日本の感性をよみがえらせよう

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今亡き、大兄・敬天愛人(ブログ名)さんのご遺志を継ぎこの記事を書かせて頂きます。
戦後、今以って日本国憲法に指一本触れることもできないこの憲法とは何なのか。
ユダヤ人モルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』より掲載させて頂きます。
 
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「日本国憲法」。
日本人はいまだ、この憲法の本質がユダヤ的思考の所産であることを全くご存じないように思われる。今日、日本人の皆様がこの憲法に潜む矛盾から逃れる道は、この憲法の奥に秘められた本質をできるだけ早くつかむため、先ずそのルーツを白日の下に晒すことであろうと思う。
この憲法は戦後、一指だに触れさせず、いまだ大威張りで日本国民の頭上にあぐらをかいている。これは信じられないようなタブー現象である。日本の「革新(=左翼)」勢力がこの憲法に一指だに触れさせじと身体を張っているのは論理のひとかけらも見出せない。
日本人にとって焦眉の問題は、いかにしてこの非論理的なタブーを打破するかということである。
日本国憲法の支柱は「自由」、「平等」である。 自由、平等を支配・被支配関係のある国家へ持ち込むことは建設的なものと考えられる。もちろんこれは被支配者から見てのことである。フランス革命はこうして成功したのである。
しかし、このような考えを直感的に日本へ適用したのは全く持って認識不足の一言に尽きるのである。なぜなら、日本は万世一系の天皇を頂く君民共冶の鏡であったからである。
日本のような「和」の保たれた社会へ「自由」、「平等」を持ち込むとどういうことになるだろうか。
恐るべき分裂現象を起こすであろう。「和」はたちまちにして破壊されるであろう。事実、戦後日本は今日みる如く世界で最も「和」のない国となってしまった。
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モーゼ氏は第一次欧州戦争後「ドイツの1%のユダヤ人が政権を取り、迫害されていた自分たちユダヤ人のためにワイマール憲法をつくったのです」と言い、「日本国憲法はワイマール憲法の丸写し」と言っています。以下、日本国憲法のモーゼ氏の解説を読むことで日本人の覚醒を即したい。・・・・・ 
 
イメージ 2第九条
第九条の「戦争の放棄」という言葉の意味するところは「武装解除」にほかならない。
マルクス主義国家論にみる如く、国家を転覆させるのを至上目的とするなら、国家破壊の最大の障害物となるのは軍隊であり警察力である。したがって戦争反対、平和に名を借りて「軍縮」をとなえ始めたのも、第一次大戦後のユダヤ勢力にほかならない。軍縮という耳触りのいい言葉だが、これの狙いとするところは、列強の武装解除への第一歩でしかない。
 
第十一条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」。
「基本的人権」という言葉から読み取れることは、被害者意識から出発した概念ということである。長年、差別、迫害されてきたユダヤ人の血の出るような要求であったのだ
第十三条
「すべて国民は、個人として尊重される」。
「個人として尊重される」というのは、個人主義思想の導入が目的であることは論を持たない。個人主義というものは国家崩壊の第一歩と考えられているものであり、これは第十二条の「自由」と密接に関係ある問題で、第十一条の「基本的人権」とも関係あるものである。個人主義に自由をプラスし無限大にこれを追及されればどういう結果になるか、国家内部の不統一、混乱を助長するものであることは説明の要はあるまい。 十三条の「生命に対する権利」ということだが、日本語としても「生命の権利」というのはおかしいであろう。日本へそのようなものを持ち込んでもピンとこない。次にある「幸福追求」という言葉も何も言っていないに等しい。ところがユダヤ民族にとってはこれすら十分に、否、全くと言っていいくらい追及できなかった過去の歴史がある
イメージ 3第十四条
「すべて国民は、法の下に平等」。
最大の問題を内蔵するもので、「平等」の押しつけである。仏教の教えでも「平等のあるところ不平等あり、不平等あるところ平等あり」といっている。戦後の日本においてこの「平等」という言葉くらい世の中をまどわせたものはないであろう。天から授かった神の言葉の如く神聖視している者も多い。
 
