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日本人と祭祀への信

 今上陛下のご意向のもとに、皇太子殿下への歴代天皇に関するご進講が始まったのは昭和52年である。この年の記者会見で、「(歴代天皇のご事跡のご進講は)殿下(今上陛下)が直接お勧めになったのですか」との問いに、陛下は、
 
 ええ、これは皆で考えた問題ですけれども、天皇の歴史というものを、その事実というか、そういったものを知ることによって、自分自身の中に、皇族はどうあるべきかということが、次第に形作られてくるのではないかと期待しているわけです。
 
 とお答えになっている。
 それから数年を経て22歳をお迎えになった皇太子殿下は、記者会見での記者の質問「歴代の天皇についてのご事跡のご進講で最も印象に残っているのは何でしたか」に対して、次のようにお答えになった。
 
 いままでお話を伺ったのは、第九十二代の伏見天皇までの歴代の天皇のお話しを伺って来ました。ですから歴代天皇全部のお話を伺ったのではないわけですけれども、そういうお話を伺って感じることは、歴代天皇が文化を大切にしてこられたということです。
 それと、これはこの次の機会にお話を伺うことになっている花園天皇という天皇がおられるんですけれども、この天皇は先ほどの九十二代伏見天皇の皇子に当たるわけですが、その天皇がその時の皇太子である量仁(かずひと)親王、のちの光厳天皇となる人ですが、その親王に当てて書き残したものが残っているんです。
 誡太子書(太子を誡(いまし)むるの書)と呼ばれているんですが、この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、その徳を積むためには学問をしなければならないということを説いておられるわけです。その言葉にも非常に深い感銘を覚えます。
 
 殿下は花園天皇については次にご進講をお受けになると言われているので、まだご進講をお受けになっていない天皇について自ら意欲的に学んでおられることが拝察できる。誡太子書は千四百八十九字から成る漢文だが、後醍醐天皇の御代、建武の中興の四年前に書かれたこの文書を、殿下は御祖先の声として、切実にお受けとめになったのである。
 平成二十二年二月お誕生日の記者会見で、殿下はこの書について再び言及された。
 
 花園天皇の言われる「学問」とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や礼義を含めての意味で使われた言葉です。私も五十歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています。
 とお述べになった。
 
 花園天皇の誡太子書に「余、性拙く智浅しと雖も、粗(ほぼ)典籍を学び、徳義を成し、王道を興さんと欲するは、ただ宗廟祀りを絶たざらんが為のみ。宗廟祀を絶たざるは、宜しく太子の徳にあるべし」の一節がある。古来、祭祀は天皇第一の務めとされ、歴代天皇はその伝統を継承して今に至っている。
 
 終戦時に、徹底抗戦を主張した、阿南大将が、鈴木首相に自決を覚悟して暇乞いの挨拶に来られたとき、鈴木首相は阿南大将の最後の心残りであるであろう「国体の護持」がなされるかどうかについて言われた。
 「阿南さん、皇室は必ずご安泰ですよ、なんとなれば、今上陛下は春と秋の御先祖のお祭りを必ずご自身で、熱心におつとめになっておられますから。」
と言ったのは、単なる慰めではなかったであろう。敗戦というぎりぎりの状況下で、最後まで信じられるものは何か。
 「皇室は必ずご安泰ですよ、なんとなれば、今上陛下は春と秋の御先祖のお祭りを必ずご自身で、熱心におつとめになっておられますから。」
 終戦時の宰相のこの言葉は、二千年の歴史に培われた日本国民の信の結晶のように思われてならないと、ジャーナリストの打越和子氏は言っている。
日本人にとって、日本の国を護っているのは、その時代の国民だけでなく、多くの先祖の御霊も一緒にこの国を守り支えているのだという意識があるのだ。そしてまた、皇祖皇宗の御神霊の御加護が、なによりそれに応えてくださるという信仰もあるのである。それは多分各個人の家も同様であったのであろう。その家を護り支えているのはその現代の一代のみではない。多くの先祖の御霊が支えてくださっているという意識があり、それゆえに一層家を絶やしてはならない、先祖に顔向けが出来ないという意識が芽生えるのであろう。
そして、天皇の熱心なご祭祀のお姿に、揺らぎない神州不滅の信念を持つのは、当然であろう。
 美智子皇后陛下も、ご皇室の印象を「歴代天皇が、祈りに終始していらっしゃる」と仰せられたが、この皇室の祭祀は、敗戦時にも途切れることなく続いた。まるで天界の意志を示しているかのようである。
 
