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天皇

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昭和天皇陛下、香淳皇后陛下 御尊影
 
 
 
昭和天皇陛下全国御巡幸
私は戦後生まれなので昭和天皇陛下の終戦直後の全国御巡幸を知りません。
戦後の学校教育においてはこの御巡幸については一切教えていませんが、この御巡幸こそが当時の日本国国民と当時の昭和天皇陛下と国民の強い絆がみられます。
 
敗戦直後の昭和20年10月昭和天皇陛下は宮内府次長に
「この戦争により先祖からの領土を失ひ、国民の多くの生命を失ひ、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればよいのかと考へ、また退位も 考えた。しかし、よくよく考へた末、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ。こ のことをどうしても早い時期に行ひたいと思ふ。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだらうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるか ら、健康とか何とかはまつたく考へることなくやってほしい。宮内官はその志を達するやう全力を挙げて計画し実行してほしい。」
と指示されました。
当時は占領下にありましたので、占領軍総司令部に打診した。占領軍総司令部は、「親、兄弟、夫」を殺されたのだから石の一つでも投げられりゃいいんだ。と天皇陛下と貶める目的で許可したそうです。
しかし、占領軍総司令部高官たちの思惑とは全く信じられない結果となったのです。
昭和天皇陛下は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られ、行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。
昭和21年2月19日の最初のご訪問の地は、昭和電工・ 川崎工場。この時昭和天皇陛下は工員たちに対し、「生活状態はどうか」、「食べ物は大丈夫か」「家はあるのか」と聞かれた。感極まって泣いているものも多かったそうです。二度目の御巡幸は、2月28日、都内をまわられた。大空襲で一面、焼け野原である。新宿では、昭和天皇の行幸を知った群衆が待ちかまえ、自然に「天皇陛 下、万歳」の声が巻き起こり、天皇陛下が帽子をとってお応えになると群衆は警備の米兵の制止をふりはらって車道までなだれこむ現象がおき以降の御巡幸先でも同様の光景がみられた。
昭和21年には、関東、東海地方の各県を廻られ、22年6月には、大阪、兵庫、和歌山。そして8月の酷暑の中を東北全県の巡幸を希望されたが、側近が驚い て、涼しくなってからでは、と延期を願ったが、「東北の運命(食料の増産)は、真夏にかかっている。東北人の働くありのままの姿を是非この目に見て激励し てやりたい」と許さず、当時は敗戦直後で陛下の宿泊される場所もままならず、列車や学校等で泊られることもあったそうですが、陛下は。「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」と言われて、行幸を続けられました。
2ヶ月後には休む暇なく、甲信越地方9日間の御巡幸に出られた。最初に浅間山の雪の中を2キロも歩かれて、山麓の大日向開拓村を訪問された。大日向 村は満洲への分村移民を全国で最初に実行した村である。しかしソ連の満洲侵略により、移民694名中、半数の323名が生き残って、村に帰ってき た。そして標高1095mの荒れ地を切り開いて入植。
陛下をお迎えした開拓団長堀川源雄の奏上は、幾度となく涙でとだえた。昭和天皇のお顔も涙に濡れた。
12月5日、広島。広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名に会われた。原爆で頭のはげた一人の男の子の頭を抱えるようにして、目頭を押さえられた。周囲の群衆も静まりかえって、すすり泣く光景がみられた。
平和の鐘が鳴る中を元護国神社跡で7万の奉迎を受けられ陛下は、「このたびは皆のものの熱心な歓迎を受けてうれしく思ふ。
本日は親しく市内の災害地を視察するが、広島市は特別な災害を受けて誠に気の毒に思ふ。広島市民は復興に努力し、世界の平和に貢献せねばならぬ。」とのべられた。原爆を落とされた広島の地ですら誰一人天皇陛下を恨む者がいないことに、ただただ驚くばかりであったは、目付役として同行していた占領軍総司令部民政局のケント氏。
兵庫県で小学生達が禁止されていた日の丸を振ってお出迎えしたのを「指令違反」であるとして、以後の御巡幸中止を命じた。占領軍総司令部民政局はこれを口実にした理由は民政局は天皇廃止を目論んでいたのです。陛下を貶める目的で許可した御巡幸であったはずが、かえって国民との結びつきを強くしてしまったと。
御巡幸を期待する九州、四国地方からの嘆願や議会決議が相次ぎ、陛下から直接総司令官マッカーサーにお話しされた結果、翌々年に再開が許可。
昭和24年5月18日から6月10日にかけては、九州全県を巡幸された。因通寺には、40余名の戦災孤児のための洗心寮に立寄られ、位牌をふたつ胸に抱えた女の子を励まされた。
因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。
陛下は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。「どなたが戦死をされたのか」
「息子でございます。たった一人の息子でございました」声を詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされたの?」

