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陛下の祈り(四方拝)

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四方拝(宮内庁書陵部蔵)
 
 
本ブログにご来訪の皆様は、元旦の早朝より、畏くも今上陛下が出御あそばされ、四方拝を行われたことはご存知だと思います。
数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、畏くも天皇陛下が御自ら行われることになっています。そのため、御代拝(ごだいはい)が認められません。
御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(畏くも天皇陛下の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となります。
ほかに、畏くも天皇陛下が元服(げんぷく)を迎える前は、御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、諒闇(りょうあん)(畏くも天皇陛下が喪に服している期間)は行われないことが慣例となっています。
四方拝の起源は明確には分かっていませんが、文献に見える初例は、『日本書紀』に記された、皇極天皇(こうぎょく・てんのう)が雨乞いのために四方拝を行ったのが最初とされています。千四百年前のことです。
元旦四方拝は、平安初期の嵯峨天皇の御代に始まったとみられ、中世、近世にも京都御所の清涼殿東庭で続けられてきた。
上記の画像はその当時を描いたものです。
左上の柱の陰に顔が隠れているのが天皇陛下で、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」という天皇陛下だけの束帯装束が見えます。そのすぐ前にいるのが蔵人頭(くろうどのとう)で、「御草鞋(そうがい)」という履き物を差し出しており、その次には近衛中将(このえのちゅうじょう)が御剣を捧げ持っています。寅の刻といえば図とは違って実際にはまだ暗いので、四方拝の座まで敷かれた「筵道(えんどう)」を殿上人(てんじょうびと)が紙燭(しそく)という灯りで照らしています。庭には、漢竹(かわたけ図の・左側)と呉竹(くれたけ)の間に唐人打毬(とうじんだきゅう)の図を描いた大宋(たいそう)屏風がめぐらされ、中に両面の短畳で三つの座が設けられています。図の上の方に見える青い畳は実際には北西側に置かれていることになりますが、まずここで北斗七星を拝します。次に図の右側、実際には北東側の紫の褥(にく=しとね)の座で天地四方を拝します。さらに図の下側、実際には南東側の青畳の座で山陵を拝するのです。このほか、張りめぐらされた屏風の中には、北向きに燈台と机を置き、机にはお香と花が供されてあるのが見えます。
『公事根源(くじこんげん)』という書物には「昔は殿上の侍臣なども四方拝はしけるにや、近頃は内裏・仙洞・摂政・大臣等の外は、さることもなきなり」とありますので、はじめは臣下の人々もそれぞれ自宅で行っていたようです。
四方拝は、明治四十一年に制定された皇室祭祀令(こうしつ・さいしれい)で規定され、戦前までは国家行事として行われていました。
現在も明治時代の作法に準拠して行われています。
現在、四方拝で畏くも天皇陛下が拝される諸神は次の通りです。

神宮(じんぐう)(伊勢神宮)
天神地祇(てんじんちぎ)
神武天皇陵(じんむ・てんのうりょう)
先帝三代の陵(みささぎ)(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)
武蔵国一宮(むさしのくに・いちのみや)・氷川神社(ひかわ・じんじゃ)
山城国一宮(やましろのくに・いちのみや)・賀茂神社(かも・じんじゃ)
石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう)
熱田神宮(あつた・じんぐう)
鹿島神宮(かしま・じんぐう)
香取神宮(かとり・じんぐう)

四方拝は、畏くも天皇陛下お一人がされる特別の祭祀で、その詳細は一般人はおよそ知る必要もないものですが、『内裏儀式(だいり・ぎしき)』や『江家次第(ごうけ・しだい』など、平安時代の儀式書には、四方拝の様子が記されています。
江家次第は、平安時代後期の有職故実(ゆうそくこじつ)書。著者は大江匡房で全21巻(現存19巻)からなっています。有職故実とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究することをいいます。当時は、知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ名残から、現在も深い学識・見識を持つ人を「有識者(ゆうしきしゃ)」と呼ぶのです。
 
畏くも天皇陛下は大晦日の夜、御湯(みゆ)で玉体(ぎょくたい)(畏くも天皇陛下の身体)を清められ、黄櫨染御袍で出御され、御座に着座された天皇陛下は、御笏(みしゃく)(「笏」とは、よく神主が手に持つ白木の板)をおとりになり、北に向かい、新しい年の属星の名字を七回唱えられます。
 
①貪狼星(どんろうせい)(子年)
②巨門星(こもんせい)(丑年、亥年)
③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年)
④文曲星(ぶんきょく)(卯年、酉年)
⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年)
⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年)
⑦破軍星(はぐんせい)(午年)
 
