日本の感性をよみがえらせよう

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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
まずは福地先生の小論文を読んで頂いた後に、今回は福地先生に関わる重大なある事実をお話ししなければなりません。・・・
 
 
教科書誤報事件は偶発事件だったのか
 
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高知大学名誉教授 福地惇
 
日本を永久に抑え込みたい旧敵国は、日本の近隣諸国をも巧みに利用する策略をしてきた可能性が高いと私は見ている。一種の「以夷制夷」戦略の実行である。それと思しき事例は多数に上るが、紙幅の関係で、日支関係における歴史認識問題を取り上げよう。
1982(昭和57)年6月下旬に突発した教科書誤報事件は、今では多くの人々の記憶からは薄らいでいるのだが、実に怪しく重大な事件であった。
時あたかも、高度経済成長で経済力を付け、エズラ・F・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979=昭和54年)で持ち上げられ、強国に復興できたと国民の多くが自信を回復していた時期である。この事件は、歴史教科書問題で一見大した問題とは思えなかったが、事態はこうだった。
この年、教科書出版各社が文部省の検定審査に提出した高騰歴史教科書はいずれもあの戦争を「日本軍が華北に侵略」と記述したが、それを検定調査段階で文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせた、と有力新聞各社が大々的に報道した事件であった。
新聞報道直後の文部省の調査で、その事実はなく、「誤報」であったと直ちに判明したが、シナ共産党、韓国政府の異常で猛烈な日本政府非難が沸騰してしまった。北京政府は、書き換えは日中共同声明の精神に違反すると厳重抗議してきた。韓国政府もこれに倣った。日本の左翼はもちろん大いに同調した。狼狽した鈴木善幸内閣はシナ共、韓国と左翼の攻勢に屈した。「侵略戦争で多大なご迷惑をおかけしました、教科書の内容を歴史の事実に遭うように直させますのでお許しください」と降参したのだった。謝罪証文として教科書検定基準に「近隣のアジア諸国と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」との文言が追加された。所謂『近隣諸国条項』である。時の内閣官房長官は、後の首相宮沢喜一である。近隣諸国の威圧に屈して「降参」すれば、その後はかなりの確率で立身出世できるのである。その事例は多数に上る。
実は、前年(昭和56年)の衆参同日選挙で自民党は圧勝して、経済成長で国民の自信も大いに回復してきたところで、同党は長らく問題にされていた左翼偏向歴史教科書の改善対策に前向きで取り組むことを決定していた。大いに注目すべき事実である。しかし、この騒動で自民党の歴史教科書改善政策は棚上げを余儀なくされただけではなく、謝罪の政府見解と『近隣諸国条項』、で再び取り上げるのは困難な事案に化してしまったのだ。
歴史教科書問題が異常なのは、「家永三郎教科書裁判」が象徴していた。戦前を悪しざまに叙述し過ぎると文部省検定は家永本を不合格とした。これをネタに家永と左翼反日運動団体や運動家が教科書検定は憲法違反だと訴訟を起こし、何と32年間(昭和40年〜平成9年)も係争が続いた異常さだった。日本の左翼がその主導者だが、一連の事態の背後に北京共産党政府や韓国政府の対日かく乱工作がなかったと言い切れるだろうか。
1982年の教科書誤報事件も、日本の左翼マスコミと北京やソウルの対日工作機関との連携による謀略の臭いがするのだが、当時の政権や国会、そして関係当局は真剣にこの問題の背景に探りを入れたのだろうか。かくして、今では政界も言論界も学会もこんな問題は大したことではなかったかのように、忘れたようなふりをしている。シナ共産党や韓国政府が「歴史カード」を縦横に活用して、教育問題への内政干渉や対日威圧外交を堂々と展開し始めたのは、この事件が大きな契機だったのである。
(日本戦略研究フォーラム季報掲載より 画像は福地先生から頂きました)
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福地先生は高知大学教授を経てから文部省の歴史教科書の検定にあたる主任教科書調査官(日本史担当)に就任なされました。
そして問題の平成109月、福地先生は会員制月刊誌「MOKU」(黙出版)の平成108910月号の「西郷隆盛と勝海舟」をテーマにした座談会を行い、その座談会で教科書検定基準の「近隣諸国条項」を批判したとして、福地先生は主任教科書調査官の更迭処分を受けました。
しかし、その内容が処分を受けるべき内容であるのか皆さんにも読んで頂きたく以下に掲載いたします。この時の出席者は福地先生と外交評論家で元駐タイ大使の岡崎久彦氏、お茶の水女子大名誉教授の勝部真長氏の三氏です。(以下敬称略)
 
