日本の感性をよみがえらせよう

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沖縄のこととなると沖縄以外の日本人の多くはマスコミの受け売りで、その報道のままを真実と思っている人が多いかもしれません。米軍基地問題も沖縄県民の全てが反対しているように思わされ、集団自決も日本軍の強要が「あった」と思わされ、毎回何かあると大きな集会が開かれて沖縄の人たちの気持ちを踏み滲むようなことはしてはいけない、・・・。 などと思ったらあなたは詐欺にあったと同じです。
しかも、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」のような左翼作家の虚構の本が、今やすでに真相が証言されているにもかかわらず訂正もされずに販売されているのです。
真実を語る歴史的良書は絶版にされても、こういう左翼の悪本はいつまでも販売され続けています。
そして、「琉球新報」や「沖縄タイムス」のような左翼マスコミが大手を振って偏った報道を流し続けていることこそ沖縄の不幸であります。
思うに、沖縄こそ「言論の自由」もなく「思想信条の自由」もない違憲な県であるかもしれません。
日本の国益に沿うようなことを主張したり、正しい歴史を言うと、強硬な言論弾圧に遭い、中には退職にまで追いやられ職を失ったり、身の危険さえもあるともいわれています。
 
平成231227日、防衛省がまとめた「辺野古評価書」の運送が沖縄県庁前で左翼反対派に阻止され引き返しました。これは民主党政権のお粗末さも原因でありますが、この左翼反対派のやっていることはまともではありません。またそれを援護するような「琉球新報」や「沖縄タイムス」も異常です。
国のやることを左翼の反対闘争や第三国の圧力で捻じ曲げられること自体おかしいのです。
反対派は200人との反日マスコミ報道でしたが、どう見てもそんなにはいないのではないか。彼らの報道はもはやまともには受け取ることは出来ません。
 
沖縄反日左翼マスコミの援軍のもと、左翼反対派は勢いづいて、行政をもまともに機能させなくしたり、言論を封殺したりと、違法な状況が当然のごとく行われているのです。
これが沖縄の姿なのです。いや、日本の現状なのであります。
 
さて、ここに沖縄の真実を知る大変よい本が出版されました。左翼作家・大江健三郎の「沖縄ノート」に対して、「新・沖縄ノート」として『誰も語れなかった沖縄の真実』(著者:恵隆之介)です。
 
沖縄在住の著者であるからこそ沖縄の真実の姿が書かれております。
恵さんは「序」で「左翼に絶対屈するなと激励された」と書いています。
また、「私は殴り殺される覚悟で本当の沖縄を書いた」ともあります。
もはや沖縄の真実はマスコミでは知ることは出来ません。
12月に出たばかりの本なので内容は書けませんが、当然私も知らなかった沖縄がここにありました。
これぞ「真実の沖縄ノート」といえるでしょう。
真実を語る著者が殴り殺されないように、多くのご支援をお願いしたいと存じます。
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 
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昨日は靖国神社の放火に対する記事を書きました。
巷では、その犯人は在日韓国人であり、ツイッタ―にこのように書き込んでいました。
「・・靖国神社なんて、世界中から忌み嫌われてる神社、放火したって、誰も悲しまないだろ!?逆に、世界中がみんな喜ぶよ。俺は英雄」
 
 ”俺は英雄”。
靖国神社に放火して英雄であるわけがありません。
韓国では反日行動をとればとるほど英雄気分になると言いますが、こういうのを愚かな馬鹿者というのです。
 
真の英雄とは、お国のために、たとえ負け戦であるとわかってはいても、赤誠の命を投げ出して、お国のために尽くすことであり、この誰にも簡単に出来ない尊い自己犠牲の精神こそ誠の英雄たるものであります。その我が国の英雄たちが死して会おうと言いあったのがこの靖国神社です。
もし放火の犯人が在日韓国人であり、本当に英雄になりたければ、自分の同胞たちを飢餓や弾圧、拷問、さらには獄死させ、非人道的に苦しめている独裁者・金一族の北朝鮮に対して命を捧げて戦うのが真の英雄たる道であります。
靖国に火を放って、すぐに逃げ出して隠れているような小者が英雄であるわけがないのです。
 
