日本の感性をよみがえらせよう

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天皇

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       学習院初等科入学当時の迪宮殿下(右)  中央が光宮(高松宮) 左が淳宮(秩父宮
・・・・・ 
 
昭和天皇は幼少の頃は迪宮(みちのみや)殿下といわれておりました。
迪宮殿下は祖父である明治天皇にはことのほか可愛がられていました。
明治天皇は無口でありましたが、迪宮殿下に会われるといつもニコニコされて喜ばれていました。
明治天皇は鮎を好まれており、「これを皇孫へ」と言われて、
鮎の時期になると迪宮殿下のもとにも届けさせておりました。
 
明治天皇の前に出ると誰もが緊張して何も申し上げられなくなりますが、
迪宮殿下は平気で「おじじさま」といわれて物怖じされませんでした。・・・
 
昭和天皇が明治天皇を尊敬されておられたのは何と言っても明治天皇が近代国家として日本の礎を築かれたからでした。
昭和天皇は晩年にいたるまで明治天皇の話題となると居住まいを正されていたといいます。
 
迪宮殿下が学習院初等科に入学するにあたって明治天皇は乃木大将を学習院長に就任させました。
乃木大将は明治の日本人がそうだったように謹厳実直の人でした。
迪宮殿下は乃木大将のことを“院長閣下”、“院長閣下”と言って乃木大将を尊敬されておりました。
 
ある日、乃木院長が
「どういうふうにして初等科に通っているのですか」とたずねました。
「天気のよい時は歩いて通っているけれども、雨の時は馬車で通う」とお答えされました。
すると乃木院長は、
「雨の時でも、コートを着て、歩いて通うようにしなくちゃいけない」と強く言いました。
 
また、迪宮殿下はよく相撲をとられるのを好まれたので、
ズボンの膝や靴下によく穴があき、そのつど新しい物とお取り換えされていました。
すると乃木大将はこのように言われました。
「着物に穴のあいているのを着ちゃいけないが、つぎのあたったのを着るのはちっとも恥じゃない」
すると迪宮殿下は学校から帰られると
「穴のあいているのにつぎをたててもらいた」とおっしゃりました。
早速つぎをあてると、「これでいいんだ」と満足して頷かれました。
 
迪宮殿下が熱海に避寒されていた時のことです。
ある雪の降る日に乃木大将がやって来ました。
迪宮殿下はちょうど火鉢にあたっておられました。
すると乃木大将は
「殿下、お寒いんでございますか。このようにお寒いときは火鉢にあたっているより、
あの御運動場に行って駆け出していらっしゃったらいかがですか。
御運動場を二、三回走ってお周りになったら暖かくなります」と申し上げました。
迪宮殿下はその通りにしました。
 
月日が流れ、昭和28年、
昭和天皇の外套の襟が破れていたのを、女官長がそう申し上げると陛下は、
「外に出るときは別だが、普段うちで行き来するときは、つぎをあてておけばよい」
とおっしゃりました。
 
昭和50年、
昭和天皇は訪米前にアメリカのニュース週刊誌『タイム』記者と会見されこのように語られました。
「私は多くの人々、とりわけ乃木将軍に深い影響を受けました。
将軍は私が学習院にはじめて進学した時の院長でした」と前置きされて、
雨の日に登校する時は馬車に寄らず、コートを着て歩くように教えられたことをお話されました。
・・・
 
乃木大将は明治天皇が崩御されたのを受けて自決されました。
乃木大将はそれに先立ち迪宮殿下を訪れました。
その時、大正天皇が皇位につかれ、迪宮殿下は皇太子となられていました。
乃木大将は、
「きょうはまず迪宮殿下に申し上げます。今更申し上げるまでもないことでありますが、皇太子となられました以上は、いっそうのお勉強をお願い致します」と話しはじめ殿下に諄々と注意すべき事項を申し上げました。
その上で「中朝事実」に朱を入れたものを差上げて、
「私がふだん愛読しております書物を殿下に差上げたいと思いましてここに持って参りました。
いまに御成長になったら、これをよくお読みになって頂きたい」とお願いしました。
「中朝事実」とは江戸時代初期の儒学者、山鹿素行による万世一系の天皇を頂く日本こそ中朝であり、
皇室を中心とした日本の政治的伝統を解き明かしたものでありました。
 
