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サイタニのブログからの転載です。
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
なぜ男系継承にこだわったか
毎月7日間天皇が不在になる
時代と共に 天皇のあり方は変化しているが、古代から現在まで変わらないところがあるとすれば、それは、天皇は神事を行なう存在であるということだ。具体的には毎年正月に行なわれる四方拝(しほうはい)、秋の新嘗祭(にいなめさい)などの大祭をはじめとし、天皇は日々数々の神事を行なうため、多忙を極める。
神事は 天皇の最も重要な役割の一つである。「政」と書いて「まつりごと」と読ませるように、神事は政治の重要な要素と観念されてきた。
ところが、古代から現在に至るまで、「月のさわり」、つまり生理中の女性は全ての神事にかかわることが厳しく禁止されてきた。なぜならば、朝廷において出産と死、そして生理は「穢れ」として忌み嫌われてきたからである。そのため、皇子が誕生する場合でも宮中を稜さないために、御所の外での出産が義務づけられてきた。また出産の場面に立ち会った人も稜れを受けたとして、一定期間宮中への参内を禁止されたほどの徹底ぶりである。
明治以降、出産を稜れとして憚(はばか)らないことが決められたが、生理と人の死については、いまだに稜れであるとされている。祖母の竹田光子から伝え聞いた話によると、曾祖母の竹田宮昌子内親王(明治天皇の皇女)は当主の竹田宮恒久王が神事を行なうに当たり、毎日その準備を手伝っていたが、自らが生理期間中は決して神殿に近づこうとせず、また女性の職員たちにも、各々生理期間中は神事に一切かかわってはいけないと厳しく監視していたという。
したがって、もし女性が 天皇になった場合、1か月のうち、およそ7日間は神事を行なえないことになる。日々行なわれる神事が滞ることになるばかりか、万一、生理と元日や新嘗祭などが重なった場合、重要な神事を中止または延期しなくてはいけない事態に陥る。延期しても差し支えない神事であればよいが、元日の四方拝や秋の新嘗祭などは、その日の決められた時間に行うからこそ意味があるものであり、延期させること自体が趣旨に反するため、事実上中止を余儀なくされることになる。
古くは関白や女官、また現代では皇族や侍従などが御代拝をすることはできても、それが続くと 天皇の尊厳に影響することにもなる。また四方拝や大嘗祭(だいじょうさい)などの重要な神事は御代拝が許されず、天皇自ら行なわなければいけないものとされてきた。
江戸時代には明正天皇と後桜町天皇の二方の女帝があったが、その時期、宮中祭祀は不十分にしか行なわれなかった。例えば、数ある宮中祭祀のうち毎年元日に行なわれる四方拝は最も重要なものとされるが、明正天皇と後桜町天皇の代にこの四方拝は行なわれていない。
戦国時代から江戸期にかけて多くの宮中祭祀が中断を余儀なくされたものの、この四方拝だけはほとんど中断することなく続けられてきた。それにもかかわらず女帝の間、四方拝は中止されていたのである。また 天皇が即位して最初に行われる新嘗祭は大嘗祭と呼ばれ、天皇一代一回限りの重要な神事とされている。応仁の乱以降中断していた大嘗祭が再興されたのは江戸初期の東山天皇の代であったため、それ以前に即位した明正天皇の代に大嘗祭は行なわれなかった。
また後桜町天皇は大嘗祭を行なったものの、その時期については女帝特有の配慮がされた。つまり、新嘗祭、大嘗祭は11月の2回目の卯の日か3回目の卯の日に行なわれることになっているのだが、天皇が「月のさわり」に入っていた場合は大嘗祭を行なうことができないため、初めの卯の日である11月8日と決めた上で、万一天皇が「月のさわり」となったら、次の卯の日である20日に変更するという配慮がされたのである。
ちなみに後桜町天皇の大嘗祭は予定通り8日に行なわれた。しかし後桜町天皇は、その後毎年行なわれる新嘗祭に一度も出ていない。このように、女帝は本質的には 天皇の役を果たすことはできないのである
女帝の困難性
