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「情報活動の大切さ」に気付かない
日本の危うさ
国を動かしているのは、
軍事力と経済力と唱える方が日本には多いが、
国際政治の世界で、自国を有利に動かす為には、
それだけではダメで、
インテリジェンス、即ち「情報活動」が大切と
元静岡県大の中西輝政教授が語っている.
中国で7000万人が殺されたと言われる文化大革命も、
中国の工作員によって
文化大革命の真実が暴かれるないよう、
日本のマスコミ報道を押さえ込んだ、
と言われている。
この様に中国の情報活動は
他国の全ての国民を欺くことすらある。
現在、中国のスパイとして日本国内に送り込まれている人数は
3万人とも言われ、
マスコミだけでなく霞ヶ関にも深く入り込まれ、
内部から意図的に崩され、
奥座敷まで丸裸にされているとも言われている。
更に怖いことには、
日本の原発は全国に54箇所設置されているが、
この全ての原発の内部は
北朝鮮の手によって詳細を掴まれており、
何処に仕掛ければ、
破戒工作が出来るか、
北朝鮮の手の中にあるといわれている。
しかも、
この情報をもたらしたのは中国人だと言われているが、
何故その様な情報を日本人に教えてくれたのか、
教えてもらった代償で逆情報を取られなかったのか、
漏らす裏には何か目的があるはずだからである.
日本はスパイ天国と言われているが、
国民の上から下まで外国の情報工作には
まったくと言っていいくらい無防備で、
この状態を問題視する風潮も、マスコミ報道もない。
何故そうなっているのか不思議だと思いませんか。
日本の周辺国である中国、北朝鮮、ロシアは、
スパイ活動や情報活動では世界の中でも最も熱心な国々であり、
いずれも核保有国であり、
日本とは逆に年々軍備を拡充している国でもある。
この恐ろしい国に囲まれていながら、
軍事予算を減らし続け、
外国の情報工作に無関心で、
自国の周辺国に対する情報活動も疎かにしている。
この日本と言う国の政治と
国民の神経はどうなっているのだろうか。
情報活動のお粗末さだけではない。
中国の「金融パワー」やロシアの「オイルマネー」が
日本の山林や水資源を買い漁っている。
どの程度買われているのか国が掴んでいる様子もない。
更に日本の優秀な技術を持つ安くなった日本企業の株が
密かに中国マネーに買占められている。
世界的な不況のあおりで、
企業倒産が起これば
只当然で、優秀な技術と人材が中国の手に落ちる事になる。
しかし、民主党政権がこれ等の問題を
真剣に受け止めている様子もなく、
マスコミも警鐘を鳴らそうとしていない。
企業経営者も円高だけに関心が向き、
自社株の買占めに対策を講じている様子もない。
「敗れる国家、負ける文明は必ず明瞭な兆候が事前に現れる」と、
英国の歴史学者の名言があるが、
リーダーである政治家と企業経営者の情報活動への無関心さは、
日本の大きな危機であるように思えてならない。
だが幸いにも、
東日本大震災で見せた日本人の徳性と、
立ち上がろうとする心意気に触れて、
未だ捨てたものではないと私は感じている。
颯爽として
「坂の上の雲」を目指した明治の人達の心意気が
蘇って欲しいものである。
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2011年09月28日
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竈神(高野山金剛峯寺)
我々の祖先は「火」を神聖なものとして、生活していく上で欠かせないものとして、暖をとったり食物を煮炊きしたりする炉(ろ)や竈(かまど)の神さまを大切にしてきました。また、竈の煙が盛んに出ることは、家が栄えるしるしともいわれ、竈の神さまは家の神としての性格も持っています。
人は「火」を扱うことによって集団生活が始まったと言われています。日本では、縄文時代の中期ごろの竪穴(たてあな)住居の内部に炉がもうけられていましたが、それ以前は火はおもに屋外でたかれていました。この頃から一つの屋根の下で火をかこんで家族が共同生活する住まいが生まれました。
かまどは元来は釜をおく場所の意味でしたが、生活の中心となる火所として、家や家族自体を表象するものともされました。そのため家や家族をかまどや煙を単位としてかぞえる風習もあり、今日でも家をたてることを「かまどを起こす」、破産することを「かまどを返す」、分家を「かまどを分ける」ともいいます。
聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれた仁徳天皇の御製
高き屋にのぼりて見れば煙り立つ
民のかまどもにぎはひにけり
そして三年間租税を免除し、その間は率先して倹約に努められ、三年後、どの家のかまどからも煙が立ち上っているのをご覧になって、詠まれた御製です。 竈(かまど)は生活そのものであったのです。 竈(かまど)の神さまは、火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神とも言われています。
神道では、竈三柱神(稀に三本荒神)をかまどや厨房・台所に神札を以て祀る信仰があります。
