福島事故後も原発支持増加 英、科学協会が世論調査「非常時こそ慌てずに行動するという精神」
ドイツに比べてイギリスはまともだね。
そもそも「誰も死んでない」んだから、安全なのは間違いない。
それよりもエネルギー政策を買い取り法案かなんかで
反日国家に依存する事の方が
より多くの死人が出る可能性が高い。
みんな歴史を忘れたのかね?
歴史に学んでいないのはバカ左翼ばかり也。
今現在、日本はかつて多数の死傷者・惨害を出した、
第二次世界大戦と同じ轍を踏もうとしている。
日本は石油・鉄鋼の輸入を止められて戦争に突入した。
エネルギーはその国の命である。
それを他国、しかも世界で一番日本が嫌いな国に依存しようとするなんて、
戦争をまたやりたいとしか考えられない。
戦争をやりたい方々は、どうぞ「脱原発」を唱えなさい。
私は戦争なんてしたくないんで、「ファイト〜原発!」
ということで、まずは「原発維持路線」でいきます。
核兵器と原発が似てるのは、まずその「廃止」に関しては
一つの理由が達成されない限りムリだということだ。
核兵器よりも安価で破壊力のある兵器が開発されれば核兵器は無くなる。
原発よりも安価でエネルギー発生効率が優る物が開発されれば原発は無くなる。
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2011年09月11日
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沖縄でちょっとした出来事が起きました。
いや、ちょっとではない、今の沖縄の悪い縮図のようなものが見えてくる。
いや待て、沖縄だけではない。日本に巣食う日本をダメにしていく構図がそこにある。
沖縄の不幸もここにあるのではないか・・・。
沖縄県石垣市、与那国町、竹富町からなる八重山採択地区協議会が選定して決まった育鵬社の
公民教科書を竹富町教育委員会が反対し、ついには県教育委員会が竹富町の主張を後押しして
ひっくり返して、東京書籍の教科書を使うことになったという。
東京書籍はご存知の通り自虐の左翼教科書と呼べるものです。
特に公民では「地球市民をめざして」と左翼思想を教えようとしている。
これは「市民」は教えるが「国家」は教えないという偏った教科書と言えます。内容をみると、
『多文化社会』として、
「日本に暮らし税金を納めている外国人の選挙権や被選挙権について各自の意見を出して話合ってみましょう」とともに「各国の定住外国人の参政権」という表をわざわざ示しています。
『平和主義』では、
日本の軍事費はアメリカ、ロシアに次いで世界第3位となっている表を示して、
「自衛隊は自衛のために必要最小限度の実力でなければなりません」と教えてきた。
『人権』では、
「日本には約63万人の在日韓国・朝鮮人が住んでいます。その多くは、1910年の日本の韓国併合以来、移住を余儀なくされた人たちや、また、日本に連れてこられて、意思に反して働かされた人たちとその子孫です。これらの人たちは、民族の誇りを守り、さまざまな分野で活躍しています。しかし、就職などの差別はなくなっていません。また、選挙や公務員になることなども制限されています」。
領土の関する記述も日本の主権も希薄で、これぞ左派教科書といえるものです。
さて、今回のことは簡単に言えば、
法に従って決まった教科書が自分たちの気に入らない教科書に決まったため、
「そんなのいやだ!」と反対して、自分たちのやりたい教科書にさせたということです。
それを後押ししたのが日教組であり県教育委員と沖縄メディアだった。
自分たちの「我」を通すためにはルールも法も関係ないのです。
しかし、一方では自分たちの「我」を押し通すためには思想・信条の自由などと
憲法や法律を盾に猛反対の闘争を繰り広げているのです。
彼らの好き勝手にさせては日本の法も秩序もルールも、マナーも崩壊するばかりです。
しかし、これが日教組の目指す教育であり、それによって乱れ切った日本の姿なのかもしれない。
行き過ぎた個人主義で権利や自由を都合よく使い、責任や義務は知らんぷり。
日本の近年の多くの悲惨な事件の要因もここにあるといえるかもしれません。
決まるまでには議論があっても一旦決まったことには従う。
この当然のことに教育関係者ができないのだ。教育関係者として“かなり”問題です。
今回、各自治体の教育委員長はともに育鵬社には反対しているのだ。
それを知った上で県教育委員会は「各教育委員の多数決で決めてもらう」と迫った。
「各教委の代表者ら8人による同協議会では賛成多数で育鵬社が採択されたが、