「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」と答え、
老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた陛下は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていたそうです。
引き揚げ者の一行の前では、陛下は、深々と頭を下げられた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」とお言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじり寄ってきて、
「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります。」と述べたそうです。
九州御巡幸では約190カ所にお立ち寄りになり、各県とも6、7割の県民が奉迎したので、約700万人とお会いになられました。御巡幸はその後も、四国、北海道と昭和29年まで続き、8年半の間に陛下は沖縄をのぞく、全都道府県をまわられ、奉迎者の総数は数千万人に達した。
日本国民は帝国の敗戦によって国が崩壊してそれまで現人神であった陛下と接する機会を得、人々と共に悲しみ、涙を流す陛下の姿でした。一人ひとりが孤独に抱 えていた苦しみ、悲しみに、陛下が涙をされた時、人々は国民同胞全体が自分達の悲しみ、苦しみを分かち合ってくれたと感じ、そこからともに頑張ろう、と いう気持ちが芽生え、戦後のめざましい復興の原動力はここから生まれました。
陛下が晩年御病床につかれると、全国の御平癒祈願所に約9百万人が記帳に訪れ、陛下の回復を祈った。
陛下は御病床で「もうだめか」と医師に尋ねられた。
自信の御病気のことではなく、最後の御巡幸先である沖縄の事だったのである。陛下の御心は今上陛下により平成5年に果されましたが・・・・
当時イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれ、欧米人の常識では理解できないことが起こった昭和天皇陛下全国御巡幸。
当時の英国新聞紙も「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。」と・・・・・
日本国が天皇中心となり再びたちあがり連合国に刃向かうことを恐れ天皇廃止を目論んだが、国民と天皇陛下との強い絆と結びつきをまのあたりにし、断念した。
今上陛下も災害等で被災された方々を励まされ、励まされた方々はそのお言葉を生きる糧としている。
 
天皇陛下万歳。皇后陛下万歳。皇室万歳。
これからも日本国の心ある国民は永久に叫ぶでしょう。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
上記記事は昨年4月25日の記事を再記載しました。

 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
被災地の皆様の苦難を思い、
犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
また、自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

今日、4月29日は昭和の天長節の日です。
今上天皇陛下が、先帝、昭和天皇陛下の大御心を継承あそばされて、23年になります。
昭和の日に、世界平和と、臣民の幸せを祈られた昭和天皇陛下を偲びます。
 
以下昨年9月の記事ですが、再記載いたします。
 
「人間宣言」というタイトルを冠した人間が、誰かはわかりませんが、恐らく左翼マスコミであろうと思われますが、この詔書こそが昭和天皇陛下の大御心なのです。
「五箇条の御誓文」を再確認することが第一の目的であり、「神格とかそういうことは二の問題」であり、日本にはすでに明治憲法によって民主主義が存在していたのであって、あらためてアメリカから輸入するものではない、ということを示されたものなのです。
同時に日本人が「誇り」を失わないようにと、諭されています。

年頭、国運振興の詔書(新日本建設に関する詔書)』(昭和21年1月1日)

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昭和天皇陛下、香淳皇后陛下
 
 
 

茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、

 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。

大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我カ国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。

夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル、今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効スベキノ秋ナリ。

惟フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。

然レドモ朕ハ爾等臣民ト共ニアリ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。

朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。


我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。

一年ノ計ハ年頭ニ在リ、倫ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。


 
<現代語訳>

 『ここに新年を迎える。ふりかえれば、明治天皇は明治のはじめにあたって、国の基本方針として「五箇条の御誓文」を、おさずけくださった。それは、

一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。
一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。

 明治天皇の叡智にあふれた御旨は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、この上、付け加えるべきものはなにもない。余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。