竈三柱神は奥津日子神(おきつひこ)・奥津比売命(おきつひめ)・軻遇突智、火産霊(かくずち)とされる。オキツヒコ・オキツヒメが竈の神で、軻遇突智が火の神です。
一般には上記画像のように、かまどや炉のそばの神棚に幣束や神札を祀りますが、祀り方の形態は地方によって変わります。
東北地方に伝わるカマ男、火男
東北地方の陸前(宮城県や岩手県)では、竈近くの柱にカマ男、火男、カマジンなどと呼ばれる粘土または木製の醜い面をかけて祀る風習があります。
釜神さま
火は、危ないから「火の用心」 神聖だから「火の要鎮」ともいいます。
上記にも述べていますが、軻遇突智、火産霊(かくずち)さまは火の神で、静岡県秋葉神社は防火の神として有名で秋葉講は全国に及んでいます。
昭和十八年から、平成13年まで、宮中賢所で内掌典を勤められ、平成12年11月 勲四等瑞宝章綬勲、内掌典長までなされた高谷朝子氏が、火について次のように述べられています。
朝子語録:その13 「お鍋の底」
お鍋を五徳から持ち上げまして、他所へ置きます時には、お鍋敷き等を
敷いて、お鍋を置くことが大切な心得でございます。 何故ならば、底が熱いからという事だけではございません。炊事の時、 お鍋をお火にかけますと、底がお火に当たりますので、清いお火を汚さな い為に、お鍋の底も清くして、お鍋敷きの上にのせましてございます。 (注)お火は清いものとされています。 朝子語録:その18 「淨火」
火は日であり、さらに霊(ひ)であって、誠に尊い霊妙なものでございます。 上代より引継がれました、賢所の尊いお火は決しておしめり(お消え)になりませぬよう内掌典は命をかけてお守り申し上げます。菜種油にしみ込みました、 お燈心の清い小さな御火でございます。天津火継とも教えられました。 竈(かまど)神を祀る、火の神を祀る、これらの風習は、昭和二十年代までは残っていましたが、生活様式の多様化のともない、現在は祀られていないのが実情です。
植村花菜さんが、亡き祖母との思い出や自身の半生を表現し、大ヒットした曲「ト
イレの神様」。紅白歌合戦でも歌われました。日本のしきたりを、柔らかく優しく伝え教えながら、孫の心身共に健やかな成長を願う。そしてその祖母に様々な感情を抱き成長する様子は、まさに典型的な日本の家庭のようであり、聞いていて心が豊かになりましたね。
日本では古来より厠(トイレ)には神様がいらっしゃるとして信仰されてきました。厠だけではありません。上述の竈(かまど)の神様、大黒柱、門口、井戸に至るまで神々が宿り、崇敬してきました。
ことに厠は唾を便壺に吐いてはならない、裸で便所に入ってはいけないとか、和歌山県の北部地方では、厠には咳をしてから入らなければならず、便所に唾を吐くと盲目になるとういう伝承もあり、様々な禁忌(きんき)が全国で伝承されています。禁忌とは逆にご利益もあって、厠を綺麗にすると美人になるとか、妊婦さんが便所掃除をすると、可愛い子供に恵まれるなどの信仰もあります。お正月には注連飾りをしたり、お幣束を奉ったり、お供え餅を上げたりする地方もあるようです。
神道では主に厠の神は、古事記や日本書紀の神話に見るところの、埴山昆売命(はにやまひめのみこと)と弥都波能売神(みづはのめのかみ)、とされており、往古より上記に示すような信仰、感謝と祈りが捧げられてきました。
リフオームでトイレを水洗トイレに改修するときなど、お祓いと感謝のご祈祷をしてきました。様々な厠の恩恵に感謝し、畏敬の念を持ち、例えば厠を埋めて改修する、長年の恩恵に深い感謝と祈りを捧げる。これは神の国日本に於いて、常に神々と共に生きる、日本人の在るべき姿です。
しかし、最近、地鎮祭はするものの、解体のお祓い(感謝のご祈祷)などをしなかったり、トイレや台所などは、一部改修だからと、神事を行わず、事を行っている様子が多々みうけられます。その方々は特に神々に対する感謝の念が無いと言う訳ではないようですが、ただ気づいていないと思いたいです。
今は植村さんのお祖母さんのように、日本の風習や伝統を、子々孫々に語り繋いでくれる、ご年配も少なくなり、近代化された設備や技術も、神々の存在を感じづらくさせているのも事実でしょう。 この様な時代だからこそ神々に感謝し、崇敬のこころを伝えてゆかなければならないと深く感じています。
親から子、子から孫へ、麗しい日本のこころ、習俗を伝承していきましょう。
次回につづく・・・・
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このかたのコメントは、 聞く側にとっては、
ひょっとしたら、つらく、厳しいものかもしれない なんてことを、と思うかたも おられるかもしれない。 でも、氏の言葉には、「真」 がある、 そして 「義」 もある。 そう感じて、ここに紹介させていただきます。 【正論】 筑波大学大学院教授・古田博司 さらば市民派のきれい事 の正義 2011.9.2 産経新聞 正論 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110926/trd11092602310000-n1.htm http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/nyankosensee/20080831/20080831112838.jpg