教育委員全13人の採決では竹富町の委員5人が全員反対のため、
反対8人、賛成5人となり、採決を取った場合、逆転不採択となる。」(産経新聞)
このやり方でははじめから結果は見えているのです。
この地区は昨年までは日教組の意向の強い現場教員らの人気投票で決めていたため
教科書はどうしても自虐の左翼教科書になってしまう。
大体、教職員が教科書の選定に口出ししてくること自体違法であるのです。
これを八重山採択地区協議会は教育委員らが責任を持って選ぶ本来のやり方に改めたのです。
これはこの地域の状況を考えれば当然です。
ここ数年チャイナの尖閣領有を脅かす行為に直接影響するこの地域にこそ、
領土記述をきちんとなされている教科書を、ということで育鵬社の教科書を選定したのです。
その採択を覆した結果に地元の左翼メディアは大喜びだ。
沖縄タイムスはこう扱っている。(カッコはさくらの花びら記入)
玉津教育長、崎原教育長は「何のためにやるんだ」「意味がわからない」と反発、議論は平行線をたどった。(一度決まったことを再度やる必要性はない。玉津教育長と崎原教育長の言い分はもっともである)
育鵬社版に反対が過半数を占めた新聞社の世論調査を提示しながら、合意を図ろうとする委員に対し、玉津教育長は「大事なのは世論じゃなくて法律です」と譲らない。
(これも玉津教育長の言い分が正しい。法治国家なのですから)
話し合い決着が困難な状況で、石垣市の仲本英立教育委員長(同地区教育委員長)らが全教育委員による多数決での採決を提案。すると崎原教育長は「数の暴挙だ。うちは教育委員が3人しかいない。民主主義じゃない」と猛反発。玉津教育長も「多数決には屈しない、絶対意見は変えない」と抗議した。
「時間がない。今日で一本化していきたい」とする委員らの賛成多数で、多数決が行われた瞬間、玉津、崎原両教育長は突然退席。教育長室に閉じこもった。
(決まったことに反対して時間をかけているのはどちらだ。自己中心のいい加減にしろ)
「私たちは間違っていない。意思は変えない」などと訴え続けた。
「責任放棄だ」。会場には、委員や傍聴した市民からの怒りとあきれ声が飛びかった。
(委員やここにいる市民は皆反対派で日教組寄りだ。そういう声だけを書くのは公正ではない)
与那国の入慶田本朝政委員長も「冗談じゃないよ。子どもじゃあるまいし…」と吐き捨てた。
(子供じゃあるまいし? 法に則り決まったことを”いやだ!”と反対している自分こそ我がまま放題の子供ではないか)・・・・
説得は約1時間にも及んだ。玉津教育長がようやく姿を見せ、協議が再スタートした。
育鵬社版の不採択が決まった瞬間、会場では静かにするよう指示されていた傍聴人の間から「よかった」という小声と拍手が起きた。中学生の子どもがいる男性(50)は「生徒のための教科書が選ばれて本当に良かった。保護者の願いがようやくかなった」と喜んだ。
玉津委員長は育鵬社版の不採択に憮然とした表情。最後まで協議会場に戻らなかった崎原教育長は、別の部屋で女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の対北朝鮮戦を観戦したり、たばこを吸ったりしていた。
(ここに印象操作がみえみえです。偏向左翼メディアのいつもの手だ。読者はこのように書いている意図を見抜かねばいけない)
(9.9沖縄タイムス)
この偏った新聞。これが今の沖縄を象徴するメディアなのです。
沖縄の不幸の大本は琉球新聞も含めてこんなバカ新聞が主流を占めていることにあるといえます。
自分の主義主張がすべて正しいという論調はバカバカしくて読んでいられない。
もはやこんなもの新聞とは言えない。池田教の聖教新聞顔負けである。
沖縄県内で教科書採択の法的権限を持つのは地区の教科書採択協議会です。
地区教育委員会で採択に違法性がない限り、協議会の答申のまま教科書採択を決定することになっているのです。
これを気にいらないからと言って反対するのは無償措置法にも反し法的採決もルールもない。
まさに日教組教育の姿ここにありだ。
学校教育、こんなことで日本はこれからいい国になるのか。
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(飛砂に埋もれた家)
栗田定之丞
日本海方面の海岸では、秋の末から春先にかけて、海から烈(はげ)しい風がよく吹きます。
そのために、砂の多い海岸では、広い広い砂山が出来ている所もあります。
今の秋田県の海べの村々では、その風がことに烈しく、吹寄せた砂のために、
