日本の感性をよみがえらせよう

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三島由紀夫氏の哲学の続きです。

大衆は群集心理的に動くだけである。
 
 この日本大衆の精神的元禄化は結局、占領憲法が“国家の尊厳”を奪い去り、国とは、民衆が福利を得るための組合組織であると定め(日本国憲法の前文)たところにある。けれども自民党政府にこの憲法改正を期待することは出来なかった。
 自民党政府を代表する佐藤総理はたびたび「私が総理である間は憲法は絶対に改正いたしません」と言明したのである。だから三島氏は政府に期待出来なかった。
 それならば自分が少数者であっても直接行動に出るほかはなかった。少数者が直接行動に出る方法は、暗殺か諌死のほかはなかったのである。そして氏は諌死を華々しく見える劇的シーンに於いて最も国民を動かす形をもって実行しようと決意したのであった。三島氏は政府に対する絶望を次の如く書いている。
『政府にすら期待してはならない。政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである』と。
 大衆の思想や行動は、一種の「流行」のようなものであって、一貫した理想をもたないのである。ひとりの女性がヘップバーン・スタイルの髪型をすると日本の女の殆ど全体が髪を刈り上げて、後ろから見たら男か女かわからない時代があった。ひとりの英国少女がミニスカートを着て、それが似合うと見えたら、殆ど全世界の自主的個性を失った女がミニスカートをつけ出した。今は、テレビに出てくる女の歌うたいが、髪を茶色又は紫色に染め、眼の上を青く塗り、つけ睫毛をし、あるいは眼に整形手術をして西洋人に似た顔つくりをして、全然自主的個性をもたないのである。
 世論はこれらの顔の化粧と同じように、流行によってつくられて行くのである。唯、勇気ある個性あるもののみが化粧にも思想にも流行を追わないのである。大衆はこの勇気ある個性の持続者を「保守反動」という。三島氏の晩年は、この勇気ある個性の持続者であったが故に、段々文壇で孤立の位置に立つに至った。しかし三島氏はその少数者であることに誇りをもっていたのであった。
 そして、みずからが少数者であることを誇りとして次の如く言ったのである。――
『では、その少数者意識の行動の根拠はなんであるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮のゆえに天皇を支持するのである。なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。……』(文化防衛論)
 
 
国とは時の政府のことではない
 
 三島由紀夫氏は言う。
『日本は世界にも稀な単一民族単一言語の国であり、言語と文化伝統を共有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげており、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかっている。そして皮肉なことには、敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、(異民族問題はないのに、革命勢力は)……国を現実の政治権力の権力機構と同一化し、ひたすら現政府を「国民を外国へ売り渡す」買弁政権と規定することに熱意を傾け、民族主義をこの方向へ利用しようと力(つと)めるのである。』
 これをここに引用したのは三島氏が「国を現実の政府と同一化し」といっているところに注意したいためである。革命勢力は現在の政府のやったことを皆「国がした」という語をもって表現することによって、国家というものは如何に悪いものであるかというような印象を国民全体に与えることにして、民族と国家とを分離して、民族主義を革命勢力の方へ引きつけようと巧みに「言語の魔術」を弄するのである。
 しかし日本に於いては「国」とは、その時代又は一時期の政治を担任するところの幕府とか政府とかいうものではないのである。日本に於ける「国」とは天照大御神より発祥し、天皇を中心として展開し来たった歴史と文化と伝統とか渾然と融合した一体系を成すところの生命体なのである。
 
彼は“憲法に体をぶっつけて死んだ”
 
