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古来より天皇と和歌との結びつきは、非常に強く、歴代天皇は、和歌を詠むことで心の修養を積まれ、和歌を詠むことで心を慰められました。昭和天皇と和歌についての二人の方のお言葉を紹介したいと思います。これは昭和四十五年の時点でのお話ですので、今上天皇とは昭和天皇のことです。
宮中三殿
■夜久正雄亜細亜大学国文学教授の言葉から
歌を作るということは、自分の心を言葉にあらわすことによって人に伝えることでありますが、同時に自らをみつめかえりみることであります。「自覚」ということです。このことは誰でもできるたやすいことのようでもありますが、実際にやってみると、実にむづかしいことであり、深い意味をもっていることがわかります。
今上天皇様は、この御修養としての歌の道を御生涯にわたってふみ行なっていらっしゃるのです。ですから、こうした御努力のあととしてのお歌は、発表されたその時々に、読む者の心をあたたかく導いてくださるお歌でしたが、さらに全体を通じて拝誦しますと、昭和五十年の国の歩みそのものが、お歌にあらわされていると思われるのです。
国の政治に労せられるお心のお歌、神々祭祀のお歌、戦死者慰霊のお歌、災害を悲しまれるお歌、各種産業御見聞のお歌、自然観賞のお歌、御家庭生活のお歌、年毎の歌会始のお歌、植林事業のお歌、国民体育大会のお歌、外国元首に対するお歌、生物学語研究のお歌等々、お歌の題材は、まことの歌の道がそうであるように人生万般にわたっております。
そうしてこうしたお歌にはもちろん天皇様の御経験が表現されているのですが、その御経験の内容は、われわれ国民の味わったこの時代の経験と本質的には変わらないものであることが、お歌を拝誦するとよくわかるのです。日本人はみな日本人として、――つまり国の運命のもとに一種の劇的な経験をしていると言うことができましょう。天皇様はそうした国民の歩みの先頭にお立ちになって、国家の運命そのものを身を以て経験されるのであります。
ですから、お歌を拝誦すると、われわれ国民の先頭に立って雄々しく歩んでゆかれる天皇様のお心が、ありがたくかなしく仰がれるのです。数ならぬ身のわれわれもまた、この天皇様のもとでこの時代を生きてきたのだ、この世を生きているのだという実感が、痛切に味わわれます。この思いが究極において日本国民の信念であり生きがいではないでしょうか。この気持は、お歌を読み味わうことによって養われ深められ強められるのであります。
今上天皇様のお気持ちのお歌の中に、こういうお歌があるのを皆さまはご存知でしょうか。「七十歳になりて」という題の昭和四十五年(1970)のお歌です。四首連作のはじめの三首を引用します。
七十(ななそぢ)の祝ひをうけてかへりみれば ただおもはゆく思ほゆるのみ
ななそぢを迎へたりけるこの朝も 祈るはただに国のたひらぎ
よろこびもかなしみも民と共にして年はすぎゆきいまはななそぢ
「よろこびもかなしみも民と共にして」――とお詠みになられる天皇様の深いお心に、われわれは何としてお答えしたらよいのでしょうか。天皇様のおよろこびとおかなしみとをしのびまつることによってわが身を正すことこそ、天皇様のお心におこたえする道ではありますまいか。国を思うことが天皇陛下のお心をしのぶことと一致するのが日本の国の国柄ではないでしょうか。お歌を読んでつくづくそう思います。
■元掌典長 甘露寺受長(かんろじをさなが)氏の言葉
思うに陛下は、歌のほかに御心を自由に現されることはないのであって、歌を通じてのみ思いのままを表現され本当の思召を述べていられる。
大正天皇は漢詩が特に御堪能で歴代中御一人と思われるほどであった。明治天皇は広く知られているように歌聖といわれた御方であったが、明治様も今上天皇もともにおほらかで平易で何人にも同感される御歌を詠まれた。明治天皇にも今上天皇にも戦後の御歌が多いのは、やはり、もの思われる感情のたかまりは国家非常の場合に多いのであろうと拝察する。
なほ今上天皇の神事に対する御態度の立派さは申すまでもないが、昭和二九年の神嘗祭には当時掌典長の私に侍従を通じて二首の御歌をお示しになった。これは神事に対する御心の深さを示されたものとして私の終生忘れ得ぬところである。