 
第十五条
「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。
これも日本国民からみれば当たり前のことに過ぎない。ではなぜこれが組み込まれたかというと、これもやはりユダヤ人の被害者意識から出ているものである。ユダヤ人はそれぞれが居住する国々で常に公務員から差別的に扱われてきたのである
第十七条
「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」。
日本でも何らかの手違いにより事故としてこのようなことが皆無ではないかもしれないが、ユダヤ人にとっては明らかな意識的不法行為が日常茶判事だったのである。
第十八条
「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」。
このような社会がなかったわけではないが、日本の歴史には全くない。ユダヤ人はこれとほぼ同様な扱いを受けていたわけである
第二十条
第二十条はユダヤ人にとっては死活問題である。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」。
これはワイマール憲法の丸写しであり、これの意味するところはワイマール政権下のドイツにおけるユダヤ人の権利に関係している。つまり、当時のドイツで1%に過ぎないユダヤ人がドイツと同等の権利を確保、維持するためには「国教」があってはならないとしているのである。国教ということになると、どうしても99%のドイツ人の宗教であるキリスト教がその地位を得るのは当然すぎるほど当然である。こんなものを教条主義的に日本に持ち込むのはユダヤの知的水準の低さを示す何物でもない。しかるに日本では、これにとらわれて首相の靖国神社参拝が議論されるのであるが、そのたびにユダヤ人として恥ずかしい思いをする。
「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」。
この問題について一言するならば問題は全てキリスト教、ユダヤ教のもつ極端な排他性にある。八紘一宇の思想を基調とする神道、和を基調にする仏教とは自ずと次元が異なるものである。憲法に持ち込まれたこの条項は、ユダヤ教の持つ排他性のしからしむるところである。排他性のない高度に理性的な日本の宗教界に本能的、動物的な他の宗教が強引に割り込み宗教の次元を下げていることにほかならない
第二十一条
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」。
集会の自由は、ユダヤ人の示威のために必要であったのだ。結社の自由も同様である。
第二十二条
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」
日本ではこのようなことが問題となったことはないといってよい。一方ユダヤ人にとって、これは大問題である。ゲットー(隔離地区)に閉じ込められ移転の自由もなく、職業と言えば金貸しの如き“賤業”しか許されなかったユダヤ人の切実な要求であることはすぐわかるはずである。
 
イメージ 5第二十四条
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。
ここでまた平等を吹き込んでいる。もともと第二十四条は男女同権とはいっておらず夫婦同権を謳っているだけなのだが、これがマスコミその他によって男女同権にまで知らぬ間に拡大されてしまった。人間は自然の摂理として両性は全く異なった天分を持たされているにもかかわらず、これを単純に平等に扱おうというわけである。これは自然の摂理に対する冒涜である
この問題に関しては先例がある。ロシア革命後のユダヤ勢力はソ連においていわゆる「婦人国有」政策を押し付けている。これはどういうことかというと、生殖作用の成熟した年齢より四十二歳までの女は男に対して肉の欲求を拒むことが出来ない。而して生まれた子供は家庭の手を煩わさず国家が引き取って養育するというものである。女は家庭に縛られることなく一定の夫に貞操を守る義務がなく、子供は国家が養育してくれるのであるから母として世話する必要もなく労働に男と同権で参加できるというものである。ソ連で女が男と全く同様の重労働に精を出しているのはこの名残である。
 
