日本の感性をよみがえらせよう

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 今から28年前の福田恆存氏の雑誌のインタビュー記事からの引用転載です。カマちゃん様の「美しい国」へのトラックバック記事として、掲載させていただきます。私たちの祝祭日は、戦前にはそれが一年を通して文化的な統一があったものが、戦後日本の歴史文化を破壊しようとする意図で、祝祭日の名前が変えられたことで、統一を失い、文化的に無意味なものとなってしまったとおっしゃっています。まさに伝統文化破壊の象徴ともいえるものが、祝祭日の名前であるということです。
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――十七年前に「紀元節」が「建国記念の日」として復活して、この祝日もやうやく国民の間に定着して来たとも言はれていますが……
 戦前の祝祭日のうち紀元節は一番歴史が浅いのですが、これを切っ掛けにして、せめて、戦後の無意味な祝祭日を考へ直す、改めるというところまで来ないと、本当に定着したとは言へませんよ。
 私は紀元節そのものは結構だと思ふし、二月十一日を日本の紀元とすることには何の異論もない。史実といふことを持ち出して、反対を唱へる人たちには無論与しません。日本書紀について言へば、当時の大和朝廷が、国の基が固ったといふ一つの喜びを、将来この国がりっぱに伸びていくやうにといふことで、自分たちの仕事を権威づけ、仕事が後に末長く栄えていくやうにと祈る気持で、当時の歴史編纂官に命じて書かせたものです。
 そこには当時の日本の創始者の、日本国に対する期待と夢があるわけです。それは大和朝廷のため、天皇制のためと言へば確かにさうなのですが、それはまた一年中を季節季節の節目に合はせて生活をととのへるといふ農耕民族の習俗に合はせてゐる。これは立派なことで、クリスト教でも同じことをしてゐます。だからといって西洋でクリスマスは史実と違ふから祝っても仕方ないといふ馬鹿は一人もゐない。
 少し古い話になりますが、昭和四十年頃、中央公論社から『日本の歴史』といふ本が出ましてその第一巻の月報で、それまで進歩派の象徴とみなされてゐた丸山真男さんでさへ次のやうに言ってゐます。
「僕が日本神話を大切だといふのは、古代人の世界像とか価値判断のしかたが現れてゐる点です。考古学的事実史の上からいふと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいふと決定的に重要なんですね。記紀の話は事実としては作り話であっていいわけです。しかしなぜ作り話が一定の効果をもったかが問題なんですね。膝に蚊がとまって刺したなんていふ自然的事実より、嘘でも作り話でも人間の心の中に意識された事実のはうがずっと歴史的意味がありますよ」と……
 
――福田先生も、歴史や文化に接する場合に、当時の人間の心の動きだとか、価値観だとかが単なる史実以上に大事であるといふことを、言ひつづけて来られてゐますね。
 さうです。例へば、天皇制というものの時代に近代日本が発展してきたといふ事実、それから記紀の歴史によってうかがふことのできる当時の日本人の気持、さういふものを現在の価値判断で、全部抹殺してはならないといふことです。
 どういふ気持で日本人が日本民族の紀元を定めたか、かうありたいと願ったその当時の人の気持、それを受け継いた明治政府の気持、さういふものを全部否定してしまふのは日本国の歴史は歴史上くだらない歴史であった、敗戦に至るまで全部だめだったといふことで、日本人の過去を全部抹殺してしまふことになります。
 戦後の祝祭日といふのは、それをやったわけでせう。だから、紀元節そのものを祝ふのは大切だけれども、同時に、他の祝祭日のもつ無意味についても気づいてほしいと思ふわけです。
 
