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一年前くらいに、叔父の家で三島由紀夫氏について書いた本を見つけました。借りて帰って読んで、感銘を受けました。そのまま借りっぱなしになっていたのを、先日三島氏に言及したコメントを見て、引用して記事にすることにしました。
引用開始 三島由紀夫氏の“反革命宣言” 三島由紀夫氏はその「反革命宣言」の冒頭に次のように書いている。 『われわれはあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企図、あらゆる行動に反対する者である。 この連結の企図とは、いわゆる民主連合の政権(容共政権)の成立、及びその企図を含むことはいうまでもない。 国際主義的あるいは民族主義的仮面にあざむかれず、直接民主主義方式あるいは人民戦線方式等の方法的欺瞞に惑わされず、名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様にわれわれは反対する者である。』 この冒頭の一句「われわれはあらゆる革命に反対するものではない」という宣言のうちに現代の政治が、本当に人間の正しき自由をまもることが出来ず、愛国者が日本の文化・歴史・伝統を守ろうとしても、その愛国者の行動の自由の前に、政府という権力機構が頑として障壁となって立ちふさがっているならば、その障壁を打ち破るための革命をも辞さないという考えが内在することが窺えるのである。――そしてその思想が、三島由紀夫氏が市ヶ谷の自衛隊の総監室で割腹自決された事につながるものであることが察せられる。 三島氏が何故、「共産主義が行政権と連結することに反対するか」というと、次のように指摘しているのである。 共産党宣言は次のごとく言うからだというのである。 『共産主義は、これまでの一切の社会秩序を強力的に顛覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。』 この共産党宣言に対して三島氏が共産主義が行政権と連結するのに反対した所以は、 『われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。』 それなのに共産主義者はこれまでの一切の社会秩序を強力的に顛覆することによって革命の目的を達し得ると言い、その顛覆せんとする「一切の社会秩序」の中に「わが日本の文化・歴史・伝統」が含まれているからだというのである。 三島氏によれば「戦後の日本の革命思想は、すべて弱者の集団原理によって動いてきていることを看破った」というのである。そして、 『それは集団と組織の原理を離れぬ弱者の思想である。 不安、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。 空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、元も低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透して来たのがかれらの遣口(やりくち)である』と。 少数の中に真理を把握する者があるのであり、多数をたのんで跋扈するものは雑草が繁茂するようなもので、そのような政治からは優秀なる芽は育たないというのである。 それゆえに三島氏は言う。『われわれは強者の立場をとり、少数者から出発する。日本精神の清明、濶達、正道、道義的な高さはわれわれのものである。』と。 そしてその次に非常に重要な覚悟を述べている。それは、 『有効性は問題ではない。なぜならわれわれは、われわれの存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。』 何故これが重要な覚悟であるかというと、自分の「存在及び行動」を「未来への過程」と考えるならば「未来への過程」とは「今の生活」が「手段」であるからである。 生活が生活そのもののためではなく手段のための生活となるとき、生活そのものに主体性がなくなるからである。 それゆえに三島由紀夫氏の割腹自刃は「未来への手段」ではなかったのである。 氏は「天皇国家」たる日本国の実相を顕現するために自己の肉体の生命を献げた。氏の自刃は「日本国の実相を顕現するために」というからそれは一見「手段」のようにも考えられる。 けれども、氏にとっては、「肉体の生命よりももっと尊い生命があることを知らせてやる」といって割腹し、そして自己の生命が「天皇国家」の生命と、その自刃の瞬刻限に、一体となったのである。 それは「未来への過程」としては、必ずしもあまりに有効な死に方ではなかったかも知れない。 もっと肉体を長く生き存えていて、明治憲法復元のために氏の強力な文章力を駆使した方が、もっと目的達成に有効ではなかったか、氏の死は惜しいことをしたと、自決の当時批評した人もあったけれども、しかし氏は再び言う。 『有効性は問題ではない。なぜならわれわれは、われわれの存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。』といっている。 天皇は日本文化の本質的中心存在である。 三島由紀夫氏は、明治国家のいわゆる「立憲君主政体」に対しても、「西欧の政治体制と日本の国体との折衷的結合である」と評して疑問をなげかけているのである。 そして戦後の日本に於いて、この折衷的結合が切り離され、議会制民主主義と、象徴天皇制との、不即不離の関係に入ったために一面、却って天皇の文化的非権力的本質が明らかになったといえると評しているのである。 これによれば天皇の本質を「文化的非権力的本質」だと見ているのである。つまり「権力を有たないが日本の個性文化の中心的御存在」として天皇を捉えているのが三島氏なのである。 