http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20080820/1220149728 古田博司氏 何をいつまで悲しむのか。
なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、素の自分をさらけ出すこと、それで
ここまできたという。素の自分とはまじめであることに曇りがないということで
ある。
≪悲しみ苦しみ続けてはならぬ≫ もちろん辛いことは限りない。被災地でいまだに父や母が見つからない。娘がもどらない。あのとき、あの場所にいなければ、息子は津波にのまれなかったかもしれない。悔いても悔やみきれない。だが、その悲しみに限りのない自分は、まじめな自分である。まじめすぎて自分を責めてしまう。
日本では神様までがまじめである。日本の神話では神様も悩む。あの世に逝った妻が幸せだろうかと、後を追う。あの世で娘の魂を離さない父の手から、苦難の末に、その娘をこの世に連れ帰る。
まじめは一番である。でも、神様のように苦しむことはない。たとえ姿は失われようと、夢の中で何度でも会うことができる。夢と現実は実用性が違うだけで同じだと言ったのは、哲学者のショーペンハウアーとマッハだった。こういう話は聞いてもよいと思う。
生きているのは苦しいことだけれど、死した人々が励ましてくれる。朝日を受けるたび、彼らのエネルギーがわれわれの体に降り注いでくる。それは神々と一緒なのだといってもよいではないか。
ばかばかしい、もっと悲しもうという市民派は、彼らだけで満ち足りた人々である。 チャンネルを回せば、そんな人がキャスターとして毎日出てくる。彼らは、自分の論理だけが論理だと思っている人々、自分だけが正義だと思っている不まじめな人々である。正義を既得権益のように振りかざす者ほど胡散(うさん)臭い。正義は時代によっても違う。16世紀フランスで聖バーソロミューの大虐殺が起きた際にローマ教皇は祝砲を撃たせた。
≪われわれは試練を乗り越える≫ 何を悩んでいるのか。
もう悩むことは何もない。われわれは試練を乗り越える。素の自分で死んだ仲間とともにまじめに生きればよい。 市民派のきれい事の正義は終わった。まだ自分に正義があると思い込む彼らは、タバコ代を値上げしろとあがき、放射能が移ると嫌がって腕をさする。復興遅滞、政経不安で国民を苦しめ、朝鮮学校無償化をイタチよろしく最期に華々しく放った。彼らの世界を変えようとする意図はここまで卑俗に落ちたのである。
「市民」という言葉はとうに薄汚れてしまった。それに気づかせてくれたことは、鳩山由紀夫、菅直人
両政権の成果だった。日本は日本人だけのものでないとうそぶき、子ども手当で外国人に十億円も垂れ流しした。マルクス・レーニン主義を奉じる主催者の市民団体に、専ら政党交付金が源とみられる莫大(ばくだい)な資金を環流させた。自衛隊を暴力装置と呼びつつ、逆に自分たちが階級支配の暴力装置となって国家を内側から破壊した。
彼らのいう「政治主導」とは独裁であり、独裁を「民主集中制」と偽ったレーニンと同様である。 彼らは冷戦の落とし子、旧社会主義勢力の申し子である。米軍基地を追い払おうとし、国防を危うくした。社会主義国に内通し連帯して尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオを隠匿した。電力供給を様々(さまざま)な手段で阻害し、資本主義経済を弱め、多くの有力企業を海外に追いやり日本経済を空洞化させた。
某市民派新聞も同類である。原子力ムラは戦艦大和の最期、「企業の国際競争力維持」を盾に脱原発依存を牽制(けんせい)する経済人は「国体護持」を叫んで終戦に抵抗した軍人、被災地の光景は米軍空襲による焼け野原に見えると、反資本主義の意図を太平洋戦争の敗北になぞらえる社説を堂々と掲げた。
≪多くのこと教えてくれた失政≫ だが、時代は変わった。なぞらえるべき過去はもはや太平洋戦争ではない。冷戦こそが焦点を当てるべき歴史である。某市民派新聞のプロパガンダは冷戦時の反資本主義勢力のそれであり古くさい。彼らの描く風景は、民主党の失政が東大安田講堂攻防戦の最期、脱原発依存を叫び日本経済を弱体化させる市民たちは、「マルクス・レーニン主義」を奉じ資本主義の滅亡を願った自称革命家たち、焼け野原の光景は冷戦に敗れ荒廃した彼らの心象風景だと、そっくり言い返すことができるだろう。
何をいつまで悩み続けるのか。早く電力供給を回復
させ、空洞化を防ぎ、まじめに働く人々に雇用をもたらさなければならない。
市民派は、バブル崩壊直後に就職氷河期にぶつかったポスト・バブル世代の低賃金労働者から、不公平をチャラにするため戦争をしようと提案されて大きな衝撃を受けた過去(赤木智弘著『若者を見殺しにする国−私を戦争に向かわせるものは何か−』)を忘れたのか。在日外国人が尊厳ある対等な立場に立てるように運動する前に貧困労働層の日本人男性をなぜもっと対等に扱ってくれないのか、彼はそう市民派に訴えていた。
まじめに生きようとしても生きられない、そんな社会を作ってはならない。市民派の失政はわれわれに多くのことを教えてくれた。
(ふるた ひろし) 良薬は、口ににがい。
success 日本は、世界のためにも 一刻も早く 立ち直らなければならない
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