イメージ 6第二十五条
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。
恐らくこのくらい耳触りのいい文句もないのではないか。これの意味するところまことに結構である。続いて「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。
恐らく日本国憲法のイメージづくりにもっとも貢献している条項の一つであろう。
かつてユダヤ人は職業を制限されており職業選択の自由がなかった。だからユダヤ人の願望はとにかく最低限の生活が出来る仕事にありつくことであった。これをかなえるためにワイマール憲法の第163条がある。他人に頼って生存するには不平等の極みである。たとえこのような慈善を受けて生存してもそこには借りが残るというのが本当の平等な感覚ではないか。しかしこれを社会福祉という耳触りのいい表現にされてしまうと、ついその本質を見抜く努力を怠ることになる。
これはユダヤ人にするとタルムードの思想にのっとった写しに他ならない。日本国憲法のこの条項をよくえぐってみる時、その底に秘められた悪弊の恐ろしさはただものではない
第二十六条
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」。
この条項も何も言っていないに等しい。明治以来、日本では教育の機会均等が奪われたためしはない。文盲率がほとんどゼロという世界で最高の読み書き算盤のできる民族である。しからばなぜこの第二十六条を一見してばかばかしいと感じないのだろうか。
なぜGHQのケーディスは日本国憲法にこれを書き込んだかというと、これもワイマール憲法からの教条主義的丸写しである。ドイツのユダヤ人にとっては教育の機会均等というのは最大の夢の一つであった。つまりこれはドイツ在住のユダヤ人に教育の権利を与えるのが目的で、日本を知らずに憲法丸写しするとは信じ難い。
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これらを読むと日本国憲法とは一体誰のための憲法であるのか考えさせられます。
国家を持たず、迫害、差別され、自由も平等も全くなかったユダヤ人の願望である憲法と、万世一系の天皇陛下と自然の恵み豊かな我が国で、命にかかわる迫害も差別もなく、自由も平等への不満もない日本国民にこの日本国憲法は全く適合していなかったのです。
しかし、戦後六十有余年も長きにわたってこの憲法を保持していることによって日本人が知らない間に日本は悪い方に変質している事実を見逃すわけにはいきません。
総体的にみると、日本社会は益々混沌、殺伐とし、考えられないような凶悪な事件が増え、自分さえよければあとは関係ないと平気で言う国民が増え、家庭を崩壊させるために女性を社会に出し、子供を産まないようにさせ、親の面倒を看ずして孤独な老人が増えて孤独死していく。働かなくても国が生活を保障し、金持ちからお金を奪い配分していく、・・・。その先にあるものは何かは想像できるでしょう。
今も日本人の血にある日本精神(真面目、正直、勤勉、嘘をつかないなど)がこれらを抑制していますが、これも徐々に退化しているのが現実です。
 
ユダヤ人のモーゼ氏はこう言っています。
「自然の摂理として平等というものは決してあり得ない」そして「自由と平等は決して両立しない」。
日本の実態に即した日本人のための憲法ではないということだけは日本国民は広く認識して頂きたい。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

大日本帝国憲法の告文(つげぶみ)は、神へ明治天皇が誓われたものですが、その後に、勅語が続きます。この勅語は歴史的仮名遣い及び正仮名正漢字で書かれておりますが、今回はこの勅語を私達にもすぐに理解できるように、現代仮名遣いと平仮名で書いて見ました。


大日本帝国憲法発布の勅語

朕国家の隆昌と臣民の慶福とを以て中心の欣榮(きんえい=喜びと光栄)とし、朕が祖宗に承くるの大権に依り、現在及び将来の臣民に対し此の不磨の大典を宣布す
惟(おも)うに我が祖、我が宗は我が臣民祖先の協力輔翼(ほよく=たすけること)により我が帝国を肇造(ちょうぞう=はじめてつくる)し、以て無窮に垂れたり(=永遠に後世の者に表し示した)
此れ我が神聖なる祖宗の威徳と並びに臣民の忠実勇武にして国を愛し公に殉(したが)い以て此の光輝ある国史の成跡(過去の実績)を貽(のこ)したるなり
朕我が臣民は即ち祖宗の忠良なる臣民の子孫なるを回想し其の朕が意を奉体(承って心にとめ、実行する)し朕が事を奨順(しょうじゅん=たすけしたがうこと)し、相與(とも)和衷協同(心を同じくして力を合わせる)し、益々我が帝国の光栄を中外(=国内外)に宣揚し、祖宗の偉業を永久に鞏固(きょうこ=つよくかたいこと)ならしむるの希望を同じくし、此の負擔を分つに堪うることを疑わざるなり