日本統治時代を生きた韓国人が書いた著書『日本統治時代を肯定的に理解する』という本があります。
その中には今の反日韓国人が主張することと全く違うことが書かれています。
「日本統治時代に生まれ、数え年二十歳で終戦を迎えた者として、この世を去る前に率直な心情を書き残したい気持ちで」書いたものであると「序」の部分に書いてあります。
台湾も、朝鮮も日本の統治を知る世代は日本の”ありがたさ”を肌身で感じて理解されています。
そして、日本の統治時代を知らない世代の韓国人が、ありもしないことで日本を攻め立てるのはやがては韓国自身が困ることになるはずである、と指摘しているのです。
この著書の中に、「阿川弘之氏『特攻隊のまぼろし』を読む」と題した部分があります。
今回の事件とかさねてみると見えてくるものがあります。
・・・・・
 
まず、「特攻隊のまぼろし」を一部引用させてもらおう。
初老に近い中年男たちが、七、八人、ビールを飲みながら国際問題を論じている。
大学教授、新聞記者、綜合雑誌の編集長、会社顧問の自衛隊OB、大物議員の元秘書、職種経歴はさまざまなれど、ある意味でみんなそういう問題の専門家、世代としては、日教組最も華やかなりし頃、初等教育を受けた世代に属し、直接の戦争体験はもっていない。(中略)
「みんな」の中に一人だけ、第二次大戦に従軍した爺い、つまり私(阿川)が混じっていて、新しい国際関係論なんかよくわからないから、黙って聞いていたら、話が台湾のことに及んだので、ちょっと口を出した。(中略) そのへんから、台湾の将来について議論が白熱化してくる。李登輝さんはじめ台湾の人たちが、半世紀かけて築き上げたあの蓬莱(ほうらい)の島を、北京(中国共産党)の方で、これ以上もう待っていられない、「武力解放」すると言い出したら、我々(日本人)はどうするのか。台湾人は正直な話、「一つの中国」なんて望んでいやしない。(中略)
日本の統治時代に入って以後、台湾では日本流の近代化が行われ、日本流の生活様式が取り入れられた。押し付けだったにもかかわらず、彼らは今尚それを高く評価してくれているし、さらに大きく発展させている。その、大陸に先んじて近代化し、大陸よりはるかに自由で豊かになった台湾人の生活を、武力で奪い取る動きが起こった時、アメリカはすぐ海軍を出動させるだろうが、日本政府は例によって、曖昧なこと以外も言えず、何の実際的援助も出来やしない。そんな政府のむ方策に準じて、我々も知らん顔していいのか。
「小生、はばかりながら、国際的にはこれでも退役ジェネラルなんだ。台湾空軍のF16を一機貰い受けて来る。A君、お前テストパイロットだったんだから操縦桿握れ。B君、君は台湾問題に情熱を傾けた国会議員の元秘書だろ、俺の席の横にもぐり込め。三人で中華人民共和国海軍のミサイル艦に突入、特攻戦死して、せめてもの日本男児の心意気を世界に示そうじゃないか」(中略)
私は、どんな面から考えても、先の大戦末期の特攻戦法を容認出来ない。この放談も、もし本気なら受け入れかねるお話なのに、聞いているうちに涙が出て来た。(中略)
日本の対米戦争に則して言えば、戦争の悲惨を一番痛切に味わったのは、ガダルカナルその他の島で餓死自決した陸海軍将兵と、特攻隊に編入されて出撃し、還ってこなかった若者たち、及びその遺族だろう。
ただし、彼ら無念の魂魄がこの世にとどまっているとして、
「戦争は悲惨だから、いたる所に涙の種をまき散らすから、祖国よ、どんなことがあっても二度と武器をとるな。日本を除いて、世界には平和愛好国ばかり、誰に何をされても見て見ぬふりをしてろ」と訴えるかどうかは疑問である。
この五十四年間、彼ら、特に特攻隊員の「死せる魂」は、祖国の経済的な復興ぶり、世相人心の移り変わり、少年少女のお作法、一部の人の護憲平和運動を、多分、小首をかしげる思いで眺めて来た。
「若い命がいかに大切なものか、それを捨てさせられるのが、自分にとっても家庭にとってもどんなにつらい悲しいことか、我々、身にしみて知っている。あんたたちの観念論とちがうんだ。しかし、国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている。いつまで羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いているのかね。生き残りの皆さん」と言いたいのを、黙してずっと語らずにきた。
それが、今日は驚いたろう。戦後生まれの日本の子供、いや中年男三人、隣邦を救うため、特攻を口にしはじめた。これはこれはと、彼らの頬に、戦死後初めての静かな笑みが浮かんだのではあるまいか。
そう空想したら、涙が出て出て止まらなくなったのであった・・・」
 