次に、出産に関する困難について述べる。本来女帝はいったん即位したら生涯独身を強制され、また生涯出産が禁止される不文律があったとみえるが、もし女系の 天皇が認められ、女帝が出産することが許されたとしても、女帝が出産することについては大きな問題があることを指摘しなくてはいけない。
つまり、出産の前後は 天皇としての職務を行なうことができず、その間 天皇が事実上不在となってしまう。しかも、天皇は子沢山であることが望まれるため、出産は繰り返されることが期待されるが、出産のたびに長期間 天皇不在となってしまうことは問題である。
重要な神事にたびたび 天皇が欠席することがあれば、天皇の権威に影響を及ぼすことになる。天皇に求められるのは神事だけではない。天皇の役割を全うしようとすると出産ができず、また多くの出産をしようとすると 天皇の役割を全うすることができなくなる。
これはつまり、より多くの出産と、天皇の役割の両方を一人に求める ことは、完全に矛盾することを意味する。もし無理にこれを求めれば一人の女性に過度な負担をかけることになり、どちらも中途半端にならざるを得ない。
さらに、出産自体が危険であることも無視できない。近年は医療が進歩し、出産のリスクは軽減されつつあるが、近世以前において出産は母子ともに死と隣り合わせだった。『孝明天皇紀』や『明治天皇紀』などの記録を眺めていても、出産に際して母子ともに死亡するといった記事にしばしば出会う。出産の都度 天皇を死の危険に晒(さら)すことは、皇統の維持を不安定にさせることになる。
ここで、女性は死の危険にあってもよいといっているわけではないことに注意していただきたい。男性と女性では生理的な違いがあることは紛れもない事実であり、役割が異なっていると指摘しているに留まる。
例えば、現在の日本において女性が総理大臣になったとしよう。そして彼女が在任中にいきなり出産をすると言い出したら、日本国民全員が困ることになるだろう。出産をするのは自由だが、少なくとも総理を 退任した後にしてほしいという議論が起こるのは必至だ。
また総理大臣は本人の意思でいつでも退任することができるが、女帝の場合は譲位しても上皇となるわけで、一生その立場から逃れることができず、現代では譲位すら認められない。
したがって女性が天皇になることは、頻繁に天皇不在を生じさせるだけでなく、皇統の維持を女帝の出産に頼ることで、女帝自身を頻繁に晒すことになる。そのために皇位は男系の男子が継承しなければいけないものであると認識されてきた。
女帝の困難性はそれだけではない。天皇の配偶者には複数の皇子女を儲けることが求められるため、もし女性が 天皇になると、天皇が皇后を兼務するのと同じことになり、それは一人に無理な負担をかけることになる。天皇が激務であると同時に、天皇の配偶者も激務である。
古代より男性が 天皇となってきたが、これは男性と女性で効率的に役割の分担をしていた結果であるともいえよう。一人の女性に天皇としての役割を求めつつも、複数の皇子女を出産して育て上げることまでも求めるなら、それは無理というものだ。
したがって特殊な事情で女性が 天皇となった場合も、皇太子が実質的に、天皇の職務を遂行するなどの措置が取られてきた。そして 天皇の配偶者は複数置かれることが原則とされていたため、実質的には一人の 男性と複数の女性によって役割を分担してきたことになる。
次に、女帝を立てた場合、女帝の結婚相手については大きな問題があることを指摘しなくてはならない。そもそも女帝は生涯独身でいなければいけない不文律があったが、もし女系の天皇を認めて、女帝も結婚しなければいけないとしても、女帝もしくは女性皇太子の 結婚相手を探すのは事実上不可能である。女帝の配偶者になる人物は 相応の格が求められるが、近親をのぞいて相応の候補は存在しない。
解答は先例にあり
ヨーロッパでは、各国の王家の間で姻戚関係が頻繁に結ばれてきた。女性皇太子と諸外国の王子であれば釣り合いが取れる。
有名なところでは、例えばフランスのルイー6世に嫁いだマリー・アントワネットはハプスブルク家(オーストリア)の出身であった。このように王家の間の婚姻は現在に至っても頻繁に繰り返されている。