岡崎 「…戦後は平和主義だからよくて、戦前は帝国主義だからけしからんというわけですね。ああいう歴史観というのは直らないですかね」
福地 「ちょっと無理ですね。私は今年の四月から文部省の教科書調査官になったんですが、平成十年度は小学校の社会科で六年生から日本史が入っていまして、それを読むと、近代史が幕末から現代までの半分ぐらいあって、ほとんど戦争に対する贖罪(しょくざい)のパンフレットなんです。
…僕はちょっと気が滅入りました。あの戦争はよかったとはいえませんが、わけありでああいうことになったわけで、日本だけが悪いという感じで書かれると、子供たちが本当にどういう気持ちがするだろうかと思いますね」
岡崎 「現代のモラルを過去の歴史にあてはめて考えるということをやめるということにならないのかな。文部省の中でそれを正面から取り上げてもだめですか」
福地 「難しいですね。というのは、政府がそういう方針で、鈴木内閣の宮沢官房長官の教科書問題のとき以来、歴代首相がずっと謝っていますからね。しかも、教科書検定のときに、近隣諸国条項というのがあって、日本は侵略戦争をして悪かったと書いていないとまずいんです。そういうがんじがらめの体制になっていますから。教科書を書く人が、戦前から戦後の日本というものをあまり貶(おとし)めて書きたくないと思っても、それができないわけです…」
岡崎 「日本がいなかったら、おそらく清国とイギリスの同盟でしょうね」
福地 「同盟にいけるまで中国が立ち上がったかどうか。あそこは蒋介石、毛沢東が出てくるまでは四分五裂ですからね。ロシアとイギリスに上手に分割されたんじゃないですか」
岡崎 「そうですね。黄河流域と揚子江流域の間あたりで分割された可能性がありますね」
福地 「日本の中国進出には、そういうことを阻止した面もあったわけです。ところが、小学校六年生の社会科の教科書には、南京大虐殺を匂わせる記述が必ず入らないといけない状態になっています。上海事変から南京攻略まで、写真入りでかなり詳しく書いてあって、非戦闘員である中国の婦女子、あるいは無辜(むこ)の民を凌辱したと書いてあるわけです。戦争ですから、そういうこともあったでしょうが、そういうことばかりを教科書で子供たちに教えている国というのはないと思いますね」
「世界大戦の悲劇が強烈だっただけに、日本は戦争というものに対してアレルギーになり過ぎたんですね。すべて戦争は悪ということになってしまった。…戦争というのはいいものじゃないですが、やむにやまれぬ状況での戦争なんです。自分たちの母国を守りたいというのは人類の本能で、それは二十一世紀になっても変わらないと思うんですね。ところが、日本の戦後教育は、その本能が間違いだとずっといってきている。それで日本は生き残っていけるんでしょうか」
「戦後の歴史学というのは、現代のフィルターをかけて、そこに合わせ過ぎちゃっているんですね。当時の人はなにを思って、なにをやっていたのか。似たような言葉でいっているんだけれども、その言葉そのものの概念がかなり違うわけです」・・・・・
 
この福地先生のご発言は全くその通りであり、何も問題などありません。
近隣国から付け入られる近隣諸国条項こそ問題なのであります。
この月刊誌が出た時は何も騒がれずにいました。しかしその6ヵ月後、江沢民が来日するに当たり共同通信がこの座談会を配信し、朝日新聞を筆頭にマスコミが騒ぎ出したのです。
すると元東大教授である有馬文部大臣は「実にけしからん発言だ」と言って福地先生を更迭しました。文部省は福地先生を文書による厳重注意処分にした上で教科書調査官を解任し初等中等教育局付にしたのです。
 