朝鮮動乱が起こった1950625日当時、僕(著者)はソウル大法大四年に在学中だった。
628日にソウルが共産党軍に陥落してから家族とともに楊平に疎開し、10月、ソウルの修復と同時に復帰、すぐ陸軍通訳将校に志願入隊。
短期訓練の後、12月に任官して547月まで満39カ月、軍に服務した。
この朝鮮戦争で、韓国軍415千人と、米軍33629人、その他連合軍約36百人が戦死した。
これらの犠牲の上に韓国は共産侵略を免れ、曲がりなりにも今日の自由と繁栄を築きあげたのだ
今、韓国や国外に住む韓国人とその子孫は、すべて自身が有能なるがゆえにこれだけの水準に達したと思うであろうが、もしこれらの犠牲なくば、今は全て金正日のバッジを胸につけ、彼の独裁の下に恐怖と飢餓におののくか、あるいは既に飢え死にしたであろう
 
僕は19537月の休戦協定以来、今に至るまで、韓国国民最大の課題は韓国の民主化、次が北朝鮮国民を共産独裁の苦痛から救い出すことであると信ずる。
北にある我が数千万の同胞は、いわば左翼独裁集団に拉致され、人質として首根っこを押さえられている状態なのに、金大中政権は太陽政策なる名分を振りかざして彼らに大量の食料と肥料を与えている。
人民は依然として飢えて死ぬのに、政権は益々太っていくのは実に見るに堪えない。これは北朝鮮の人民にとって日本統治35年の圧迫をはるかに上回る精神的苦痛であり、物質的悲劇である。
 
韓国は、北朝鮮が国境線に並べたミサイルに怖じけづいたのか「戦争は悲惨なもの。どんなことがあっても避けねばならぬ」と、いきなり平和の天使と化した。政治家も一般国民も正義感に欠け、卑怯なのだ。同胞愛のかけらも見当たらない
拉致犯に首根っこを押さえられている同胞を救うには、軍に相当の犠牲があろうとも戦わねばならぬ。しかるに韓国軍のやっていることは何か。極端な不正腐敗に兵務非理、現役勤務将校兵らの間に原因不明の事故死が続出するありさまは何たることか。
「国はいつか、悲惨な覚悟で戦わねばならぬ場合がある」という話に、僕は全面的に同意する。
そして今の韓国こそ、まさにそういう場合であると信ずる
 
かつて朝鮮の若者たちも特攻隊に参加した。当時、朝鮮は日本に合併されて35年経った時点であるから、彼らの一部は日本人と同じ気持ちで、祖国に奉公する一念で、滅私奉公を遂げたのであろう。またその中には日本の国民たるを意識して、こうして日本のため一身を犠牲にすることは、朝鮮人の社会的地位を高めるためになるとして、身を挺した者があったかもしれない。
僕は洋の東西、時の古今を問わず、自国のためと信じて戦場に狩りだされ、命を賭した全ての国のすべての若者に、最大の敬意と同情を捧げる。その中でもこの特攻隊の、死ぬと知りつつ敵に突っ込んだ犠牲精神に対し、僕は言うべき言葉を持たない。・・・
  