現在の英国女王のエリザベスニ世の夫のエジンバラ公は、ギリシャ王家のグリュツクスブルク家出身である。
しかし、日本の場合、天皇に外国出身の配偶者がつき、その子供が皇位に就いたことはただの一例もない。昭和22年に施行された現行の日本国憲法の第一条に
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
と明記されているが、皇祖から現在に至るまで、時代によって 天皇の役割は変化しつつも、変わらないものがあるとすれば、それは、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であり続けたということである。
したがって、天皇の配偶者が外国人であっては、天皇は日本の象徴にならない。よって天皇の配偶者は外国人であってはならないことになる。
そのため、日本はヨーロッパと違い、近隣諸国の王家の王子を女帝の配偶者に迎え入れることは全く以って不可能である。
日本とヨiロッパは背景が異なっているのだ。外国の王室から日本の皇室に縁談話が持ち込まれたことがあるが、これは不調に終わった。
明治14年にハワイ国王のカラカウア王が来日して明治天皇と会談したとき、カラカウア王は姪のカイウラニ一当時5歳)と山階宮定麿(やましなのみやさだまろ)王一当時13歳、海軍兵学校在学)との縁談を申し込んだ。カラカウア王は、この縁談を成立させることでハワイが米国に併合されるのを防ぐことができると考えていたと思われる。
しかし、明治天皇は書簡にて、定麿王は既に結婚相手が決まっていることを理由にこの縁談話を断った。だが実際の理由は、この縁組が欧米の反感を買うことになり、また皇族が外国人と結婚することは日本の伝統から大きく逸脱することになるからである。
カイウラニは王位継承者であったが、明治28年(1895一、ハワイ王国は滅亡した。また、北白川宮能久親(きたしらかわのみやよしひさ)王はドイツ留学中にドイツ貴族の娘と結婚したが、後に無理やり離婚させられている。
続く 日本の天皇という存在がヨーロッパの王室と違うのは祭祀王であるところですが、このたくさんの祭祀を行うには、確かに女性天皇ではかなり無理があるようです。 現在でも、天皇陛下はご多忙をきわめ、祭祀や御公務で、毎日のスケジュールは分刻みのような所があります。ブログ「美しい国」にはそんな天皇陛下の日々のお勤めの数々が紹介されていますが、年間数多くある祭祀に加え、各地各イベントへの訪問、各国大使や来日した重要人物との謁見などがほとんど毎日あります。肉体的精神的な疲労も大きいのではと思われるようなお仕事が多いです。それに加えて、震災豪雨の被災地訪問もあります。
もし仮に女性天皇が認められたとして、天皇としてのお勤めに加えて、母親としてお子様の育児なども手がけるとしたら、あまりにも負担が大きすぎる気がします。更には女性の生理出産と言った部分でも、やはり、女性天皇では、どうしても天皇のお勤めを全うできない部分が出てくるようです。
ところで記事中にフランスのブルボン王朝の話が出てきますが、ブルボン王朝というのは、日本の皇室と同じく、厳格な男系継承でした。ヨーロッパにも男系継承にこだわった王家があったのですね。
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四方拝(宮内庁書陵部蔵)
本ブログにご来訪の皆様は、元旦の早朝より、畏くも今上陛下が出御あそばされ、四方拝を行われたことはご存知だと思います。
数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、畏くも天皇陛下が御自ら行われることになっています。そのため、御代拝(ごだいはい)が認められません。
御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(畏くも天皇陛下の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となります。 ほかに、畏くも天皇陛下が元服(げんぷく)を迎える前は、御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、諒闇(りょうあん)(畏くも天皇陛下が喪に服している期間)は行われないことが慣例となっています。 四方拝の起源は明確には分かっていませんが、文献に見える初例は、『日本書紀』に記された、皇極天皇(こうぎょく・てんのう)が雨乞いのために四方拝を行ったのが最初とされています。千四百年前のことです。
