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引用開始
民衆が無制限の自由を与えられた結果は? 占領憲法は、民衆に“無制限の表現の自由”を与えることによって、権力機構が民衆をある秩序の下に規制しようとする場合に、これに民衆が反抗するように作られている。そしてその権力機構の権力の行使者は“政府”であるから、そして「“政府”がやる」事を「“国”がやる」というふうに国民が考えるように、憲法の条文は書いているから、結局、この憲法を根拠として、国民が国(又は政府)をつぶすように起ち上がるように規定されているのである。だから私はこの占領憲法を“革命準備憲法”だというのである。大体人間は、「何物からも支配されたくない。支配されるのは奴隷になることだ。奴隷になるのは嫌だ」というような共通的な本能をもっている。この自由を欲する本能を極端に煽動鼓舞したら、国家の秩序というものは破壊されてしまう。何故なら国家というものは“生命体”であり、“生命体”は人体がそれであるように完全な秩序によってその健康が保たれているのであるからである。国家が秩序を保とうとするのは国家自身の防衛本能である。しかも国民が国民でなくなり、単なる民衆となってしまって、ひとりひとりの本能の自由を完全に無制限に実行するということになれば、国家そのものが破壊するということになるのは当然のことなのである。そこで国家が、自己保存の本能から、民衆の自由をある程度制限しようとする。すると、「政府(国側)は憲法違反だ」ということになり、国民と国側が互いに原告と被告となって法廷闘争をやることになる。そしてこの憲法では“三権分立”になっていて、司法権は国に対してさえも独自の判決を下すことが出来ることになっている。ところが、戦後の反国家的・日教組の教育を受けて、現在四十歳前後になって中堅幹部級の裁判官になっている“青法協”の会員の如き裁判官が、国側の敗訴になるように判決を下すのである。こうして国家はだんだん論理的に内部崩壊を来たして、中から滅びるように工夫されているのが、この現行占領憲法なのである。 セックスが完全に自由化されたら 三島由紀夫氏は国民に無制限な自由を与えるならば、どんな政治体制でも崩壊してしまうということを早稲田大学尚史会での講話の中で、次のように述べているのである。 『十八世紀のマルキ・ド・サドをお読みの方はよくお分かりと思いますが、人間というものは人間性の中に自然を持っている。我々は大体社会的なルールに従って行動しているのですけれども、もし人間の中の自然、人間の中の野性というものを解放したならば、何が起こるかわからない。サドはそれを非常によく知っていたわけであります。ですからフランス革命が自由平等ということをいくら唱えましても、サドは人間理性というものの裏の、側面をよく知っていた。であるから、人間性を完全に解放したらどういう社会ができるか、もちろん現社会体制は破壊される。その破壊される彼方に何があるかということをサドは予見していたように思うのであります。一例は、もしセックスの完全な自由ということが許されるとすれば、強姦、輪姦くらいで済むならいいが、快楽殺人というものがあって、どうしても人を殺してしまわなければ満足しない人だっているに違いない。そういう人もセックスの権利を自由に許したならば、快楽殺人が横行することになって、殺人も許される。一つの社会が殺人を許し、何を許すということになれば、どんな政治体制でも崩壊してしまう。……』 三島由紀夫氏は、極端な完全自由ということが許されると、快楽殺人が横行することになって、どんな政治体制でも崩壊するということを言っているのであるが、事実は、現在の占領憲法下に於いてはセックスの自由を公許(第二十四条)することによって快楽殺人が許されているのである。即ち性的快楽を味わうために、誰とでも両性さえ合意すれば結合する――それが基本人権であって、その結果、妊娠した子供は、現行の優生保護法では自由に殺して堕してもよいということになっている。これは性的快楽の続きとして生じた子供を殺すのですから、たしかに快楽殺人であって、それが現に日本では公許されている。こんな国家が永続するはずが、道徳的にあり得ないと思うから、私はどうしてもこのような国家破壊の根因をなす占領憲法の無効宣言と、優生保護法の改正を一日も早くして、堕胎のような悪業を犯さないようにしなければならないと切に思うのである。 中略 天皇は軍に対して栄誉大権をおもちにならねばならぬ 天皇制が共産政権に利用されたら大へんなことになる。三島由紀夫氏は、現行の憲法ではそのおそれが多分にあることを考えたのである。それは氏の最後のときの“檄”の中に表現されているように、建軍の本義が現行の憲法では失われているのである。自衛隊は、無論、一種の軍であるが、その軍は政府に属する軍であるから、もし共産政権が日本に成立したら、それは、日本なる“伝統と歴史とを保持する国”を破壊する赤軍となるのである。それ故に、それを防ぐためには軍の統帥権は天皇がおもちにならねばならない。そこで現行憲法下に於いても、軍に対して栄誉を与える栄誉大権を天皇に回復せしめねばならぬとて、次の如く説いているのである。 『菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与えられなければならない。現行憲法下でも法理論的に可能な方法だと思われるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀仗を受けられることはもちろん、聯隊旗も直接下賜されなければならない。(中略)……時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかも知れない。その時は、代議制民主主義を通じて平和裡に「天皇制下の共産政体」さえ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言うまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、最も狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるいは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決っている。