意訳
(私は国家の隆昌と臣民の喜び幸せとを以て、一番の喜びと光栄とし、私が歴代の先祖から受け継いだ大権によって、現在及び将来の臣民に対してこの不磨の大典を宣布します。
思うに我が歴代の祖先は、わが臣民の祖先の協力と助けによって、我が帝国を創造され、永遠に後世の者に示されました。
これは私の神聖なる歴代先祖の威徳と、並びに臣民の忠実勇武によって、国を愛し公にしたがい、それによってこの光輝ある国史の実績を遺されました。

私は、我が臣民はすなわち歴代先祖の忠良なる臣民の子孫であることを思い起こしましたが、其の私の思いを承けて心に留めて私の事をよく助け従い、相共に心を同じくして力を合わせ、益々我が帝国の光栄を国内外に宣揚し、歴代先祖の偉業を永久に固く強くする希望を一緒に持ち、この責任の負担を分かち持つことに堪え得ることを疑いません。)



少し難しい言葉が使われてはいるものの、読めばだいたい意味がわかります。この勅語の文章に込められた、日本の国の長い歴史が持つ君民同治の国柄の美しさと、それに対する誇りとそれを受け継ぐ責任と希望が、ひしひしと伝わってくるような感じがします。

この勅語を読んだあと、現代の日本国憲法の前文を読むと、どこに日本が日本の国であるための歴史伝統に培われた日本らしさ、そして誇りが書かれてあるのかと思います。

政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受す る。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」


この部分は日本の国が今回の戦争を起こした悪玉であると決め付ける文面であり、アメリカのような人工的にできた契約国家と同じように、国民主権を宣言し、人類普遍の原理として、日本の歴史を一切否定したものです。そしてこの憲法を絶対のものとして、ほぼこれに反することを許さない、と言って、ほとんど改正を許さないような縛りをかけています。


さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」の部分に及んでは、完全に日本民族は永久の悪玉であり、日本さえ武器を持たなければ世界は平和であるとして、平和を愛する諸国民にその安全と生存をゆだねさせる詫び証文となっています。

この憲法前文から、日本人はどんな誇りを感じることができるでしょうか。戦前までの君民同治の歴史は全て間違いだと言っているに等しい文章であり、また戦争の詫証文であり、諸国民に安全と生存をゆだねる奴隷的地位を受け入れるという証文です。



大日本帝国憲法では、次に上諭と呼ばれる文章があります。これは戦前、法律などを公布する時に、冒頭に付し、天皇の裁可を表示したものです。此の上諭の文章も、同様に、現代仮名遣いと平仮名で書いてみます。

朕祖宗の遺烈(=先人が残した功績)を承け、萬世一系の帝位を践み、朕が親愛する所の臣民は即ち朕が祖宗の恵撫滋養(=恵み愛し慈愛を持って持って養育する)したまいし所の臣民なるを念(おも)い、其の懿徳良能(いとくりょうのう=大きい立派な徳と生まれつき備わっている才能)を発達せしめむことを願い、又其の翼賛により與(とも)に倶(とも)に(=一緒にの強調)国家の進運を扶持(=たすけること)せむことを望み、乃(すなわ)ち明治十四年十月十二日の詔命を履践(りせん=実際に行うこと)し、茲(ここ)に大憲を制定し朕が率由(したがうこと)する所を示し、朕が後嗣(こうし=世継)及び臣民及び臣民の子孫たる者をして永遠に循行(じゅんこう=命令に従って行う)する所を知らしむ