元旦四方拝は、平安初期の嵯峨天皇の御代に始まったとみられ、中世、近世にも京都御所の清涼殿東庭で続けられてきた。
上記の画像はその当時を描いたものです。
左上の柱の陰に顔が隠れているのが天皇陛下で、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」という天皇陛下だけの束帯装束が見えます。そのすぐ前にいるのが蔵人頭(くろうどのとう)で、「御草鞋(そうがい)」という履き物を差し出しており、その次には近衛中将(このえのちゅうじょう)が御剣を捧げ持っています。寅の刻といえば図とは違って実際にはまだ暗いので、四方拝の座まで敷かれた「筵道(えんどう)」を殿上人(てんじょうびと)が紙燭(しそく)という灯りで照らしています。庭には、漢竹(かわたけ図の・左側)と呉竹(くれたけ)の間に唐人打毬(とうじんだきゅう)の図を描いた大宋(たいそう)屏風がめぐらされ、中に両面の短畳で三つの座が設けられています。図の上の方に見える青い畳は実際には北西側に置かれていることになりますが、まずここで北斗七星を拝します。次に図の右側、実際には北東側の紫の褥(にく=しとね)の座で天地四方を拝します。さらに図の下側、実際には南東側の青畳の座で山陵を拝するのです。このほか、張りめぐらされた屏風の中には、北向きに燈台と机を置き、机にはお香と花が供されてあるのが見えます。
『公事根源(くじこんげん)』という書物には「昔は殿上の侍臣なども四方拝はしけるにや、近頃は内裏・仙洞・摂政・大臣等の外は、さることもなきなり」とありますので、はじめは臣下の人々もそれぞれ自宅で行っていたようです。
四方拝は、明治四十一年に制定された皇室祭祀令(こうしつ・さいしれい)で規定され、戦前までは国家行事として行われていました。
現在も明治時代の作法に準拠して行われています。 現在、四方拝で畏くも天皇陛下が拝される諸神は次の通りです。 神宮(じんぐう)(伊勢神宮) 天神地祇(てんじんちぎ) 神武天皇陵(じんむ・てんのうりょう) 先帝三代の陵(みささぎ)(明治天皇、大正天皇、昭和天皇) 武蔵国一宮(むさしのくに・いちのみや)・氷川神社(ひかわ・じんじゃ) 山城国一宮(やましろのくに・いちのみや)・賀茂神社(かも・じんじゃ) 石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう) 熱田神宮(あつた・じんぐう) 鹿島神宮(かしま・じんぐう) 香取神宮(かとり・じんぐう) 四方拝は、畏くも天皇陛下お一人がされる特別の祭祀で、その詳細は一般人はおよそ知る必要もないものですが、『内裏儀式(だいり・ぎしき)』や『江家次第(ごうけ・しだい』など、平安時代の儀式書には、四方拝の様子が記されています。
江家次第は、平安時代後期の有職故実(ゆうそくこじつ)書。著者は大江匡房で全21巻(現存19巻)からなっています。有職故実とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究することをいいます。当時は、知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ名残から、現在も深い学識・見識を持つ人を「有識者(ゆうしきしゃ)」と呼ぶのです。
畏くも天皇陛下は大晦日の夜、御湯(みゆ)で玉体(ぎょくたい)(畏くも天皇陛下の身体)を清められ、黄櫨染御袍で出御され、御座に着座された天皇陛下は、御笏(みしゃく)(「笏」とは、よく神主が手に持つ白木の板)をおとりになり、北に向かい、新しい年の属星の名字を七回唱えられます。
①貪狼星(どんろうせい)(子年)
