日本の感性をよみがえらせよう

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日本語というのは言霊の力を持つとよく言われます。林武画伯は、父が明治の国学者であり、ご自身もかなり国語には詳しい方です。その林武画伯が言われるには、日本語の一音一音が音霊ともいうべき意味を持っていて、音を聞いただけである感覚が生じるのであり、そういう感覚、音霊によって日本語はできているというのです。言葉の響きで、意味は知らなくても伝わるものがあり、それ故、同音のものは表面の意味は違っても、そこに共通する感覚を持っているそうです。つまり音の響きの中にその言葉が現すものの実感がこもっているのです。言葉が命を持って響くので、言霊という言葉も生れたのでしょう。 
そんな日本語を使う時に生じる日本人の受け取る感覚、更に日本人が自然に包まれて神や仏を実感するときの感覚、そこに日本人ならではの感性があって、日本人の根源的な宗教心を育んできたようです。


A  
一年で一番さわやかな季節は五月だと思います。晴れは、とりわけ五月のものだというので五月晴(さつきばれ)と古くから言い慣わしたのは仲々の妙趣だと思われますが。

B  同感です。日本語のサ行音はものごとの新鮮さ、神聖さをあらわす音の語彙を多く含むということを、教わったことがあります。そう言われてみれば、今おっしゃった「五月晴」の「さつき」が「新鮮で神聖な月」を意味することがわかります。

A  五月に田植えをする早乙女も、神聖な乙女ということになりましょうか。

B  ええ。余り今の人は気付いていませんが「早乙女」の「さ」は接頭語で、元来稲を指す言葉でした。神聖な稲が「さ」であらわされ「さ」と発音されました。そのことと、多くの「新鮮で神聖な物事、性質」をあらわす語彙の「サ行音」のトップにこの稲を指し示す、「さ」がおかれたことの訳を、しっかり考えなければいけないでしょう。こうした、言葉の上の配慮は、日本語という発生言語を使っての日本人のことばの生活が、何を一番貴いものとして実感して来たか、をよく物語ってくれているように思います。

A  なるほど、そうしますと「さっぱり」「さわやか」「さらさら」……。みな「サ行音」ですね。耳に聞いて実にさわやかな音ばかりが列んでいますな。

B  肝腎の「酒」(さけ、時に酒樽のさかと発音します)もそうなんです。これは、祈年祭・祝詞にみえる「朝日の豊栄のぼりに…」の、「栄」(さか)と同音で、「勢のさかんな」状態を現す「栄」と、その「栄」の性質がこめられた貴い「さか」「さけ」。つまり「栄」と「酒」とを一続きに感覚していたように思われることは重大です。それに榊は栄木(さかき)でしょう。

A  そこまでうかがって思いついたことがあります。稲、榊、酒、早乙女と並べてみますと、みな穀霊の豊穣を祈る神道祭祀と農耕儀礼に関係があります。季節は五月(さつき)。しかも、全体が生命の甦った新生、新鮮で先々の栄えを約束する感覚の「サ行音」で発音されているということが。

B  そうなんです。日本人の神聖感は天地自然の実感と不可分に結びついていることが、これでわかります。しかも、これらの鍵になる語が、耳に聞いて心地よく響き、かつその響きにつれて、心が晴れやかになるということが大切です。つまり、ことばの音自身が「さっぱり」で「さわやか」で、神聖な気分をひきおこすのです。色々説明をして、頭にたたき込んだ上で、「なるほど、それで神聖なんだな…」といった調子の、概念で納得させられることとは全く違っています。自然の実感を根底においた神聖感か、概念的な神聖感かといった違いです。

A  いわば、そうした祭り月である五月の季節感を、農村のみならず、都会の私達にも端的に満喫させてくれるのが、新緑の樹々だと言っては間違いでしょうか。

B  いや、おっしゃる通りです。それについて、俳人、芭蕉の句が思い出されます。芭蕉が日光に参りました時のものです。



あらたふと青葉若葉の日の光

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新緑の青葉・若葉に日の光があたって照り映えています。それが何とまあ、さわやかで清らかなことか。ただ「尊く畏い」と申すほかないという意味の句です。

 末尾の「日の光」は、日光にかけ、日光東照宮を暗々の裡に含めたものです。瑞々しい青葉・若葉は天地の妙なる所産です。それを、はぐくみ育てた太陽の光によって、柔らかく照り返し、照り輝いています。

ここに、宇宙の主宰者である太陽と、変わらざる太陽と水のおかげで萌え出た、地上の新緑との奏でる調和音が響いています。まさに天地未分、一体、抱一の姿が、照り映える若葉に凝縮されております。

そこに、まさしく<神がいます>という、いつわらざる実感が成り立ったことがわかります。そうして、この実感にひたりきった作者芭蕉は、それ故に<神いますの世界に生かされた>ものであることも、おのずとわかってきます。芭蕉は、芸術家として、俳句の形式で、この日本人の感性と意識を典型的にうたいあげてくれました。しかし、これは芭蕉一人のものではないのです。