これに対し反日左翼団体はこのような声明を出しました。
 
昨年11月に一連の不穏当な言動によって教科書調査官を解任された福地惇氏が、今年4月1日付をもって初等中等教育局視学官に任命された。私たちは、検定中の申請本の内容を一方的に公表して守秘義務に違反した福地氏を、文部省が視学官という重要な職に任命したことに抗議する。
私たちは、福地氏がすでに表明しているような、政府の公式見解とも矛盾し、国際的にも通用しない特異な歴史観にもとづいて、視学官としての立場から地方教育行政や教育実践研究などを指導したり、学習指導要領の伝達講習にあたったりするのであれば、その弊害はきわめて大きいものとなることを危惧するものである。
私たちは、福地氏が視学官としての業務を行うにあたって、公務員として当然守るべき日本国憲法の平和・民主主義の原則とその原点である侵略戦争の反省の立場を堅持することを求めるものである。また文部省は、すべての文部省職員が、日本国憲法・教育基本法の原則に立ってその業務を行うよう、指導を徹底すべきである。 私たちは、上記の当然のことが実行されるよう、ひきつづき監視を強めることをここに表明する。
                                                                                    1999年4月23日 
                                                                                           「教科書に真実と自由を」連絡会 
                                                                                            子どもと教科書全国ネット21   
                                                                                           日本出版労働組合連合会     
                                                                                            歴史教育者協議会         
 
 
以上の経緯、皆さんはどのように思われたでしょうか。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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「天皇制」という言葉を使っている人がいます。また、ある意図をもって使っている人もいます。
しかし、日本人として、この「天皇制」という言葉は使うべきでないでしょう。
『天皇制という呼称を使うべきではない理由』という谷沢永一氏の著書があります。
ここから一部抜粋して記事とさせて頂きます。・・・・・
 
世には、皇室に反感を抱いている方もある程度は見かけます。
その方々の信念を尊ぶこと決してやぶさかではありません。
単に見解の相違として袂を分かつのみに終わります。
しかし、皇室を敬愛することひとかたならぬ人なのに、事情をご存知ないものだから、胸中に崇信の念を持ちながら、「天皇制」という呼称を無意識で、何の気なしに使っておられる方々が少なくありません。
 
「天皇制」という言葉はもともと日本にはない言葉であります。
この言葉をはじめて使ったのは1922年(大正11年)1122日、コミンテルンが日本の労働者階級に呼びかけた次のような挨拶でありました。
「武力干渉と天皇制の政府とに対する日本の広範な労働者大衆の益々高まりゆく憤激の結果であった」
このソ連のコミンテルンというのは、世界共産主義革命の実現を目的とする共産主義者の国際組織であり、日本に対しては天皇を否定し”制度”にして解体することを目論んでいました。
 
そして、大正12315日の日本共産党の秘密会議で討議された革命運動の行動綱領にはじめて「天皇制」と書き込まれたのであります。
この呼称を共産党は決して外部に漏らしませんでしたが、昭和8年前後の一時期だけ非合法のプロパガンダに用いましたが、さっぱり効果はなかったのです。
共産党員でない日本の一般国民は、昭和201020日の『赤旗』第一号に「我々の目標は天皇制を打倒して」と記されるのを見るまで「天皇制」という言葉があることも知らなかったのです。
我が国は日本神話の天地開闢(てんちかいびゃく)以来、「天皇制」という不敬な呼び方を使ったことはありませんでした。日本人が言い出したのは昭和の戦後以降であります。使わせようとしたのは共産主義者や左翼の我が国体破壊を目論んだ連中でありました。それを何も知らない国民は自然と使うようになってしまったのであります。
 