ここには多くの言葉を要しないでしょう。
そして、今の日本人にも思い当たる部分はあるはずです。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

靖国神社の神門に油がまかれ、放火されたとの話を聞きました。すぐに消し止められ、大事には至らなかったという話ではありますが、非常に怒りを覚える仕業です。ネットでは、放火を予告する在日外国人らしき書き込みもあったというはなしです。
 
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靖国神社は日本の国を命をかけて守ってきた先人の御霊を祀る神社です。この神社に放火するなど、もしそれが外国人の仕業ならば、いかに日本が舐められているかということではないでしょうか、また日本人ならば、戦後の自虐史観がどれだけその精神をいびつに歪めているかということです。

民主党政権になってから、一度も閣僚が靖国参拝したことはありません。自民党政権の時ですら、中国韓国に配慮だか遠慮だかして、終戦の日に靖国参拝を首相がしなかったのが日本政府です。自国の英霊に堂々と参拝できないような国が、どうしてその英霊を祀る神社の権威を外国人に示すことができるでしょうか。もし国をあげて、靖国神社を大切にしていれば、たとえ反日の外国人でも、あるいは日本人でも、このような所業は行い得なかったと思います。

これは、戦後もうすぐ70年になろうとするのに、いまだにあの東京裁判史観に、日本人が呪縛され続けていることのあらわれではないでしょうか。本来は国家護持すべき靖国神社を、まるで軍国主義の象徴であるかのように、日本人自身が忌避し、一部の保守思想の人々のみの参拝で、多くの日本人は自分とは全く関係のないものとして無視しているのが現状です。

外国では、こうした国のために亡くなった兵士を祀る施設は、国家が実に丁寧に維持しており、国をあげて慰霊が行われているといいます。国民もこれらの自国の兵士の御霊に誇りと尊敬を持ってお参りします。

このような先人への誇りと尊敬が我が国では得られないのは、敗戦後の占領軍による、極東軍事裁判で、戦争そのものの責任者、指導者を戦犯として裁いたことによります。これは満州事変から大東亜戦争までの17年8ヶ月に及ぶ期間の指導者百名以上の中から28名が被告に指定され、審理が行われました。

この裁判の基準となる”極東国際軍事裁判所条例”は、いかなる国際法にもない恣意的なものであり、遡及法(事後法)というべき、法治主義においては禁忌の法をもって裁いたのです。だから、東京裁判は勝者が敗者を裁くという歴史上いまだかつてない裁判といわれ、連合国による復讐裁判であり、さらには日本人を洗脳するためのプロパガンダとしての道具であったのです。

占領軍はこの東京裁判の儀式によって、巧みな言論統制を使いながら、二年六ヶ月という長い歳月の間に、416回もの公判を開き、次々と罪状を暴き立て、平和と人道に対する犯罪として、さらには人類の文明に対する犯罪としてきめつけ、抗弁することもゆるさず、「侵略戦争」という烙印を押したのです。大東亜戦争という日本人の側からの戦いの呼び名も太平洋戦争と呼ぶように強制されました。これによって、敗戦の虚脱状態にあった日本人は、大きな衝撃を受けて自虐史観という傷を心に負うことになりました。

しかし、本当に侵略をしたのは、欧米列強の方ではなかったでしょうか。アフリカ人を奴隷として、人間として扱わなかったのは白人です。アメリカ大陸で多くの現地人を少数民族になるまでほとんど根絶やしにしてしまったのは白人です。アジア、アフリカを植民地にして、過酷な支配をしたのは白人です。彼らは白人は生物の頂点にあるとして、その下の有色人種以下すべての生物を支配する権利を持っていると信じていました。

そんな白人の植民地主義を打ち破って、大東亜解放の戦争を行ったのが日本です。左翼言論人はそれは単なる結果論であって、日本も植民地主義で白人と同じであったと言います。