国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり
朕及び朕が子孫は将来此の憲法の条章に循(したが)い、之を行うことを愆(あやま)らざるべし
朕は我が臣民の権利及び財産の安全を貴重し、及び之を保護し、此の憲法及び法律の範囲に於いて其の享有を完全ならしむべきことを宣言す
帝国議会は明治二十三年を以て之を召集し議会開会の時を以て此の憲法をして有効ならしむるの期とすべし

将来若し此の憲法の或る條章を改定するの必要なる時宜を見るに至らば朕及び朕が継統の子孫は発議の権を執り之を議会に付し議会は此の憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外、朕が子孫及び臣民は敢えて之が紛更(ふんこう=かき乱してむやみに改める)を試みることを得ざるべし

朕が在廷の大臣は朕が為に此の憲法を施行するの責めに任ずべく朕が現在及び将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負うべし
御名御璽
明治二十二年二月十一日



 
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日本に民主主義は必要か? 
と訪ねると、多くの日本人は「当然、必要!」と答えるはずです。
しかし、戦後日本の“虚構”を悟った目覚めた日本人は「必要ない」と言うでしょう。
なぜか? この意味は覚醒していない人には理解できない。
この民主主義という毒がある限り、戦後日本を今も立ち直らせることが出来ないものなのかもしれれません。 その覚醒への一助として、ユダヤ人であるモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』より一部掲載させていただきます。これは、昨年暮れに亡くなられた大兄・敬天愛人(ブログ名)も以前、連載で取り上げていたものですが、私も大兄のご遺志を継ぎ、数回に分けて取り上げてみたいと思います。
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真の日本の世界に冠たる長所は、残念ながら戦後の日本にはもはやないのである。
ということは戦前までの日本には存在したということである。・・
かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きを言っている。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分はやむを得ず民主主義を選ぶのである」
 
ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。
ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。
私は最初その意味がわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。
日本の天皇陛下と国民にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。
 
日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、またイラン王室でも、君主はみな国民大衆に対して搾取者の地位にあるものである。したがって亡命する時は財産を持って高飛びする。
これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。
しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。
私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこう言ったであろう。
「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨てて、速やかに東洋の偉大な国 日本へ馳せ参ぜよ」と。
ここで非常に重要なことをルソーは言っているのである。民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物に過ぎないということである。
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イメージ 2民主主義という言葉は理想の君民共治が出来ないからつくられたのだという。 西洋では、君主というものはそれこそマルクスの言う支配者、搾取者であり、一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじる運命にあります。
しかし、日本の天皇陛下は西洋などの君主と違い、決して搾取することはないのでマルクス主義などが日本で振りかざしても全くの空論でしかないのです。それを馬鹿な左翼らは「天皇は搾取していい暮らしをしている」と言った時期がありましたが、マルクス主義を日本に当てはめるために根拠なき無理を言っていたのであります。
 
そういう意味でも日本には万世一系の天皇陛下がおられ、「民のかまど」が示すように常に国民とともにあり、常に国民の幸せを祈っておられるのであります。 陛下は国民を大御宝とし、その祈りは大御心として国民の心に宿り、国民は億兆心を一にして天皇陛下に仕え奉るのであります。そして、このことが全く自然に出づるのであります。
我が日本のこの形こそ君民共治であり、ここには「民主主義」という言葉は必要ないのであります。 天皇陛下という我が国体がルソーの理想をも超越しているのです。
 
イメージ 3西洋の君主は大衆から搾取した莫大な財産を持って保身に努めています。だからこそ、いざ革命、戦争、政変となると直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命をはかるのであります。
しかし、我が国は敗戦という大混乱の中で、昭和天皇はマッカーサーとの会見で開口一番、「自分のことはどうなってもいいから、国民を救ってほしい」と切り出したのです。
欧米の常識では亡命と財産の保全が当然と思っていたので、マッカーサーはこの天皇陛下のお言葉には大変仰天したのでありました。 西洋の常識と日本の常識はこれほどかけ離れているのであります。
 