乃木大将の態度がいつもと違っているのに気付かれて
「院長閣下はどっかへ行かれるのか」とお聞きなされた。
この時、皇太子(昭和天皇)へお渡しした「中朝事実」は乃木大将が写本したものでした。
 
乃木大将が幼少の頃、父・希次から筆写して贈られたのが「中朝事実」でした。
乃木大将はこの「中朝事実」を生涯の座右の銘とし、戦場に赴くときは必ず肌身離さず携行していたといいます。
 
 
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                           (乃木希典大将)
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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お田植えあそばされる天皇陛下 御尊影 24日 宮城
 
 
 
 
 
 
 
畏くも天皇陛下にあらせられましては24日、宮城(皇居)の神田でお田植えあそばされました。
昭和天皇陛下は昭和2年、御自身で稲作を始められました。今上陛下には大御心(おおみこころ)をお継ぎになり、御代替わり(みよがわり)の年からお田植えとお稲刈りをなされ、翌平成2年からは御播種(おんはしゅ)をなさる新例を開かれました。
 
国家の統治者が水田に足を踏み入れ、米作りをされる例は他国にはありません。なぜそうされるのでしょうか。そこにどのような精神的、文明論的意味があるのでしょうか。
我國は太古の昔より、豊葦原瑞穂國、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國と呼ばれてきました。豊かな葦原と瑞々しく美しい稲穂が実る国、という意味です。
皇祖天照大御神は天孫降臨の際、
 
一、天壌無窮の神勅  『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』
 
二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅  鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』
 
三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅  皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』
 
と、三大神勅を下されました。
 
皇孫であられる、畏くも天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも豊かな稲穂の実りのある國なのです。
 日本書紀では天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあります。
 これこそが我國のお国柄を現しています。
世界には君主制の国が少なくとも20カ国以上あるようですが、長靴をはいて水田に足を踏み入れ、田植えをし、鎌を手に稲刈りをなさるのは、日本の天皇陛下以外には聞きません。
 
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皇祖伊勢神宮
 
 
 
伊勢神宮の祭祀は、殆どが稲作と関係し、稲作の時期に合わせて行われます。
  
2月17日〜2月23日 祈年祭(としごいのまつり)   五穀豊穣祈願祭 旧正月後の田作りの前の祭
 
4月上旬 神田下種祭(しんでんげしゅさい)  稲種を神田にはじめて下し奉る祭 稲の籾種まき無事早苗が育つように。
 
5月14日 風日祈祭(かざひのみさい)  風日祈宮(風の神様)に風雨の恵み、五穀豊穣のお祭り。
 
6月15日〜6月25日 月次祭(つきなみさい)  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。田植えが終るあたり。
 
8月4日 風日祈祭   風の神へ御幣を奉り、風雨の恵み、五穀の豊穣をお祈りします。
 
9月上旬 抜穂祭(ぬいぼさい)  神田にて神嘗祭に奉るご料米の御稲穂(おんいなほ)を抜きまつるお祭り(神宮神田)。
 
10月15日〜10月25日 神嘗祭(かんなめさい)  その年の新穀を大御神に奉り、ご神徳に報謝申し上げるもっとも由緒深いお祭り。
  
11月23日から 11月29日まで 新嘗祭 (にいなめさい)  新穀を天皇陛下御自ら神々に奉られ、また御自らもお召しあがりになる大儀が宮中で行われるに際して、神宮へは勅使を御差遣(ごさけん)されて、奉幣の儀が行われます。また、それに先だって神饌を奉り大御饌の儀を行います。  *新米は陛下が食しめし(きこしめし)いただいた後、臣民はいただきます。
 
