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三島由紀夫氏の哲学の続きです。
大衆は群集心理的に動くだけである。
この日本大衆の精神的元禄化は結局、占領憲法が“国家の尊厳”を奪い去り、国とは、民衆が福利を得るための組合組織であると定め(日本国憲法の前文)たところにある。けれども自民党政府にこの憲法改正を期待することは出来なかった。
自民党政府を代表する佐藤総理はたびたび「私が総理である間は憲法は絶対に改正いたしません」と言明したのである。だから三島氏は政府に期待出来なかった。
それならば自分が少数者であっても直接行動に出るほかはなかった。少数者が直接行動に出る方法は、暗殺か諌死のほかはなかったのである。そして氏は諌死を華々しく見える劇的シーンに於いて最も国民を動かす形をもって実行しようと決意したのであった。三島氏は政府に対する絶望を次の如く書いている。
『政府にすら期待してはならない。政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである』と。
大衆の思想や行動は、一種の「流行」のようなものであって、一貫した理想をもたないのである。ひとりの女性がヘップバーン・スタイルの髪型をすると日本の女の殆ど全体が髪を刈り上げて、後ろから見たら男か女かわからない時代があった。ひとりの英国少女がミニスカートを着て、それが似合うと見えたら、殆ど全世界の自主的個性を失った女がミニスカートをつけ出した。今は、テレビに出てくる女の歌うたいが、髪を茶色又は紫色に染め、眼の上を青く塗り、つけ睫毛をし、あるいは眼に整形手術をして西洋人に似た顔つくりをして、全然自主的個性をもたないのである。
世論はこれらの顔の化粧と同じように、流行によってつくられて行くのである。唯、勇気ある個性あるもののみが化粧にも思想にも流行を追わないのである。大衆はこの勇気ある個性の持続者を「保守反動」という。三島氏の晩年は、この勇気ある個性の持続者であったが故に、段々文壇で孤立の位置に立つに至った。しかし三島氏はその少数者であることに誇りをもっていたのであった。
そして、みずからが少数者であることを誇りとして次の如く言ったのである。――
『では、その少数者意識の行動の根拠はなんであるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮のゆえに天皇を支持するのである。なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。……』(文化防衛論)
国とは時の政府のことではない
三島由紀夫氏は言う。
『日本は世界にも稀な単一民族単一言語の国であり、言語と文化伝統を共有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげており、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかっている。そして皮肉なことには、敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、(異民族問題はないのに、革命勢力は)……国を現実の政治権力の権力機構と同一化し、ひたすら現政府を「国民を外国へ売り渡す」買弁政権と規定することに熱意を傾け、民族主義をこの方向へ利用しようと力(つと)めるのである。』
これをここに引用したのは三島氏が「国を現実の政府と同一化し」といっているところに注意したいためである。革命勢力は現在の政府のやったことを皆「国がした」という語をもって表現することによって、国家というものは如何に悪いものであるかというような印象を国民全体に与えることにして、民族と国家とを分離して、民族主義を革命勢力の方へ引きつけようと巧みに「言語の魔術」を弄するのである。
しかし日本に於いては「国」とは、その時代又は一時期の政治を担任するところの幕府とか政府とかいうものではないのである。日本に於ける「国」とは天照大御神より発祥し、天皇を中心として展開し来たった歴史と文化と伝統とか渾然と融合した一体系を成すところの生命体なのである。
彼は“憲法に体をぶっつけて死んだ”
三島由紀夫氏の檄文は既に、多くの新聞にその全文が発表されたが、三島氏の檄文の骨子となるものは二つに分かれる。その第一は、自衛隊が国を衛るべき軍隊であるのに、「健軍の本義を与えられず……忠誠の対象も明確に与えられず」あまりに永く眠っていた。「自衛隊が目覚める時こそ、日本が目覚める時だと信じた。」
ところが何故自衛隊が目覚めないのであるかというと、占領憲法が忠誠の対象をハッキリさせず、士道の発露を縛っていて、愛国の真情を目覚めさせないようにしているのであるとて、第二段の占領憲法改正の必要を説いているのである。何故、占領憲法を改正しなければ自衛隊が目覚められないかというと、檄文はこう書いているのである。
『法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、最も悪質の欺瞞の下に放置されて来た』からである。
「軍が建軍の本義に立ち真の国軍となる日」を氏は希望して自衛隊に入って“楯の会”を結成したのである。三島氏は言う。
『楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。』
『しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。