②巨門星(こもんせい)(丑年、亥年) ③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年) ④文曲星(ぶんきょく)(卯年、酉年) ⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年) ⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年) ⑦破軍星(はぐんせい)(午年) 再拝(さいはい)(深く拝む動作を二回繰り返すこと)に続けて、呪文が唱えられます。『江家次第』によると、その呪文は次のようなものです。
賊冦之中過度我身(賊冦の中、我が身を過し度せよ)
毒魔之中過度我身(毒魔の中、我が身を過し度せよ) 毒氣之中過度我身(毒氣の中、我が身を過し度せよ) 毀厄之中過度我身(毀厄の中、我が身を過し度せよ) 五急六害之中過度我身(五急六害の中、我が身を過し度せよ) 五兵六舌之中過度我身(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ) 厭魅之中過度我身(厭魅の中、我が身を過し度せよ) 萬病除癒、所欲随心、急急如律令。 ここで注意したいのは、原文中の「過度」という言葉です。
学術研究においては、一般に道教の常套句的文言として「守りたまえ」の意味として解釈されてきました。中国語の古代辞書『説文解字』や『経籍餐詁』によると、
「過」とは
・すぎる、わたる、よぎる、あまねく
「度」には
・ここでは、悟らせるを意味します。
すなわち、罪障は我が身を通して悟りへ至らしめん、「罪障から私を守ってください」ということではないのです。
この世に起こる罪障をすべて引受けられることを意味します。
陛下の民(臣民)を陛下が身を挺して護ってくださっておられるのです。
臣民は、難事が起こると、安易に限りを尽くして「魔除け」を望みます。しかし、陛下は引受け遊ばされておられるのです。
臣民は安易なほうへ流されます。しかし、陛下は困難をすべて受入れられるのです。
罪あらば我を咎めよ天津神民は我が身の生みし子なれば
大逆を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた、明治天皇の御製です。
御身を害しようとするものでさえ、自分の子であると庇う心をお持ちなのが、天皇陛下という存在なのです。
先帝陛下もマッカーサーに対して「我が身はどうなってもかまわぬ。国民を救ってほしい。」と覚悟を示しあそばされました。
臣民が始めた戦争でしたが、最後は臣民を護るため、ご聖断あそばされ、食糧難にあえぐ臣民を救われた。 我国には現在、内閣総理大臣はじめ大臣が存在します。かっては国政を預けられた氏族を大臣(おおおみ)と呼びました。
政(まつりごと)は、祭事(まつりごと)と同じ読み方をします。語源は同じ意味になります。すなわち、政と祭事は一体なのです。政は祭事なのですから、政治は祭事、神事であり、ご神示に則って執り行われるのが、本来の姿であり、『祭政一致は』は日本の伝統でした。
しかしながら、現在の政(まつりごと)は神意に則ったものとは程遠い状況です。
また、政(まつりごと)の混迷を現した世相も乱れています。
しかし、陛下は一億三千万人の「罪障」を引受けておられるのです。
まつろわぬ民も同じ「赤子」として・・・
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サイタニのブログからの転載です。
皇位の万世一系というのが、男系継承をさすものであるのは天皇の歴史を少し学んだ人ならば知っていることです。神話の時代から、皇位は、一系の男系からのみ、天皇を出しているのです。ここで女系を認めたら、皇室以外の男系の家系からの男子が皇位を継ぐことになり、万世一系は終りを告げます。
竹田氏がおっしゃっているように、2000年続いたこの男系の伝統を簡単に変えることは、これを守り続けた先人を粗末にするものです。それはもはや天皇ではないと言うのは、正しいことだと思います。それは明らかに、別のもの、新しい王朝が始まったというべきです。
神話によれば、天皇すなわち日嗣の皇子の始まりは、天照大御神と須佐之男命が子供を産み合って、須佐之男命に謀反の心がないことを証しされたことから始まります。
