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国際派日本人養成講座からの転載です。現在多くの日本人が抱いている日本という国へのイメージつまり自画像は、実は戦後にGHQによって洗脳されて抱くようになったものである場合が多いのです。学校で教育される歴史、それは戦前と戦後ではまるで違います。誇りある先人の歴史は、今の学校教育では習うことはなくなりました。
■1.幸福そうなフランス人■ ワールドカップの喧噪のさなか、ある国際会議に出席するために 筆者はパリにいた。フランスが決勝リーグで勝ち進んでいた時期で、 一試合勝つ毎に、多くの若者が車から半身を乗り出しで国旗をはた めかせ、クラクションを鳴らしながら、シャンゼリゼーを走り回っ ていた。 会議を終えてメトロに乗ると、ちょうど帰宅時間のラッシュアワ ーで、ほとんど満席だった。立ったまま、ぼんやりと社内の風景を 眺めていると、きりっとした格好のビジネスマン、デートに出かけ るのか、しゃれた、しかし決して贅沢ではない出で立ちののパリ・ ジェンヌ。時折メトロに乗り込んでは、シャンソンをアコーディオ ンで演奏して、小銭を集めている流しの芸人、、、 そんな光景をぼんやり見ているうちに、ふと、フランス人は日本 人より幸福そうだな、と思った。東京や大阪なら、一日の勤めを終 え、疲れ切った表情のサラリーマンやOLが多い。経済的にはフラ ンスは日本よりも貧しく小さな国なのに、なぜ人々はこんなに満ち 足りた表情でいるのだろう。人々は自信と余裕に満ちた表情で、そ れぞれの生活を楽しんでいるように見える。 今の日本が不景気で、明日への展望が見えないせいだろうか。い や、高度成長の頃も、バブルの絶頂期でも、仕事に忙殺されるだけ で、ゆとりや落ち着き、自信などというものはなかったように思う。 ■2.フランス人の自画像■ フランス人の落ち着きと自信はどこから来るのか? そのヒント は、翌日見物したベルサイユ宮殿で見つかった。その壮麗な建物の 南翼は、長さ百メートル、幅七、八メートル、高さ十メートルほど の「戦闘の回廊」となっており、天上まで届く油絵がずらりと並ん で、フランス王国の歴史的場面を描いている。 絵画の間には、いかにも勇敢で高潔そうな表情をした歴代の将軍 達が大理石の胸像となって並んでいる。フランスの子供達はこの空 間を歩くだけで、自分の生まれた国の輝かしい歴史を誇りに思い、 そしてそれを継承しようという志を抱くだろう。 フランスは、ファッションや料理、絵画、文学などの世界中の人 々のあこがれる文化を輸出している。しかし、それだけではない。 中世以来、フランスはヨーロッパ最大の大国として、長い栄光の歴 史を誇ってきた。その自画像に自足し、偉大な国民として生きてい るという実感こそが、フランス人の幸福な表情の原因ではないのか、 無数の巨大な歴史絵画に圧倒されつつ、私はそんな事を思った。 ■3.革命の犠牲者200万人■ 数年前華々しく二百年祭を挙行したフランス革命も、その栄光の 歴史の輝かしい一頁である。 わが明治維新も、この革命の遠隔作用のもとになしとげられ たと言える。しかし、この偉大な革命の真価が日本人に理解さ れるまでには、長い年月が必要であった。[1,p4] と賞賛されるフランス革命だが、その内実は、反乱、暴動、虐殺、 政治裁判、ギロチン、陰謀、暗殺、戦争がうんざりするほど延々と 続く。 たとえば、革命政府のカトリック教会弾圧やルイ16世幽閉に反 対して立ち上がったフランス西部ヴェンデ地方の農民は徹底的に掃 討された。 ヴェンデはもはや存在しない。女子供もろとも、われわれの 自由の剣のもとに死んだのだ。私は彼らをサヴネの沼に葬った。 子供たちを馬で踏みつぶし、女たちを虐殺したから、野蛮が生 まれることもない。囚人を一人でも残したと咎められるような ことはしていない。すべて処分した。...道という道は死体で 埋まっている。死体が多すぎるので、何ヶ所かではピラミッド のように積み上げねばならなかった。 この地方を組織的に破壊し、反乱者を殺戮するよう命じた国民公 会の指示を忠実に実行したフランソワ・ウェステルマン将軍の報告 である。大砲での処刑、船倉に閉じ込めたままの溺死刑、子供を馬 で蹴り殺す刑等々、犠牲者は約40万人に上る。 また都市部では、ギロチンによる粛正の嵐が続いた。 グレーブ広場で、ついで革命広場と転覆王座の壁でギロチン がたえまなく働きつづけ、多いときには連日、5,60人の犠 牲者が荷馬車で運ばれてきた。パリでは、革命政府が活動を始 めた1793年3月から、「テルミドール9日」でロベスピエール が没落する1794年7月までに、1862名が処刑された。テルミド ール後の処刑まで含めると最終的には2639名が犠牲となった。 斬首されたのは、貴族よりも職人や小商店主の方が多く、狂信 というより惰性から処刑が行われた。 このような恐怖政治が、各地で行われた。最終的な犠牲者は200 万人に上ると推定されている。[2] ■4.革命の暴走・迷走■ 「自由、平等、博愛」という人権宣言の精神ですら、その作者はオ ランダとの交渉の中で、こう語ったと伝えられている。 