12月15日〜12月25日まで 月次祭  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。
毎日 日別朝夕大御饌祭 (ひごとあさゆうの おおみけさい) 年中、毎日朝夕の2度、外宮の御饌殿で、両正宮、同相殿神(どうあいどののかみ)および各別宮諸神にお供えものを奉ります。
 
現在の稲作は、地域によって異なりますが、五月の連休に田植え、九月上旬には刈り入れます。これは、殆どが兼業農家のためと、台風がくる前に収穫しようとするためです。 そのため日本の神社の田祭の時期と今の稲作サイクルがずれてしまって、神々に対しての感謝の実感がわかなくなってきています。なんのための祭か忘れてしまっている感じがあります。つまり、人間の都合で稲作直を早め縮めているわけです。さらに、先祖伝来の田畑を欲得の為手放し、誠に申し訳ない事をしているようです。日本人の伝統的な思いでは、古事記や書記にでてくるように、田んぼも、土も水も稲も神々です。神の子として誠に申し訳ない事をしているようです。
神々に対しての畏れを忘れてしまったのが現世の臣民であります。
 
畏くも天皇陛下は「祭祀王」「祈る王」だとされます。
昭和天皇の御製に、
 
わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々
 
畏くも天皇陛下は人が見ないところで日々、祭りを行い、「国平らかに、民安かれ」とひたすら公正無私の祈りを 捧げておられるのです。
そして、皇祖以来の伝統を継承されておられるのです。
戦後、権利、人権などを誇張し、日本人としての自覚を忘れ、皇祖、先祖、先人よりの御教えを忘れ、豊葦原の瑞穂の国を汚し、変わってしまったのは我々臣民なのです。
畏くも、天皇陛下にあらせられましては、皇祖以来の伝統を護り、臣民を護るお姿は神代の昔から普遍なのです。
 
 
 畏くも、  天皇陛下は、皇居の神田で、稲種まき、お田植え、御収穫をされています。  誠に神勅の隨々(まにまに)です。  天皇陛下のお田植えは誠に尊いお姿です・・・
 
 
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

「皇室に非課税の特権を与えよ」 
(占領軍の天皇家廃止の目的で造られたもである。)
 
 
 
天皇家の相続税を最初に払ったのはもちろん
現天皇ですが、その相続分の大半は戦後の時点で 
天皇家にあった現金1,500万円を運用した金融資産18億6900万円。
相続税は約4億2000万円。これをその金融資産から支払っています
ので、特に国民から何かをもらっているわけではありません。

 
 
 
日本が太平洋戦争に敗北し、皇族・華族の全ての特権を
剥奪するようGHQの指令を受けたからです。
 
 
大日本帝国憲法下において、天皇および皇族には特権が
認められ、納税あそばすことはなかったのです
 
 
 
王室を持つヨーロッパでは
 
日本の皇室よりも王族に非課税特権を与えている国が多く
あります たとえば、王室に対してノルウェーは完全に非課税で、
オランダほとんど非課税。そして、英国は女王のみ全ての収入が
非課税で、その他の王族は課税とされています。一方、スペインは
王室にも納税義務を課しています。
 
 
 
GHQが命じたのは特権の剥奪だけではありませんでした。
当時皇室が保持していた資産のほとんど全てを国有化する
ように指示したのです。
 
 
政府はGHQの圧力により、昭和二十一年、「財産税法」を成立
させました。この法律は、十万円以上の財産を持つ全ての国民は、
累進課税により、最高九〇パーセントの税金を払わないといけない
というものでした。
 
