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日の丸と君が代

 戦国の世を統一した秀吉も、信長も、将軍家の権力の府である幕府を敢えて作らなかったのは、皇室への尊崇の念からであったと書いてある古い雑誌があった。幕府は源氏の血筋でないと作れないという話を山岡荘八だったかの小説で読んだ気もするけれど、あるいは、秀吉などはそのような気持ちもあったのかとすこし思う。その雑誌の記事を読んでみた。
 
 学校の教育方針の大綱を示した学習指導要領に、国旗の掲揚と国歌の斉唱が明記されたのは、ごく近年のことである。
 「…祝日の意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し国歌を斉唱させることがのぞましい」がそれ。近頃の建国記念の日に反対派が叫ぶ“一連の右傾化”の背景には、このことがある。
 日の丸が国旗として布告されてからは、百三十年にすぎないが、日の丸そのものの歴史は遥かに古く、天武天皇の大宝元年(701年)に朝賀の儀に用いられたことが『続日本紀』に見える。国旗制定の当初は、軒端に「日章雛形を連ねるなど、濫用の気味があるとて、「御祭日御祝日に限り」差し許すといった盛行ぶりであった。
 現在日教組は、日の丸は肯定するが、「君が代」には反対とか。そして、新しい“国民の手による国民の歌”を作ろう、という。「君が代」は君(天皇)一人の繁栄を謳ったもので国民感情の反映ではない、という考えらしい。
 戦国の世を統一した秀吉も、信長も、将軍家の権力の府である幕府を敢えて作らなかったのは、皇室への尊崇の念からであった。秀吉の前の室町時代は下克上で、皇室が式微の極に達したといわれるのであるが、こういう時代、世間の人々の意識の反映は文学によく表れる。猿楽の能を例にとると、それは室町将軍が初めて観る以前に社寺と一般民衆が支えてきたもの。謡曲『弓八幡』は、「御代も栄ゆる男山」の登場歌で始まるが、シテの老翁もこう謡う――
「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむす、松の葉色も常盤山、緑の空ものどかにて、君安全に民敦(あつ)く……」
 御代を讃え、一君万民一つ日本国をうたった謡曲は数多い。『御裳濯』(みもすそ)『高砂』『武生島』『白鬚』…またこの時代の琵琶の曲『蓬来山』にも「君が代」がある。
 室町時代の前の鎌倉時代にも、白拍子は「君が代」を歌って、舞った。更に古い平安時代に成立した『古今集』に、“読人知らず”の「君が代」が歌われているのはあまりにも有名。
 なお遡ると、興福寺の延年舞は、山伏たちが大和吉野を始め陸奥(みちのく)にまで広めたが、その中にも「君が代」がある。
 日本の歴史は、何回かの幕府政治、専断、武断を経て来たが、その節目やピンチに、己一己では治め難く天皇の治徳を借りてきた。膝下の日本だけではなく外国人さえも。マッカーサーの占領統治にそれを見る。天皇を排除することで起るであろう擾乱に、マ元帥は思い至ったのである。
 天皇は“国民が養っている”“国民感情の圏外にある”どころか、事実はその逆である。因みに統計上、国歌「君が代」に“不快感を感じる”は3%(昭和49年「共同」の調査)
 何事も、“昔は昔、今は今”?滅相もない。昔を――舌頭だけで――いとも簡単にちょん切れるのも、“昔あっての今”でこそ。


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