そして氏が共産主義国家を嫌う理由は、この天皇の真姿を開顕するための言論の自由が共産主義国家に於いてはないとみとめたからなのである。それゆえに氏は、「何故われわれは共産主義に反対するか?」という問を設けて次の如く答えているのである。 『第一にそれは、われわれの国体、すなわち文化・歴史・伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇は、われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴だからである。』 『第二に、われわれは、言論の自由を守るために共産主義に反対する。』 三島氏は、現代日本の代議制民主主義に賛成している。氏は、天皇を文化と歴史と伝統との中心的存在と見るけれども、天皇を独裁者としては見ないのである。それゆえに氏は、 『われわれは天皇の真姿を開顕するために、現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとするのである。……言論の自由を保障する政体として、現在、われわれは複数政党制による議会主義的民主主義より以上のものを持っていない。この「妥協」を旨とする純技術的政治制度は、理想主義と指導者を欠く欠点を有するが、言論の自由を守るためには最適であり、これのみが、言論統制・秘密警察・強制収容所を必然的に随伴する全体主義に対抗しうるからである』 というものである。しかし、氏はここに議会制民主主義が理想主義と指導者を失っているという短所を指摘しているところに注意しなければならないのである。そして真に如何なる階層にも如何なる政党にも偏らず、無我にして全体の福祉の理想の人格的権化としてまた指導者としての徳を備え給うのが「天皇にまします」のだということ。それ故に、非常時、または重大事に関しては「天皇の御直截を仰ぎ得る制度」を復活せしめおかなけれがならないというのである。 学生運動の因って来る所以 三島由紀夫氏は、現代の学生運動が起こるべくして起こったところのものであって決して偶然の所産ではないことを次のごとくとくのである。―― 『かつてプロレタリアは社会的疎外の代表であった……戦後は社会的に疎外された人間は、経済的に疎外されるのではなく、心理的思想的に疎外された人間として現れた。それが学生である。 学生は一定の階級も持たず、何ものをも代表せず、次第にみずからを大衆の一員として自覚し肯定するようになった。 しかし、大衆の一員だありながら、生産に従事せず、生産の成果を社会に還元するすべもなく、自分たちが少数勢力として何ら意見を反映させるべき対象を見出せずにいた。 しかも情報社会の進展はあらゆる階層に発言を許し、その階層の代表的意見を社会にぶつけることを当然とするようになったのに、学生だけは、なお十九世紀的な古い大学の体制のなかにつつまれていた。 私は学生運動が学内闘争として始まったその経過を是認するのにやぶさかではない。 しかしながら、徐々にこの少数勢力は、多数者の正当性にむかって当然の経過をたどるようになった。 そこでは次第次第に逆現象が成立し、一般学生が疎外されて全学連が一つの正当性を獲得するようになった。 彼らは革命の主体としての自己を完全に自覚したのである。……』 これらの革命勢力は国家と国民の抱えている色々の困難な問題を、ある単純化によって、政府を攻撃する方便として利用するのである。 そのことを三島氏は指摘して次のように言っている。 『ここには、戦後の社会の無限の責任遡及によって、ついには責任の所在を融解させてしまう「無責任の体系」の影響が大いにあり、すべては社会がわるい、というときに、人は自ら、社会のアモフル化(無晶形化。ひいては極端な政府否定の共産主義化を意味する)に手を貸しているのである。 彼らは最初、疎外をもって出発したが、利用された疎外は小集団における多数者となり、小集団におけるマジョリティを次々につなげて連帯させることによって、社会におけるマジョリティを確保し、そのマジョリティは容易に暴力と行動に転換して現体制の転覆と破壊に到達するというのは、革命のプランである。 そして、責任原理の喪失を逆用したそのような革命は現に着々進行している。』 そして疎外された小集団――たとえば北鮮人たち――を利用してそれを政争の道具にして、反日教育を東京都の真ん中で公然と行う“北朝鮮大学校”を東京都知事が認可して、その歓心を買い、そのような小集団をつなぎ合わせて、巧みに左翼機構の多数者に組織化してゆくのである。 小集団をつなぎ合わせて左翼機構の多数者に組織するのが革新勢力だあり、参議院選挙運動に大分、栃木、島根の三県で試験的に、社民公の連合戦をやって百%成功を得た。 またこのような左翼戦術があることも三島氏は指摘しているのである。 『たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。 原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。 日本の社会問題はかつてこのようではなかった。戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。 しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。 われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである』 と三島氏は言うのであるが、まだこの時点に於いては、三島氏は、この革命勢力からその道義性とヒューマニズムの高さを失わせた最も根元的なものが、彼(か)の占領憲法であることには言及していないのである。 |

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