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サイタニのブログからの転載です。
 竹田恒泰著  「皇族たちの真実」より
               なぜ男系継承にこだわったか 
  
  
毎月7日間天皇が不在になる
 
時代と共に 天皇のあり方は変化しているが、古代から現在まで変わらないところがあるとすれば、それは、天皇は神事を行なう存在であるということだ。具体的には毎年正月に行なわれる四方拝(しほうはい)、秋の新嘗祭(にいなめさい)などの大祭をはじめとし、天皇は日々数々の神事を行なうため、多忙を極める。

神事は 天皇の最も重要な役割の一つである。「政」と書いて「まつりごと」と読ませるように、神事は政治の重要な要素と観念されてきた。

ところが、古代から現在に至るまで、「月のさわり」、つまり生理中の女性は全ての神事にかかわることが厳しく禁止されてきた。なぜならば、朝廷において出産と死、そして生理は「穢れ」として忌み嫌われてきたからである。そのため、皇子が誕生する場合でも宮中を稜さないために、御所の外での出産が義務づけられてきた。また出産の場面に立ち会った人も稜れを受けたとして、一定期間宮中への参内を禁止されたほどの徹底ぶりである。

明治以降、出産を稜れとして憚(はばか)らないことが決められたが、生理と人の死については、いまだに稜れであるとされている。祖母の竹田光子から伝え聞いた話によると、曾祖母の竹田宮昌子内親王(明治天皇の皇女)は当主の竹田宮恒久王が神事を行なうに当たり、毎日その準備を手伝っていたが、自らが生理期間中は決して神殿に近づこうとせず、また女性の職員たちにも、各々生理期間中は神事に一切かかわってはいけないと厳しく監視していたという。
 
したがって、もし女性が 天皇になった場合、1か月のうち、およそ7日間は神事を行なえないことになる。日々行なわれる神事が滞ることになるばかりか、万一、生理と元日や新嘗祭などが重なった場合、重要な神事を中止または延期しなくてはいけない事態に陥る。延期しても差し支えない神事であればよいが、元日の四方拝や秋の新嘗祭などは、その日の決められた時間行うからこそ意味があるものであり、延期させること自体が趣旨に反するため、事実上中止を余儀なくされることになる。

古くは関白や女官、また現代では皇族や侍従などが御代拝をすることはできても、それが続くと 天皇の尊厳に影響することにもなる。また四方拝や大嘗祭(だいじょうさい)などの重要な神事は御代拝が許されず天皇自ら行なわなければいけないものとされてきた
 
江戸時代には明正天皇と後桜町天皇の二方の女帝があったが、その時期、宮中祭祀は不十分にしか行なわれなかった。例えば、数ある宮中祭祀のうち毎年元日に行なわれる四方拝は最も重要なものとされるが、明正天皇と後桜町天皇の代にこの四方拝は行なわれていない。

戦国時代から江戸期にかけて多くの宮中祭祀が中断を余儀なくされたものの、この四方拝だけはほとんど中断することなく続けられてきた。それにもかかわらず女帝の間、四方拝は中止されていたのである。また 天皇が即位して最初に行われる新嘗祭は大嘗祭と呼ばれ、天皇一代一回限りの重要な神事とされている。応仁の乱以降中断していた大嘗祭が再興されたのは江戸初期の東山天皇の代であったため、それ以前に即位した明正天皇の代に大嘗祭は行なわれなかった。

また後桜町天皇は大嘗祭を行なったものの、その時期については女帝特有の配慮がされた。つまり、新嘗祭、大嘗祭は11月の2回目の卯の日か3回目の卯の日に行なわれることになっているのだが、天皇が「月のさわり」に入っていた場合は大嘗祭を行なうことができないため、初めの卯の日である11月8日と決めた上で、万一天皇が「月のさわり」となったら、次の卯の日である20日に変更するという配慮がされたのである。

ちなみに後桜町天皇の大嘗祭は予定通り8日に行なわれた。しかし後桜町天皇は、その後毎年行なわれる新嘗祭に一度も出ていない。このように、女帝は本質的には 天皇の役を果たすことはできないのである
 
  
女帝の困難性

次に、出産に関する困難について述べる。本来女帝はいったん即位したら生涯独身を強制され、また生涯出産が禁止される不文律があったとみえるが、もし女系の 天皇が認められ、女帝が出産することが許されたとしても、女帝が出産することについては大きな問題があることを指摘しなくてはいけない。
 
つまり、出産の前後は 天皇としての職務を行なうことができず、その間 天皇が事実上不在となってしまう。しかも、天皇は子沢山であることが望まれるため、出産は繰り返されることが期待されるが、出産のたびに長期間 天皇不在となってしまうことは問題である。

重要な神事にたびたび 天皇が欠席することがあれば、天皇の権威に影響を及ぼすことになる。天皇に求められるのは神事だけではない。天皇の役割を全うしようとすると出産ができず、また多くの出産をしようとすると 天皇の役割を全うすることができなくなる。
 
これはつまり、より多くの出産と、天皇の役割の両方を一人に求める ことは、完全に矛盾することを意味する。もし無理にこれを求めれば一人の女性に過度な負担をかけることになり、どちらも中途半端にならざるを得ない。

さらに、出産自体が危険であることも無視できない。近年は医療が進歩し、出産のリスクは軽減されつつあるが、近世以前において出産は母子ともに死と隣り合わせだった。『孝明天皇紀』や『明治天皇紀』などの記録を眺めていても、出産に際して母子ともに死亡するといった記事にしばしば出会う。出産の都度 天皇を死の危険に晒(さら)すことは、皇統の維持を不安定にさせることになる。

