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私たちは教育で、日本国憲法は民主的な憲法であり、大日本帝国憲法は非民主的で専制君主的な憲法であると習いました。しかし本当にそうでしょうか。
■1.欧米で高く評価された明治憲法■ 明治22(1889)年2月11日、紀元節を期して、大日本帝国 憲法(明治憲法)が発布されると、明治政府は早速その英訳を 欧米の著名な政治家や学者に見せて意見を聴取した。その評価 は極めて高いものだった。 日本の憲法は日本古来の歴史習慣を本とし、漸進保守の 主義をもって起草されたりと。然からばすなわちこの憲法 は余の最も賛成する所なり。(ハーバード・スペンサー、英) アメリカの連邦最高裁判官オリヴァー・ウェンデル・ホーム ズは、いくつかの具体的な点を評価しながら、最も感心した点 として、 この憲法につき、予が最も喜ぶ所のものは、日本古来の 根本、古来の歴史・制度・習慣に基づき、しかしてこれを 修飾するに欧米の憲法学の論理を適応せられたるにあり。 ■2.憲政実現は国民的課題■ 明治維新後の日本は、不平等条約のもとで、国内で外国人が 犯罪を犯しても日本の法律では裁けない、という二流国扱いを されていた。欧米諸国と対等な関係を築くためにも、まず近代 的な憲法とそれに基づく法体系を作って見せる必要があった。 しかし、欧米諸国以外で、まだ憲法政治を実現した民族はな かった。1870年代後半にトルコが立憲政治を始めたが、わずか 一年足らずで憲法停止・議会解散に追い込まれた。キリスト教 白人国家以外では立憲政治は不可能というのが、当時の世界常 識だった。その常識に挑戦したのが、明治日本だったのである。 明治9(1876)年には「朕ここに我建国の体に基き広く海外各 国の成法を勘酌し以て国憲を定めんとす」という「国憲起草の 勅語」が下され、元老院で第一次草案が作られた。民間からも その後、憲法草案が続々と発表された。明治14(1881)年には、 「明治23年を期し、議員を召し国会を開き以て朕が初志を成 さんとす」との国会開設の勅諭が出され、立憲政体樹立は期限 付きの公約とされた。まさに憲政の実現は近代化を目指す明治 日本の国民的課題であった。 ■3.退っ引きならぬ状況■ 明治15(1882)年3月14日、明治政府のホープとも言うべ き伊藤博文が欧州の憲法政治の論理と実際を調査するために、 横浜港を出発した。 それまでに元老院で作られた草案は、伊藤によれば「各国の 憲法を取り集め、焼き直し」、「欧州の制度を模擬するに熱中 し」たものに過ぎなかった。また参議の大隈重信はイギリスを モデルにした議院内閣制を中心とした提案を行っていたが、こ れは欧州各国を一足飛びに抜いて、最先進国に並ぼうというも ので、日本で安定的に機能しうるか大いに疑問だった。また在 野の勢力は伊藤に言わせれば、「実に英、米、仏の自由過激論 者の著述のみを金科玉条のごとく誤信し、ほとんど国家を傾け んとする勢い」だった。 伊藤の懸念は根拠のあるものだった。トルコの失敗のみなら ず、その後20世紀に入ってからでも、中南米、アジア、アフ リカの諸国の多くは、独立後、アメリカかイギリスの制度を採 用しているが、そのほとんどが一度は失敗して、何らかの形の 軍事、警察の独裁制を経験している。 いくら立憲政治の理想は高くとも、欧米先進国の憲法をそれ だけの土壌ができていない所にいきなり持ち込んだら国内が混 乱し、近代化の歩みが停滞してしまう。それでは不平等条約の 改正どころか、他のアジア、アフリカ諸国と同様、自由と独立 を失う事にもなりかねない。 日本が独立国として欧米諸国と伍してやっていくためには、 立憲政治に挑まざるを得ず、しかしそれに失敗すれば維新後の 近代化努力が水泡に帰すかもしれない。そういう退っ引きなら ぬ状況に、明治政府は追い込まれていた。 ■4.まず日本の歴史を研究せよ■ その伊藤がヨーロッパで師事したのが、冒頭に引用したウィ ーン大学のシュタイン教授だった。