 
イメージ 4ヨーロッパの王朝はみな混血王朝で外国から国王や王女を入れてきました。我が国は万世一系の天皇陛下をいただく世界にも例のない国なのです。世界のあらゆる国の支配者と被支配者の関係をみると、万世一系の天皇をいただく日本人は如何に幸せであるか、しかし、肝心の日本人がわかっていないことが一番の不幸なのであります。
 
だからこそ現在、無教養な政治家や愚かな専門家から「女性宮家」などという発想が出てきて、その民間の夫も皇族にする、という訳のわからない馬鹿な発想が出てくるのであります。
また、我が国には搾取も支配者もないのです。せいぜい搾取というならば現民主党政権の景気浮上も社会保障の中身もない単なる増税のための“増税”こそ国民を苦しめるだけの搾取といえるでしょう。
 
我が国では万世一系の天皇陛下の存在こそ民主主義という言葉をはるかに超越していることを知るべきではないでしょうか。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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「敗北主義」の蔓延

 
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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
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なぜ「大東亜戦争」と呼称すべきなのか
 
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高知大学名誉教授 福地惇
 
連合国軍総司令部は昭和201215日、日本政府に対し、国家神道の禁止と政教分離の徹底を支持する覚書を出すが(神道指令)、その中で「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じた。
「大東亜戦争」の呼称は昭和161212日の閣議で、「今次対英米戦を支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と決定したことによる。いわば日本にとって戦争の大義を示した言葉である。
米国がそれを否定し、「太平洋戦争」と呼称することを命じたのは、あの戦争が文明と人道に対し野蛮な挑戦をした日本を懲らしめ、平和と民主主義を願う文明・正義の戦争だったというアメリカにとって都合のよい認識を日本国民に刷りこもうと意図したからである。
 
そもそも戦争とは当時国双方が互いに妥協不能の政治的、軍事的、経済的な対立に立ち至った時に発生する。だから当然、双方に言い分も理屈も正義もある。 どちらも根本には国威、国益を擁護・拡大したいという国家の本能が盤踞するが、一方が邪悪で不義、他方は善で正義だということはあり得ない。
大東亜戦争の真実は、我が国側からすれば、国家の大義と国益を死守するための「防衛戦争」であった。「開戦の詔書」はそれを表明している。だからこそ私は「大東亜戦争」と呼ぶ。
 
日本は連合国を向こうに回して勇猛果敢に戦った。 ルーズベルトは日本の「無条件降伏」を望んだが、日本圧服を目前にした19454月に病没。後任大統領トルーマンは、本土決戦で予想される双方の甚大な人的・物的被害や大戦後の国際政治を勘考する現実主義の国務長官代理グルーや陸軍長官スチムソン、英国首相チャーチルら堅実な政治家との合意の上で、日本に国家存続の最低条件を突き付けて降伏させる形での終戦をめざした。「ポツダム宣言」がそれである。
 
我が国政府はポツダム宣言が「國體」が護持されると確認した上で降伏し、同宣言の条件による連合国軍の軍事占領管理に国家の命運を委ねた。占領支配に直面した我が国にとって必要だったのは、ポツダム宣言の誓約を超えた占領政策には巧妙に抵抗し、面従腹背しながら政策の内実を空洞化するなど「講和後を見据えた我慢強い被占領側の政治」であったろう。それが出来なかったことは、それまで対外戦争の大敗北を経験したことのなかった我が国の弱点だった。
この弱点ゆえに、占領政治推進のためにねつ造された太平洋戦争史観を鵜呑みしてしまい、「無条件降伏」したのだからという諦念のもとに専制権力たる占領軍政府に迎合した日本政府は、国家体制変造に抵抗できなかったばかりか、「敗北主義」の蔓延を阻止しなかった。
 