ここで、女性は死の危険にあってもよいといっているわけではないことに注意していただきたい。男性と女性では生理的な違いがあることは紛れもない事実であり、役割が異なっていると指摘しているに留まる。
 
例えば、現在の日本において女性が総理大臣になったとしよう。そして彼女が在任中にいきなり出産をすると言い出したら、日本国民全員が困ることになるだろう。出産をするのは自由だが、少なくとも総理を 退任した後にしてほしいという議論が起こるのは必至だ。
また総理大臣は本人の意思でいつでも退任することができるが、女帝の場合は譲位しても上皇となるわけで、一生その立場から逃れることができず、現代では譲位すら認められない。
したがって女性が天皇になることは、頻繁に天皇不在を生じさせるだけでなく、皇統の維持を女帝の出産に頼ることで、女帝自身を頻繁に晒すことになる。そのために皇位は男系の男子が継承しなければいけないものであると認識されてきた。 
   
女帝の困難性はそれだけではない。天皇の配偶者には複数の皇子女を儲けることが求められるため、もし女性が 天皇になると、天皇が皇后を兼務するのと同じことになり、それは一人に無理な負担をかけることになる。天皇が激務であると同時に、天皇の配偶者も激務である。

古代より男性が 天皇となってきたが、これは男性と女性で効率的に役割の分担をしていた結果であるともいえよう。一人の女性に天皇としての役割を求めつつも、複数の皇子女を出産して育て上げることまでも求めるなら、それは無理というものだ。
 
したがって特殊な事情で女性が 天皇となった場合も、皇太子が実質的に、天皇の職務を遂行するなどの措置が取られてきた。そして 天皇の配偶者は複数置かれることが原則とされていたため、実質的には一人の 男性と複数の女性によって役割を分担してきたことになる。

次に、女帝を立てた場合、女帝の結婚相手については大きな問題があることを指摘しなくてはならない。そもそも女帝は生涯独身でいなければいけない不文律があったが、もし女系の天皇を認めて、女帝も結婚しなければいけないとしても、女帝もしくは女性皇太子の 結婚相手を探すのは事実上不可能である。女帝の配偶者になる人物は 相応の格が求められるが、近親をのぞいて相応の候補は存在しない。


       
解答は先例にあり
 
  
ヨーロッパでは、各国の王家の間で姻戚関係が頻繁に結ばれてきた。女性皇太子と諸外国の王子であれば釣り合いが取れる。
   
有名なところでは、例えばフランスのルイー6世に嫁いだマリー・アントワネットはハプスブルク家(オーストリア)出身であった。このように王家の間の婚姻は現在に至っても頻繁に繰り返されている。
  
現在の英国女王のエリザベスニ世の夫のエジンバラ公は、ギリシャ王家のグリュツクスブルク家出身である。
 
  
しかし、日本の場合、天皇に外国出身の配偶者がつき、その子供が皇位に就いたことはただの一例もない。昭和22年に施行された現行の日本国憲法の第一条に  
 
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
と明記されているが、皇祖から現在に至るまで、時代によって 天皇の役割は変化しつつも、変わらないものがあるとすれば、それは、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であり続けたということである。
したがって、天皇の配偶者が外国人であっては、天皇は日本の象徴にならない。よって天皇の配偶者は外国人であってはならないことになる。
 
   そのため、日本はヨーロッパと違い、近隣諸国の王家の王子を女帝の配偶者に迎え入れることは全く以って不可能である。
    
 日本とヨiロッパは背景が異なっているのだ。外国の王室から日本の皇室に縁談話が持ち込まれたことがあるが、これは不調に終わった。  
 
明治14年にハワイ国王のカラカウア王が来日して明治天皇と会談したとき、カラカウア王は姪のカイウラニ一当時5)と山階宮定麿(やましなのみやさだまろ)王一当時13歳、海軍兵学校在学)との縁談を申し込んだ。カラカウア王は、この縁談を成立させることでハワイが米国に併合されるのを防ぐことができると考えていたと思われる。
しかし明治天皇は書簡にて、定麿王は既に結婚相手が決まっていることを理由にこの縁談話を断った。だが実際の理由は、この縁組が欧米の反感を買うことになり、また皇族が外国人と結婚することは日本の伝統から大きく逸脱することになるからである。
 
カイウラニは王位継承者であったが、明治28(1895一、ハワイ王国は滅亡した。また、北白川宮能久親(きたしらかわのみやよしひさ)王はドイツ留学中にドイツ貴族の娘と結婚したが、後に無理やり離婚させられている。


続く






日本の天皇という存在がヨーロッパの王室と違うのは祭祀王であるところですが、このたくさんの祭祀を行うには、確かに女性天皇ではかなり無理があるようです。

現在でも、天皇陛下はご多忙をきわめ、祭祀や御公務で、毎日のスケジュールは分刻みのような所があります。ブログ「美しい国」にはそんな天皇陛下の日々のお勤めの数々が紹介されていますが、年間数多くある祭祀に加え、各地各イベントへの訪問、各国大使や来日した重要人物との謁見などがほとんど毎日あります。肉体的精神的な疲労も大きいのではと思われるようなお仕事が多いです。それに加えて、震災豪雨の被災地訪問もあります。

もし仮に女性天皇が認められたとして、天皇としてのお勤めに加えて、母親としてお子様の育児なども手がけるとしたら、あまりにも負担が大きすぎる気がします。更には女性の生理出産と言った部分でも、やはり、女性天皇では、どうしても天皇のお勤めを全うできない部分が出てくるようです。

ところで記事中にフランスのブルボン王朝の話が出てきますが、ブルボン王朝というのは、日本の皇室と同じく、厳格な男系継承でした。ヨーロッパにも男系継承にこだわった王家があったのですね。







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