そのさい、フランス側の過酷な条件をおしつけて、24時間 以内の回答を強要した代表は、ほかならぬシェースであった。 オランダ代表が、「人権宣言」の作者が弱国をこんなにいじめ るのは、どうしたことかと嘆いたのに対して、シェースは平然 として、「原理は学校のためにある。権益は国家のためにあ る」と答えたという。[1,p31] 前節の農民虐殺や恐怖政治を見れば、シェースのこの言葉を待つ までもなく、「自由、平等、博愛」がいかに革命の実体とかけ離れ た空虚なスローガンであったかがわかる。 フランス革命が最初から王政打倒を狙ったものではなかったのは、 革命のシンボル、三色旗の真中にブルボン王家を象徴する白を挿入 している事からも明らかである。しかし封建貴族達は国外亡命し、 外国勢力と結託して革命つぶしを狙い、ルイ十六世も他国の王室に フランス侵攻を依頼する「売国」的な行為で愛想をつかされ、革命 の熱狂のはずみで処刑されてしまう。 だが、近代国民国家を作り上げるには、国民統合のための中核が 不可欠であり、結局それを求めて、その後八十年もの間、フランス 人は振り子のように共和制と王政・帝政を繰り返す迷走を続けなけ ればならなかった。 ■5.明治維新とフランス革命■ こうしたフランス革命の遠隔作用のもとになしとげられたと言わ れる我が明治維新の実態はどうなのだろうか。 ルイ十六世に相当するのは、封建領主の頭目たる徳川慶喜である。 慶喜は外国勢力の介入を排除し、自ら大政奉還を行う。国外から革 命をつぶそうとしたフランス貴族とは正反対に、日本の武士は維新 の中心となり、さらに自らの特権を放棄して四民平等を実現した。 そして「王政復古」の形で、皇室を統合の中心に据え、あざやかに 近代国民国家建設を果す。 明治維新全体での犠牲者も西南戦争を含めても、2〜3万人と、 フランス革命の200万人とは、2桁も少ない。 また政治制度のうえでも、明治維新以後わずか二十余年でアジア 最初の議会をつくって、近代的な憲法を持った。有権者の対人口比 は1.1%で、革命40年後のフランスの有権者の比率は0.6%よ りは進んでいる。[3] 大虐殺、粛正、その後のナポレオン戦争、そして帝政への揺り戻 し、と二転三転したフランス革命に比べれば、わが明治維新とは、 民族の叡智と自己犠牲の精神が主導して、はるかにスムーズに国民 国家建設に成功した、世界史上にも希な例と言えるのである。 ■6.自虐的自画像の押しつけ■ とはいえ、いまさら日本人がフランス革命を貶めて、彼らの自画 像にケチをつける必要もない。彼らなりに「自由、平等、博愛」を 世界に先駆けて唱えた自らの先祖を誇りとし、子孫としてその理想 の継承を志す事に異議を唱える権利は他国民にはないのである。 しかし、日本人がこうしたフランス人の自画像を受け売りして、 主権在民の精神が日本の憲法に明記されるためには、さらに 数十年、昭和二十一年まで待たねばならない。[1,p4] とまで卑屈になるのは愚かしい。日本人にも、自分自身の自画像 を描く権利があるはずである。 フランス人の幸福そうな表情は、自らの自画像に誇りと自信を持 ち、そこに現れた先祖の理想を継承発展させようと志す所から来る ようだ。とすれば、上記のような「自虐的」自画像を押しつけられ ている現代日本の青少年は、幸福になる権利を奪われているとも言 える。 「幸福追求の権利」は日本国憲法第十三条に謳われているのだが。 [参考] 1. 世界の歴史10、フランス革命とナポレオン、桑原武夫編集、 中公文庫、S50 2. 「戦後憲法の原型」とは何だったのか、明日への選択、H9.8 3. 私が反日歴史教育に挑んだ決定的な動機、藤岡信勝、正論、H9.1 ■ おたより: ゆーやさんより 自由・平等はともかく、博愛の名の下になぜ戦闘や処刑ができる のか、謎でした。シェースのことばの引用を読んで得心しました。 「博愛と訳されていることばは、身内に対してむけられる愛であ って、兄弟愛と訳すべき。人類愛的な博愛という訳語は正しくな い」と、小学生か中学生のころに担任から聞いた事があります。 フランス語を解しませんので、単語の意味がそうなのか、革命の実 態を考えるとそう訳すべきということなのかはわかりませんでした が。 ■編集長より 博愛と訳されているfraternite(英語ではfraternity)とは、 先生の言われるとおり、兄弟愛とか同志愛と訳すべきでしょう。 時に共通の目的で結ばれた団体の中での結びつきを意味します。オ ームやナチスや共産党の中でも同志愛ならありますよね。 多くの市民をギロチンに送り、また自らもギロチンにかけられた ロベスピエールは、「共和主義者以外は共和国の市民ではない」と 述べています。ということは、共和制に賛成しない人間は、その市 民としての権利を認めず、殺しても良いということになります。 さらにロベスピエールの友人、サン・ジュストは、「共和制はそ れに反対するいっさいのものを絶滅することによって成立する」と 語っています。殺してもよいどころか、積極的に絶滅すべきだ、と いうのです。この意味でも、フランス革命はまさしく後のロシア革 命や中国の文化大革命の先駆と言えましょう。 |
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