日本の感性をよみがえらせよう

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益良雄とその娘

前回の続きです。

 文久二年二月十二日の夜、真木和泉守は幽閉の地、水田村を出て残雪の道を本村上野へと急いだ。再会期し難き妻子と訣別し、かつは後事を托するためであった。すでに藩の密偵が和泉守脱藩の恐れありとして、ひそかにその動静を窺っていたので、妻子との面会の場所は、慎重に打合せてあったのである。

 まず次男主馬(しゅめ)を、ひそかに水田の幽居に呼んで、「汝は父にかわって水天宮神職の家を護れ。しかしわが脱藩するときは、藩は真木家の神職を取りつぶすやもしれぬ。このことを覚悟して、最後まで汝の母に孝養を尽くせ。またもし、京都に一大変動が生じたならば、汝はわが藩を説いて勤王のさきがけたらしめ、有馬藩主に随って上洛せよ」と言い残した。思うに、主馬はあまり身体が強健でなかったので、このことも考慮した上での父の遺命であった。

 また実弟の真木外記を招いて、上野にある外記の家を妻子との永訣の場所と決めた。老齢の母、柳子(りゅうこ)とも最後の別れをしたかったが、久留米水天宮のわが家のある城下に入ることは監視のきびしい中では叶わず、万一捕吏などが襲ったら老いの身に受ける衝撃が心配でならないので、ついに母との面会を断念し、実弟登のいる太宰府天満宮の小野加賀の家に母を移して後難を避けることに決した。

 末子、菊四郎は父に従って脱藩し、天朝にいのちを捧げる。さらに、実弟、水田天満宮の神職、大鳥居啓太は三男の管吉と甥の宮崎土太郎とを従えて和泉守よりもさきに逃亡して京都にのぼる。なぜというに、大鳥居啓太は兄、和泉守の身柄を藩命によって預っている者であり、その兄が法を破って脱藩することを許したとなれば、処刑されることは火を見るより明らかであるから、神職の仕事にかこつけて一足先に脱出して京都に赴き、兄の上洛を待ってともに義挙に加わることに決意したのであった。

 その他、十数年のあいだに和泉守のもとで学んだ門下生の青年たちが、目立たぬように脱出して、三々五々京都にのぼり、薩摩の藩主、島津久光が大軍をひきいて上洛する日に備えることとした。その軍のなかに和泉守の一行も加わるという手筈になっていたのである。

 薩摩の勤王派とは十分の連絡がとれていた。しかも、京都の田中河内介が青蓮院宮の密旨を奉じて島津久光に向かって倒幕の命を伝えることになっていたのである。いよいよ時が来たのだ。宮様の密旨を奉じた田中河内介は途中、久留米水天宮を過ぎ、和泉守に密旨の趣を伝えることになっている。いよいよ倒幕の時が来たのだ。一族郎党、天朝のため忠に殉ずべき時がきたのだ。万般の準備はすでに成った。いまや、当面の問題は監視のきびしい有馬藩をいかにして脱出するかという一点だけである。

 和泉守は無量の感慨を胸に秘めて、妻睦子と娘小棹の待つ上野の真木外記の家へ向かった。

 夜道に残雪が点々と光っている。あたりに気を配りながら和泉守は行く。一歩は尊く、一歩は嬉しく、さらに一歩は悲しい。天朝のためと思えばこの一歩は限りもなく尊い。勇躍して国の危機に身を挺すると思えば今踏み出すこの一歩は限りなくも嬉しい。そうして、君が代の安けかりせば愛する者とのかような生別もなかろうものを、刈菰の乱れし世を思うにつけて、この一歩は限りなくも悲しい。

 

 外記の家では、かねて打合せた通り睦子と小棹が待っていた。じつに久しぶりの対面であった。「わが志はかねて汝らのよく知るところである。いまわれらの為さんとするのは、幕府を倒してわが国を神武の古えに復(かえ)すにあり、事成らざる時は、恐らくはわれらは磔刑に処せられ、その罪は九族に及ぶであろう。このことを、汝らはしかと覚悟しなければならぬ」

 和泉守の目に、きらりと光るものがこぼれおちた。わが身の幽閉されて以来、十年のあいだ、妻の労苦はいかばかりであったか。そうして今ここに会う一夜が、今生の別れになるかも知れないのである。

 ありがたいことに、妻は夫のかねての志をよく知っていた。主馬や菊四郎の口ぶりから、およその覚悟もできていた。少しも取り乱した様子を見せず、しずかに首をうなだれて、彼女は涙をこらえた。そこには、わが日の本の夫婦というものの、魂の限りなく美しいつながりがあった。

「よいか、罪が九族に及んで辱めを受けるようなことがあれば、女とはいえ代々神に仕える真木家の者であることを忘れず、いさぎよく自害するがよい。真木家に伝わる左文字吉光の短刀おのおの一振を汝らに授ける。これをふところにして、身を処すがよい」

