東久邇宮は「天皇陛下は、お顔の色が悪くて、たいへんにおやつれになり、非常に神経質になっておられ、胸潰るる思いがした」と記し、また竹田宮恒徳王(つねよし)は 「天皇陛下は今迄拝したことのない程に緊張された御様子」「しばらくお目にかからない間に、なんと深いご心労を宿されたことか」と後に記している。

 
「陛下の御耳に雑音を入れないため」との理由で、戦争中皇族たちは、 天皇に拝謁することが原則的に禁止されていた。昭和天皇の弟宮だけは参内することが許されていたが、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)は結核を患って長期間療養をしていたため、天皇の前に進むことができたのは高松宮宣仁親王(たかまつのみやのぶひとしんのう)と三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)だけだった。

 
またそのほかの皇族が何かの機会に陛下の御目にかかることがあっても、ほかのことは一切申し上げてはいけないと侍従から注意があったという。そのため、この日呼ばれた皇族たちは久方ぶりに 天皇の謁を拝した。天皇の憔悴(しょうすい)なさった御姿を目の当たりにし、目を伏せた者も多かったという。

 
また当時侍従長であった藤田尚徳(ふじたひさのり)大将の著した『侍従長の回想』によると、昭和天皇の体重は通常17貫(約64㎏)であったが、終戦の時期には15貫(約56㎏)まで御痩せになっていらっしゃったことが分かる。藤田によるとそれは「激務と御心労、それに食事の粗末さからくるもの」だという。

 
参集した皇族たちに対し 昭和天皇から、ポツダム宣言を受諾することにした趣旨について御話があり、陛下は込み上げるものを、そっと胸に抑えておられるような御様子で、しかし、不動のご決意を込めて、しっかりと  
「私自身はどうなってもよいから、ここで戦争を止めるべきだと思う。そこで自分は 明治天皇の三国干渉当時の御心労を偲び、ポツダム宣言を受けて、戦いを止める決心をした。どうか私の心中を了解してくれ、そしてこれからは日本の再建に皆真剣に取り組んでもらいたい」(竹田恒徳『終戦秘話』

 
と御言葉を御続けになった。
それに対して最年長の梨本宮が代表して、「陛下の御英断に謹んでお従い致します。そして今後共国体の護持に全力を尽します」と奉答した。召された皇族たちは全員軍人であり、戦争が最悪の局面に達していることを承知していた。
 
このときの昭和天皇のお姿に接し、皇族たちは次のように思いを綴っている。「私は戦争及び終戦の御苦労の結果と、つくづく御同情申上げ、そしてー 何とかして、陛下の御安心のゆくようにしてあげたいーと、ひとり心に誓った」(東久邇宮稔彦王)(東久邇稔彦『私の記録』

「ふだんはむしろ女性的にさえ思えるほど、お優しい陛下が、この日本存亡の際にお示しになった、不退転のご決意を秘められた荘厳なお姿を、私は生涯忘れることができない」(竹田宮恒徳王)(竹田恒徳『雲の上、下思い出話』)

 
 
 
 
注:陛下の側に近づけなかったとあるが、真意はわからないが、当時の軍の上層部は天皇陛下をないがしろにして独断で決めていたと言う事を聞いたことがある。
結局終戦の時はさすがに自分達では決めきらなくて、天皇陛下にお伺いをたてたようである。
  

 
特使となった三皇族
 
運命の8月15日正午、日本の敗戦、そしてポツダム宣言の受諾を告げる玉音が放送された。昭和天皇の二番目の弟である高松宮と高松宮妃喜久子(きくこ)はその日の朝5時、東京を出発して御殿場にある秩父宮別邸に向かった。実の兄である秩父宮とともに玉音放送を聞くためである。この頃秩父宮は肺を患い御殿場の別邸で療養していたが、病床の兄宮がたった一人で放送を聞くことの辛さを察した高松宮は、一緒に聞くことにしたのだった。床に臥せる秩父宮を、秩父宮妃勢津子(せつこ)、高松宮、高松宮妃喜久子の三方が取り囲み、揃って玉音を拝した。両宮妃は声を上げて泣いたという。