 わが国の大小を問わない都市がこうむった戦争の災禍、罹災民の苦難、産業の停止と頓挫、食糧の不足、失業者の増加などのありようは、まことに余の心を痛ませるものがある。しかし、その一方、わが国民が現在の試練に直面しながらも、徹頭徹尾、平和な文明を求める決意を固くし、国民どうしの結束をまっとうすれば、わが国のみならず、全人類のためにも、輝かしい前途が開けることを疑わない。

 わが国民においては、家庭と国家を愛する心が、ことに熱烈である。今まさに、その精神を拡大充実させ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をすべき時である。

 余が思うに、これまで長きにわたった戦争に敗れた結果、わが国民はややもすれば絶望感にかられ、失意の底に沈んでしまう傾向がある。言動がしばらく過激に流れるようになり、道義に従う心もいちぢるしく衰え、そのために思想の混乱の兆候が見られるのには、まことに深い憂慮の念を覚えずにはいられない。

 しかし、余は汝ら国民とともにある。常に利害を同じくし、喜びも悲しみもわかちあいたい。余と汝ら国民との間の絆は、いつも相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説を根拠に生まれたものではない。天皇をもって現人神とし、また日本国民が他民族より優れており、そのゆえに世界を支配すべき使命をもつといった架空の観念によって生まれた絆でもない。

 余の政府は、国民の試練と苦難とをやわらげるため、あらゆる政策と国家経営に万全の手段を講ずるべきである。同時に余は、現在の苦難にあたってわが国民が奮起し、当面の困窮を克服するため、また産業と文化の振興のため、勇気をもって進むことを心より願う。

 わが国民が、その実生活において団結し、互いによりそい助けあい、寛容をもって相手を許すという気風を高めるならば、わが国の至高の伝統に恥じることのない、日本民族の真価を発揮するに至るだろう。このように考えるのは、実にわが国民が、人類の福祉と向上のため、絶大なる貢献を爲すであろうことを疑わないからである。

 一年の計は年頭にある。余は、余の信頼する国民が、余と心をひとつにして、みずから奮い、みずから励まし、もって以上の大業を成就することを、心より願うものである。』
 


昭和天皇陛下の記者会見
 
●「日本の民主主義は戦後の輸入品ではない」(昭和52年8月の記者会見)

記者 ただそのご詔勅の一番冒頭に明治天皇の「五箇条の御誓文」というのがございますけれども、
これはやはり何か、陛下のご希望もあるやに聞いておりますが………

昭和天皇陛下  そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。
それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。
民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。
そうして、五箇条の御誓文を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。
それで、特に初めの案では、五箇条の御誓文は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。
幣原が、これをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは感心すべきものであると非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしい、というマッカーサー司令官の強い希望があったので、全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります

記者 そうしますと陛下、やはりご自身でご希望があったわけでございますか………

昭和天皇陛下 私もそれを目的として、あの宣言を考えたのです。

記者  陛下ご自身のお気持ちとしては、何も日本が戦争が終ったあとで、米国から民主主義だということで輸入される、そういうことではないと、もともと明治大帝の頃から民主主義の大本、大綱があったんであるという………

昭和天皇陛下  そして、日本の誇りを日本の国民が忘れると非常に具合が悪いと思いましたから。
日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあった
ということを示すために、あれを発表することを私は希望したのです。
 

『陛下、お尋ね申し上げます』(高橋紘+鈴木邦彦、徳間書店)より
 
 
 
昭和天皇陛下は敗戦から國民を励まされると同時に、遠い未来を見据えておられたのでしょう。
日本人が誇りを失わないようにと・・・
 
昭和天皇陛下の大御心です。
今一度日本人は「誇り」を取戻しましょう。
日本は素晴しい國であると。
 
 
 
 

 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
被災地の皆様の苦難を思い、
犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
また、自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

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天皇陛下 御尊影
 
 
 