 睦子は、ただ黙ってうなずいた。

「啓太は一足先に出発する。菊四郎はわしが伴れて先ず薩摩に入り、ついで京都へのぼって倒幕の義挙を決行する。再会は期し難い。心して、菊四郎と別れを惜しんでくれよ」

 このとき菊四郎は数え年の十九歳だった。睦子は夫だけでなく、最愛のわが子をも失う覚悟をしなければならなかった。我らの先哲古人がどれほど高い魂の位にいたかは、まことに思いも及ばぬほどである。維新回天のため家を出た志士たちの中には、親や妻子に何ごとも語らず、心のうちに泣いてひそかに別れた者も多いが、わが真木一族はそういう別れ方ではなかった。さすがに楠公祭を絶やしたことのない真木家であった。楠公一族と同じように、天朝にいのちを捧げることは、ただ一個の益良雄の志ではなくて一家一門全ての志だったのである。

 このとき小棹は、喜びを顔いっぱいに輝かして、「お父様、お父様の御出陣を祝って、はなむけの一首をさしあげます」と言い、しずかに次のように詠みあげた。

 

 あづさ弓 春はきにけり ますらをの 花のさかりと 世はなりにけり

 

 和泉守は莞爾としてうなずいた。いかにも嬉しそうであった。これ以上のはなむけは、世にあるべしとも思えないのであった。狂瀾怒涛の国難に、いまや天下の益良雄たちが、あちらにもこちらにも競い立ち、万朶の桜が咲き出すように、わが父を先頭に「花のさかりと、世はなりにけり」というのだ。なんというけなげな乙女の心であろう。

 その夜は上野の外記の家に妻子三人は泊った。夜が明けると、和泉守は睦子に向かって、次のように言った。

 「もしわれらの義挙が孤立無援、ついに失敗すると聞いたら、小棹とともに家伝の秘書を抱いて南にのがれよ。南は肥前、肥後及び薩摩である。ここには多くのわが同志がひそんでいる。彼らに向かって、わが年月の孤忠をうったえて天下の志気を鼓舞せよ。かろがろしくいのちを捨てるのみが道ではない」

 こうして言葉に尽くし難い悲壮な妻子との一夜は終り、和泉守は水田に帰って行った。妻と娘は、これ今生の最後の夫の、父の姿かと、遠ざかり行く和泉守を見送った。

 越えて十六日、それは和泉守が捕吏のかこみを破って白昼堂々と久留米藩を脱出した日であるが、平野次郎国臣が連絡のために久留米水天宮に現れた。主馬が応接した。

「父、和泉守は本日逃亡、薩摩に向かいました」と主馬が言うと、平野次郎は喜色満面、「時がきた」と言って天を仰いだ。

「平野殿、妹の小棹がこんな歌を詠んで、父和泉守におくりました」

 主馬はこう言って、「あづさ弓 春はきにけり ますらをの 花のさかりと 世はなりにけり」の一首を示した。

 平野次郎は、はらはらと涙を流した。そうして紙と筆とを乞い、次の二首を真木家にとどめて立ち去ったのである。

 

 ますらをの 花さく世とし なりぬれば この春ばかり 楽しきはなし

 

 数ならぬ 深山桜も 九重の 花の盛りに 咲きはおくれじ

 

 思うに平野次郎は、しばしば真木家を訪ねて天下のことを議するうち、いつしか小棹と相思の仲になっていた。しかし、二人はついに心の中を打ちあける機会とてなく、やがて平野は生野の義挙に捕えられ、京都六角の獄において獄卒に惨殺されるのである。

 

 見よや人 あらしの庭の もみぢ葉は いづれ一葉も 散らずやはある

 

 これが平野の辞世であった。あわれに、はかない二人の恋であった。

 

 薩摩の大阪藩邸、いわゆる二十八番長屋は、後に勤王の志士の集合の場所になったが、ある日和泉守を中心に志士たちが倒幕の方策を議している最中、薩摩の志士、有馬新七がつと立ち上がって、「真木先生の御息女より、只今たよりが届いて候」と言って、「あづさ弓 春はきにけり ますらをの……」と朗々と詠みあげた。一座の志士はこれを聞いて感動し、しばし言葉もなかったと伝えられている。有馬新七は平野次郎からこの歌を伝え聞いていたのだ。

 ちなみに、この一首は土佐の志士、宮地宜蔵の編した『歎泣和歌集』に「父の門出を送る」と題して収められ、わが日の本の乙女のけなげさを讃えて後代に伝えた。

 あはれ、あしびきの、やまとのくにの、妻と乙女は、すめろぎに、仕えまつると、いさみ立ち、わがやをあとに、いでてゆく、ますらたけをを、ことほぎて、花さく世とぞ、たたえつつ、かなしみにたへ、くすしくも涙をおさえたのであった。

 かくて、この日、二月十二日、和泉守の実弟、大鳥居啓太は、さきにしるしたように三男管吉と甥の宮崎土太郎を従えて、和泉守に先立つこと四日、京都をさして水田天満宮のわが家をあとに旅立った。兄和泉守と生死をともにせんと悲壮な決意を以て、妻の琴柱(ことじ)と子供らと永い別れを告げたのであった。



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