これを見てもわかる通り、この「天皇制」という言葉はソ連共産党が指導して、世界革命を目指すコミンテルンによる造語であり、共産主義の天皇抹消の闘争目標である「天皇制打倒」、「天皇制廃止」と言いきる時に使われた言葉であり、天皇陛下を罵り、辱しめ、貶め、いやしめ、憎むための言葉であります。
天皇陛下は制度によっているものでもなく、機構に属しているものでもありません。我が日本の国体そのものであります。ゆえに「天皇制」という呼称は事実に即していない間違いであります。
しかし、保守の振りをした転向者は、この「天皇制」は使うことは間違いではないと言います。決して惑わされることないように注意したい。
 
我が国の皇統が確立して以来、天皇という尊称は揺るぎなく一貫して続いているのです。
『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』、『続日本紀』、いずれも等しく、天皇(すめらみこと)、または天皇(てんのう)と読み慣わしていました。
北畠親房は『神皇正統記』の冒頭に、「大日本者神国也。天祖(あまつみおや)・・・・」と記し、皇統一系、皇胤一種である伝統は唐天竺(からてんじく)よりも優れた文化を保持している事実を強調しており、天皇を崇敬することは日本人として途絶えぬ本性であったわけであります。
天皇陛下を、そして皇室を「天皇制」などと天皇抹殺を意図した共産党、コミンテルンの悪意に基づく呼び方は二千年を通じてどこにも見当たらないのであります。
 
我が国は天皇陛下と申し上げる以外、他に呼称はあり得ません。
真っ当な日本国民はこの言葉の意味することを理解し、断じて「天皇制」という言葉を用いるべきではありません。
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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「歌会始の儀」

 
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宮城・宮殿「松の間」で行なわれた「歌会始の儀」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。
天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。
歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後,年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。
歌御会始は,江戸時代を通じほぼ毎年催され,明治維新後も,明治2年(1869年)1月に明治天皇により即位後最初の会が開かれました。以後,改革を加えられながら今日まで連綿と続けられています。
明治7年(1874年)には一般の詠進が認められ,これまでのように皇族・貴顕・側近などだけでなく,国民も宮中の歌会に参加できるようになりました。
明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることとなりました。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり,今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したものであります。
明治15年(1882年)からは,御製を始め選歌までが新聞に発表されるようになり,明治17年(1884年)からは官報に掲載されるようになりました。
大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,その附式に歌会始の式次第が定められました。これにより,古くから歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりました。しかし,大正15年12月,大正天皇崩御のため昭和2年には歌会始は行われなかったので,実際に歌会始と呼ばれたのは昭和3年(1928年)の歌会始からです。
そして,先の大戦後は宮内省に置かれていた御歌所が廃止され,在野の歌人に選歌が委嘱されました。また,広く一般の詠進を求めるため,お題は平易なものとされました。預選者は,式場への参入が認められ,天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになりました。召人は広く各分野で活躍し貢献している人々を選び,陪聴者の範囲や人数を拡大しました。また,テレビの中継放送が導入されて,さらに多数の人々が歌会始に親しむことができるようになりました。こうして歌会始への国民参加は,ますます促進されました。
長い歴史を有する宮中の歌会始は,明治と戦後の改革によって世界に類のない国民参加の文化行事となりました。短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ,これを披講する宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは,誠に喜ばしいことであります。
毎年1月の歌会始の儀では,天皇皇后両陛下の御前で,一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人(めしうど)の歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌(みうた)と続き,最後に御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。
この儀式は,読師(どくじ)(司会役),講師(こうじ)(全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい)(第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう)(第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行されます。
宮内庁HPより引用
 