玉音放送があった翌日の8月16日、朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこ)、東久邇宮稔彦王、竹田宮恒徳王、閑院宮春仁(かんいんのみやはるひと)の四名に、昭和天皇から突然の御召があった。東久邇宮を除いて三名は何の御用かさっぱり分からずにいた。東久邇宮を残して三名が先に、昭和天皇の御前に案内された。

天皇は14日の日と同様の緊張した面持ちで、「終戦をつつがなく行なうために、一番心配なのは現に敵と向かい合っている我が第一線の軍隊が本当にここで戈を収めてくれるという事だ。蓋(けだ)し現に敵と相対している者が武器を捨てて戦いを止めるという事は本当に難かしいことだと思う。

しかし、ここで軽挙盲動されたら終戦は水の泡となる。自分が自ら第一線を廻って自分の気持をよく将兵に伝えたいが、それは不可能だ。ご苦労だが君たちが夫々手分けして第一線に行って自分に代わって自分の心中をよく第一線の将兵に伝え、終戦を徹底させてほしい。急ぐ事だから飛行機の準備は既に命じてある。
ご苦労だがあした早朝発ってくれ(竹田恒徳『終戦秘話』)と仰せられた。
朝香宮は支那派遣軍に、竹田宮は関東軍と朝鮮軍に、そして閑院宮は南方総軍にそれぞれ 天皇の特使として終戦の聖旨を伝達しに行くことになった。
 
一人控え室に残った東久邇宮にはその直後に大命降下があり、東久邇宮内閤が誕生する。つつがく終戦させるために皇族たちがそれぞれ大役を仰せつかったのである。

皇居からの帰り道、竹田宮は思いがけない重責に緊張しながらも深く覚悟を決めていた。つい7月まで関東軍参謀として満州帝国の首都新京(満州国時代の長春の呼称)に赴任していたことから、ソ連軍と中国軍の進駐が目前に迫る現地の混乱ぶりは容易に想像がついていた。

関東軍に幕引きを命じに向かう心境は悲痛なものであったろう。竹田宮は「これは誠に大変なお役目である、果して無事に帰れるとも分からない」と思い、帰宅するとすぐに身辺の整理を始めた。するとその日の午後、内閣総理大臣に就任したばかりの束久邇宮から電語があり、赤坂離宮の組閣本部に来てほしいと言われた。

竹田宮が組閣本部に出向くと、東久邇宮首相と東郷外相から「竹田さんは満州に行くそうだが、もしできたら溥儀(ふぎ)満州国皇帝に会って、皇帝が希望されたならば、一緒に日本へ連れてきてもらいたい」と依頼されたのだ。

ただし「もちろん、あなたの本来の任務は聖旨の伝達にあるのだから、無理をしてまでとの依頼ではないのだが」とのことだった。宮は天皇からは聖旨伝達を、また首相からは満州国皇帝を亡命させることの密命を受けたのである。

朝香宮、閑院宮、竹田宮の三宮はその日の夜8時頃に朝香宮邸に参集し、現地に赴いた際の言動について打ち合わせをした。翌8月17日午前9時頃、 三宮はそれぞれ現地に向かって本土を後にした。


竹田恒泰著  「皇族たちの真実」より


 
 
 

閉じる コメント(9)

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>当時の軍の上層部は天皇陛下をないがしろにして独断で決めていたと言う事を聞いたことがある

戦争途中から東條が参謀総長を兼ねて宮中に割り込んできましたが、やはり木戸幸一が陛下に偏った情報しかあげなかったことが大きな要因でありましょう。あり得ないソ連への戦争仲介もそれでありました。