 三島由紀夫氏の檄文は既に、多くの新聞にその全文が発表されたが、三島氏の檄文の骨子となるものは二つに分かれる。その第一は、自衛隊が国を衛るべき軍隊であるのに、「健軍の本義を与えられず……忠誠の対象も明確に与えられず」あまりに永く眠っていた。「自衛隊が目覚める時こそ、日本が目覚める時だと信じた。」
 ところが何故自衛隊が目覚めないのであるかというと、占領憲法が忠誠の対象をハッキリさせず、士道の発露を縛っていて、愛国の真情を目覚めさせないようにしているのであるとて、第二段の占領憲法改正の必要を説いているのである。何故、占領憲法を改正しなければ自衛隊が目覚められないかというと、檄文はこう書いているのである。
『法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、最も悪質の欺瞞の下に放置されて来た』からである。
「軍が建軍の本義に立ち真の国軍となる日」を氏は希望して自衛隊に入って“楯の会”を結成したのである。三島氏は言う。
『楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。』
『しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。
総理訪米前の大詰めともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終わった。……治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得……これで、左派勢力には憲法維持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。……』
『憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、……われわれはこの日以降の自衛隊に一刻一刻注視した。……我慢に我慢を重ねても守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「みずからを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する男子の声はきこえては来なかった。……われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。』
『日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬやつはゐないのか。』
 この占領憲法へ体をぶつけて体当りし、彼は、彼の壮絶なる行動に、自衛隊員が、その長夜の眠りから覚めることを希望して、日本古武士の作法に則り、割腹して、予定の通り、森田君に介錯してもらってその魂は昇天したのであった。
 三島氏は以上の如く切々と、日本の魂と共に日本の建国の理想たる“天皇国家”が永い眠りの状態にあることを歎き、自衛隊が目ざめる時こそ日本が目ざめる時ぞと説いているのであるが、やっぱり自衛隊は三島氏の「要望書」にも「檄文」にも、その割腹に面してさえも、まだ直ぐには目覚めなかった。
 大東塾はその機関誌『不二』の十二月号巻頭に「三島事件に対する所見」として発表せる所感には、“軍”としての意識の眠っている自衛隊高級幹部の「あの際における態度及び心境」を痛烈に批判していられるのである。そして、佐藤総理が、三島氏の行動を「狂気」として軽く評して何ら反省もなかったことや、特に中曽根防衛庁長官が「迷惑千万なことだ。三島らが国家の民主的秩序を破壊し、常軌を逸したことはきびしく糾弾されなければならない」などと暴言したことに対して、
『首相、長官の両者は、自分たちの一大責任を一切無視して、三島由紀夫一人を「狂気」「乱心」として辱め、保身のために、寄ってたかって葬り去ろう、胡麻化し去ろうとしているとしか考えられない。……日本のまっとうな政治家の基本的資格の一つは、その人間性のどこかに「武士的要素」を内包していることであると思うが、その「武士的要素」のうち大切なことは、愛国的主張のもとに地位も名誉も生命もかけて真剣に立ち向かってくる対決者に対しては、一刀両断することはよいが、決して「相手を辱めない」ことである。しかるに、この両者は、相手を極度に辱めて、いささかも省みないのである。相手を辱めることは、即ち自らを辱め、祖国・民族を辱めるものであることを知らないのである。悲しきかなである。』
中略
『自衛隊としては、相手が三島由紀夫であれ、誰であれあの場合、断乎として侵入者、占領者を撃ち殺すべきであったのである。この場合、相手が誰であるか、相手の思想がどうであるかなど問題にならない。そのためには総監が殺されても止むを得ないのである。そんなところに一点の躊躇逡巡もあってはならないのである。それは憲法問題とか何とかのずっと以前の問題である。「軍」というものの基本的な在り方の問題である。即ち撃ち殺すことによって三島側も真に生き、自衛隊側も真に生きることができたのである。
『自衛隊の高級幹部にそれができなかったのは、根本的には法的不備のためでも何でもない、国家防衛、首都防衛の自己の使命に真に生命をかけていないからである。武人たることを忘れて、サラリーマン化しているからである。実力行使を命令し、または自らが実力行使をして相手を撃ち殺した場合、「過剰防衛の故を以て殺人罪の問われはしないか」「野党から総攻撃を受けはしないか」「マスコミの集中攻撃を受けはしないか」などと色々考えて逡巡し、実行できなかったのであろう。そんなことでは断じて駄目なのである。そんなことでは「軍」は成り立たないのである。ここの根本のケジメを失ってしまったために、全責任を一身に背負って即決勇断することなく、責を他に転じて、防衛庁や警察庁と打合せたわけであろう。』
 この根本のケジメを知っていたのが三島氏であった。三島氏は石原慎太郎氏が自民党に属しながらも自民党をきびしく非難しているのを「士道に反する」といって公開質問状を「毎日新聞」にのせたが、(中略)
 三島氏は現在の日本の政治と政党の腐敗、欺瞞、無節操に、もうこらえ切れなくなった。しかし、三島氏自身も日本の国に属しているのであり、属するとすれば、その属する団体に“士道”をつくすのが武士としての道である。三島氏にとっては石原氏のように、政党の悪口をいうことだけで自分の鬱憤をもらすだけでは無害無益無効である。
「本当に知ることは行なうことでなければならない」という陽明学の倫理が氏には出て来た。そこで、その国に属するものが、その国の政治に不満と憤りがあるならば、石原慎太郎氏のように党に属しながら党の悪口をいうことでもなく、テロリズムに走ってその責任政治家を暗殺することでもなく、“諌死”の道を選ぶのが“士道”であると三島氏は知ったのである――そして“本当に知る”ということは実践することである。肉体の生命だけを尊重して魂の生命を殺しては何になるか。こうして三島氏は“士道”を知ると共に“士道”を完了するために“諌死”の道を実践したのであった。




               

 御来訪感謝申し上げます。

 今日は不肖敬天愛人がいつも共感している若手フリーライター宮島理氏のブログからの転載です。  (太字編集は敬天です)


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 原発政策を地元に押しつけるな
2011年07月07日13時00分

 菅政権の責任逃れに憤った玄海原発の地元首長が、再稼働了承方針を撤回した。結局のところ、都市部住民は原発事故前も後も、原発政策を地元に押しつけて知らんぷりをしている。菅首相は都市部住民のそうした無意識が具現化した存在に過ぎない。
 
 原発事故後に、浜岡原発停止“要請”をした菅首相は、地元(および電力会社)に原発政策を押しつけた。原発を停止せず、仮に何らかの事故が起きれば、「“要請”を聞き入れなかった地元が悪い」と言える。また、原発を停止して、仮に停電が生じれば、「あくまで“要請”しただけで、最終判断をしたのは地元」と逃げることができる。菅首相および菅首相の“要請”を支持した(主に)都市部住民は、原発事故による心理的不安から逃れ、原発政策に関する判断から逃れるために、地元にすべてをなすりつけたのである。

 だから、定期検査中の原発再稼働についても、“要請”という手法が取られた。原発を再稼働して、仮に何らかの事故が起きれば、「あくまで“要請”しただけで、最終判断をしたのは地元」と逃げることができる。また、原発を再稼働せず、仮に停電が生じれば、「“要請”を聞き入れなかった地元が悪い」と言うつもりだったのだろう。

 それでも、原発を通して都市部に安定した電力を供給し、エネルギー安全保障にも貢献してきたという自負のある地元は、真剣に菅政権からの“要請”について検討した。その結果、玄海原発の地元である佐賀県玄海町では、再稼働を了承することにした。ただし、事故や停電の責任をすべて負わされるのは筋違いだから、佐賀県知事は菅首相との会談を要望した。当然の要求である。