伊東はシュタインから「法 は民族精神・国民精神の発露」であり、国民の歴史の中から発 達していくものとする、当時ヨーロッパを席巻していた歴史法 学の説明を受けた。その主張の正しさは、英独仏3国の政治体 制・立憲政治の比較からも明らかに見えた。 イギリスは安定した議会政治を行っていたが、それは無血革 命以来、200年にわたる「臣民」の「古来の自由と権利」を 追求してきた着実な歩みの結果であった。一方、フランスは 18世紀末のフランス革命で、普遍的・理想的な「人権宣言」 を発したものの、凄惨な革命闘争の中で200万人もの犠牲者 を出し、さらにその後も共和制、帝政、王政、共和制、帝政と 迷走を続けていた。ドイツは多くの小国が分立した状態だ ったのを、独自の立憲君主制のもとで隆々たる発展を見せるプ ロシアが統一していた。 日本の憲法は何より日本の歴史と文化に根ざしたものでなけ ればならない、その上で、ヨーロッパで学んだ知識を接ぎ木し ていく事が必要だ、まず日本の歴史を研究せよ、とシュタイン は伊藤に説いた。「心私(ひそか)に死処を得るの心地」と伊 藤は憲法起草に大きな自信を得た。 ■5.国家の機軸は?■ 日本の歴史と文化に根ざした憲法とは、どのようなものであ るべきか? 伊藤はシュタインとの議論を続けた。シュタイン は宗教を通じて国家と国民との精神的一致をはかるために、国 教の制定を勧めた。確かに英国もドイツもキリスト教が国民統 合の「機軸」となっている。 しかし、ヨーロッパでの悲惨な宗教戦争を見れば、国教制定 は文明に逆行する制度に思われた。この点ではかえって日本の 方が多様な宗教宗派が自由かつ平和的に共存してきた先進的な 歴史がある。 信教の自由はこれを近世文明の一大美果として看(み) るべく、しかして人類のもっとも至貴至重なる本心の自由 と正理の伸長は、・・・ついに光輝を発揚するの今日に達 したり。けだし本心の自由は人の内部に存するものにして、 もとより国法の干渉する区域の外にあり。 シュタインの「一国の歴史に根ざした憲法」という原則に忠 実であればこそ、伊藤は師の「国教を」という具体的提言を受 け入れるわけにはいかなかった。 ■6.「知(し)らす」と「領(うしは)く」■ それでは宗教に替わる、日本の歴史に根ざした「機軸」とは 何であるべきか? 伊藤がヨーロッパで研究を進めていたのと 同時期に、国内に残って、古事記や日本書紀など日本の古典研 究に打ち込んでいる男がいた。井上毅(こわし)である。井上 は岩倉使節団の一員としてフランス、ドイツを中心に法制の調 査を行ったこともあり、明治日本形成期最大のブレーンであっ た。 井上は古事記の中に「知(し)らす」と「領(うしは)く」 という二つの異なる統治概念を発見した。「領く」とは、国家 を私物化するという意味で、中国で「民を御す」「民を牧す」 とあたかも家畜を扱うように言うのは、人民を牛馬の如き私有 財産と考えているからである。ヨーロッパでも、王が3人の子 供に、国家を三つに分けて相続させたりするのは、国土国民は 王の私有財産という考えの現れである。 それに対して「知らす」とは、天皇が鏡のような無私の御心 に国民の思いを映し、その安寧を神に祈る、という事であった。 国土国民は天皇の私有財産ではなく、その安寧を祈ることが皇 室の先祖、天照大神から代々受け継がれてきた使命であった。 井上はこれこそが我が国の国家統治の根本理念であるとして、 その憲法草案の第一条を「日本帝国は万世一系の天皇の知らす 所なり」と定めた。 ■7.日本の伝統と西洋近代思想の接ぎ木■ 一方、伊藤はシュタインから、行政権力が上から社会改革に 乗り出し、国民の福祉を増進させるべき、という学問を学んだ。 彼の学問は福祉国家思想の先駆といわれ、フランス革命以来活 発化していた階級分化・対立の問題に対応すべく、自由民権派 が依拠していたルソーやミルの思想を時代遅れにしてしまう先 進的なものだった。そして、同時にこの学問は、井上が日本古 来からの伝統に発見した「知らす」の理念と共鳴しあうものだ った。 伊藤は帰国後、井上毅、さらにハーバード大学で歴史法学を 学んだ金子堅太郎らと共に、憲法の起草作業を進めた。