須佐之男命が腰に佩いておられた十握剣を天照大神にお渡しになり、天照大御神が天の真名井でそれをすすいで噛み砕いて吹き棄てられた霧から生れたのが三柱の女神であり、これは須佐之男命の剣より生れた神なので、須佐之男命の子供であるということになりました。
天照大御神が御首に巻いた八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)の五百津の御統(みすまる)の珠を須佐之男命にお渡しになり、須佐之男命が天の真名井ですすぎ、それを噛み砕いてふきすてられた霧になりませる神が正勝吾勝勝速日天の忍穂耳尊(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)で、この方が第一代の天津日嗣の御子です。
この方が地上に降臨する予定だった時に、御子が生れたので、その御子、天邇岐志国邇岐志 天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほににぎのみこと)が降臨されることになったのです。ニニギノミコトから数えて4代目が神武天皇です。以来ずっと男系で継承されています。
つまり天照大御神の御統の珠(魂)を受けて須佐之男命がそれを噛み砕いて唾きと混ぜて吹き棄てられたというのは、魂は天照大御神から頂き、身体は男性である須佐之男命から頂いたといえるのではないでしょうか。だから男の御子を天照太御神の御子と認められて、それ以来の男系一系がずっと続いているのです。
この男系が途絶えたならば、それは天照太御神の魂を受け継ぐという形が崩れることになり、もはや天皇という神事の世界の神話が崩れることになるのではと思います。日本の天皇は単なる遺伝的血統ではなく、その継承も、神話から由来する神事であると思います。だから単に血筋ではいけないのであって、男系ということが絶対に必要なのだと思います。 転載開始 竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
なぜ男系継承にこだわったか
男系継承による「万世一系」は口に言うのは容易(たやす)くとも、これを少なくとも1500年以上、場合によっては2000年以上といった長きにわたって、一度も途切れさせることなく繋いできたことは、困難の極みであり、これは先人たちの並々ならぬ努力の賜物だといえる。
我々の祖先がどれほどまで皇位の男系継承にこだわり続けてきたか、お分かりいただけただろう。では、先人たちはなぜ、皇位の男系継承に執念ともいうべきこだわりを貫き通してきたのか、その理由について現在の皇室制度改革議論における視点を含めて述べることにする。
世界最古の家柄 なぜ、男系にこだわらなければならないのか。その最たる理由は、皇統の男系継承は2000年の伝統があるからということに尽きる。これだけ長い間育まれ、そして守られてきた伝統的慣習を簡単に変更するというのであれば、それは先祖に申し訳ないことであると考えなくてはならない。
「皇統はなぜ男系により継承されなければならないのか。女系ではいけないのか」という設問に出会うことがあるが、この設問は的を外したものであるといわざるを得ない。なぜなら、男系により継承されてきたものを 天皇家というのであり、皇統が女系により継承されたとしても、それは 天皇家とはいえないからだ。
分かりやすくいうと次のようになる。たとえば、世界最古の木造建築は法隆寺であるが、老朽化が著しいからといって鉄筋コンクリートで立て替えたとしたら、それはもはや法隆寺ではない。鉄筋コンクリートが悪いのではなく、法隆寺に鉄筋コンクリートはふさわしくないということである。
これと同様に、天皇家は男系により継承される世界最古の家柄であるが、男系継承が困難だからといって女系天皇が即位したとしたら、それは 天皇ではなく、皇統は断絶したことになる。
諸外国には女系の王を立てる国があるがこれを批判しているのではない。女系が悪いのではなく、天皇家に女系天皇はふさわしくないということである。したがって、皇位の男系継承は、それが既に2000年続く伝統的慣習というだけで、守らなければいけないことの十分な理由になる。