日本人の言葉そのものが、自然と人間の融一の中に、神を生かし、見ることを可能にしてきましたから、正しい日本語による言語生活をしている日本人であるならば、誰彼なく実現できる境地であるわけです。

A  なるほど、私共が、神社の鎮まる境内の並木の杜の中の参道をすすんで参ります時、神殿の御祭神もさることながら、神社の景観全体から、何とも言えぬ神聖さを感ずることが出来る、その基層心理が何であるか、わかって来たように思います。

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かの西行法師の
「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」は、誰一人知らぬ者のない有名な歌です。しかし、西行をしてそのように表現させた実感と発想の枠組みは、決して西行一人のものではなく、本質的には日本人の共有のものだということでしょうか。

B  おっしゃる通りです。しかも、西行があのように歌いあげた状況は、ご承知のように伊勢内宮を伏し拝む五十鈴川の対岸にある僧尼拝所からと推測されます。しかし、西行の体験をこの情況のみに固定して考える必要はないと思います。つまり、いつどこでも、どんな自然に対しても、西行の体験を、我々の体験となし得る余地があるということです。

ただその場合、自然に立ち向かう我々が自分の我執を離れて謙虚になり、無になるということが必須の条件として課せられていると思います。

みそぎ祓いとは、具体的に身体をきれいに洗いきよめることですが、同時に、心が清まることをねらった作法なのです。殊に、心が清まることは、神の前に恥じない無心に徹底することです。

今日、日本を代表する画家の林武画伯が『美に生きる』で明らかにしたように、また東山魁夷画伯が『風景との対話』の中で告白されたように、「人間らしい素直さに立ちかえった」時に、自然が<生きた実在>としての姿をあらわしてきております。更にその実在によって生かされる自分をはじめて得ることが出来るようになり、さしもの問題に解決がつくという「宗教の働き」が生じたことがわかります。

A  そうですか。そうすると例えば西行、芭蕉、林武さん、東山さんといった人達に典型的にみられた自然感は、美的自然の感情であるばかりでなく、人を本当に生かし、問題解決の動力になる宗教感情でもあるということでしょうか。

B  その通りです。そのように宗教の力となる自然感は、特別に教えられて出来たものではありません。ただ身心脱落して、無心に徹しさえすれば誰にも実現し得るものです。そこで「神道は言挙(ことあげ)せず」(ことさら、言葉に出して言い立てない)と言い習わして来たように思います。西欧の「論理と概念と教理の宗教」に対する「実感の宗教」の本領がここにある、といってよくはありませんか。

A  そうしますと、五月は、お説の実感宗教としての神道の盛期とも言えそうですね。

B  全くそんな感じもします。さて、五月にちなんで私の大好物は柏餅なんです。五月晴れの青空に鯉のぼりがはためいている。それに「幟より柏餅」の洒落ではありませんが、何と素晴らしい取り合わせでしょう。柏の葉に包んだ団子菓子だなんて、子供ならずとも、大人でも心が浮き浮きしてきます。その柏が実は大変な意味をもっていたんです。

A  柏の葉は香りがよく、団子を包むのに実に自然なもので、素晴らしい生活の知恵だ位にしか感じていませんでしたけれど……。

B  無理もありません。近代の知識は、柏の葉一つにも表れた日本人の大切な感性など、ものともせずに流し去ってしまいがちですから。

漢字で柏と書き、カシワと呼ぶものは、枝の細い針葉樹です。それに対し、私共が普通柏餅の葉から連想する広い葉のものはシダ科の植物なんです。後の方は、古典では、ただ「葉」と書いてカシワ、と読ませているのは大変興味があります。

例えば、御綱葉(みつながしわ)は、平安時代の文献『延喜式』によりますと、酒の醸造に用いられましたし、また伊勢神宮の神事にも使われたようです。また保宝葉(ほほがしわ)は、葉を丸めて、それで酒を飲む盃の代わりとしたらしいのです。更に、『万葉集』三八三六番の歌にみえる「児之手がしわ」のことを、琉球の方言では「ふた面(おもて)」と言います。「児之手」は文字通り「子供の手のひら」でして、もみじのような裏も面もわからぬ子供の手の可愛らしさにたとえられた呼び方です。

そうしますと、神前礼拝で「拍手」を打つのは、しっかり裏表なく両手をあわせ、「双面」(ふたおもて)にすることでしょう。そうすることによって、同時に心も裏表なく純粋ならしめる所作とみられます。「拍手」と書いて「柏手」と読むのは、両手を打って音を出すことと、それ以上に両の掌で柏の葉のような裏表のない純正心を重んじたからでしょう。


『日本の感性』 戸田義雄著から


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