このメ ンバーを見ても、欧米最先端の学問を学んだ日本最高の頭脳が 明治憲法起草に結集されていたことが分かる。 井上毅の草案第一条は「大日本帝国は万世一系の天皇之を統 治す」と改めらた。今日ではこれを天皇の絶対的専制政治を表 すかのように誤解されているが、それは正しくない。天皇はあ くまで「国民の安寧の実現を目的とする」という国家統治理念 の体現者であり、その理念を国務大臣や議会が行政や立法を通 じて実現を図る、というシステムが考えられたのである。 統治理念は日本の伝統に根ざしたものであり、その実現手段と して立憲君主制という西欧近代思想が接ぎ木されたものであっ た。 ■8.天皇は専制権力を持たなかった■ たとえば、憲法第5条の「天皇は帝国議会の協賛を以て立法 権を行う」、第6条の「天皇は法律を裁可し其の公布及び執行 を命ず」は、議会が議決した法案は、天皇の裁可によって公 布・執行に移されるが、天皇が議会の同意なく勝手に法律を公 布する事も、さらに議会が議決した法律を裁可しないことすら、 憲法違反であると考えられていた。 行政面でも、第55条(1)「国務各大臣は天皇を補弼して其 の責に任ず」とあるが、そのすぐ後に(2)「凡(すべ)て法律 勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副書を要す」と続く。 国務大臣の同意ないままに、天皇が勅令を発することはできな いのである。 天皇はあくまで「国民の安寧を追求する」という国家理念の 体現者であり、天皇が独裁的に立法や行政を行って、失政の責 任を追求されるという事態は注意深く避けるように政治システ ムが作られた。第3条の「天皇は神聖にして犯すべからず」と は、天皇は神聖な理念の体現者として、現実の政治には関わら ないので、政治的責任は追及できない、という事である。 (文責:伊勢雅臣) _Japan On the Globe(242) 国際派日本人養成講座__より引用しました。 |
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戦前の日本の文化や歴史、政治などなど全てが「悪」という風潮がまかり通っている。
我々が戦前を知らないことに対する「つけ」ではないだろうか?戦後否定された全ての事象を再検証し周知することが全てに優先すべき重大要因だといっても過言ではないだろう。
傑作ポチ
2010/10/24(日) 午後 8:11 [ 地蔵 ]
転載させてください
2010/10/24(日) 午後 8:12 [ 地蔵 ]
大日本帝国憲法は日本人の歴史、慣習、風土すべてに適応した憲法です。
現在の憲法はいくらかは帝国憲法を踏襲してはいますが、占領用のものでしかありません。
現行の憲法によって日本人が堕落し、誇りを失いました。
左翼が有難がる憲法など、彼らに都合のよいものでしかないからです。彼らは平和などどうでもいいのです。
傑作
2010/10/24(日) 午後 8:24
地蔵さん、傑作ありがとうございます。
ほんとに戦後否定された価値を見直す時期が来ていますね。この価値見直しをブームにまで高め、日本人の覚醒を促したいですね。
転載ありがとうございます。
2010/10/24(日) 午後 9:03 [ さざんか ]
憲法は主権のあるもとで発布すべきことで、
そういう意味でも明治憲法こそが日本の憲法です。
傑作
2010/10/24(日) 午後 9:07
カマちゃんさん、傑作ありがとうございます。
まったくです。仰る通りです。正統かつ正当な大日本帝国憲法に戻すべきですね。
2010/10/24(日) 午後 9:13 [ さざんか ]
さくらの花びらさん、傑作ありがとうございます。
そのとおりですね。主権のない占領下での憲法は、憲法とは言えません。大日本帝国憲法に戻して、そこから再出発するべきですね。
2010/10/24(日) 午後 9:15 [ さざんか ]
こんばんは。
うーん、やはり大日本帝国憲法はすばらしい。
>日本の憲法は何より日本の歴史と文化に根ざしたものでなければならない