畏くも天皇陛下はにあらせられましては、「祈る王」「祭祀王」といわれます。「地上の支配者」であるヨーロッパの国王とは異なります。
第84代順徳天皇(在位:承元4年11月25日(1210年12月12日)- 承久3年4月20日(1221年5月13日)が宮中のしきたりを書きつづられたのが『禁秘抄』で、その冒頭には、「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす」と、何よりも神事を優先させなければならないことが明記されています。天皇陛下にとってもっとも重要なことは神祭りなのです。順徳天皇がことのほか重い天皇の使命を、皇室存亡の危機のまっただ中で明言されたことは重要なことです。
天皇陛下は日々、祈られます。『禁秘抄』には「恒例毎日の次第」という一章があって、天皇が毎朝、身を清められたあと、京都御所・清涼殿の石灰壇(いしばいのだん)に立たれ、東南の方角に向かって、伊勢の神宮ならびに内侍所(ないしどころ=賢所)、各神社を遥拝されることが記されています。
天皇陛下の祈りの精神がもっとも濃厚に示されるのが、即位後に行われる天皇一世一代の大嘗祭でしょう。秘儀とされる大嘗祭の儀で、新帝は皇祖天照大神ほか天神地祇に、手ずから神饌を供され、祈られます。
 
 天皇陛下は何を祈られるのでしょうか。神社の祝詞(のりと)に相当する「申詞(もうしことば)」は天皇直伝で一般には知られないのですが、14歳で即位された順徳天皇に父・後鳥羽上皇が大嘗祭の直前、その秘儀のことをお教えになったことが後鳥羽上皇の日記(建暦2[1212]年10月25日)に記されています。
 
 「伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」(「後鳥羽院宸記」=『皇室文学大系4』所収)
 
天皇陛下はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。
 
神道思想家といわれる今泉定助氏によれば、「天皇統治の本質」は天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅にあるように「安国と平らけくしろしめす」ことだといいます。「しらす」政治とは民意を知って統合することで、「うしはく」政治つまり権力による支配ではないとするのです。
 
大日本帝国憲法には、「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」と規定していますが、この「天皇の統治」は本来、「しらす」の意味でした。
戦前と戦後、昭和天皇陛下に侍従として仕えた木下道雄は『新編宮中見聞録』に、次のような昭和天皇の戦前の逸話を次のように紹介しています。
 
 昭和の初め、汚職事件の渦中にある高官の起訴について天皇の裁可を求める上奏書をもって内閣書記官が慌ただしく駆けつけてきました。一刻を争う上奏書でしたが、昭和天皇は司法大臣の起訴理由書を繰り返し御覧になるばかりで、なかなか裁可されません。しばらくしてようやく天皇陛下は裁可の印を捺されました。書類を受け取り、部屋を辞する木下に天皇陛下は語られました。「私が悪いのだよ」と。
 
 のちに昭和天皇陛下はよく晴れた夕暮れ、天を仰ぎつつ、木下にたずねられました。「どうすれば政治家の堕落を防げるであろうか。結局、私の徳が足りないから、こんなことになるのだ」と。
 
 昭和天皇陛下は罪を犯した官僚を憎むのではありません。汚職がはびこる世の中を憂い、ご自身を責めておられたといいます。
 
昭和天皇陛下であればこそ、皇祖と国民に対して「戦争責任」を誰よりもつよく意識されていました。旧憲法下の天皇はあくまで立憲君主であって、国務大臣は天皇を補弼(ほひつ)する責任があり、天皇の詔勅は国務大臣の副書を必要としました。天皇は憲法上、無答責のお立場にありました。それにもかかわらず、昭和天皇は身を引き裂かれるほどの責任を痛感され、御自身を責め続けられました。
昭和20年8月に長い戦争の時代は終わります。
日本が開闢(かいびゃく)以来、経験したことのない屈辱の歴史でした。
数百万の尊い人命が失われ、かけがえのない美しい国土は無惨にも焦土と化しました。しかも「敵国」の軍隊が進駐し、日本はその支配下に置かれ、「國體」がおかされることになりました。
昭和天皇陛下の御心中はいかばかりであったでしょう。終戦の詔書に「帝国臣民にして戦陣に死し、戦域に殉じ、非命に斃(たお)れたる者、およびその遺族に想いをいたせば、五内(ごだい)、ために裂く」と玉音賜っています。国と民のために祈りの日々を送られる昭和天皇陛下であれば、なおのことあられたと推察します。
昭和天皇陛下が最後まで推敲を重ねてやまなかったお歌は、岡野弘彦氏によれば、「身はいかになるともいくさとどめけりただ倒れゆく民をおもひて」であったと聞きます。
昭和天皇陛下の強い大御心により、御巡幸が始まります。
御巡幸は21年2月に始まり、昭和天皇は戦後復興、国家再建の先頭に立たれました。敗戦で憔悴した國民は昭和天皇陛下のお出ましを感激をもってお迎えし、「ずいぶん苦しかったろうが、よく帰ってきたね」と引き揚げ者をいたわり、「親のいうことをよく聞いて、立派な人になってくださいよ」と子供を励ます昭和天皇に涙しました。天皇と名もなき国民の一体感が戦後復興の大きな原動力となりました。
 