再拝(さいはい)(深く拝む動作を二回繰り返すこと)に続けて、呪文が唱えられます。『江家次第』によると、その呪文は次のようなものです。
 
賊冦之中過度我身(賊冦の中、我が身を過し度せよ
毒魔之中過度我身(毒魔の中、我が身を過し度せよ
毒氣之中過度我身(毒氣の中、我が身を過し度せよ
毀厄之中過度我身(毀厄の中、我が身を過し度せよ
五急六害之中過度我身(五急六害の中、我が身を過し度せよ
五兵六舌之中過度我身(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ
厭魅之中過度我身(厭魅の中、我が身を過し度せよ
萬病除癒、所欲随心、急急如律令。
 
ここで注意したいのは、原文中の「過度」という言葉です。
学術研究においては、一般に道教の常套句的文言として「守りたまえ」の意味として解釈されてきました。中国語の古代辞書『説文解字』や『経籍餐詁』によると、
「過」とは
・すぎる、わたる、よぎる、あまねく
「度」には
・ここでは、悟らせるを意味します。
 
すなわち、罪障は我が身を通して悟りへ至らしめん、「罪障から私を守ってください」ということではないのです。
この世に起こる罪障をすべて引受けられることを意味します。
陛下の民(臣民)を陛下が身を挺して護ってくださっておられるのです。
臣民は、難事が起こると、安易に限りを尽くして「魔除け」を望みます。しかし、陛下は引受け遊ばされておられるのです。
臣民は安易なほうへ流されます。しかし、陛下は困難をすべて受入れられるのです。
 
罪あらば我を咎めよ天津神民は我が身の生みし子なれば
 
大逆を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた、明治天皇の御製です。
御身を害しようとするものでさえ、自分の子であると庇う心をお持ちなのが、天皇陛下という存在なのです。
先帝陛下もマッカーサーに対して「我が身はどうなってもかまわぬ。国民を救ってほしい。」と覚悟を示しあそばされました。
臣民が始めた戦争でしたが、最後は臣民を護るため、ご聖断あそばされ、食糧難にあえぐ臣民を救われた。
 
我国には現在、内閣総理大臣はじめ大臣が存在します。かっては国政を預けられた氏族を大臣(おおおみ)と呼びました。
政(まつりごと)は、祭事(まつりごと)と同じ読み方をします。語源は同じ意味になります。すなわち、政と祭事は一体なのです。政は祭事なのですから、政治は祭事、神事であり、ご神示に則って執り行われるのが、本来の姿であり、『祭政一致は』は日本の伝統でした。
しかしながら、現在の政(まつりごと)は神意に則ったものとは程遠い状況です。
また、政(まつりごと)の混迷を現した世相も乱れています。
 
しかし、陛下は一億三千万人の「罪障」を引受けておられるのです。
まつろわぬ民も同じ「赤子」として・・・
 
 

転載元転載元: 美しい国

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良識ある日本国民の皆様には、お健やかに新春をお迎えのことと存じます。

皇紀二六七二年の新春を奉祝いたし、貴方様には謹んで新年のお慶びを申し上げます。

昨年は格別の御厚情を賜りまして、ここに厚く御礼を申し上げ、本年もご指導、ご鞭撻の程を宜しくお願いいたします。

本年が貴方様にとって、日本国にとって、幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

皇紀二六七二年 平成24年 元旦 財団法人・日本遺族会、近野滋之

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_36034388_2?20120103090354

東日本大震災発生により、世界各国から日本へ救助隊派遣や義捐金が贈られましたが、大東亜戦争終結まで同じ統治領(植民地ではない)だった韓国と台湾について、マスコミは韓国のことしか取り上げません。

台湾からは200億円を越える義捐金が贈られて、復興の支援にと訪日旅行もしていますが、一方の韓国は、在韓日本大使館前に捏造した従軍慰安婦の碑を設置するなど、上から目線で金をたかろうとしています。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_36034388_3?20120103090354

私は一民族主義者として、真の日台友好を望む立場として、台湾による尖閣諸島・従軍慰安婦問題に抗議の記事を書いていますが、韓国が日本軍=極悪としていることが捏造だと証明するために、本日は、台湾統治時代の日本兵を簡単にご紹介させて頂きます。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_36034388_4?20120103090354

助けてくれた日本人の将校さん

昭和20年の春、台湾南部を走る満員の汽車のステップに立ち、振り落とされまいと必死に鉄棒に掴まっている12、3歳の少女がいた。名は楊素秋(日本名:弘山貴美子)さん。

台南第一高等女学校(4年生の旧制中学)を受験するための参考書などを詰めたリュックを背負い、3日分の米と野菜を入れた布袋2つが両腕に痛いほど食い込んでくる。

隣に立っていた20歳ぐらいの日本人の将校さんが心配そうに「大丈夫ですか」と聞くが、もう返事をする気力も残っていなかった。将校さんが「その荷物を捨てなさい。早く捨てなさい」と言った。