これなんですよね。シラスは日本のすばらしい統治理念です。
傑作
2010/10/24(日) 午後 11:01 [ JJ太郎 ]
ほんとです。井上毅、よく知らすという理念に気づいてくれて、それを大日本帝国憲法に活かしてくれたものだと思います。実にすばらしい憲法ですね。近代法と日本の国家理念の融合がうまく成し遂げられた誇るべき憲法ですね。
2010/10/24(日) 午後 11:31 [ さざんか ]
転載させて頂きます。
傑作 ポチ凸
2010/10/25(月) 午前 0:13
すばらしい、大日本帝国憲法は、よく日本の精神伝統の上に作られた民主憲法だったということが明らかですね。
2010/10/25(月) 午前 5:09 [ NICK ]
NICKさん、
ほんとにそうです。その頃の欧米の憲法と比べても、引けを取らないどころか、信教の自由では、さらにより民主的であり、すばらしい憲法です。
2010/10/25(月) 午前 7:45 [ さざんか ]
とても解りやすい説明で理解しやすくありがたいとさえ思ってしまいました。
現憲法が「GHQの意思に因って日本を駄目にする為の憲法」と言う部分を抜きにして考えても、帝国憲法と比べて遥かに見劣りしてしまいます。中身は更にですが・・・
優良を見比べさらに良い方を選択する事、それは国家の義務でもあると私は思います。明らかに劣ったモノを放置しておく事は悪だとも言えるのかと。
大傑作!です^^
2010/10/25(月) 午前 9:48
日本人として誇りに思うのはアジアのほとんどがまだ未開の地とされていた時代に、このような先進的憲法を発布できる国だったということです。
私にとって永遠の謎は、なぜアジアに日本があるのか?です(爆)
傑作
2010/10/25(月) 午後 2:41 [ 敬天愛人 ]
私は以前にも申し上げたように、憲法草案は師匠の故・荒原・故・赤尾諸先生の憲法論は存ています。
現実として、↑ 自称保守さえ??民族派でさえ割れ散る議論をする前に極右政権(世界では保守)樹立か平成維新ではありませんか?
傑作○です。
2010/10/25(月) 午後 8:58
ジョウジさん、大傑作ありがとうございます。
引用元は全部貼りつけようとしたら、字数制限に引っかかったため、少し削りました。ほんとに詳しく書いてあって分かりやすかったです。
2010/10/25(月) 午後 10:11 [ さざんか ]
ほんとに日本は文化が成熟していたことが分かりますね。
日本が極東のアジアにあるということは、ある意味究極のアジアの文化の完成の国であり、さらに極東は西洋へ逆回りでは最も近く西洋と東洋を融合させ完成させる使命を持った国だと解釈しています。
2010/10/25(月) 午後 10:33 [ さざんか ]
こんのさん、傑作ありがとうございます。
確かに保守でもなかなか統一できませんよね。おっしゃるようになるのかも知れませんね。きっと時期が熟せば、最もいい形でことが運んでいく気がします。
2010/10/25(月) 午後 10:39 [ さざんか ]
学校の教科書では、伊藤博文はイギリスよりも君主の権力が強かったドイツに学んで憲法を作ったと教えられています。「しらす」と「うしはく」の違いを説明しないで、ただ「天皇が日本を統治した」「天皇による専制だった」かのような、漠然たる悪いイメージを植え付けられるんですね。
私も漸くここのところの理解ができるようになって、子供たちにきちんと説明できるようになってまいりました。大切なポイントですね。
傑作
2010/11/1(月) 午前 0:16 [ 朱雀 ]
朱雀さん、傑作ありがとうございます。
教科書は、戦前と戦後を比べて、何でも戦後の方が良くなったと教えます。私のうけた授業も、日本国憲法と大日本帝国憲法を特性の項目ごとに比較して全て良くなったという教え方でしたから、完全に明治憲法はマイナスイメージを植え付けられましたね。いまでも明治憲法復元というと、とんでもない逆行と思うひとが多い気がします。
2010/11/1(月) 午前 8:45 [ さざんか ]