もちろん天皇家も例外とはされませんでした。これにより、
当時の天皇家の総資産三七億四七一二万円のうち、
三三億四二六八億円が財産税として納税され、この時、
 
 
皇居をはじめ皇室御用地のほぼ全てが
国有化されたのです。
 
皇室経済に関しては、占領下に「日本国憲法」と「皇室経済法」
「皇室経済法施行法」という法律によって定められたまま、現在に
至ります。
 
 
皇族医療保険もなく、いざ大きな病気にかかられた場合は、
全て決められた歳費の中でやりくりをしなくてはいけないという
問題があるほか皇位継承権のない愛子内親王殿下は皇太子家なので
養育に大きな予算が組める一方、三番目の皇位継承権をお持ちの
秋篠宮家の悠仁(ひさひと)親王殿下は、内廷外皇族なので養育に
限られた予算しか組めないという矛盾もあります
 
 
至急皇室経済法などを見直さなければ 
天皇家の存続にかかる
 
 
皇室と税金は無関係だと思う人も多いことでしょう。ところが、
ある部分では非課税ですが、基本的には一般国民と同じ納税の
義務があることはあまり知られていません。
 
 
 
 
 
 
    連載「私の日本憲法論」
    憲法復元か、革命か
 
 
 
なぜ、総理は大政を奉還しないか、その分析
 
 

天皇に大政を奉還すべしと私が説くと、もと皇族、とかいう匿名の人から
投書をいただいたが、それには、「現在の状態で天皇は、何の責任もなく、
気楽であって、この天皇に再び国家統治の責任を負わし奉ることは
かえって不忠のことである。現在の象徴天皇がもっともよろしい」いう
意味のことが書いてあった。

 
しかし私が考えるのに、男子いやしくも此の世に生まれて何の責任もなく
皆の決めたことに、自分の意見を述べる権利もなくただ判を押させられる
役などになっていて、はたして生き甲斐が感じられるであろうか
 
 
何の仕事も責任も与えられないで、裕かに生活を保障だけを与えられて
いるものを、或る人は「飼い殺し」と名づけていた。誰でも平社員から
係長になり、課長となり、部長となり、重役となり、社長となるべく努力を
つづけているのは、一層責任のある地位について男の生き甲斐を
感じたいからではないか。
 
 
そして日本の総理大臣が、占領軍から貰った国家統治の大権を、
占領が終わってからも天皇に奉還したがらないのは、精神分析的に
観れば、やっぱり、男子いやしくも此の世にうまれて、国家統治の
責任という最も大なる責任を狙い続けていることが、どんなに気持が
いいことかもしれない気持があるからではないか
 
 
 

 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

昭和の日


今日は、「昭和の日」だ。



平成になって、ほんの5,6年前までは、「みどりの日(自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ)」と、呼ばれていた昭和天皇の誕生日だ。




国民を思い、物を大切にし、贅沢を嫌った昭和天皇

『戦災の国民を考えれば、、(巡幸中)十日くらい風呂に入らなくてもかまわない。』
『私のパンだけ白いのは困る、国民の配給と同じにしてくれ。』
(巡幸の様子は)アメリカ人も見ていますから、背広を新調されては、、と言う侍従の勧めに、、
『アメリカは勝ったんだし金持ちなんだから、いいものを着たって当たり前だが、日本は負けて、みんな着るものもなくて困っているじゃないか。洋服なんかつくる気になれない!』と、お答えになった。
公務で必要な洋服は体裁の為に新調されても、新しい服が傷まないよう、すぐに古い背広に着替えられた。
『これは,国民の肩身を狭くしないために作った服だから、そういうときのために、綺麗にとっておかなくては。』




崩御直前まで国民を思う昭和天皇
長雨が続いた昭和63年。末期がんで余命幾ばくもない陛下は侍従に病床から、、
『長雨にたたられた今年の稲の実りは、どうなっているか?(国民が飢えることはないか)』
と心配された。