しかし単なる結果論で、あくまで戦争を行ったことは絶対に悪かったと、それで片付けていいような当時の世界だったでしょうか。

たとえ百歩譲って結果論であるとしても、当時の植民地支配の白人支配の世界を、もし日本が大東亜戦争を行わなかったならば、その解放はなかったのではないか、あるいは解放がどれだけ遅れていたか。それは人類の大きな悲劇であり、どれだけの有色人種が一方的に酷使され、一方的に殺されて、地獄の日々を生きなければならなかったでしょうか。

この解放に立ち上がることのできた国は、アジアで唯一未だ嘗て植民地支配を受けたことのない日本にしか出来なかったことは明白です。

植民地支配は過酷で、多くの植民地では現地人は教育も受けられず、歴史も文字も失ってしまった国さえありました。もちろん戦う武器だってありません。近代国家に立ち向かうには、武器を持ち、訓練された軍隊でないと、単なる現地人の暴動ではすぐに鎮圧されてしまうでしょう。また長年の支配から、白人にはかなわないという諦めの意識が出来上がって、気力も失っていました。

日本は開戦をなるべく避けようと努力しましたが、ルーズベルト大統領の陰謀で日本が戦争に引きずり込まれたことは、今や公開されたベノナ文書で明らかです。

開戦した日本人は、大東亜解放を旗印に戦いました。この大東亜解放の旗印を単なる国民を騙すための旗印だとか、日本も欧米と同じ植民地主義にすぎないとかいう人は、この事実の世界史上に於ける意義をあまりに軽視しているのではないでしょうか。

開戦後の勢いに乗って、現地で一時的にせよ白人を駆逐し、その後の現地を支配した日本が、現地人に教育を施し、現地人に防衛のための軍事訓練を施し、国の経営の仕方を教えたことをなんと思っているのでしょうか。

この訓練が日本が敗戦したあとの、現地の独立運動を支えたのです。また有色人種であり、体格の小さい日本人が白人を駆逐した事実は、現地の人々に大きな希望をもたせ、自分達にもできるという自信を与えたのです。さらに敗戦が決定的になった日本は武装を解除する口実で、現地人にこっそり武器を渡しました。また一部の人々は現地の人と独立運動を一緒に戦いました。これらの事実は、世界史上、大きな出来事です。

これを、たまたまとか、結果論などと言ってしっかりと認識しないことは、世界平和だとか、人権とか言いながら、本当の平等思想も、アジアへの共感も持たない机上の空論にすぎません。

戦後、多くのアジアの国々が独立していき、さらにはアフリカも独立して行きました。このきっかけが大東亜戦争であったことは間違いのないことです。

だからククリックド・プラモード氏 (タイ国元首相 )も

「日本のおかげ でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米 英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの 重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

と言ってくださったのです。多くのアジアの人々がそのように思っているのです。実際に多くの日本兵は、心底それを信じて戦った人は多かったのです。

もし天の意思というものがあるならば、まさに日本はこの有色人種の解放を使命付けられた国であったでしょう。そして、白人を駆逐した後、現地人を訓練し終わった日本は、敗戦というかたちで、撤退することにより、現地の国々がみずから起ち上がり独立を果たすというシナリオを、考えたと言わざるをえません。

アジアを解放し目的を遂げた日本は、みずからは敗戦の傷を負ってしまいますが、この大東亜戦争で、植民地を失った欧米が本当に勝者かといえば、その戦勝の目的が達せられなかった国々ですから、目的達成の意味でいえば、真の勝者は日本かも知れません。

今こそ日本人は、もう一度大東亜戦争の意味を見直し、東京裁判史観を脱却するべき時です。左翼政党社会党の後継というべき民主党のこの土下座外交は、東京裁判史観の結実したものです。

戦後まるでわが意を得たように左翼社会主義者が言論界マスコミ教育界と牛耳って来ましたが、彼らの理想としたソ連や中共が、どれだけ大量の人民虐殺を行ったか、あるいは日教組の信奉する北朝鮮がやはり人民を虐殺し搾取し、我が国の国民を拉致してきたことをどう言い訳するのでしょうか。