 ところが案の定、菅首相は佐賀県知事との会談を拒否した。佐賀県知事と会談すれば、玄海原発の再稼働について、菅首相は明確な意思表示をしなければならない。“言質”を取られることをおそれて、菅首相は逃げ回った。菅首相の頭の中にあるのは、原発政策について、具体的なことは何も言わず、フワフワと世間の「脱原発」ムードに媚びることだけだ。

 地元の神経を逆なでしたところで、菅政権は「原発のストレステストをやる」ということを急に言い出した。本来なら、全国の原発について、ストレステストをやるための具体的なスケジュールを策定し、基本的には原発を稼働しながら、一部の原発について順繰りに停止し、数か月から場合によっては数年かけてテストを行う必要がある。しかし、菅政権はそういったスケジュールをまったく用意しないまま、思いつきでストレステストと言い出した。

 その背景には、玄海原発の再稼働について責任を負いたくないという気持ちがあったはずだ。原発再稼働“要請”で地元に責任をなすりつけられると思ったら、「菅首相と会談したい」と言われて菅首相は困った。このまま会談をしないと、さすがに世論からも非難を浴びる。かといって、原発再稼働“要請”を取り下げるのも避けたい。原発再稼働“要請”を取り下げるということもまた、「菅政権は原発を停止させたままにする」という意思表示をしたことになるからだ。それでは、停電時に菅首相が責任を問われることになる。そこで、「原発再稼働を了承した地元があるようだけど、ストレステストというのをやることにしたから、もうちょっと待ってね」と、時間稼ぎをすることにしたというわけだ。具体的なスケジュールを決めずにストレステストの実施を宣言すれば、菅首相は永遠に原発再稼働の判断から逃れることができる。

 玄海町の岸本英雄町長は「了解は苦渋の決断だった。政府のやり方は、小ばかにしている」と怒った。この怒りは当然で、どうして原発政策を地元が引き受けなくてはならないのか、という気持ちだろう。

 原発事故が起きるまでは、都市部住民は原発から安定供給される電力を享受していた。原発にはリスクがあると承知していたので、地元には多額の“補償金”が支払われていた。ただ、基本的にはそれで終わりで、都市部住民は原発に無関心だったと言える。一方、エコロジストや国策による輸出政策論者は、「原発ルネサンス」と言い、原発を積極的に推進した。エコロジストで国家主義的な民主党政権では、2030年までに原発を14基以上増やす方針を打ち出し、海外にも国策として原発を輸出した。

 ちなみに私は、「「正義」を簡単に着替える日本人」 にも書いたように、エネルギー安全保障の観点から、消極的に原発依存度の現状維持という立場を取っていた。「原発ルネサンス」には懐疑的な、流行遅れの人間だった。日本がシーレーン防衛に積極関与できるようになったり、エネルギー輸入の多様化が大幅に進めば、原発依存度は下げても構わないという考えだった。だから、原発事故後も、基本的にはスタンスを変えず、既存の原発を稼働し続けながら、エネルギー安全保障と原発依存度のバランスを見ている。原発事故があったからと言って、それまでの自分のスタンスを隠し、感情的に「脱原発」ムードに媚びるのは、最も恥ずべき事だと思っている。

 ところが、菅政権は原発事故後にコロリと態度を変えた。正確には、それまでの自分たちのスタンスを必死に隠そうとした。その結果、原発政策については具体的に何も言わず、すべてを地元に押しつける最悪の“菅流”政治が行われた。菅首相自身は、原発をなくすともなくさないとも言っていない。何となくフワフワと、「脱原発」という雰囲気を醸し出しているだけなのである。

 実は、同じことは都市部住民についても言える。原発のリスクを知り、地元に“補償金”を支払っておきながら、都市部住民は原発事故後に「原発にリスクがあるなんて知らなかった」とカマトトぶった。さらに、福島原発の地元では放射性物質による環境汚染問題で苦しんでいるのに、原発から遠く離れた都市部で微量な放射性物質が検出されたからと、「こどものいのちを守れ」と大騒ぎし始めた。

 これは、一見素朴な恐怖心のようだけれど、都市部住民みずからが「被害者」となることで、原発政策にかかわる都市部住民の加害者性や責任をすべてチャラにしようという無意識の働きでもある。あれだけの原発事故が起きたにもかかわらず、本当に取り組むべき地元の環境汚染問題そっちのけで、都市部の些細な放射線問題で騒ぎ、政治的資源を浪費させているのは、都市部住民が自分たちのことしか考えていないからだと言われてもしかたがない(そして、こういう当然のことを指摘されると、客観性やロジック無視で「こどものいのちが些細なことだって言うのか!」とさらに感情的になる。「こどものいのち」を自己弁護のために軽々しく悪用するのはやめてもらいたいものである)。

 地元にはそれなりのリスクを昔から押しつけておきながら、いざ、自分たちに極々わずかなリスクが降りかかってきたかもしれないと感じたら、「放射能こわい! 原発要らない!(でも停電や不景気はイヤ)」と叫ぶ。ただ、かといって、原発政策を真剣に考えているわけでもない。菅首相の浜岡原発停止“要請”に何の疑問もなく賛同した有権者が少なからず存在したのは、「原発要らない!」という言葉が、実は「原発のことなんか考えたくもない!」というレベルでしかないことの証拠だ。

