日本の感性をよみがえらせよう

PC不調と、私事雑用多忙のため停止させて頂きます。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

古来より天皇と和歌との結びつきは、非常に強く、歴代天皇は、和歌を詠むことで心の修養を積まれ、和歌を詠むことで心を慰められました。昭和天皇と和歌についての二人の方のお言葉を紹介したいと思います。これは昭和四十五年の時点でのお話ですので、今上天皇とは昭和天皇のことです。


イメージ 1
宮中三殿

 
■夜久正雄亜細亜大学国文学教授の言葉から

歌を作るということは、自分の心を言葉にあらわすことによって人に伝えることでありますが、同時に自らをみつめかえりみることであります。「自覚」ということです。このことは誰でもできるたやすいことのようでもありますが、実際にやってみると、実にむづかしいことであり、深い意味をもっていることがわかります。

今上天皇様は、この御修養としての歌の道を御生涯にわたってふみ行なっていらっしゃるのです。ですから、こうした御努力のあととしてのお歌は、発表されたその時々に、読む者の心をあたたかく導いてくださるお歌でしたが、さらに全体を通じて拝誦しますと、昭和五十年の国の歩みそのものが、お歌にあらわされていると思われるのです。

国の政治に労せられるお心のお歌、神々祭祀のお歌、戦死者慰霊のお歌、災害を悲しまれるお歌、各種産業御見聞のお歌、自然観賞のお歌、御家庭生活のお歌、年毎の歌会始のお歌、植林事業のお歌、国民体育大会のお歌、外国元首に対するお歌、生物学語研究のお歌等々、お歌の題材は、まことの歌の道がそうであるように人生万般にわたっております。

そうしてこうしたお歌にはもちろん天皇様の御経験が表現されているのですが、その御経験の内容は、われわれ国民の味わったこの時代の経験と本質的には変わらないものであることが、お歌を拝誦するとよくわかるのです。日本人はみな日本人として、――つまり国の運命のもとに一種の劇的な経験をしていると言うことができましょう。天皇様はそうした国民の歩みの先頭にお立ちになって、国家の運命そのものを身を以て経験されるのであります。

ですから、お歌を拝誦すると、われわれ国民の先頭に立って雄々しく歩んでゆかれる天皇様のお心が、ありがたくかなしく仰がれるのです。数ならぬ身のわれわれもまた、この天皇様のもとでこの時代を生きてきたのだ、この世を生きているのだという実感が、痛切に味わわれます。この思いが究極において日本国民の信念であり生きがいではないでしょうか。この気持は、お歌を読み味わうことによって養われ深められ強められるのであります。

今上天皇様のお気持ちのお歌の中に、こういうお歌があるのを皆さまはご存知でしょうか。「七十歳になりて」という題の昭和四十五年(1970)のお歌です。四首連作のはじめの三首を引用します。

七十(ななそぢ)の祝ひをうけてかへりみれば ただおもはゆく思ほゆるのみ

ななそぢを迎へたりけるこの朝も 祈るはただに国のたひらぎ

よろこびもかなしみも民と共にして年はすぎゆきいまはななそぢ

「よろこびもかなしみも民と共にして」――とお詠みになられる天皇様の深いお心に、われわれは何としてお答えしたらよいのでしょうか。天皇様のおよろこびとおかなしみとをしのびまつることによってわが身を正すことこそ、天皇様のお心におこたえする道ではありますまいか。国を思うことが天皇陛下のお心をしのぶことと一致するのが日本の国の国柄ではないでしょうか。お歌を読んでつくづくそう思います。

 
■元掌典長 甘露寺受長(かんろじをさなが)氏の言葉
思うに陛下は、歌のほかに御心を自由に現されることはないのであって、歌を通じてのみ思いのままを表現され本当の思召を述べていられる。

大正天皇は漢詩が特に御堪能で歴代中御一人と思われるほどであった。明治天皇は広く知られているように歌聖といわれた御方であったが、明治様も今上天皇もともにおほらかで平易で何人にも同感される御歌を詠まれた。明治天皇にも今上天皇にも戦後の御歌が多いのは、やはり、もの思われる感情のたかまりは国家非常の場合に多いのであろうと拝察する。

なほ今上天皇の神事に対する御態度の立派さは申すまでもないが、昭和二九年の神嘗祭には当時掌典長の私に侍従を通じて二首の御歌をお示しになった。これは神事に対する御心の深さを示されたものとして私の終生忘れ得ぬところである。
 

昭和天皇の御製のいくつかご紹介しておきます。
大正十年(一九歳の時の御歌)

社頭暁
とりがねに夜はほのぼのとあけそめて代々木の宮のもりぞみえゆく

ちなみに同じ年の大正天皇の同じお題の御製は 
神まつるわが白妙の袖の上にかつうすれ行くみあかしのかげ
でした。

社頭雪(昭和六年)
ふる雪にこころきよめて安らけき世をこそいのれ神のひろまへ

朝海(昭和八年)
天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を

神苑朝(昭和十三年)
静かなる神のみそのの朝ぼらけ世のありさまもかかれとぞおもふ

迎年祈世(昭和十五年)
西ひがしむつみかはして栄ゆかむ世をこそいのれとしのはじめに

連峰雲(昭和十七年)
峯つづきおほふむら雲ふく風のはやくはらへとただいのるなり

社頭寒梅(昭和二十年御歌会始)
風さむきしもよの月に世を祈るひろまへ清くうめかをるなり

折にふれて(昭和二十年)
海の外(と)の陸(くが)に小島にのこる民の上安かれとただいのるなり

松上雪(昭和二十一年)
ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ

災害地を視察したる折に
(同年)
戦いのわざはひうけし国民をおもふ心にいでたちて来ぬ

わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしとぞ思ふ

国をおこすもとゐとみえてないはひにいそしむ民の姿たのもし


靖国神社九十年祭(昭和三十四年)