総理訪米前の大詰めともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終わった。……治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得……これで、左派勢力には憲法維持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。……』
『憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、……われわれはこの日以降の自衛隊に一刻一刻注視した。……我慢に我慢を重ねても守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「みずからを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する男子の声はきこえては来なかった。……われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。』
『日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬやつはゐないのか。』
この占領憲法へ体をぶつけて体当りし、彼は、彼の壮絶なる行動に、自衛隊員が、その長夜の眠りから覚めることを希望して、日本古武士の作法に則り、割腹して、予定の通り、森田君に介錯してもらってその魂は昇天したのであった。
三島氏は以上の如く切々と、日本の魂と共に日本の建国の理想たる“天皇国家”が永い眠りの状態にあることを歎き、自衛隊が目ざめる時こそ日本が目ざめる時ぞと説いているのであるが、やっぱり自衛隊は三島氏の「要望書」にも「檄文」にも、その割腹に面してさえも、まだ直ぐには目覚めなかった。
大東塾はその機関誌『不二』の十二月号巻頭に「三島事件に対する所見」として発表せる所感には、“軍”としての意識の眠っている自衛隊高級幹部の「あの際における態度及び心境」を痛烈に批判していられるのである。そして、佐藤総理が、三島氏の行動を「狂気」として軽く評して何ら反省もなかったことや、特に中曽根防衛庁長官が「迷惑千万なことだ。三島らが国家の民主的秩序を破壊し、常軌を逸したことはきびしく糾弾されなければならない」などと暴言したことに対して、
『首相、長官の両者は、自分たちの一大責任を一切無視して、三島由紀夫一人を「狂気」「乱心」として辱め、保身のために、寄ってたかって葬り去ろう、胡麻化し去ろうとしているとしか考えられない。……日本のまっとうな政治家の基本的資格の一つは、その人間性のどこかに「武士的要素」を内包していることであると思うが、その「武士的要素」のうち大切なことは、愛国的主張のもとに地位も名誉も生命もかけて真剣に立ち向かってくる対決者に対しては、一刀両断することはよいが、決して「相手を辱めない」ことである。しかるに、この両者は、相手を極度に辱めて、いささかも省みないのである。相手を辱めることは、即ち自らを辱め、祖国・民族を辱めるものであることを知らないのである。悲しきかなである。』
中略
『自衛隊としては、相手が三島由紀夫であれ、誰であれあの場合、断乎として侵入者、占領者を撃ち殺すべきであったのである。この場合、相手が誰であるか、相手の思想がどうであるかなど問題にならない。そのためには総監が殺されても止むを得ないのである。そんなところに一点の躊躇逡巡もあってはならないのである。それは憲法問題とか何とかのずっと以前の問題である。「軍」というものの基本的な在り方の問題である。即ち撃ち殺すことによって三島側も真に生き、自衛隊側も真に生きることができたのである。
『自衛隊の高級幹部にそれができなかったのは、根本的には法的不備のためでも何でもない、国家防衛、首都防衛の自己の使命に真に生命をかけていないからである。武人たることを忘れて、サラリーマン化しているからである。実力行使を命令し、または自らが実力行使をして相手を撃ち殺した場合、「過剰防衛の故を以て殺人罪の問われはしないか」「野党から総攻撃を受けはしないか」「マスコミの集中攻撃を受けはしないか」などと色々考えて逡巡し、実行できなかったのであろう。そんなことでは断じて駄目なのである。そんなことでは「軍」は成り立たないのである。ここの根本のケジメを失ってしまったために、全責任を一身に背負って即決勇断することなく、責を他に転じて、防衛庁や警察庁と打合せたわけであろう。』
この根本のケジメを知っていたのが三島氏であった。三島氏は石原慎太郎氏が自民党に属しながらも自民党をきびしく非難しているのを「士道に反する」といって公開質問状を「毎日新聞」にのせたが、(中略)
三島氏は現在の日本の政治と政党の腐敗、欺瞞、無節操に、もうこらえ切れなくなった。しかし、三島氏自身も日本の国に属しているのであり、属するとすれば、その属する団体に“士道”をつくすのが武士としての道である。三島氏にとっては石原氏のように、政党の悪口をいうことだけで自分の鬱憤をもらすだけでは無害無益無効である。
「本当に知ることは行なうことでなければならない」という陽明学の倫理が氏には出て来た。そこで、その国に属するものが、その国の政治に不満と憤りがあるならば、石原慎太郎氏のように党に属しながら党の悪口をいうことでもなく、テロリズムに走ってその責任政治家を暗殺することでもなく、“諌死”の道を選ぶのが“士道”であると三島氏は知ったのである――そして“本当に知る”ということは実践することである。肉体の生命だけを尊重して魂の生命を殺しては何になるか。こうして三島氏は“士道”を知ると共に“士道”を完了するために“諌死”の道を実践したのであった。
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