 結局、原発事故前と後とで、都市部住民は何も変わっていない。「原発のことなんか考えたくもない!」ので、原発事故前は“補償金”で原発を地元に押しつけると、無関心になった。原発事故後も、「原発のことなんか考えたくもない!」ので、フワフワとした「脱原発」ムードに便乗し、“菅流”政治を助長した。国民的なコンセンサスに基づき、長年、原発を支えてきたという地元のプライドは、ズタズタにされてしまったのではないだろうか。さらに、それでもなお、今夏の都市部の電力を安定的に供給するという使命を果たすべく、苦渋の決断でリスクを引き受け、原発再稼働を了承したら、その矜恃までもぶち壊されてしまった。

             (後 略)
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 ある意味、菅直人という男ほど分かりやすい男はいません。
 簡単にいえば、「国民に対しての責任と判断からは絶対に逃げる(ただし韓国に対しての責任と判断からは絶対に逃げません)」という菅の法則です。
 菅の法則を行動原理に言い換えてもいいのですが、菅首相の言動はすべてこの行動原理によって為されるというポイントを押さえていれば、総理の不可思議な言動は看破できるのです。
 また、与野党ともに菅総理へ「即刻退陣」を口先だけで要求するばかりで行動が伴わない最大理由は、政治家センセーたちもほとんどが行動原理を総理と同じくしているからです。同時に「菅流政治」を裏支えしているのは、こういう政治家センセーの支持者である国民なのです。
 この国民とは被害者を装ったエセ被害者たちです。

 『韓流』と『菅流』、どちらも日本を破滅させる時限爆弾のようなものです。
 時限が来る前に処理しないと最悪の状況を招くだけです。
 喉から手が出るくらい爆弾処理班が欲しいのです。

 

 あえて言う、原発事故の本当の被害者は福島県民だけだぞ!!

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転載元転載元: 新“敬天愛人”のブログ

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三島由紀夫氏の哲学の続きです。

共産党の非暴力は本物か

三島由紀夫氏は、共産党がソフト・ムードで、社会の下積みになっている民衆の中にこまかく丁寧に接触してそれを愛撫し、暴力など絶対使わないような顔をし、国家権力こそ暴力であるとみとめさせようとしていることを次の如く述べているのである。――

『彼らは国家権力を暴力装置と規定し、機動隊を階級敵と規定し、彼らの規定によって権力自体は、すべて膨大な、革命を抑圧している暴力機構と考えられる。
そして、いわゆる無意識な、無関心な一般大衆の目にとっては、三派全学連の無秩序な暴力だけが、あるいは暴力団の暴力だけが暴力とうつり、自分たちを守りに出ている武装集団の自衛隊や警察は暴力とうつらないような心理構造を持っていると説明される。 
その大衆の暴力否定が、あるいは三派全学連にむけられていることを共産党は望むのであろう。そして、暴力がほんとうに民衆の目に正義にうつるまで、暴力を民衆に向けることを望まないであろう。(これが民青系全学連の擬似警察機能の擬態である。)
そして、暴力否定が終極的に革命を支持するものであることを最もよく知っているのは、革命勢力、特に共産党なのである。共産党は最後の革命に手段としての暴力を十分容認するが、その暴力が民衆の支持を得るまでは差し控える、ということを知っている。』(文化防衛論)

以上の意味は、共産党が、“暴力を否定する”というきわめて平和主義的擬装のもとに、相手を“国家暴力につながる者”という言いがかりをつけて、相手を巧みに否定する行動を取るのだということを指摘しているのである。
いわゆる“平和運動”の如きはそれである。社会党の非武装中立論なども、私はそれと同じ立場にあると考える。
国境を認めない創価学会の“地球民族主義”なども同じである。これらの主義又は思想には、国家の国境確保の愛国心というものはないのである。
国家は国境なくしては存在しない。従って国境を衛るための力なくして、単に、理想的平和主義の空想や、ただのアイディアだけの“地球民族主義”では国を衛ることはできないのである。
創価学会の地球民族主義を背景にして成立している公明党が、日本の国境を衛るための軍備や、安保体制を軍国主義化だと罵る中共の周恩来にお辞儀をしに往ったのは、彼らの思想経路から考えれば当然のことなのである。

 

戦う力の否定は国家否定につながる

それゆえ三島由紀夫氏は次の如くいうのである。――

『国家は力なくしては国家たり得ない。国家は一つの国境の中において存立の基礎を持ち、その国境の確保と、自己が国家であることを証明する方法としては、その国家の領土の不可侵性と、主権の不可侵性のために力を保持せざるを得ないことは、最近のチェコの例を見ても明らかであろう。』(文化防衛論)

国家は一つの理想をもち、意思を持ち、感覚をもっていて周囲の状況を感じ取り、それに対応する力をもつ有機体又は生命体なのであるから、それが生命体即ち一種の“人格的存在”としてその生命を保持して行くためには、“人格”としての人間に皮膚があって、外界と一線を画して、一定の形や容貌を備えているが如く、国家には国境がなければならないのである。
また皮膚を越えて内部に侵入して来る病菌やヴィールスに対してはそれを撃滅するための、白血球にも比すべき、自衛隊や、国防軍や、警察機動隊がなければならないのである。

ところが侵入者側と内通して内部の破壊工作を行なうことに興味を感ずる“革命者”側はこれらの自衛隊とか警察隊とかを、国家権力の手先としての“暴力機構”だと言いがかりをつけて、国家権力をこれら暴力機構の総元締であると解釈し、「平和に背く暴力機構」は全面的に排撃すべきものであるという論理をもって、創価学会の池田大作氏の如き「国家は諸悪の根源である」という結論に到達するのである。
それゆえに、三島由紀夫氏は、