本来男系を守り抜くことは困難なことであるにもかかわらず、これだけ長く繋げてきたということは、それだけで男系継承には価値があるのだ。そして、伝統というのは、何か必ず忌みがあるから継承されてきていることは既に述べた。先人たちがこれほど長い間大切にしてきたものであるなら、その理由に関わらず、先祖に敬意を表して継承していくべきだろう。
しかし、だからといって先祖が男系継承にこだわった理由を全く述べないのは適切さに欠けるので、本書では男系継承の意義について、重要と思われる点をいくつか述べることにする。
血を受け継ぐ人、受け継がない人
先人たちが男系継承にこだわった最大の理由は、男系こそが「皇祖の血を受け継ぐ人」であると観念してきたからである。これを理解するためには、まず「血を受け継ぐ」ことの意味を知らなくてはいけない。それは、「なぜ 天皇は尊いのか」という問いに答える ことで明らかになる。読者はこの問いにどのように答えるだろうか。
天皇は頭がよいから尊いのか、天皇は容姿が優れているから尊いのか、それとも 天皇は人気があるから尊いのか、全て否である。もちろん、歴代 天皇の中には大変優秀な方も多数いらっしゃったことは事実である。しかし優秀さなどは 天皇の本質ではないことも事実である。もし頭がよい人を 天皇にするべきなら、東京大学を主席で卒業した人を天皇にすればよいし、容姿が優れていて人気がある人を 天皇にすべきなら、一番売れている芸能人を 天皇にすれば済む話である。しかし、そのように選ばれた 天皇は決して尊くはない。
では、なぜ天皇は尊いのか。それは皇祖、つまり初代天皇の血を受け継いでいるからである。歴代の 天皇は、皇祖の血を受け継いできている。それゆえに 天皇は尊いのである。東京大学に入ろうと思ったら、試験をパスすればよい。総理大臣になろうと思ったら選挙で当選し、首班指名を受ければよい。しかし、いかに才能があろうとも、人気があろうとも、聖人君子であろうとも、皇統に属する男系の子孫でない限り決して天皇になることはできない。だから 天皇は尊いのだ。
このように、日本では古来より 天皇の男系の男子が皇祖の血を受け継ぐと観念されてきたことで、皇位の男系継承が伝統的慣習になったのである。そして、血を受け継いできた期間が長ければ長いほど、天皇は尊くなる。もし今が古代で、建国から数百年しか経過していないとしたら、その長さは他の王朝の長さとさほど違いがないので、唯一の存在ではなかったかもしれない。
しかし、「初代天皇が誰であるか」といった歴史学的な議論があるにせよ、 日本の 天皇はおよそ2000年以上、また少なくとも1500年以上万世一系を保ってきた。これだけの長きにわたって一っの血筋を保ってきた君主を戴(いただ)くのは、世界広しといえども、日本の 天皇家だけである。
次の理由として、日本の社会は男系社会であるという点が挙げられる。男系社会というと、それは女性差別であると考える読者もいることだろう。しかし、「家が男系により継承される」というのは日本の伝統的な文化であり、決して女性差別ではない。
これは過去の遺物ではなく、また皇室独自の価値観でもない。むしろ男系継承は現代社会に深く根ざした価値観であり、現代人の生活習慣に溶け込んでいる。あまりにも身近であるためにかえって意識することがないのかもしれない。 例えば、現代の日本では男女同権で、女性が結婚後も旧姓を名乗ることも法律的に認められている。しかし、九割以上の女性は結婚後に夫の姓を名乗っている。
この事実は、女性が結婚によって夫の家に入り、その姓を名乗ること、つまり「家は男系によって継承される」という価値観は、多くの日本人にとって違和感がないことを意味する。
継承者がいなくて困っているのは現在の皇室だけではない。伝統芸能の家、代々続く老舗などでは男子がいなければ同じ苦悩を抱えている。そしてその悩む姿は日本社会では自然な姿である。
男系継承という考え方は、現代とは縁もない遠い昔の理論ではなく、また皇室独自のものでもない。まさしく長い間日本の社会に深く浸透した価値観である。