最後まで気に掛けていらっしゃったのは「日本と国民」。
 



昭和天皇のお人柄は、今上天皇にも受け継がれ、東日本大震災でも、被災者を励まし元気付けておられます。
そして多くの被災者が感激し勇気付けられ涙を流しております。


日本が昭和天皇と共に戦後のどん底から這い上がったように、
天皇陛下がおられる限り、東北の震災の復興も遂げ、さらに強く生まれ変わると信じます。





天皇陛下万歳
未来永劫の日本と天皇陛下の弥栄を祈ります。






以下、産経新聞「主張」より、


5回目の「昭和の日」を迎えた。この日は言うまでもなく昭和天皇の誕生日だった。平成になり「みどりの日」となっていたが、国民の強い願いもあり「昭和の日」と衣替えし「みどりの日」は5月4日に移された。
 祝日法によると「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日とされている。それだけに「敗戦以来の国難」と言われる東日本大震災から50日目にこの日を迎えた意義は大きい。
 六十余年に及んだ昭和の時代は、あの大戦による国土の荒廃だけでなく、昭和8年の三陸大津波や23年の福井大地震、34年の伊勢湾台風など、数限りない天災に襲われた。昭和の大恐慌や石油ショックなど、経済危機にも幾度となく見舞われている。
 だがその都度、危機を乗りこえ国の新たな発展につなげてきたのも昭和という時代だった。根底には長い歴史に培われた経済的底力もあったが、国民が一致団結して困難に立ち向かったことがそれを可能にしたと言っていい。
 その強い力添えとなったのは、昭和天皇が国民と苦難を共にされたことだった。
 特に日本中がほぼ焼け野原となった終戦直後には、全国を巡幸され国民を励まされた。巡幸中は旅館やホテルではなく、学校の教室に布団を敷き、カーテンをかけてお休みになることもあった。そうした昭和天皇のお姿を見て国民の多くは復興への決意を新たにしたのである。
 今回の大震災でも、天皇、皇后両陛下は27日に宮城県の被災地を見舞われたほか、すでに4回にわたり被災地や避難所を訪れ、被災者を励まされた。今後も岩手県や福島県を訪問される予定だ。東京電力の計画停電に合わせ、自ら停電生活も経験された。
 昭和のご巡幸同様、被災者だけでなく国民みんなをどれだけ勇気づけているか計り知れない。
 大震災からの再建をはかるにあたり最も大切なことは、国民一人一人が「自分の生活さえ守れたらいい」という考え方を捨て、心を一つにすることである。そのためにも、昭和の時代を振り返り、苦難からどう立ち直っていったかを学ぶべきだ。
 連休の始まりでもあるが、今年はとりわけ、そのことを確かめる「昭和の日」としたい。







ここで、ちょっと歴史のお勉強をしましょう。

1946年4月29日 「平和に対する罪(いわゆるA級戦犯)」として、東条元首相等28名が起訴された。起訴されたA級戦犯被告は東条英機ら18名、元首相が平沼騎一郎.広田弘毅、外交官が松岡洋右ら4名、その他政府高官が賀屋興宣ら2名、内大臣の木戸幸一、右翼思想家大川周明の28名。

1948年12月23日巣鴨プリズン(現在は東京池袋のサンシャイン60が建っている所)で、東条英機以下7名(松井石根、板垣征四郎、木村兵太郎、 広田浩毅、土肥原賢二、武藤章)が絞首刑。


起訴の日が4月29日(昭和天皇の誕生日)、死刑執行が12月23日(当時の皇太子の誕生日・今の天皇誕生日)というのは、どういう意図があったのでしょうかね??



そして、今日、イギリス(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)で、チャールズ皇太子(62)と故ダイアナ元妃の長男で王位継承順位2位のウィリアム王子(28)とケイト・ミドルトンさん(29)との結婚式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われる。
皇太子ご夫妻が招待されていましたが、東日本大震災の被害の大きさを考慮して、出席を見送られることになったので、皇室からの出席者はなくなりました。つまり、日本からは誰も出席者なしと云う事ですね。



転載元転載元: レックの色々日記

昭和の日

国民とともにあられた昭和天皇。
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  「昭和の日」は昭和天皇崩御後は「みどりの日」と制定されていましたが、平成17年(2006年)になってやっと「昭和の日」に改定されました。