『暴力否定が国家否定につながることは、実に見やすい論理である』

というのである。

“暴力”に対するハッキリした定義を私はまだ読んだことはないが、私が仮に定義するならば、それは「“物質的な力”又は“権力”という無形の圧力によって人間の自由を縛るもの、又は人間の自由を破壊するもの」ということになると思う。

それゆえに人が完全な自由を享受し又は完全な自由を生活するためには、人間の自由に何らかの統制を加える「国家」というものは“暴力の主体”だとみとめられることになるのである。

それゆえにあらゆる形の暴力を否定することはついに国家を否定することになる。そして国家を“暴力機構”として否定することは、ついに国家を滅亡に導いて行くことになるのである。

いま日本では革新系連合政権の成立をねらって、その連合の成果の籠手しらべとして、先般の選挙戦に於いて社会・民社・公明の共闘による連合推薦の候補が三県に於いて上位で当選したのであるが、もし革命政権の準備過程として容共連合政権が日本に成立したならば、その結果はどうなるかということを一般国民は、ほとんど知らないのであって、単にそれが、政権の交代を意味する位に軽く考えている人が多いのである。
しかし、これについて三島由紀夫氏は次のように言っている。――

『もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、たとえたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手をおよぼすことができれば、たちまち警察署長以下の中堅下級幹部の首のすげかえを徐々に始め、あるいは若い警官の中に細胞をひそませ、警察を内部から崩壊させるであろう。
そのような形で次に行われる選挙は干渉選挙になることは明らかであり、これは1948年のチェコにおける共産クーデターに到る成り立ちがよく示している。
彼らは政権の一端でも握れば、これをいつも共産政権へのワン・ステップとして利用することに全力を上げるであろう。
社会党はケレンスキー内閣の哀れな役割を負わなければならないであろう。
そして、全アジア諸国において容共政権が容共政権のままとどまった例はないのである。
容共政権は共産党一党独裁への準備段階として徹底的に利用され、むしろこのような緩慢な移行の方が、急激な武力革命による移行よりも彼らの歓迎するところである。……したがって共産勢力と行政権とをほんのちょっと連結させれば、そこで何が起こるかは、チェコの二千語宣言がよく証明している。そうなったときには遅いのであり、……反革命の立場は、現在の時点における民衆の支持や理解をあてにすることはできない。
われわれは先見し、予告し、先取りし、そして、民衆の非難、怨嗟、罵倒をすら浴びながら、彼らの未来を守るほかはないのである。』(文化防衛論)

 

このままでは日本は滅びる

日本国家及び日本人の未来を先見して、その運命を衛るのが予言的愛国者の役目であり、青年は勿論あらゆる愛国者たる諸君の役目であらねばならぬのである。三島由紀夫氏はそれについて次の如く言うのである。

『さらに正確に言えば、われわれは彼らの未来を守るのではなく、彼らがなお無自覚でありながら、実は彼らを存在せしめている根本のもの、すなわち、わが歴史・文化・伝統を守るほかはないのである。
これこそは前衛としての反革命であり、前衛としての反革命は世論、今や左も右も最もその顔色をうかがっている世論の支持によって動くのではない。
われわれは先見によって動くのであり、あくまで少数者の原理によって動くのである』と。

この三島氏の言葉の中で注目しなければならないのは、「彼らがなお無自覚でありながら、実は彼らを存在せしめている根本のもの、すなわち、わが歴史・文化・伝統を守るほかはないのである」という一節である。

予言者的愛国者は「実は彼らを存在せしめている根本のもの」――すなわち「実相」を守るのである。「わが歴史・文化・伝統を守る」というのは、偶然的な文化や人種の交流によって生じた歴史や文化や伝統を守るのではないのである。日本人は日本の歴史と文化と伝統との中に生れ、その中に育ってきたのである。
諸君はどこの国ともわからぬ国籍不明の歴史と文化と伝統の中に育って来たのではないのである。
換言すれば諸君は日本の国に根をおろし、日本の国の生命を吸収して、日本の国の生命の顕現として今此処に生きているのである。それが諸君の生命の実相である。
そして、その日本国は何処から生れたのであるかというと天照大御神の「豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」の神勅よりして生れたのである。
ここに神よりいでたる永遠不磨無窮の日本国家の“中心帰一原理”の根元を見出すのである。
わが歴史・文化・伝統を存在せしめている根本のもの――それを愛してそれを護持するために生命を棄てる――これこそ自己の生命が日本国家の中心生命たる天照大御神の御生命と一体となるのである――三島由紀夫氏はこの意味の愛国心を、単に机上で論ずるだけでなく、革命の進行状況を厳密に見張って、今の時点に於いて日本国民の精神を自覚せしめなかったら、日本国は滅びてしまうという先見のもとにあの壮烈なる行動に出たのであった。

三島由紀夫氏はその「今の時点」が近づきつつあることを、学生騒動がエスカレートして新宿駐車場の焼打事件当時にあらわれた市民が、学生と一緒になって投石等の暴動に参加した市民のモッブ(暴徒)化に見たのである。それについて三島氏はいっている。

『われわれは新宿動乱でモッブ化がどのような働きをするかつぶさに見た。あのモッブ化は日本の何物かを象徴している。あのモッブ化こそは、日本の、自分の生活を大切にしながら刺戟を期待し、変化を期待する民衆の何物かを象徴している。』