小泉首相の解放感謝(2003年に訪米した小泉首相はブッシュ大統領との会談で、日本の占領統治について日本を解放してくれて有難うと感謝した)の談話は何を意味しているか。 民族の弱点に付け込んで醸成された「敗戦国体制」と、それを支える「敗北主義」的な意識、この占領政治の呪縛が半世紀以上経ってもなお日本を重く拘束し続ける魔物であることに、我々は改めて思い起こさねばなるまい。
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戦前、日本では「太平洋戦争」「日中戦争」などという言葉はなく、「大東亜戦争」「支那事変」でありました。確かに一時占領中はそういう呼び方を強制されていたのでやむを得ませんが、それを戦後六十有余年、今でも正しいと思い込んで使い続けているところに日本人の魂が抜かれた姿があるのです。
東京裁判、そして日本国憲法の「自由」と「平等」という矛盾するものを「民主主義」という虚構ですっかり騙されている日本人は、その狡猾な意図さえも考えることを拒絶してしまって、現在の安楽に浸ってしまっているのです。
 
戦後から現在も売られている歴史の本の多くは「太平洋戦争」という言葉で書かれています。
これはアメリカ側の立場で書かれた本だということを理解していない日本人が多いかもしれません。
連合国が”正義”で、日本は”悪”。 これこそ日本にとっては自虐史観であります。
学校も、新聞も、テレビも、当然のように「太平洋戦争」という言葉を使っています。
これらすべてがアメリカの立場からの植え付けられた歴史観です。アメリカの立場の歴史観を正しいと思いこんでいる日本人の姿は世界的にみても異常であります。
そのことを教えない教育の在り方も占領中のまま何も変わっていないということであります。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

サイタニのブログの続きです。

皇族男子が、皆軍人となることが義務付けられていて、それゆえに、職務に忠実な皇族は前線に出ることを望み、死を恐れなかったというのは、初めて聞きました。こういうことは、国民に知られることもなく、一般の国民は、皇族であるが故に危険に関わることもなかったであろうと思い込んでいる人も多かったのではないでしょうか。こうした真実は、知られるべきであり、間違った思い込みで、皇族の名誉が傷つけられる事のないようにしたいものです。

今は皇族ではなく、占領軍により旧皇室典範は廃止され、一般国民になられましたが、終戦前後にこれほど命をかけて動かれた方々、今はその子孫の方々を、やはり皇族として、もう一度お迎えすべきだと思います。

いざというときに、天皇をお助けする皇族が一定人数以上やはり必要ではないかと思います。そしてそれは女性宮家ではなく、男性皇族でなくてはならないと思います。天皇をお助けすると同時に、万世一系の皇位の安定を図るための皇族が絶対に必要であり、占領下で、日本衰退を意図して変えられた皇室典範をもとに戻すことこそ、一番の近道であり、正道だと思います。






「皇族の三人や五人死ね」
 
 
竹田宮恒徳王は大本営に勤務していたとき、第一線の実情を知るために前線に行くことをしばしば願い出るも、毎回聞き入れられることはなかった。しかし、ニューギニア、ソロモン方面の戦線をどうするかの決定をするために、参謀次長と軍令部次長がラバウルの前線司令に出向くとき、竹田宮は強い態度で随行を願い出た。
 
 
そのときの様子を辻政信中佐「当時」が次のように記している。「第一部長綾部中将が、幕僚数名と共にラボール(ラバウル〉に出張されるとき、真先に志願されたのも殿下(竹田宮恒徳王)であつた。
 
 
併し、杉山総長と、東條大臣は頑として肯かれない、<中略>此の日の殿下は血相さへ変つてゐた。眼に涙を浮べながらラボール行きの選に漏らされた事を慨いてゐられる。「班長さん<辻正信のこと>、御願ひです。私を、ラボールにやるよう、総長・大臣に班長から是非もう一度、申上げて下さい。
 
私が皇族なるがため、当然なすべき仕事をさせて貰へないなら、今すぐ大本営参謀をやめさせていただきます。
 
この大戦争に、もし、明治天皇様がお出になりましたら、きっと、皇族の三人や五人死ね!と仰言るでせう」(辻政信『ガダルカナル』)