 
天皇陛下御製
 
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
 
 
皇后陛下御歌
 
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
 
皇太子殿下
 
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
 

皇太子妃殿下
 
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
 

秋篠宮殿下
 
湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ
 

秋篠宮妃殿下
 
難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
 

秋篠宮眞子内親王殿下
 
人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり
 

常陸宮殿下
 
海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり
 

常陸宮妃殿下
 
被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす
 

三笠宮妃殿下
 
今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ九頭竜川の岸の川原に
 

寛仁親王家彬子女王殿下
 
大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか
 

高円宮妃殿下
 
福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中
 

高円宮承子女王殿下
 
紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青
 

高円宮典子女王殿下
 
対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり
 

高円宮絢子女王殿下
 
海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる
 
【召人】

堤清二さん
雲浮ぶ波音高き岸の辺に菫咲くなり春を迎へて
 
【選者】

岡井隆さん
いのちありてふたたびドナウ源流の岸べをゆきし旅をしぞ思ふ
 

篠弘さん
かはらざりし北上川に花びらが岸のほとりの早瀬を走る
 

三枝昂之さん
なほ朽ちぬこころざしありふるさとの岸辺に灯る甲州百目
 

永田和宏さん
舫ひ解けて静かに岸を離れゆく舟あり人に恋ひつつあれば
 

内藤明さん
源は雲立てる山ゆつくりと流るる川の岸辺をあゆむ
 
【入選者】(年齢順)

茨城県 寺門龍一さん(81)
いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く
 

埼玉県 佐藤洋子さん(77)
対岸の街の明かりのほの見えて隠岐の入り江の靜かなる夜
 

奈良県 山崎孝次郎さん(72)
相馬市の海岸近くの避難所に吾子ゐるを知り三日眠れず
 

長野県 小林勝人さん(71)
ほのぼのと河岸段丘に朝日さしメガソーラーはかがやき始む
 

大阪府 山地あい子さん(70)
しほとんぼ追うて岸辺をかける子らつういつういと空はさびしい
 

千葉県 宮野俊洋さん(67)
春浅き海岸に咲く菜の花を介護のバスが一回りせり
 

カンボジア 渡辺栄樹さん(65)
子らは浴み岸辺に牛が草を食(は)むこぞの我らが地雷処理跡
 

京都府 大石悦子さん(57)
とび石の亀の甲羅を踏みわたる対岸にながく夫を待たせて
 

福島県 沢辺裕栄子さん(39)
巻き戻すことのできない現実がずつしり重き海岸通り
 

大阪府 伊藤可奈さん(17)
岸辺から手を振る君に振りかへすけれど夕日で君がみえない
 
 
 
新年恒例の「歌会始の儀」が12日、宮城・宮殿「松の間」で行われました。
今年のお題は「岸」。畏くも天皇、皇后両陛下や皇族方のお歌のほか、1万8830首の一般応募(選考対象)から入選した10人の歌が、古式ゆかしい独特の節回しで披露された。 
畏くも天皇陛下のお招きで歌を詠む召人は詩人・小説家の堤清二さん(84)が務めた。
 畏くも天皇陛下におかせられましては昨年5月6日、東日本大震災のお見舞いで岩手県を訪れ、ヘリコプターで釜石から宮古まで移動した際に、上空から見た被災地の印象を詠まれあそばされた。
 
 皇后陛下におかせられましては、被災地で行方不明になったの家族のお気持ちをとらえられ、戦後外地、シベリアから抑留者の引揚げ、などさまざまな待たれる人の姿を詠まれあそばされた。
皇太子殿下におかせられましては中学3年の修学旅行で東北を訪れたときの光景を題材にされた。
皇太子妃殿下におかせられましては、東日本大震災の被害に心を痛めあそばされ、平成8年に福島市土湯温泉町のハイキングコースで見た美しい自然と被災地の人々への思いを歌に込められました。
 
 
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歌会始の儀で朗詠を聞く最年長入選者の寺門龍一さん(中央左)=12日午前、宮城・宮殿「松の間」
 
 
 
 
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歌会始の儀で朗詠を聞く沢辺裕栄子さん(後列右から2人目)=12日午前、皇居・宮殿「松の間」
 
 
 
 
来年の歌会始のお題「立」
 
 
 
 
大和言葉の「うたふ」の語源は「訴ふ」で、和歌は声に出して歌う(読み上げる)ことに本来の意味があるということです。
しかも、それが千年以上の伝統をもつ雅びな披講の流儀で現代の我國に活きており、毎年公式の正月行事として続けられることの文化意義は大きく、世界に誇れるものであります。
 