「変化を期待する民衆の何物かを象徴する」というのは自民党の保守政治に倦きて来た国民が、むしろ革命という大変化さえも起こればよいと期待するような不安定な状態にあるという意味である。
それゆえに、もうこのまま放置しておいたら此の歴史と文化と伝統のある日本国は滅びてしまう危機感で三島氏は、「もうこれ以上待つことは出来ない」といったのである。
氏ははじめ自衛隊に期待していたけれども、氏が自衛隊に体験入隊してみて直接知ったところでは立派な青年は中にあったが、自衛隊員の多くは国を衛る忠誠心よりも、むしろサラリーマン化していることに絶望した。
氏は大衆は自分について来てくれないことを痛感した。
それで氏はいうのである。

『われわれは自分の中の少数者の誇りと、自信と、孤立感にめげないエリート意識を保持しなければいけない』(以上文化防衛論)と。


 一年前くらいに、叔父の家で三島由紀夫氏について書いた本を見つけました。借りて帰って読んで、感銘を受けました。そのまま借りっぱなしになっていたのを、先日三島氏に言及したコメントを見て、引用して記事にすることにしました。

引用開始

三島由紀夫氏の“反革命宣言”


三島由紀夫氏はその「反革命宣言」の冒頭に次のように書いている。


『われわれはあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企図、あらゆる行動に反対する者である。
この連結の企図とは、いわゆる民主連合の政権(容共政権)の成立、及びその企図を含むことはいうまでもない。
国際主義的あるいは民族主義的仮面にあざむかれず、直接民主主義方式あるいは人民戦線方式等の方法的欺瞞に惑わされず、名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様にわれわれは反対する者である。』


この冒頭の一句「われわれはあらゆる革命に反対するものではない」という宣言のうちに現代の政治が、本当に人間の正しき自由をまもることが出来ず、愛国者が日本の文化・歴史・伝統を守ろうとしても、その愛国者の行動の自由の前に、政府という権力機構が頑として障壁となって立ちふさがっているならば、その障壁を打ち破るための革命をも辞さないという考えが内在することが窺えるのである。――そしてその思想が、三島由紀夫氏が市ヶ谷の自衛隊の総監室で割腹自決された事につながるものであることが察せられる。


三島氏が何故、「共産主義が行政権と連結することに反対するか」というと、次のように指摘しているのである。


共産党宣言は次のごとく言うからだというのである。


『共産主義は、これまでの一切の社会秩序を強力的に顛覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。』


この共産党宣言に対して三島氏が共産主義が行政権と連結するのに反対した所以は、


『われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。』 
それなのに共産主義者はこれまでの一切の社会秩序を強力的に顛覆することによって革命の目的を達し得ると言い、その顛覆せんとする「一切の社会秩序」の中に「わが日本の文化・歴史・伝統」が含まれているからだというのである。


三島氏によれば「戦後の日本の革命思想は、すべて弱者の集団原理によって動いてきていることを看破った」というのである。そして、


『それは集団と組織の原理を離れぬ弱者の思想である。
不安、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。
空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、元も低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透して来たのがかれらの遣口(やりくち)である』と。


少数の中に真理を把握する者があるのであり、多数をたのんで跋扈するものは雑草が繁茂するようなもので、そのような政治からは優秀なる芽は育たないというのである。


それゆえに三島氏は言う。『われわれは強者の立場をとり、少数者から出発する。日本精神の清明、濶達、正道、道義的な高さはわれわれのものである。』と。


そしてその次に非常に重要な覚悟を述べている。それは、


『有効性は問題ではない。なぜならわれわれは、われわれの存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。』


何故これが重要な覚悟であるかというと、自分の「存在及び行動」を「未来への過程」と考えるならば「未来への過程」とは「今の生活」が「手段」であるからである。
生活が生活そのもののためではなく手段のための生活となるとき、生活そのものに主体性がなくなるからである。


それゆえに三島由紀夫氏の割腹自刃は「未来への手段」ではなかったのである。


氏は「天皇国家」たる日本国の実相を顕現するために自己の肉体の生命を献げた。氏の自刃は「日本国の実相を顕現するために」というからそれは一見「手段」のようにも考えられる。
けれども、氏にとっては、「肉体の生命よりももっと尊い生命があることを知らせてやる」といって割腹し、そして自己の生命が「天皇国家」の生命と、その自刃の瞬刻限に、一体となったのである。


それは「未来への過程」としては、必ずしもあまりに有効な死に方ではなかったかも知れない。
もっと肉体を長く生き存えていて、明治憲法復元のために氏の強力な文章力を駆使した方が、もっと目的達成に有効ではなかったか、氏の死は惜しいことをしたと、自決の当時批評した人もあったけれども、しかし氏は再び言う。
『有効性は問題ではない。なぜならわれわれは、われわれの存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。』といっている。


 

天皇は日本文化の本質的中心存在である。


三島由紀夫氏は、明治国家のいわゆる「立憲君主政体」に対しても、「西欧の政治体制と日本の国体との折衷的結合である」と評して疑問をなげかけているのである。
そして戦後の日本に於いて、この折衷的結合が切り離され、議会制民主主義と、象徴天皇制との、不即不離の関係に入ったために一面、却って天皇の文化的非権力的本質が明らかになったといえると評しているのである。


これによれば天皇の本質を「文化的非権力的本質」だと見ているのである。つまり「権力を有たないが日本の個性文化の中心的御存在」として天皇を捉えているのが三島氏なのである。


そして氏が共産主義国家を嫌う理由は、この天皇の真姿を開顕するための言論の自由が共産主義国家に於いてはないとみとめたからなのである。それゆえに氏は、「何故われわれは共産主義に反対するか?」という問を設けて次の如く答えているのである。