ちょうど汽車は鉄橋にさしかかった所だった。鉄棒から片方の手を離して荷物を捨てた時、ゴーと鉄橋に渦巻く列車の轟音にハッとした楊さんは、左足をステップから外してしまった。「助けて」と叫ぼうとしたが、目の前が真っ暗になって、意識を失ってしまった。

遠くで聞こえていた大勢のざわめきが、段々と近くなってきた。誰かが頬を叩いている。「気の毒にね。いたいけな子供が。顔が真っ青だよ。」「いやぁ、その軍人さんがいなかったら、この子は川の中だったな。」

気がついたら、楊さんは知らないおばさんの膝の上に抱かれていた。おばさんはニコニコしながら「ああ、よかった。息を吹き返さなかったら、どうしようかと心配していたのよ」と、楊さんのおかっぱ頭を撫でた。

台南駅につくと、おばさんは楊さんを抱いて窓から外に出してくれた。窓の外には、あの将校さんが待ち構えていて、楊さんを抱き降ろした。

汽車のステップの上に立ち、自分の荷物を抱えて立っているだけでも大変なのに、その将校さんは気を失って転落しかけた楊さんをとっさに掴み、引っ張り上げてくれたのだった。下手をすれば自分も一緒に落ちてしまうかもしれないのに。

「あのう、、、お名前を教えていただけますか?」と楊さんが聞くと、将校さんはプッと吹き出し、「ハハハ、子供のくせに。いいから気をつけて帰るんだよ」と将校さんは手を振って、汽車に乗り込んだ。

爽やかな笑顔だった。汽車が遠くかすんで見えなくなるまで、楊さんはそこに立ちすくんでいた。将校さんへの感謝を繰り返し、武運長久を祈りながら。

楊さんは、その後、名前だけでも聞いておけばよかった、と50年以上も悔やむことになる。生きている間にもう一度お会いして、お礼を言いたい、、、そんな思いを抱きつつ、楊さんは戦後、成人してから小児麻痺の子供10人と健常者の子供20人を預かって育てあげた。

あの将校さんは自分の命を助けてくれただけでなく、他の人に尽くす力も与えてくれたのだった。

自分の国の兵隊さんは、こんなに素晴らしい

台南には日本陸軍の第2歩兵連隊が駐留しており、年に何回かある記念日には閲兵式があった。その行進の歩調は、イチニ、イチニとピッタリ揃っていて、沿道を埋め尽くした人々が、みな固唾を呑んで見とれていた。

ある日、演習があって、楊さんの家の前の木陰で休んでいた兵隊さんが立ち上がろうとした拍子に銃を落としてしまった。上官がそれを見て、兵隊さんに鼻血が出るまでビンタを張った。

ぶたれながらも兵隊さんは気を付けをしたまま、敬礼して「ありがとうございました」と言うだけだった。その敬礼は崩れず、実に格好良かった。

その様子を息をこらして見ていた楊さんは、子供心にも軍の厳しさを感じ取った。兵隊さんでだらしのない人は一人も見たことがなかった。自分の国の兵隊さんは、こんなに素晴らしいのだと、楊さんたちは誇りにしていた。

昭和18年、楊さんが5年生の時には、台南市でも米軍の爆撃が激しくなり、一家で祖母のいる大社村という田舎に疎開した。そこにも日本の若い兵隊さんたちがおり、日本語の話せる楊さん一家に、自然に遊びに来るようになった。

楊さんの母親は兵隊さんたちを自分の子供のように可愛がって、おやつやご飯をたくさん作って、たらふく食べさせた。満腹になって帰って行く兵隊さんたちには「明日もおいで」と声をかけた。

兵隊さんたちは、お礼代わりに、水汲みを手伝ってくれたり、また支給品の三角巾や薬を使わずに持ってきてくれた。

中には自分が使っていた立派な万年筆を楊さんの父親にあげようとして断られると、「お願いですから使って下さい」と半ば強引に置いていった兵隊さんもいた。

兵隊さんたちはお互いの間では「おい、こら」などと言っているのに、楊さんに向かうと「喜美ちゃーん」とニコニコしていた。子供にはとても優しかったのだ。

軍隊では時々映画を見せてくれるので、そういう時は「喜美ちゃーん、映画に行かんか」と誘ってくれる。楊さんは「はーい」と言って元気に家を飛び出す。5年生で小さな楊さんは周りが皆兵隊さんばかりで画面が見えないので、いつも肩車してもらうのだった。

(国際派日本人養成講座)抜粋
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog361.html



日本統治時代の台湾は「助けてくれた日本人の将校さん」と感謝をしていますが、韓国は捏造した従軍慰安婦の碑など反日国家で、平成24年は民主党政権倒閣・反日勢力根絶のために戦いましょう。

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転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

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