昭和天皇の御製のいくつかご紹介しておきます。
大正十年(一九歳の時の御歌)
社頭暁 とりがねに夜はほのぼのとあけそめて代々木の宮のもりぞみえゆく
ちなみに同じ年の大正天皇の同じお題の御製は
神まつるわが白妙の袖の上にかつうすれ行くみあかしのかげ
でした。
社頭雪(昭和六年) ふる雪にこころきよめて安らけき世をこそいのれ神のひろまへ
朝海(昭和八年)
天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
神苑朝(昭和十三年)
静かなる神のみそのの朝ぼらけ世のありさまもかかれとぞおもふ
迎年祈世(昭和十五年)
西ひがしむつみかはして栄ゆかむ世をこそいのれとしのはじめに
連峰雲(昭和十七年)
峯つづきおほふむら雲ふく風のはやくはらへとただいのるなり
社頭寒梅(昭和二十年御歌会始)
風さむきしもよの月に世を祈るひろまへ清くうめかをるなり
折にふれて(昭和二十年)
海の外(と)の陸(くが)に小島にのこる民の上安かれとただいのるなり
松上雪(昭和二十一年)
ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ
災害地を視察したる折に(同年) 戦いのわざはひうけし国民をおもふ心にいでたちて来ぬ
わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしとぞ思ふ
靖国神社九十年祭(昭和三十四年) ここのそぢへたる宮居の神々の国にささげしいさををぞおもふ 蔵前国技館「相撲」の御製の歌碑 ひさしくもみざりしすまひひとびとと手をたたきつつ見るがたのしさ (歌碑建設の由来 昭和三十一年九月?十五日・大麻唯男謹識として次のように書かれている。 「昭和三十年五月 天皇陛下親しく蔵前国技館に行幸はじめて国民と共に本場所を御覧あらせられた 陛下は終戦時国民を想い「五内(ごだい)為ニ裂ク」と仰せられた 又日常国民の上に御心の安まる間とてもない 然るに御観覧中は椅子を進められ拍手を送られ大衆も之に和するという光景を現出したのであった 天皇が一般国民と一つになって我国の国技たる相撲を御覧になった和やかな情景は戦前では見られないことであった 陛下がかくもお喜びになったことが新聞ラジオテレビジョンによって伝えられるや国民全体はまた心の底から喜んだのである これは其時の御製であって翌年正月初めて発表されたものである 我国相撲道の発展興隆期して待つべく大日本相撲協会の光栄まことに大なりと言うべきである」) |
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その御歌の数々はその時代をうつし出し、陛下の御心情を知る重要なる国の宝です。そして、いつも共通するのは国民のことを思う陛下の大御心を感じることができます。
傑作
2012/2/15(水) 午後 9:32
さくらの花びら様
本当に陛下は時代を一身に背負われ、国民を思われて、過ごされました。御製を読むと昭和天皇のご慈愛の深さに感涙せざるを得ません。昭和に生まれてよかったと思います。占領後の自虐史観の横行した時代ではありますが、陛下の御代に生まれた幸せを感じずにはおれません。
傑作有難うございます。
2012/2/15(水) 午後 11:04 [ さざんか ]
「傑作」☆
歴代天皇陛下の御製の御歌には、名作が多々あるのでしょう。
私は詩心がないので、今一つ共感が出来ないでいるのですが(^^;)。
「社頭暁」という御題の中で詠まれてる「代々木の宮」とは、きっと明治神宮の事でしょうね。
2012/3/8(木) 午後 1:22 [ - ]
ZODIAC12様
歴代天皇のみ歌は、非常に清らかでおおらかな感じがするものが多い気はしますね。上手下手はたしかによくわかりませんが、でもこれほど気持ちが素直に出ていて、しかも嫌味がないものはやはり名作のように思えます。
代々木の宮は多分明治神宮でしょうね。明治天皇の御心を忍ばれることが多かったのでしょうね。
傑作有難うございます。
2012/3/11(日) 午後 5:32 [ さざんか ]