日本軍を糾弾しながら、社会主義を理想とする人々のこの矛盾、民主主義と言いながら、実は社会主義の信奉者たちの、日本解体の意図を実現させてはなりません。一刻もはやく、東京裁判史観を脱却しなくてはなりません。






靖国神社へ放火

 
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                            (台湾 阿里山)
・・・・・・
26日午前4時10分ごろ、東京都千代田区九段北の靖国神社で、「門に火がつけられた」と警備員の男性から110番通報があった。警視庁麹町署が調べたところ、境内にある神門の一部が焼けていたが、警備員がすでに消火器で消し止めており、けが人はなかった。境内の防犯カメラに、男が火を付けるような様子が写っており、同署が放火容疑で調べている。
同署によると、神門は第二鳥居と本殿などの間に建てられている門で、木製の扉が幅約数十センチにわたって焦げており、油をまいたような跡があったほか、近くに灯油を入れていたとみられるカップ酒の容器2つがあった。防犯カメラの男は黒ずくめで、110番通報の直前、神門に液体をまき、火を付ける様子が写っていた。
インターネットの簡易ブログ「ツイッター」上には、外国人問題に関連して「靖国神社を、放火してやろう」などとする書き込みがあり、同署が関連を調べている。(2011.12.26 産経新聞)
 
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靖国の神門に火をつけたという信じられないことが起きました。
場所をわきまえない暴挙であり、一歩間違えれば大惨事でありました。
この神門はかつて統治していた台湾の阿里山の樹齢1000年と言われる巨大檜でつくられたものです。
また、その阿里山には日本の統治時代から日本の桜が移植されて、今では桜の名所となっています。
日本と台湾を結ぶ“証”でもあるのです。
 
間違った歴史観で日本を悪い侵略国だという考えからなのか、記事のように外国人問題なのか、
それはわかりませんが、靖国神社に放火など、日本の歴史を“正しく”理解できれば絶対に出来ないことです。
我々日本人の感覚からすると、たとえ非人道的な原爆を落とした恨みあるアメリカに対してさえ、アーリントン墓地に放火してやろう、とは思わないですし、放火などあり得ないことです。
そこは互いにわきまえるものでありますが、それを理解できない馬鹿者がいるのです。
また靖国で暴行事件を起こす台湾の高金素梅のような輩もいるのです。
 
靖国神社という日本人の魂のよりどころはこのままではいけません。
今ある我が国・日本を命を捧げて護って下さった方々のためにも、靖国神社は国家護持すべきです。
お国のために亡くなった方々を国が護持するのは当然の責務であります。
この当然のことが出来ない日本政府にも怒りがこみ上げてくるものです。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

サイタニのブログの竹田恒泰著「皇族たちの真実」よりの、つづきです。

直系や近親に男系男子がない場合、たとえ遠くとも、傍系から男系男子を皇位継承者にする方法が取られるのが、不変の法則でした。

これはある意味、直系に於いて、皇位継承の皇子が幼少に無くなる、或いは若くして亡くなることなどが続いていたりする場合も多いようですから、これによってある種の遺伝的なもの、あるいは体制的なものなどが、傍系に移ることで、刷新されて、健全化する効果があったのではと、私は思います。

光格天皇は、傍系として軽んぜられているという事を幼少ながら感じ取っておられたらしく、理想的な天皇像を追い求め、それを立派に演じよう、という志を強くお持ちだったようです。光格天皇を案じた先々代の後桜町院は天皇に学問を熱心におすすめになり、その助言に従って、光格天皇はよく努力されました。一七歳では近臣の補弼を得ながら、自ら朝廷の中心となって、政務を取り仕切っておられたようです。この点も、この時代の数代の天皇とは異なっていました。

そして、この光格天皇の理想の天皇像を追求され、時には幕府にも意見を言われる姿勢が、多くの庶民の間で、天皇の権威を高めてゆき、後の大政奉還の基を築いたと思われます。



先帝の皇女を皇后に
 
光格天皇のように傍系から践祚した例は、一二四回繰り返されてきた皇位継承のドラマの中でも継体天皇、後花園天皇、そして光格天皇のわずか三例しか存在していない、いずれも皇室にとって危急存亡の秋であった。