傑作

2012/1/12(木) 午前 7:15 保守の会会長 松山昭彦

また地震だ・・・

これが最後のコメに

2012/1/12(木) 午後 0:21 近野滋之

はぁ・・・、やっと揺れが収まりました。

>ポツダム宣言受諾の決定が下され、その速やかな停戦を行なうために、前線に皇族の方々が派遣されます

本当にありがたいことです。

しかし、当家も含めて日本のために戦死した陸・海の職業軍人将校の家は石を投げられるなどされたこと真実です。

傑作○です。

2012/1/12(木) 午後 0:31 近野滋之

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さくらの花びら様
以前さくらの花びら様が、宮中にも情報工作があったと言われていたのを、この記事の部分で、すぐに思い出して、ほんとに許せない怒りが湧きました。天皇は時代を鳥瞰するような公正で賢明な判断を一番出来る立場のお方なのに、間違った情報を上げるなど、ほんとに天皇を蔑ろにするとは、愚かなことです。
傑作ありがとうございました。

2012/1/12(木) 午後 0:45 [ さざんか ]

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最近の地震は、ちょっと怖いですね。こちらでは全く揺れませんでしたが、連続していろいろ起こる可能性があるから、油断できませんね。
でも収まってよかったです。
皇族の方々は、さすがにいざというときには、やはり頼りになりますね。
それにしても近野さんなどの将校の方のおうちに石を投げるとは、そこまでGHQの洗脳がひどかったんですね。或いは、左翼が煽動していたのかも知れませんね。普通の日本人だったら、そこまでやるとは思えない気がします。左翼は卑劣で汚いですからね。心ある人は、ただ黙っていたのでしょうね。それがちょっと残念ではありますが。
しかし、もうすぐ英霊がきちんと感謝される時代にきっとなると、今年から変わると、なんとなく信じているのですが。
傑作ありがとうございました。

2012/1/12(木) 午後 0:56 [ さざんか ]

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掲載ありがとうございます。私の父も職業軍人でした。一切何も言いませんでした。アサヒビールの会長が(陸軍参謀)戦後2年間毎朝2時間日本の国がいかに悪かったか、アメリカは日本を開放して自由の国にする為に来たのだとラジオで放送したとのことです。私は、この頃アメリカはこれを、韓国、中国でも日本がいかに悪い国かを放送してきたのではないだろうかと思っています。知っている方は教えて欲しい。

2012/1/12(木) 午後 9:22 [ サイタニ ]

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サイタニ様
いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
そうですか、サイタニ様の御父上も職業軍人でしたか、言いたいこともあったでしょうが、言えなかったのでしょうね。無念の思いなどもあったでしょうね。
韓国中国で放送はどうでしょうね。アメリカが中国に駐留したという話は聞かないですし、占領国でもないから、そこまで干渉はしないのではないでしょうか。真相箱という番組は日本へのウォーギルトインフォーメーションとしてやられたわけですから、支那人に、日本へのイメージを悪くしても、戦後には今更必要ないでしょうから、そういうことはしなかったのではと思います。支那ではすぐに共産党と、国民党の戦いが始まりますし、日本のことを放送している状況ではなかったと思うのですが。中共になって、国内をまとめるために反日教育が始まったのだと思います。韓国も似たような状況ではないかと思いますが、どうでしょうか。

2012/1/12(木) 午後 10:22 [ さざんか ]

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決して安全では無い状況の中で・・・・
国を国民をただ守ると言う信念で・・・
これまで教わってきた授業の中では、皇族は戦時中も・・云々・・などと教師が言ってきましたが、あまりにも違い過ぎます><
学校教育から正さないと、日本は消える事になりますね。

☆!

2012/1/13(金) 午前 10:19 ジョウジ

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ジョウジ様
ほんとにそうですね。知らないことを、推測だけで、悪しざまに言う教育でしたよね。
日教組がいる限り、教育がまともになりませんね。大改革が必要ですね。
☆ありがとうございます。

2012/1/13(金) 午後 1:38 [ さざんか ]


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