昔は家も田畑もうずめられ、くらしの立たなくなる家も、たくさんありました。
ある年、栗田定之丞という人が、その地方の砂留役となりました。
定之丞は、先ず村々を見て廻りましたが、海べは、見とおしもきかない程の広い砂山でした。
「これだけの砂をどうして防ぐことが出来よう」とただ驚きあきれるばかりでした。
けれども又、これから後、この砂山が田畑をうずめ、百年も二百年も、
村々が苦しめられどおしに苦しめられることを思うと、じっとしてはいられない気がしました。
「よし、戦場に出たつもりで根(こん)限り風や砂と戦ってみよう。」とかたく決心をしたのでした。
そこで、これまで砂留に骨折った年よりを呼んで、いろいろ話をきき、
ここに先ずぐみややなぎなどを植え、いくらか砂がしまったところで、
松の苗木を植えることにしました。
そうして又季節を考え、植え方にくふうをして、寒中、それもなるべく風の吹く日をえらんで、
人々を呼集めて仕事をさせました。
風の吹く日には、砂の吹寄せられる方向がよくわかりますから、
風上の方に、かやのたばなどで風よけをして砂を防ぎ、
そのかげに、最初はぐみややなぎの枝をささせましたら、皆芽をふくようになりました。
そこで、さらに松の苗木を植えさせました。定之丞は、此の方法で仕事を進めて行きました。
ところが、人々は、風の吹く寒い日に働くのがつらいのと、
うまく松林になるかどうかということが心配なのとで、なかなか定之丞のいうことをききません。
定之丞は、子供をさとすようにやさしく道理を言いきかせ、その上自分から先に立って働きました。
朝は、夜の明けないうちから仕事場につめかけ、
夜は、人々を帰らせた後まで居残って明日の仕事のくふうをしました。
時には、冷たい砂の上にふして、風の当りぐあいをたしかめたこともあります。
やがて村の人々も定之丞の熱心に動かされて、仕事がはかどり、
たくさんの苗木を植込むことが出来ました。
それが次第に大きくなって、ついに立派な松林になりました。
定之丞は二十余年の間、引続き方々で、砂留の事に骨を折りました。
そのために、風や砂の心配がなくなって、麦・粟などの畑もところどころに開け、
又しょうろや、はつたけも生えるようになりました。
この地方の人々はその恩をありがたく思い、定之丞のために栗田神社という社を建てて、
今日まで年々のお祭をいたします。
社は今の秋田市の町はずれにあります。
そこから見渡す海べには、定之丞が三百万本を植込んだという松原が続いて、
青々とした美しい色をたたえています。
(第四期(昭和九年)・巻四より)
・・・・・・・・・・・
江戸時代の秋田藩は米や木材や金銀などに恵まれて農民の生活を潤していた。
しかし日本海側は季節風が砂を運んで、田畑を埋めてしまう被害が耐えなかった。
佐竹家の家中であった栗田定之丞は、
「植林砂防を思いついたが、どのようにして森林をつくるか」と、砂留役という職名にしてもらった。
その半生を砂防植林に注いだが、定之丞のすることに藩も農民も冷淡だった。
「砂を留めて林にすれば薪にもなるし、堆肥にも役立つ。
なによりも命の種の田畑が砂にうずめられなくてすむ」
そこで定之丞はひとり私費を投じて、砂に強いグミやヤナギを自分で植えた。
一冬が過ぎ現場に戻ってくると、植えた物はすべて砂に埋没しているか枯死していた。
砂は、飛び、走り、何もかも呑み込んでいく。
飛砂の現象を把握するために、寒中にムシロをかぶって砂丘で寝ることもあった。
海岸を巡視していた定之丞は、砂の中にわずかな緑の葉がを見つける。
それは彼が植えた一株のグミであった。その周囲には波に打ち上げられた枯木一本に、
古ゾウリが1つ引っかかっていた。古ゾウリが飛砂を防ぎ根付くことが出来たと知る。
それからグミやネムの木を植え、次の段階で黒松の植林に成功を収め「衝立工の技術」が体系化された。
農民たちは定之丞の物狂いを当初いやがり、「火の病(やまい)つきて死ねよ」と罵ったという。
定之丞は「耳にも懸(か)」けなかったという。
純粋な狂気というべきものが、麗しき「風の松原」と豊かな田畑を与えた。
村人たちもその熱意にうたれ全村をあげて協力して、
植栽されたクロマツは300万株に及び成功をみるに至った。
日本海に沿って14キロメートルも続く「風の松原」の基である。
それは定之丞の没後の天保3年に完成した。
(司馬遼太郎著「街道をゆく29」)
(風の松原)
(栗田定之丞)
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