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サイタニのブログからの転載です。
終戦直 前に、皇族が戦地に飛んで、昭和天皇の停戦の御心を伝えられましたが、終戦後も自由に動けない昭和天皇かわりに、歴代天皇陵をすべて回って敗 戦の御報告と日本復興の御加護をお祈りするようにと、昭和天皇から命ぜられます。
これもやはり皇族でしかできないお役目です。日本は祭祀の国なのです。日 本は、国でも個人の家でも、古来より、先祖の祀りを大切にしてきた文化の国柄なのです。だから敗戦という未曽有の出来事においては、なおさら、これは大事 なこ とであったと思います。
竹田 恒泰著 「皇族たちの真実」より 歴代天皇陵御代拝
終戦の混乱もやや落ち着きかけた10月10日、昭和天皇は御自ら伊勢神宮に御参りになった。終戦を御報告されたことと思われる。その後11月29日には皇族男子に三度目の御召があり、昭和天皇は七名の皇族に、ある御使い御命ぜられた。
「百二十三に及ぶ歴代天皇の御陵に親しく自分がお参りしたいのだが、それはとても今の状態では出来ない。神武(じんむ)天皇の畝傍(うねび)陵と明治天皇の桃山陵と大正天皇の多摩陵とこの三ツの御陵には自分でご報告をし請願をするが、あとの百二十の歴代天皇の御陵には、ご苦労だが君達が手分けをして代参してくれ」(竹田恒徳『終戦秘話』)
そのお使いとは、山陵(さんりょう)御差遣、つまり歴代天皇陵への御代拝だった。昭和天皇からは、戦争のこのような終戦は自分の不徳の致すところであり、それを謝り、日本の今後の復興に対して御加護を祈るように、そして今回の皇族の御代拝で国民と皇室との結びつきをより深めることを希望する、との御話があった。
御陵が集中している京都へ出かけたのは高松宮だった。宮は12月2日から4日間をかけて、京都中の御陵をくまなく訪れ、御代拝した。分刻みで多くの御陵を御代拝する様子は『高松宮日記』に記されている。そして高松宮は関西地区、三笠宮は九州地区、朝香宮は大阪地方、東久邇宮若宮(盛厚(もりひろ)王)は京都地方、竹田宮は四国と淡路島、閑院宮は奈良地方を、また賀陽若宮(邦壽王)も特使として
山稜〔天皇の御稜〕を回った。
昭和天皇は御自ら、また親族から勅使を御立てになり、終戦という国の大事を、先祖である歴代天皇の御陵に御報告なさり、これからの日本の行く末を護っていただくように御請願なさった。
歴代天皇は天皇の先祖であると同時に、皇族にとっても先祖であり、このときに皇族が御代拝をしたことは意味深い。そして、皇族が手分けをして全国の御陵を訪れたことは、終戦の早い段階で 天皇の行幸があったのと近い効果があったはずだ。
例えば高松宮はこの御差遣に際して京都と大阪で数多くの病院や行政機関などを訪問し、また各界の要人と会談した。
このとき昭和天皇は「皇族は朕(ちん)と民衆との間に在りて、此の点に充分尽力ありたき」と仰せられた。終戦の混乱期において天皇の分身として身軽に動き回ることができたのは皇族しかいなかった。この時期に皇族はさまざまな役割を担ったが、その中でも取り分け、外地及び内地への聖旨伝達と山陵御差遣は、皇族であってはじめて遂行できる極めて重要な任務である。
そして、敗戦国の武装解除が無血で完了したことは、人類史上極めて異例なことであり、その上で皇族たちは絶大なる役割を担ったことになる。
注:これを見ると、今言われている女性宮家創設はやはり無理ではないか、女性が代拝出来る日は限られるからである。皇族を復帰させるのが皇室を安定させることであり、しいては日本が繁栄するのである。(皇室の事は皇室が決めるのが一番良いと思う) (皇室が安定することが日本繁栄に何故繋がるかは、このブログを最初から読んで頂いた方にはお解かりでしょうが、途中からの方にはいずれ再び書きたいと思う。皇室が無くなったら日本は滅びると思って頂きたい。それほど重要な事である。) サイタニ |
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なるほど、公に語られる事が決してありませんが。
皇族方の天皇陛下を陰で支える働きは、多岐に亘るのでしょうね。
現行似非典範の無効宣言に伴う、十一宮家の皇族復帰を願います。
「傑作」☆
2012/2/11(土) 午後 2:17 [ - ]
ほんとですね。
これを読むと、皇族が今の状態では、天皇陛下をいろんな面で支えるという理由からでも少なすぎますね。元の状態に絶対に戻さなくてはいけませんね。
「傑作」☆有難うございます。
2012/2/12(日) 午後 2:07 [ さざんか ]