このような事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又そのほかに確実な防止策はない。もちろん、こうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのような天皇のみが窮極の価値自体だからであり天皇が否定され、あるいは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。』 これは『中央公論』誌に発表された論文であるが、三島氏が自刃した約二年四ヶ月前に書かれたものである。氏は現行憲法下に於いても自衛隊が天皇から隊旗を授かる直属の軍隊となり得る可能性をなお認めていられたことが、この論文にあらわれているのである。しかしやがてそれが不可能であることが明らかになったとき、非常手段(自刃)に訴えて日本民族の魂を目覚めしめようと決意されたにちがいない。 天皇は概念でも象徴でもない 三島由紀夫氏は『文化防衛論』の五四頁に丸山真男氏が昭和二十一年に書いた有名な「超国家主義の論理と心理」と題する論文の中で書いた次の文章を引用して、 『天皇を中心とし、それからのさまざまの距離に於いて万民が翼賛するという事態を一つの同心円で表現するならば、その中心は点ではなくして実はこれを垂直に貫く縦軸にほかならぬ。そうして中心からの価値の無限の流出は、縦軸の無限性(天壌無窮の皇運)によって担保されているのである』(丸山氏) という文章こそ日本の天皇の本質と価値とそれより生ずる国家のあり方とを透徹的に描破したものであるが、その無類の日本の国のあり方が敗戦による政治的変革下で完全に破壊されたことを三島氏は残念がっていられるのである。 しかし三島氏は、すでに敗戦以前に、天皇のあらゆる日本の文化の枢軸として天皇から流出する無私無我の価値について気がついた者はなかったことを指摘している。そして氏は天皇統治の「無私」の本来的性格を理論的に変質せしめたものは、既に、天皇と国体を守るために大正十四年に制定された「治安維持法」であるとするのである。即ちその第一条に、 『「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として……」 という並列的な規定は、正にこの瞬間、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまったからである。この条文に不審を抱かない人間は、経済外要因としての天皇制機能をみとめないところの、唯物論者だけであった筈であるが、その実、多くの敵対的な政治理念が敵の理念にしらずしらず犯されるように、この条文の「不敬」に気づいた者はなかった。というところに、「君臣水魚の交わり」と決定的に絶縁された天皇制支配機構が呱々の声を上げるのである。』 この文章をもっと解り易く解釈してみるならば、日本の天皇は、民族の親様であり、国の親様であり、国民が天皇を仰ぎ見て慕うのは、“親様”と“赤子”の関係であり、水にいだかれる魚の如き相互融会一体の関係であったのであったが、それが制度として天皇制支配機構が生まれると、天皇と国民との対立関係になるに至ったというのである。 三島氏は、国と民族との非分離の象徴であり、あらゆる日本文化の価値の本質としての天皇の実相を「文化概念」という語で表現している。私は「概念」というような抽象的、一般化的、観念的用語をもって天皇の御本質を呼び奉ることには賛成できないのである。また天皇はいわゆる“天皇制”ではないのである。象徴はシルシであり符号であって、生ける人格ではないのであり、それは占領憲法下の制度においてあらわれた用語に過ぎない。天皇は一切のものに内在する主体であり、生命であり、一切の価値の流出し顕現する本体であるのである。 中略 知行合一 この遺書とも見るべき知人に送った書簡に「私は行動せずして知るということは知ることにならないと信じ、行動そのものには効果がなくともいいと考えてきました……私は文武両道を具現するため、自分の行動のその日にこの小説を脱稿しました。」とある点に注目しなければならないのである。三島氏が目指したのは、文人としての道の完結と士道の完成とである。 氏が何故あの日の朝、『豊饒の海』第四作“天人五衰”の最後の推敲を終って新潮社へ送稿して、その日を選んで自決したのかというと、三島氏の親友、井沢甲子麿氏は『週刊現代』特集号の七四頁に次のようにいっている。 『なぜ三島由紀夫が十一月二十五日という日を選んで立ち上がったか、初七日を終えて家に帰って、はたと気づいた。旧暦に換算すれば、十月二十七日なんですね。安政六年十月二十七日、吉田松陰は井伊直弼の弾圧によって小塚原で処刑されました。』 すなわち三島由紀夫は吉田松陰が明治維新に対して演じた役割を、憲法復元、実相日本回復の昭和維新に対して果たそうと覚悟していたのである。だから、『あの日を延ばすことは絶対にいやだ』と氏はいったのである。 『私は政治のダイナミズムとは、政治的権威と道徳的権威の闘争だと考えるものです。これは力と道理の闘争だと考えてもよいでしょう。この二つはめったに一致することはないから争うのだし、争った結果は後者の敗北に決まっていますが、歴史が永い歳月をかけてその勝敗を逆転させるのだ、と信ずる……』 中略 吉田松陰は一時、小塚原で刑死の運命を受けて敗者の位置に立ったが、それがやがて明治維新を実現する精神的原動力となって勝者の位置に変じたのだ。だから三島氏は現在の政治的権威に対して正義を以て戦っても歯が立たない、けれどもその正義の主張が、自分の一身を危険にさらして、“知行合一”的に行われるとき、その正義の主張が“道徳的権威”をもって来る。そして、やがて「後世」に必ずその勝敗を逆転する時が来ると信じて氏は自刃したのである。 |

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