 
ここで極めて重要な点を指摘しなくてはいけない。崩じた後桃園天皇の皇女欣子内親王が光格天皇の皇后とされたことである。これは、閑院宮出身の光格天皇と先帝との血縁を濃密にするための措置にほかならない。

 
新帝は閑院宮から擁立されたが、天皇家を置き去りにすることはなかつたのだ。皇位継承者が不在という局面で傍系から天皇を擁立したことは、皇位を男系継承させ、最も重要な伝統を守ったことになるが、一方で新帝と先帝が遠縁であるという問題を生じさせた。しかし、先帝の皇女が新帝の皇后になることにより、新帝と先帝との間の血縁を一挙に近づけることに成功した。

この方策にはモデルがあり、その先例に従ったものだった。それは継体天皇の例である。皇統断絶の危機の一つとして既に示した武烈天皇から継体天皇への皇位継承のとき、傍系の継体天皇は、武烈天皇の姉で仁賢天皇皇女に当たる手白香皇女を皇后としたことは既に述べたが、光格天皇が欣子内親王を皇后としたのは、この先例に従ったものだった。

 
ちなみに、手白香皇女は後に継体天皇の嫡子たる欽明天皇を出産したことも注目すべきである。それにより現在の天皇家の血筋は手白香皇女を通じて仁賢天皇以前から、また継体天皇の父系を通じて応神天皇以前から繋がっていることになるからだ。



祐宮が選ばれた理由

安永8年当時世襲親王家は四家あり、その中に多数の男子皇族がいた。誰を天皇にするべきかの選考を行なうに当たり、継体天皇を先例とし、先帝の皇女との婚姻が前提、もしくは優先されたと考えられる。すると侯補者はおのずとわずか数名の若年皇族に絞られることになる。

安永8年生まれの先帝の皇女との婚姻を考えると、年齢的に釣り合っている必要があり、また未婚者で、かつ宮家を継承する予定がないことが望ましい。またその頃、宮家の当主とならなかった男子皇族は出家して門跡寺院の門跡となることが慣習であったが、門跡を継いだ入道親王を還俗させるよりは、いまだ門跡を継いでいない若い皇族の中から候補者を選ぶことが優先されたと考えられる。安永8年に御桃園天皇が崩御した時の未だ門跡を継いでいない皇族男子は八方あった。


嘉禰宮(後の貞敬親王(さだよししんのう))は伏見宮当主を、また美仁(はるひと)親王は閑院宮当主をそれぞれ継承する予定があったため、この二人は候補から外されたのではないだろうか。
 
 
また、当時は幼児の死亡率が高いため、少なくとも5歳程度に育っていた方が安心できたと思われる。よって特に幼少の佳宮(よしのみや)、艶宮(つやのみや)、健宮も早い段階で候補から外されたと思われる。
 
すると、残るは閑院宮の公延(こうえん)入道親王、祐宮、そして寛宮の三方となるが、その中で祐宮が選ばれた理由は明確ではない。推論するに、公延入道親王は明和4年一1767)に仏門に入って以来だいぶ時間が経過していたことが懸念され、年齢的な問題で候補から外されたのではないだろうか。
 
 
また寛宮は安永8年3月に召し返しになっているものの、安永2(1773)にいったん梶井門跡を継いでいることが関係しているように思われる。すると、祐宮は門跡を継いでいない皇族の中で適齢であり、この条件を満たすのは祐宮一人だったことになる。
 
 
祐宮以外の侯補は既に門跡となっていたか、もしくはそれが正式に決まっていた。祐宮は将来聖護院門跡を継ぐことが予定されていたものの、その正式な手続きを済ませていなかったことが強く影響したとみえる。

ちなみに、聖護院門跡は後に弟の寛宮が継ぐことになる。さらに、祐宮が最終侯補とされたのは、四つの世襲親王家のうち、最も新しい宮家が閑院宮であったことが大きく作用している。つまり閑院宮は 天皇家から最も近い血筋を引いているのだ。したがって、初めから閑院宮は最有力侯補であったと思われる。このように、傍系から即位する皇族として祐宮が選ばれたことには必然性があった。
 