 
 
 
 

 
 
 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳



畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。


転載元転載元: 美しい国

昔ドイツの声楽家で、ゲルハルト、ヒッシュという人が伊勢神宮に参拝したそうです。その時、神宮のたたずまいに感じ入って、「われわれの民族も、大昔はこのような素晴らしい、なつかしいものを持っていました。だが、それはキリスト教の普及によって、失われてしまいました」

と洩らしたそうです。以前皇后陛下の和歌を「セオト」というフランス語での和歌集として竹本忠雄氏が編纂したとき、この皇后陛下の和歌の中にある、日本民族の根っことも言える感覚、情緒を、読んで味わったフランス人或いはアフリカ人が、なつかしいものを感じ、自分達の民族の失われた根っこを、まるで記憶の中から呼び覚まされたような感覚で感じ取ったらしいことを、国際派日本人養成講座の記事で読んだことがあります。

ヨーロッパ人の民族の根っこというものが、かなりキリスト教によって失われたということは、根っことはその民族の宗教観に結びついたもの、そして宗教とは、その民族の世界観そのものであるといえるかも知れません。

とすると、日本人は、仏教と儒教を大陸から取り入れましたが、「日本人は仏教と儒教の普及によって、やまと心は失われてしまいました」と、言わなくてもすむことは、実に素晴らしいことなのではないでしょうか。そして、なぜ失われなかったかといえば、それは天皇の御存在こそが、その理由であると言えます。

明治天皇が、日露戦争の折に

しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

と詠まれたように、日本人のやまと心は、尊皇愛国の道に通じています。また国難に際しては天皇自ら当たらせられ、昭和天皇のように、身を投げ出しても国民を守ろうとされました。この君民一体の国柄が、常に外国の文化を受け入れながらも、やまと心を失うことなく、民族の根っこを守り続けてきたのではないでしょうか。

しかし、現在、かつては和をもって貴しとした日本の国民は、戦後の日本国憲法の下、権利の意識ばかり肥大し、個人の自由を最大の価値と位置づけ、そのため世の中には、モンスター◯◯と呼ばれる人々さえあらわれるようになりました。

占領政策によって、国家観を失い、”家”の観念を失い、今や家族すらもバラバラになりつつある日本に、周辺の隣国の動きはというと、尖閣諸島周辺に中国戦艦が頻繁にあらわれ、ロシアも、韓国も乗じるように本来日本の領土である場所に基地を作るといいます。北朝鮮では、新支配者の権威付けにテロが起こす可能性もあるといいます。国内では、一体どこの国に奉仕するのかわからない政治家やマスコミでいっぱいです。それでも危機感を感じない国民も大勢いるのです。

ただ、今回の東日本大震災で、日本は尊い犠牲の上に、滅私奉公という美徳を、戦後初めて素直な賞賛の気持ちをもって見たのではないでしょうか。一旦緩急あれば義勇公に奉じた人々の崇高な精神、そして被災者のお互いを気遣い合う心、日本人はいままで捨ててきたやまと心を見、それを美しいと感じたはずです。

そして天皇皇后両陛下の被災者を見舞われる慈愛と真心のお姿、そのお二人に励まされる人々、総理大臣には真似できない威厳と温かさを、長い歴史に連綿と受け継がれた本当の国の中心とは誰かを感じ取ったのではないでしょうか。

建武の中興の頃、かつて唐に学び、忠臣菊池家の子孫を指導した大智禅師は、こんな詩を賦しました。

  冷暖分明、只みずから知る
  男児、あに人に欺かるべけんや
  日本真金の貴きをもって
  大唐の鍮子(真鍮)に博易(交換)して帰ること勿れ

(暖かいか冷たいか、日本本来の心に合うか合わないかは、自分でわかろう。日本人たるもの、外国かぶれして、欺かれちゃいけないよ。日本には純金にも比すべき貴いこころがあるものを。何で自分の国を卑下してまで、外国の主義思潮と交換することがあろうぞ)


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