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ご遺骨が語る大東亜戦争の真実
チャンネル桜キャスター 戦後ジャーナリスト
佐波優子
大東亜戦争で戦った全ての将兵に感謝の声を!
私は、今でもずっと耳に残り忘れられない事があります。
ある日本人が将兵に向かって、口汚く
「日本軍は残虐な侵略行為をして、今でも私たちは恥じている」
と罵(ののし)って去った後に、悲しそうに呟(つぶや)かれた将兵の言葉です。
「わしらは長生きしてはいけなかった。戦争で悪いことをして憎まれている」。
私は胸がはり裂けんばかりの辛い思いでした。
戦後日本は、アメリカの日本弱体化政策に操られ、日本の為に戦った将兵を、 ずっと悪者扱いにしてきました。生まれてくる子供達、孫達のことを思い戦った
将兵の方々は、その孫達から、悪人と敬遠されてきたのです。
どんなに辛く悲しい思いをしてこられたことでしょう。この悲しい思いを払拭し、
大東亜戦争を戦って下さった全ての将兵に感謝する空気に満ちた社会を
一刻も早く実現するために、尽力して行きたいと思います。
特に、私は今、靖国神社に参って、英霊に感謝を捧げるのと同様に、ご存命中の
将兵の方々にも感謝の思いをお伝えしたいと思い、
「祖父達の戦争体験をお聞きする孫の会」を立ち上げました。若い方々に
大東亜戦争の真実を知って貰えば、感謝の心が芽生えると思ったからです。
さらに、祖国を守ろうとされた将兵の方々の精神を継承し、そのご苦労の一端を 偲びたいと思い、予備自衛官にもなりました。ここから、先人が死を賭した祖国の
防衛を真剣に考えて行きたいと思います。
駐:私の父は海軍でした。詳しい事はわかりません。この文章の如く何も語らず。
家族の為に黙々と働き90歳近くで亡くなりました。母が言ってました。
お父さんは、おじいさん(母の父)が手をまわして死なないように戦地に行かせ
なかったから、おじいさんを憎んでると言っていたのを思いだします。当時は
分かりませんでしたが。この頃父も生き残った事に恥じていたのではと思う
ようになりました。
年若くして試験を受けて海軍に入ったようです。職業軍人です。この記事を
目にする前に私の父は海軍で何をしていたのだろう、調べて見たいと思って
いた所です。それと生き残った軍人さん達が恥じる事無く元気に明るく生きて
欲しい、又私達も感謝する国民にならなければならないと、佐波さんとまったく
同じ考えを持っていました。
それと妻の父も赤紙で陸軍に召集され、ソ連に抑留されていました。明るく
面白、可笑しく、シベリアの話をしてくれました。トイレは穴を掘って丸太を
渡してするようですが、朝になると固まっているので、つるはしで壊すんだと
また、濡れタオルも一度回転しただけでカチンカチン氷りタオルが立つと
笑いながら話してくれました。
唯1度伊藤忠の瀬島龍三も抑留されていたのを話したら、初めて怒った顔して
、あいつらは高級士官だからわしらと違う都会の方で待遇が全然違う。と言った
のを聞き、本当は死ぬか生きるかの苦しみを味あわれたのを感じました。
※軍籍簿の調べ方などお知りの方いましたら教えて下さい。
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2011年09月01日
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