  宮中には水田があり、天皇陛下ご自身が田植え、稲刈りをされますが、これを始められたのは昭和天皇であると言われています。明治天皇も赤坂御所に水田をつくられていたと伝えられています。昭和天皇が稲作をお始めになったのは農民の苦労をより身近にしのぶため言われています。始められたのは昭和2年であり、農業恐慌はこの2年後なので、恐慌とは関係なさそうです。また、昭和天皇は植物学者であらせるので品種特性の遺伝関係を研究されるという目的もあったといわれています。

  テレビで天皇陛下が稲刈りされているお姿が報道されますが、作業服に長靴姿であり、われわれは違和感を感じず見ています。西洋の王室などでは絶対にこのようなことはしないでしょう。「日本書紀」には天照大神が水田を営み、新嘗の祭りを行っています。われわれ日本人は神様が働いているのだから働くことはいいことだと無意識に思っています。「勤勉」な日本人の伝統があります。だから天皇陛下が稲作をされているのを見ても違和感を感じないのでしょう。

  昭和天皇は朝食はほぼ毎日、洋食をおとりになり、昼食と夕食は和食と洋食を交互にとられていました。朝食はトーストもしくはオートミールにサラダ、果物、温野菜、ミルクが定番でした。昼食や夕食の和食は丸麦入りのご飯、秋刀魚の塩焼き、オムレツ、ほうれん草のお浸し、香の物、お汁。洋食であればハンバーグに付け合せの野菜、スープ、パン、サラダといった具合です。カレーライスやチャーハン、カツ丼も食べられていました。ごく普通の家庭料理です。和食に天ぷらやお刺身がつくのはお客様がこられたときぐらいです。陛下の料理人を務めた人すべてが一般の家庭よりも質素な食事に驚いたと口をそろえます。食材も御料牧場や築地の市場から仕入れます。お米も標準米です。

  大東亜戦争終戦直後まもなくは食糧事情が悪く、昭和天皇は侍従長を呼んで「皇太子以下食べ盛りの子供たちはそうもゆくまいが、私の食事だけは国民と同じ配給量にしてくれ」と述べられ、侍従長とお勝手元である大膳課は大いに困ったといいます。また自分の食べるパンが白いのはなぜか?と、大膳課におたずねになられ、アメリカから入ってきたメリケン粉だとわかると、「私のパンだけ白いのは困る。国民の配給と同じにしてくれ」とおっしゃって、お聞き入れになられない。それで仕方なく配給の粉を使って、黒パンに変えたといいます。

  朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。(新日本建設に関する勅書 昭和21年 より)

  昭和天皇はお言葉どおり国民とともにありました。その伝統は今上天皇にも受け継がれています。



参考文献
  講談社現代新書「天皇陛下の全仕事」山本雅人(著)
  KKベストセラーズ「歴史人」DEC.2010 No.3
  PHP文庫「日本の神話と古代史がよくわかる本」島崎晋(監修)日本博学倶楽部(著)
  玄冬社「昭和天皇論」小林よしのり(著)
  講談社学術文庫「昭和天皇語録」黒田勝弘・畑好秀(編)

参考サイト
  国立公文書館 新日本建設に関する勅書 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=A04017784700

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  先帝祭  http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/27642827.html
  聖帝オホサザキと昭和天皇 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24989329.html
  昭和天皇の全国巡幸 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24931132.html
  昭和天皇の記憶 http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100423/1271973800

添付画像
  正装姿の昭和天皇(燕尾服・大勲位菊花大綬章・同副章)と香淳皇后(ローブデコルテ・勳一等宝冠章・同副章)昭和31年(PD)

http://www.hiroshima-blog.com/area/banner001.jpg よろしくお願いします


昭和天皇御真影
http://www.youtube.com/watch?v=dYSRnWGwlVg



転載元転載元: かつて日本は美しかった


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