 
 
近代への礎を築く
 
 
現代人の感覚では、時の 天皇の直系が皇位を継ぐべきだととらえるだろう。しかし、生前譲位や年少天皇が認められない時代や、嫡系継承よりも兄弟継承を優先した時代もあり、皇位継承の方法は時代によって大きな違いがあったことは事実である。

だが男系継承の掟(おきて)だけはいかなる場合にも変えられることはなかった。歴史的に皇位継承の順位は大まかには次のとおりである。
 
1、嫡系男子2、庶系男子 3、男系の傍系の男子 4

中継ぎ的に男系の女子生まれる順序などにより、庶系男子が嫡系男子を差し
置いて即位した例もあるが、基本的にはこのとおりである。
 
 
直系や近親に男系男子があればそれに越したことはないが、ない場合、たとえ遠くとも、傍系から男系男子を皇位継承者にする方法が取られてきた。これが不変の法則なのである。


続く 近代への礎を築く 
 
 
光格天皇が践祚したこのとき、表面上は空位がなかったかのように繕(つくろ)われたが、実際は先帝崩御から新帝践祚までの約一か月間、天皇が不在であったことになる。このように傍系から 天皇を擁立させたということは本家が途絶えたことを意味する。
 
祐宮は傍系であるも、東山天皇の曾孫に当たるため、前出の二例と同様に皇位が異なった家系に移ったわけではないが、光格天皇への皇位継承は綱渡り的な荒技であったことは事実である。
 
傍系から即位した光格天皇は、皇統を繋いだだけでなく、我が国の近代への礎を築く天皇となるそのため、光格天皇の即位は極めて重要な意味を持っといわなければならない。
 
光格天皇は安永8年に8歳という幼さで天皇の位に就き、後に譲位するまでの38年間在位した。この在位期間は 昭和天皇の64年、明治天皇の46年に次いで三番目の長さに当たる。

光格天皇は譲位後も更に23年間院政を敷いたため、通算62年間君臨したことになり、その長さは実質的には昭和天皇に匹敵する。光格天皇は歴代の天皇の中でも特に理想的な天皇像と君主意識を明確に持ち合わせた天皇であつた。幕府の勢いに陰りが見え始め、維新への足音が聞こえ始めた時期である。
 
そして孫の孝明天皇が日本史上極めて重要な時期に 天皇として大活躍するための確固とした基盤は、既に光格天皇がつくり上げていた

光格天皇は間接的ではあるが、後の明治維新に多大なる影響を与えたのだ。 光格天皇が崩御したとき、後に孝明天皇となる孫の統仁(おさひと)親王は9歳でああったが、光格天皇の気概は確実に孫に受け継がれていた。
 
また光格天皇は崩御の後にその功績を称えて「光格天皇」という天皇号が贈られたことには注目すべきである。当時は 天皇が崩御すると院号が贈られるのみだったのだが、数百年ぶりに天皇号が贈られたことで日本中が驚かされた。
 
天皇号が贈られることの意味は、このようにさらりと書いてしまうと分かりづらいが、実はこのことは朝廷にとって、いや日本の歴史にとって大事件であった。
 
先帝が崩御あそばされた後に「昭和天皇」と天皇号が贈られたことは読者もよく知っていることだろう。このように天皇が崩御した後に「何々天皇」という天皇号が贈られるのは現在では制度として確立しているが、光格天皇が崩御した時代は、天皇は崩御後「何々院」と称されるのみであった。
 
例えば後鳥羽上皇が「後鳥羽院」、白河上皇が「白河院」といった具合であり、「何々天皇」と称されることはなかった。遡(さかのぼ)れば平安時代中期の 村上天皇以前は天皇号が贈られていた。しかしその習慣は以降約900年間の長きにわたって中断されていた。
 

光格天皇に天皇号が贈られたことは、その偉大さを象徴するものであり、光格天皇の人生の総決算となった。



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