――なるほど、この戦後の祝祭日について、もう少しくはしくお聴かせ下さいませんか。
 今、私たちの祭日にどういふものがあるか、御存知のとおりです。しかしそれらの名まへはどこからつけたか。じつにばらばらで、統一がない。だれが決めたか知りませんが、私などはとても本気でつきあふ気がしませんよ。休みが一日もらへるだけの話だ。
 ところが、そこに統一がないといふことさへ、みなさんはほとんど感じとっておいでにならないと思ひます。戦前ですと、いふまでもなく全部統一があった。それはなるほど、いちおうは皇室中心の考へ方といへるかもしれません。しかし、さっきちょっと言ったとほり、もっと深く考へれば、なにも皇室中心主義の、なんのといふより以前に、農耕民族としての日本人の文化感覚にもとづいてゐたのです。むしろ皇室のはうがそれに拠ったのです。今日の指導者たちは、神道や皇室中心主義の残り香は日本の近代化、民主化のためにいけないといふので、旧祭日を改めたのでせうが、それなら日本より近代化しているヨーロッパのはうではどうか。いふまでもなく、全部クリスト教で統一してをります。つまり、民族の生活様式をもとにして、しかもクリスト教といふ宗教理念を持って、一年間を統一してゐるわけです。戦後の祝祭日は戦前のお祭りの上に名前を変へてくっつけただけで、しかもその名前が一方では子供甘やかしの思想から出てくるかと思ふと、憲法といふ政治的な理由から出てきたり、あるいは文化国家といふ根のない観念から出てきたりする。勤労感謝の日などといふ馬鹿げた名前もある。やはり新嘗祭、神嘗祭でなければならないし、春季皇霊祭、秋季皇霊祭でなければならない、さういふものをぶち壊してしまふといふのはよくないですよ。天皇制…この言葉は私は好きではありませんが、その本当の確立といふのも、そこまで行かないと文化的に生きて来ないと思ひますね。
 
――「文化的に生きて来ない」といふのは?
 私たちは、例へば新嘗祭を「勤労感謝の日」と言ひなほして、文化の統一体、共同体といふものを壊してしまひましたが、逆にいふと、それは天皇制を否定しようとしたからです。占領中に天皇制をつぶさうといふ動きがアメリカの一部にあったのですが、それに対してただ形式的に守ればいいといふので、もっと実質的なことを考へなかったのは間違ひだと思ひます。当時の政治家にすれば色々と苦労があって精一杯の事だったでせうが、今は、もう一度考へ直す時期が夙に来てゐる。私は、天皇の地位に関する限り、元首としたいと思ってゐます。今でも外国では元首として通じてゐますよ。天皇は我々の父親で、自分がその血を受け継いで一番気持ちが通ひ合ふ、さういふ存在です。しかもその上に、我々の陛下、天皇といふものは由緒ある伝統を有ってをられるわけです。日本国民の政治的意味での統合といふのは無理な話で、天皇を否定しようといふ人達と肯定しようといふ人達との統合の象徴といふのはまったく神わざで、天皇の「人間宣言」以来、天皇は人間ではなくなったといへます。しかし、天皇は日本人の生き方としての文化の象徴です。そしてそれは現代だけではなくて、過去の伝統ともつながるものですから、元首と呼んで一向さしつかへないでせう。これだけ長い間、一つの伝統をもった、文化的な伝統をもった国といふのはないわけですからね。その意味なら象徴と言へます。それからでないと、日本文化といふものは立ち直らないと思ひます。この意味から言っても、今の憲法はいけないと思ふ。新憲法では天皇は国民統合の象徴とかかれてゐても、私は、天皇が元首であった昔のはうがより象徴的存在だったと思ふのです。その意味で、陛下御自身はおそらく一貫して変わってはいらっしゃらないと思ふ。ただ周囲が目まぐるしく変わっただけでせう。伝統的な天皇と国民との間が戦前、戦中、戦後とグラグラ変へられた。それを、あたりまへの素直な関係にもどしたい、明治時代、あるいは大正期のやうな、単なる天皇制という制度ではなくて、その頃の天皇に対する国民感情を復活させたい、といふのが私の願いです。

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