竹田宮の迫力に押された辻中佐は杉山元参謀総長を説得にかかった。話を聞き終えると杉山はしばらくうつむいて考え込み、万一のことがあったら切腹する覚悟を決め、涙をぬぐいながら「さうか、それほどの御決心か!」と言い、今度は杉山が東条陸軍大臣を説得に出掛けたという。戻った杉山は辻に「大臣も、泣いてゐたよ……」と伝えた。そしてついに竹田宮は海軍の水上機でラバウルに向かった。
 
 
「皇族の三人や五人は死ね」というのは明治天皇の皇女である竹田宮妃昌子が息子の恒徳王にしたためた手紙の中の一節であった。昌子内親王はそのほかにも、「皇族だからといって甘えるようなことをしてはなりませぬ」「けっして死を恐れてはなりませぬ」などと手紙に書いて外地の戦場にいるわが子を励ました。
 
 
また、竹田宮の祖父に当たる北白川能久親王も台湾への出発に際して「今回の如き国難に際しては皇族の一、二人は戦死する位ゐの覚悟なかる可らず」と述べたことが伝えられている。


竹田宮は学習院から陸軍幼年学校に上がり、寮生活で「床を上げることから、靴の掃除まで全部やる。自立の精神が生まれ、甘えがなくなった」ことで、皇族として特別な扱いをされることに「反抗的な気分を抱いた」と語っている。

昌子内親王は 明治天皇の皇女として育てられただけあり、気骨ある母親で、子育てに関して献身的だったという。恒徳は昌子内親王について後年次のように語った。

「なかなかピチッとしていました。やさしくもしてくれたけどね、非常に怖いこともあったです(笑)。父のほうが、むしろあまり怖くなかった。それに、父は早く亡くなったもんですからね。母に叱られることが多かったわけです(笑)。しかし可愛がってもくれ、毎日おやつはいただきましたし、食事はいつも一緒でした」
(『日本の肖像』第一巻)

明治時代以降、日本は近代国家を建設するために「富国強兵」を掲げていた。皇族男子は明治天皇の思召により原則として軍人となることが義務づけられていた。軍の学校に進学して、軍人としての能力や功績などにはかかわりなく当然のように規定の範囲内で最も早く進級していた。軍人になった皇族男子たちは、天皇に忠誠を誓って国家のために命を捧げた。

元帥になった皇族には、陸軍では小松宮彰仁(こまつのみやあきひと)親王、伏見宮貞愛(ふしのみやさだなる)親王、閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王、久邇宮邦彦(くによし)王・梨本宮守正(なしもとのみやみやもりまさ)王らが挙げられる。

特に閑院宮載仁親王は昭和6年(1931)から15年まで参謀総長を務めていた。また海軍では昭和7年(1932)から16年(1941)まで軍令部総長(軍令部長)を務めた伏見宮博恭(ふしのみやひろやす)王が挙げられる。この頃、男子皇族は大日本帝国憲法下で衆議院と並んで帝国議会を構成した立法機関、貴族院の議員となることを原則としていた。しかし、軍人であるがゆえに議会には出席しないのが慣例となっていた。

また親王は天皇の最高諮問機関である枢密院会議に出席することができることになっていたのだが、同じ理由から会議への出席を控えていた。「男子皇族は軍人となって政治に関与すべきではない」という 明治天皇の思召によるものである。男子皇族は間もなく敗戦によって予備役編入となって軍籍を離れ、また貴族院議員も辞職することになる。

男子皇族は 天皇の親族であることから、天皇に準じて敬われていた。皇族を危険に晒すことは畏れ多いと考えられる一方、多くの皇族は軍人としての職務に忠実であり、中には前線に配置されることを強く望む皇族もあった。また、弾雨をかいくぐり生還した皇族もあれば、殲滅戦を指揮して壮絶なる戦死を遂げた皇族もあったのだ。

そして皇族は終戦時に最もその力を発揮した。終戦による混乱が極力抑えられたのは皇族の決死の行動によるものが大きい。






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