『第一にそれは、われわれの国体、すなわち文化・歴史・伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇は、われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴だからである。』


『第二に、われわれは、言論の自由を守るために共産主義に反対する。』


三島氏は、現代日本の代議制民主主義に賛成している。氏は、天皇を文化と歴史と伝統との中心的存在と見るけれども、天皇を独裁者としては見ないのである。それゆえに氏は、


『われわれは天皇の真姿を開顕するために、現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとするのである。……言論の自由を保障する政体として、現在、われわれは複数政党制による議会主義的民主主義より以上のものを持っていない。この「妥協」を旨とする純技術的政治制度は、理想主義と指導者を欠く欠点を有するが、言論の自由を守るためには最適であり、これのみが、言論統制・秘密警察・強制収容所を必然的に随伴する全体主義に対抗しうるからである』


というものである。しかし、氏はここに議会制民主主義が理想主義と指導者を失っているという短所を指摘しているところに注意しなければならないのである。そして真に如何なる階層にも如何なる政党にも偏らず、無我にして全体の福祉の理想の人格的権化としてまた指導者としての徳を備え給うのが「天皇にまします」のだということ。それ故に、非常時、または重大事に関しては「天皇の御直截を仰ぎ得る制度」を復活せしめおかなけれがならないというのである。


 

学生運動の因って来る所以


三島由紀夫氏は、現代の学生運動が起こるべくして起こったところのものであって決して偶然の所産ではないことを次のごとくとくのである。――


『かつてプロレタリアは社会的疎外の代表であった……戦後は社会的に疎外された人間は、経済的に疎外されるのではなく、心理的思想的に疎外された人間として現れた。それが学生である。
学生は一定の階級も持たず、何ものをも代表せず、次第にみずからを大衆の一員として自覚し肯定するようになった。
しかし、大衆の一員だありながら、生産に従事せず、生産の成果を社会に還元するすべもなく、自分たちが少数勢力として何ら意見を反映させるべき対象を見出せずにいた。
しかも情報社会の進展はあらゆる階層に発言を許し、その階層の代表的意見を社会にぶつけることを当然とするようになったのに、学生だけは、なお十九世紀的な古い大学の体制のなかにつつまれていた。
私は学生運動が学内闘争として始まったその経過を是認するのにやぶさかではない。
しかしながら、徐々にこの少数勢力は、多数者の正当性にむかって当然の経過をたどるようになった。
そこでは次第次第に逆現象が成立し、一般学生が疎外されて全学連が一つの正当性を獲得するようになった。
彼らは革命の主体としての自己を完全に自覚したのである。……』


これらの革命勢力は国家と国民の抱えている色々の困難な問題を、ある単純化によって、政府を攻撃する方便として利用するのである。
そのことを三島氏は指摘して次のように言っている。


『ここには、戦後の社会の無限の責任遡及によって、ついには責任の所在を融解させてしまう「無責任の体系」の影響が大いにあり、すべては社会がわるい、というときに、人は自ら、社会のアモフル化(無晶形化。ひいては極端な政府否定の共産主義化を意味する)に手を貸しているのである。
彼らは最初、疎外をもって出発したが、利用された疎外は小集団における多数者となり、小集団におけるマジョリティを次々につなげて連帯させることによって、社会におけるマジョリティを確保し、そのマジョリティは容易に暴力と行動に転換して現体制の転覆と破壊に到達するというのは、革命のプランである。
そして、責任原理の喪失を逆用したそのような革命は現に着々進行している。』


そして疎外された小集団――たとえば北鮮人たち――を利用してそれを政争の道具にして、反日教育を東京都の真ん中で公然と行う“北朝鮮大学校”を東京都知事が認可して、その歓心を買い、そのような小集団をつなぎ合わせて、巧みに左翼機構の多数者に組織化してゆくのである。
小集団をつなぎ合わせて左翼機構の多数者に組織するのが革新勢力だあり、参議院選挙運動に大分、栃木、島根の三県で試験的に、社民公の連合戦をやって百%成功を得た。


またこのような左翼戦術があることも三島氏は指摘しているのである。


『たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。
原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。
日本の社会問題はかつてこのようではなかった。戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。
しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。
われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである』


と三島氏は言うのであるが、まだこの時点に於いては、三島氏は、この革命勢力からその道義性とヒューマニズムの高さを失わせた最も根元的なものが、彼(か)の占領憲法であることには言及していないのである。




 
 
政府とは誰により、誰の為にあるべきか?
それはその国に暮らす国民により、国民の為にあるべきです。
これは、世界中どこの国に於いても当然のことです。
ところが、国民の代表たる国会議員、政権与党としての最低限の良識さえも持ち合わせていないのが、政府民主党です。
政権詐取後も日本国民の為の政策、未曾有の大災害となった東日本大震災後も、被災地の為の有効な政策など何があったでしょうか?
ただひたすらに、支那・韓国を迎合し、これらの国に媚びた政策ばかりではなかったでしょうか。
 
世界が賞讃した明治維新。
明治維新は維新軍と幕府軍が対立しました。
それぞれに異議主張がありましたが、ある一点では完全に一致していました。それは「日本を外国の植民地にするべきでない。」ということです。
幕府は幕府の力でそれを成し遂げるべきだと考え、維新軍は幕府にはその能力はなく維新新政府によりそれが行われるべきだと考えました。国思う愛国者のぶつかりあいだったのです。
欧米の歴史は侵略者の歴史です。
その刃は、日本にも向けられました。
米国のペリー提督率いる黒舟が現れ、武力に圧倒的な差があった幕府は不平等条約を結ばされ、我国も植民地化への途を辿るかに見えました。しかし、国思う愛国者が次々とたちあがり論を唱え、幕府の有様に業を煮やした、長州藩、薩摩藩などは単独で諸外国と戦いました。紆余曲折を得て近代的な装備を持ち明治天皇の勅許を得、官軍となり、幕府軍を打ち破りいよいよ江戸城に迫りました。
それに対して将軍はどういう決断を下したでしょうか?
 