 
 
平成の御代、天皇陛下は昭和天皇がご高齢のため制限された祭祀をすべて元に戻して継承された。「おそらく、歴代天皇の中でも特に真面目になさっていると渡辺允前侍従長は証言している。
最近ある人から、今上陛下は石清水八幡宮に金銀の幣帛を納められたと聞いた。歴代天皇が、石清水八幡宮に幣帛を納められることはよくあるそうである。しかし金銀の幣帛を納められたことは、歴史上三回しかないという。一回目は蒙古襲来の時であり、二回目は、幕末において孝明天皇が納められた。そして今回が三回目だという。今上陛下がいかに現代の日本に危機を感じておられるかが、ひしひしと伝わってくるようである。
 
 ところで、渡辺允氏が以前何かの原稿に、陛下が皇太子時代から新嘗祭についてお詠みになった御歌を示しながら、陛下は斯様に皇太子時代から祭祀にご熱心であると書いたところ、陛下がお読みになって、それはちょっと違うとおっしゃられたという。皇太子時代は祭祀を見ていたのだ、だからあのような歌が詠めたのである。天皇となってからはひたすら祭祀に務め、一心に祭神に心を集中しているのだから、祭祀に臨む心構えは全く違う、と。
 
  松明の火に照らされてすのこの上歩を進め行く古「いにしへ」思ひて
  新嘗の祭始まりぬ神嘉殿ひちりきの音静かに流る
  ひちりきの音と合せて歌ふ声しじまの中に低くたゆたふ
  歌声の調べ高らかになりゆけり我は見つむる小さきともしび
  歌ふ声静まりて聞ゆこの時に告文読ますおほどかなる御声(みこえ)
  拝を終へ戻りて侍るしばらくを参列の人の靴音繁し
  夕べの儀ここに終りぬ歌声のかすかに響く戻りゆく道  (昭和45年にお読みになった連作七首)
 
 新嘗祭は、天皇陛下が神嘉殿で新穀を皇祖始め神々にお供えになり、神恩を感謝された後、陛下自らお召し上がりになる祭典で、毎年十一月二十三日に行われる。純白の絹の祭服をお召しの陛下が、夕の儀、暁の儀とそれぞれ二時間余りを務められる皇室の重儀である。神嘉殿の本殿で天皇が神饌を供されている間、その隣部屋ともいうべき神嘉殿の西隔殿に、古来より皇太子だけが坐すことを許されている。西隔殿から本殿の祭祀の様子をみることは出来ない。さきの七首の御歌は、昭和天皇のご所作をお偲びになりながら西隔殿に座しておられる折のことをお詠みになったものである。
 
 打越氏は次のように書いている。
 新嘗祭の神秘的な夜が、これほど具体的に再現された御歌はないであろう。ここに祭祀への真摯な御心が表れているのは当然である。ただこれは天皇ではなく、西隔殿に座している皇太子であるからこそ、お読みになれた御歌だったのだ。天皇の祭祀は、それほどまでに厳粛であり、しかしその境地に進むためには、ひたすら西隔殿で心耳を澄ます皇太子としての年月が必要だということではないか。
 平成の皇太子も、すでに二十年、この新嘗祭の体験を積まれてきている。その事実に、粛然たる思いを禁じ得ない、と。




参考文献 「皇太子殿下、皇位継承者としてのご覚悟」 明成社編


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