ここのそぢへたる宮居の神々の国にささげしいさををぞおもふ

蔵前国技館「相撲」の御製の歌碑
ひさしくもみざりしすまひひとびとと手をたたきつつ見るがたのしさ
(歌碑建設の由来  昭和三十一年九月?十五日・大麻唯男謹識として次のように書かれている。
「昭和三十年五月  天皇陛下親しく蔵前国技館に行幸はじめて国民と共に本場所を御覧あらせられた  陛下は終戦時国民を想い「五内(ごだい)為ニ裂ク」と仰せられた  又日常国民の上に御心の安まる間とてもない  然るに御観覧中は椅子を進められ拍手を送られ大衆も之に和するという光景を現出したのであった  天皇が一般国民と一つになって我国の国技たる相撲を御覧になった和やかな情景は戦前では見られないことであった  陛下がかくもお喜びになったことが新聞ラジオテレビジョンによって伝えられるや国民全体はまた心の底から喜んだのである
これは其時の御製であって翌年正月初めて発表されたものである
我国相撲道の発展興隆期して待つべく大日本相撲協会の光栄まことに大なりと言うべきである」


立派な奉公

 
イメージ 1
 
 
大東亜戦争開戦2日目の1210日、イギリスの東洋艦隊の旗艦(司令官搭乗)プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスがとともに撃沈した。輝かしい日本海軍の勝利でありました。
イメージ 2
プリンス・オブ・ウェールズとは大英帝国の次期国王である皇太子の称号です。
これを早々に日本軍がやっつけてしまったのだ。
この衝撃はチャーチルは勿論のこと、全世界、特に東洋で支配されていたアジアの国々には大きな衝撃となりました。
残る3隻のイギリス駆逐艦は死に物狂いで射撃を続けている。しかし、日本軍はこの3隻の駆逐艦を見逃し、攻撃を途中でやめ、溺れている英国兵士の救出に当たったのです。
これにより、約7割を救助したのでありました。
 
 
翌日、日本軍の攻撃隊を指揮した壱岐春記大尉は海戦のあった上空を飛んで行きました。
そして、空から紅色の花束を二つ海に投げました。
ひとつは「戦死した部下の霊よ、安らかなれ」
そしてもうひとつは「戦に敗れた英国軍人の霊よ、安らかなれ」と、念じたのでした。
これぞ日本武士道の精神であります。
このマレー沖海戦は武勇でも道義でも輝かしい日本軍の世界へ誇れる戦いぶりであったのです。
 
日本人の伝統的な考え方、それは日本精神であります。
その考えは風土、社会、とりわけ身近に生活を共にする人たちの考え方に影響されるのです。
その中心的なものに“武士道”があります。
武士の職分は“奉公”であり、侍奉公と言いました。
また、武士に限らず徒弟や丁稚も“奉公”と言ったのです。
公に奉仕すること、社会、国に尽くすこと、みんなのために働いて責任を分担する。
武士と同じ心構えでいようということの表れであります。
 
武士は帯刀して武士の体面を保つ。
刀剣は武士の魂と言われる。刀がなければ戦えないからであります。
刀は武士のシンボルでありますが、それは人を斬るためのものではなかったのです。
人に刀を振り回させないためのものであった。
剣は強い人ほど抜かないものです。
心の修養で敵を威圧する、心服させる。それが真の勇者であります。
やむを得ない時以外に人を斬っては”刀が汚れる”と言った。
昔は刀を持たせてもらえるのは危険を知りそれに対処できると認められることを意味したのです。
刀を持てるのは一人前ということであります。
 
かつて、中学では剣道・柔道・竹刀・長刀、小学生は騎馬戦や棒倒しをやり、木刀を持てる。撃剣を習える。生徒たちは勇み立った。 しかし、まずやるのは板の間に正座をしての講義でありました。
武士の心得、弱気を助け強きを挫く、武士の情け、不時の心得、そして偉人の話を聞かされる。そして木刀を持つ前に刀を抜くなと徹底して教えられたのであります。
年長者を尊び、修身と道徳を熱心に学び、唱歌の時間にも修身を同時に学んだのです。
 
イメージ 3日本人は平素から貧窮に甘んじながらそれを恥とせず、不満を持たず、不自由を忍び、謙虚で素直で愚直なまでに従順でありました。
そして日本人は、天皇陛下を敬い、国を愛し、誇りと喜びに支えられて、情熱の意欲に満ちて国家に尽くしたのです。
世界を驚かせた日清・日露の勝利も、驚異的な発展も、ひとえに修身と武士道に支えられた若者たちが、愛国心に勇み立って邁進したお陰なのです。・・・
 
 
護国の英霊は潔く命を捧げた。
残された者たちはしっかり国を護らねば、先に散った人たちの死は無駄になる。
靖国の英霊たちよありがとう。お陰で我々は今、平和に過ごせています。
しかし、一旦危難が迫れば我々も断じて国を護ります。
立派に奉公してみせますからご安心ください。・・・
こういうことを言える日本人でありたい。
 
 
イメージ 4
 
・・・・・・
 
*人気ブログランキング(歴史部門)に参加しています。
      ここをポチッとご協力お願い申し上げます。
 

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

全1ページ

[1]


.
さざんか
さざんか
女性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(19)
  • 谷 潜蔵
  • エンゼル
  • 光
  • 敬天愛人
  • アジアや世界の歴史や環境を学ぶ
  • あかねこ
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事