1:諸外国軍隊を呼び入れそれと共に維新軍と戦った。
2:幕府軍のみで戦った。
3:戦わず無血開城した。
 
1:は日本のことよりも何よりも幕府の既得権保守を優先した発想です。
幕府にのみ利益をもたらし日本にとって最悪の不利益をもたらす選択でなのです。幕府がわざわざ軍隊を呼び入れてくれたなら、彼らは嬉々として日本に軍隊を派遣し、そして維新軍を蹴散らした後も駐屯する。そして日本は完全な植民地となります。
また、日本国を外国に植民地として差し出し、その代わり外国の傀儡政府として政権の座に居つづけようという方法で、欧米列強の侵略にさらされた世界中の国々にはこういう売国奴が現れ次々侵略されていったのが現実です。
 
2:は国力疲弊は免れません。内紛に明け暮れ国内で潰し合うことは、日本を侵略しようと狙う外国にしてみれば、漁夫の利を得る機会がもたらされます。内紛で軍事力など国力が疲弊したところを狙えば、より侵略は容易になります。
 
3:は徳川幕府にとって最悪であり、国にとって最良の選択です。
 江戸城を明渡せば、幕府は倒れ将軍以下末端に至るまであらゆる幕府関係者が持つ既得権をことごとく失い、更に新政権により裁かれ命を失うことも意味します。
 しかし、国を守ることがきる。内紛による国力疲弊を防ぐことができ、日本の植民地化を回避する道も開けます。
 
皆さんご存知のとおり、徳川幕府は3:を選択しました。
大政奉還に続く、尊皇論者だった徳川最後の将軍徳川慶喜公の大英断であったと思います。
当時、幕府はフランスと密な関係にありましたが、フランス軍を呼び込むようなことはなかった。
この点は官軍(維新軍)も同様でイギリスと密な関係でしたが、イギリス軍を日本に呼び入れて味方につけて幕府を倒すようなマネだけは行いませんでした。
勝つために有利となることは判っていても外圧を呼び込むような卑劣な売国行為はしなかったのです。
 
坂本竜馬は維新の最大の功労者は最後の将軍、徳川慶喜公だと評価していました。まさにその通り。坂本は維新最大の功労に報いるため徳川慶喜公を新政権においても重用する計画をたてていたと言われています。
将軍は新政権で重用されることはありませんでしたが、諸外国の例のように処刑されることもなく後に明治天皇陛下と会見し和解もしました。
幕府軍側の人々も当初は明治新政府に登用、重用されることがありませんでしたが、次第に政府で重きを為す存在と多く方々がなりました。
双方が国思うことで一致した愛国者であったのです。
 
現代日本を顧みると、徳川慶喜公や維新政府とは対極の売国奴が山のようにいます。欧米列強支配を自国に呼び込むことで傀儡権力を得た売国奴同様の連中がうじゃうじゃと・・・それは議会や役所や報道機関あたりに大量に存在します。
支那や韓国の外圧を呼び込んで国内政治を意のままに動かそうとする輩たち。
政府民主党、総理は勿論の事、他に外務省、文科省、社民党、共産党、公明党、民主党の一部、自民党の一部、そして朝日新聞、毎日新聞列挙すればきりがありません。
外圧を呼び込みむことで国内政治を意のままに動かそうとする行為。これ以上売国と呼ぶに値する行為などなく許されるものではありません。
占領軍に与えられた占領基本法を「平和憲法」などと呼称して喜んだ所(つまり外国に憲法制定権を明渡し拝領して喜んだ所)から、この国は狂い始めた。ここから「日本国の立法行政などの政治は日本国民自身が行うべき」という政治運営上の常識が狂い始めました。
 とはいえ、政府民主党、社民党あたりの目的は「自国の主権を共産支那、韓国に明渡すこと」そのものにあるわけで、売国者として当然の行為を確信犯的に行っているのです。
 
多くの日本国民は長い戦後の平和ボケから、多くの国民は
「中国・韓国がそんな野望などあるはずがない、友好国だから」
「日本の政治家が国民を裏切るはずがない」
「彼らは国民の生活が第一と言っている」などと楽観し、現実を知ろうともしない・・・
今現在、覇権国家中共がベトナム・フィリピンと主権に関する問題をも見ようとはしません。
 
政府が売国政権であることは、選挙により民意で政府機構の関係者を選んだところで、その政府機構自体が外国の監視下影響下にあるなら、選挙も民意も何一つ意味をなさない。
それが今現在の日本の置かれた状況なのです。

売国者は日本が侵略されても、自分はその統治下で重用されると、めでたい思考をしています。大東亜戦争後に国を売った売国奴と同じように・・・
 
侵略されるということは、民族の言語、文化、歴史、価値観、をも亡くなることであり、命の存続さえも支配者に委ねることです。
明治の愛国者たちが富国強兵にすべてを注いだ情熱、、危機感が何であったかを、大東亜戦争で多くの英霊・先人が何の為に戦ったかを知るべきです。
 
今為すことは、平成の売国奴から政治を愛国者の手に取戻すことです。
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 

転載元転載元: 美しい国


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