平成17年11月24日に「皇室典範に関する有識者会議」は、皇位継承はこれまでの男系継承に替わって第一子優先にすべきであると結論したが、男女の別なく第一子に家を継がせるという価値観は、むしろ現代日本には馴染みのない価値観であり、違和感があると私は思う。
男系と女系を区別することで、家の領域がはっきりし、誰がどの家に属しているかが明確になることは既に述べたが、これを崩してしまうと、本家も分家も、はたまた女系の他家までもが同じ位置づけになってしまう。
すると 天皇の近親者の数が何倍にも膨れ上がることになる。時代が下るにしたがって 天皇の家族が無限に増大してしまうことになる。そうなると皇室自体が一般の家と変わりがないことになる。そしてそれは男系により継承されてきた世界最古の家柄である 天皇家の断絶を意味するととらえるべきだ。 次に女性天皇の困難性について考えたい。我が国の歴史には八方十代の女帝の歴史が刻まれているが、いずれも中継ぎ役としての特殊な例であり、歴史的に皇位は男性が継ぐべきだとされてきた。女性が 天皇となった場合の不都合を、現代の視点を盛り込んで述べる。
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沖縄のこととなると沖縄以外の日本人の多くはマスコミの受け売りで、その報道のままを真実と思っている人が多いかもしれません。米軍基地問題も沖縄県民の全てが反対しているように思わされ、集団自決も日本軍の強要が「あった」と思わされ、毎回何かあると大きな集会が開かれて沖縄の人たちの気持ちを踏み滲むようなことはしてはいけない、・・・。 などと思ったらあなたは詐欺にあったと同じです。
しかも、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」のような左翼作家の虚構の本が、今やすでに真相が証言されているにもかかわらず訂正もされずに販売されているのです。
真実を語る歴史的良書は絶版にされても、こういう左翼の悪本はいつまでも販売され続けています。
そして、「琉球新報」や「沖縄タイムス」のような左翼マスコミが大手を振って偏った報道を流し続けていることこそ沖縄の不幸であります。
思うに、沖縄こそ「言論の自由」もなく「思想信条の自由」もない違憲な県であるかもしれません。
日本の国益に沿うようなことを主張したり、正しい歴史を言うと、強硬な言論弾圧に遭い、中には退職にまで追いやられ職を失ったり、身の危険さえもあるともいわれています。
平成23年12月27日、防衛省がまとめた「辺野古評価書」の運送が沖縄県庁前で左翼反対派に阻止され引き返しました。これは民主党政権のお粗末さも原因でありますが、この左翼反対派のやっていることはまともではありません。またそれを援護するような「琉球新報」や「沖縄タイムス」も異常です。
国のやることを左翼の反対闘争や第三国の圧力で捻じ曲げられること自体おかしいのです。
反対派は200人との反日マスコミ報道でしたが、どう見てもそんなにはいないのではないか。彼らの報道はもはやまともには受け取ることは出来ません。
沖縄反日左翼マスコミの援軍のもと、左翼反対派は勢いづいて、行政をもまともに機能させなくしたり、言論を封殺したりと、違法な状況が当然のごとく行われているのです。
これが沖縄の姿なのです。いや、日本の現状なのであります。
さて、ここに沖縄の真実を知る大変よい本が出版されました。左翼作家・大江健三郎の「沖縄ノート」に対して、「新・沖縄ノート」として『誰も語れなかった沖縄の真実』(著者:恵隆之介)です。
沖縄在住の著者であるからこそ沖縄の真実の姿が書かれております。
恵さんは「序」で「左翼に絶対屈するなと激励された」と書いています。
また、「私は殴り殺される覚悟で本当の沖縄を書いた」ともあります。
もはや沖縄の真実はマスコミでは知ることは出来ません。
12月に出たばかりの本なので内容は書けませんが、当然私も知らなかった沖縄がここにありました。
これぞ「真実の沖縄ノート」といえるでしょう。
真実を語る著者が殴り殺されないように、多くのご支援をお願いしたいと存じます。
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