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平沼赳夫メール 平成23年8月4日号
■大韓民国による日本の国会議員入国拒否に政府は厳重抗議を
平成二十三年八月一日、韓国政府が韓国領 鬱陵島に調査・視察することを目的で韓国訪問した国会議員三名の入国を拒否したことに断固抗議する。 また空港内において暴徒が、我が国国旗を冒涜し、国会議員の顔写真入りの横断幕を燃やすなど、我が国と我が国国会議員を侮辱したことは、著しく品位と礼節に欠ける対応といわざるを得ず、常軌を逸した抗議活動を行うことを容認したことは誠に遺憾である。 また「竹島は日本固有の領土」という我が国として当然の主張をしている日本国民の代表たる国会議員のみを排斥するというのであれば、まさに民主主義、言論の自由の否定に繋がる暴挙である。 竹島の領有権問題について、真に韓国の主張に正当性があり、鬱陵島の資料館に展示されている資料等がその正当性を証明するものであるならば、むしろ進んで日本の国会議員に提示し論証すべきであり、入国拒否などという今回の韓国政府の対応はまったく理解できない。 今回の韓国政府の措置は、外交儀礼上、今後大きな禍根を残すことにもなりかねない。日本国政府は今後の正常な日韓関係、交流のためにも韓国政府が今回の措置を撤回し、自由な訪問の実現を求めるよう、強く要請する。 また正当な我が国の要請が受け入れられない場合には、相互主義の観点から相応の対抗措置を採ることを強く求める。 ■「人権侵害救済法案」に反対する 法務省は八月二日、「新たな人権救済機関の設置について(基本方針)」を公表し、いわゆる人権救済法案の成立に意欲を示した。 法務省がホームページで公開してきた統計によれば、毎年2万件以上の「人権侵害事件」が報告されていたが、そのほとんど(九十九%)は現在の法務局や人権擁護委員制度のもとで解決している。人権侵害の救済は、現行法で十分に対応可能なのである。 にもかかわらず今回、法務省が提示した基本方針では、公正取引委員会などと同じ強大な権限を持つ「三条委員会」として人権委員会を設置するとしている。それでは、なぜそれほど強大な権限をもつ機関を新設しなければならないのか、法務省から、具体的な説明は何らされていない。 もし法務省が提示したような「人権委員会」を設置すれば、北朝鮮による拉致問題について言及しただけで「差別」だと批判されるなど、言論の自由が大きく損なわれる恐れがある。 将来的に同委員会の権限と適用範囲が強化拡大され、日本における言論の自由を有名無実なものとするばかりか、曖昧な「人権侵害」の名の下、明確に憲法違反である外国人参政権付与への道が安易に開かれたり、教職員などが国旗国歌への敬意を払わないことを正当化することにもつながりかねない。 今、江田大臣が取り組むべきは、環境大臣として被災地の復興のための瓦礫の迅速なる処理であり、法務大臣として刑罰の執行責任から逃げないことである。 そもそも政府が取り組むべきは、このような「言論弾圧を可能とする人権警察の設置」などではなく、日本の主権と領土と国民の安全を守り抜く外交・安全保障政策の実施であり、急激な円高や低迷する景気から日本経済と雇用をしっかりと支える経済対策の実施である。 よって、たちあがれ日本は、言論の自由を損なう恐れがある「人権侵害救済法案」には断固反対する。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 衆議院議員 平沼 赳夫 事務所 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 平沼赳夫HP http://www.hiranuma.org/
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「金持商人一枚起請文」
中井源左衛門は一代で相当の身代を築いた近江の豪商です。
近江日野の出身。19才のときに関東で漆器・売薬の行商を初め、30才で下野国堀越町に出店。その後は、相次いで全国に支店を出し、合薬、太物(ふともの=綿、麻織物)、呉服などを扱い商品を広げる一方、酒造業、質店も営んだ。遺産分与では総資産らが7万両にも上ったという。中井家の繁栄は近代に入るまで続きました。
武士に武士道があるように商人にも商道がありました。
画像にある、「金持商人一枚起請文」は中井源左衛門が晩年、新年を迎えるにあたり書いた「起請文」です。 「起請文」は神・仏に対する誓いの言葉です。 今年はこのような考えで商いをしますので、神仏の御加護をという新年度の経営方針でもありました。
中井源左衛門が89歳の時に書いた「金持商人一枚起請文」は当時の商人に大きな影響を与えました。以下にご紹介します。
「金持商人一枚起請文」 「陰徳善事」はよく近江商人の家訓に使われていますが、寄付行為など売名を目的とした平成の商人と違い売名をよしとせず、あくまでめだたぬ行いでなければ先祖の御加護、天の理には外れると説いています。
陰徳善事は、人に知られないように善行を施すことです。陰徳はやがて世間に知られ、陽徳に転じるのです。近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行いました。
滋賀県と京都府の境にある逢坂山の峠、つまり旧東海道の大津・京都間の逢坂山越えに設置されていた「車石」です。車石は、文化2年(1805年)、脇坂義堂の提案により、近江日野商人の中井源左衛門が工費の一部を寄付し、京都三条まで三里(約12km)にわたって荷車の車輪溝を刻んだ石が敷設されました。
文化12年(1815年)初代中井源左衛門の子、中井正治右衛門は瀬田の唐橋(大津市)の再建に私財1000両を寄付し、後の架け替え費用のために2000両を幕府に寄進しています。大正12年(1923年)に橋がコンクリートの橋に架け替えられるまで使われるなどインフラの整備にも尽力しました。 また買い溜め、や相場などは、いつの時代でもしてはならない。人の不自由や難儀を喜ぶ不実な商いだからだ。たとえこのようなやり方で利益を挙げても、本当の利益とは言えないし、いつまでも続くものではない」と戒めています。
商人にとって何より大切なのは信用です。信用のもととなるのは正直です。「正直は人の道であり、若い時に早くこのことをわきまえた者が、人の道にかなって立身できる」と近江商人は説いています。
現在の商いと違い、「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方よしの経営を心掛け、常に「公」の精神を貫いた近江商人。
日本的経営が世界を席捲した時代もありました。
近年その風潮も退化し多くの企業が存続さえ危うい状態にありますが、先人の教えを連綿と受け継ぐ、今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引くものは多い。
近江商人発祥の地は、一般に近江八幡、日野、そしてここ五個荘といわれます。天秤棒をかついだ一介の行商人から豪商へと成長した、たくましい商魂をもった近江商人。商才を縦横に発揮した大商人の理念には、永い商売の実践を通じて会得した信念が見られます。
現世の企業のように、道徳観なき企業経営ではなく、「公」の精神を貫いた先人に学ぶことは多いはです。
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