民とともにある天皇陛下はいつの時代も、國家の栄光ばかりではなく、苦悩のただ中におられます。
戦後最大の國難ともいわれる東日本大震災。
今上陛下の御心を深く痛めておられます。
「天皇陛下に私なし」といわれますが、天皇陛下はひたすらすべての民のために祈られます。
 
 東大紛争当時、警視庁の治安担当警備課長だった佐々淳行氏は、『東大落城─安田講堂攻防七十二時間』に次のように書いています。
 
 ──安田講堂の攻防が決着したあと、秦野章警視総監が内奏のために宮中に参内した。昭和天皇から御嘉賞のお言葉があれば、機動隊員の士気高揚につながると期待されたが、内奏がすんで帰庁した秦野氏は妙な表情を浮かべていた。
 
 「天皇陛下ってえのはオレたちとちょっと違うんだよなァ。安田講堂のこと奏上したら、『双方に死者は出たか?』と御下問があった。幸い双方に死者はございません、とお答えしたら、たいへんお喜びでな、『ああ、それは何よりであった』と仰せなんだ。機動隊と学生のやり合いを、まるで自分の息子の兄弟げんかみたいな目で見ておられるんだな」
 
 「公正無私」を第一義とされるのが天皇陛下です。天皇陛下にとっては右翼も左翼もありません。多様な考えを持ち、多様な暮らしをする國民すべての天皇陛下なのです。「まつろわぬ民」のためにさえ、代々、祈りを継承してこられたのが天皇陛下なのです。
 
今日なお多様で多面的な國家、民族、社会の中心に位置し、「国平らかに、民安かれ」と日々、祈り続けておられる天皇陛下の価値というものを私たちが失わないかぎり、日本人が民族の英知を失わないかぎり、天皇陛下と國家は、國民とともに、未来永劫に発展していくことでしょう。
そして、臣民として唱えられずにいられません。
 
 
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳!
 
 
 
 
 

 
 
 
東日本大震災の被災地の皆様の苦難を思い、
犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
また、自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

戦後、日本がアメリカに占領され、占領憲法を押し付けられて、その憲法が未だに一度も改正されることもなく平和憲法として、日本人はそれを人類の理想であるかのように崇め守ってきました。あの前文の屈辱的な宣言を読んで、なぜ多くの国民に悔しさが湧かないのかが不思議です。
戦後日本の家の制度は破壊され、個人としてバラバラに分断され、家督相続の制度はなくなり、親の面倒すら見るのを嫌がるという風潮になってきました。先日も、と言っても震災前のことですが、テレビのワイドショーを見ていたら、マレーシアから来た女の子たちが、日本の老人福祉を見て、なぜ家族が世話しないのかと質問し、日本のような先進国に憧れてきたけれど、施設の老人の寂しそうな姿を見て、経済繁栄の代わりに得るものが、こういうモノなら、今のままの方がいいと言っていました。マレーシアでは家族はみな老人を大切にし、老人の世話をすることを皆喜んでやると言っていました。
戦後押し付けられた民主主義という価値は、個人を大切にすると言いながら、その本質は利己主義であり、自分を育てはぐくんだ、親や先祖や国家や郷土というものに感謝の気持ちを抱かず、それらをほったらかしても、自分の楽しみを追求する権利を保証するというものに過ぎません。
また、日本は昔から豊葦原の千五百秋の瑞穂の国の神勅もあるほど、稲作は重要な文化でした。田んぼの風景の美しさは、まさに日本の風景でした。しかし、長年、減反政策は続き、美田は荒廃し、日本人は、米をあまり食べなくなり、メリケン粉で作ったパンを食べるようになりました。まさにアメリカ思想を飲み込むことの象徴のようにメリケン粉を食べているのですから、この戦後の日本の思想のみでなく生活文化の荒廃を、日本人の御先祖様はどのような思いで見ていることだろうと思います。
そんな中、天皇陛下は、歴史上今までにないほど、祭祀をご熱心にされて、それまで中断されて行われてこなかったような古い祭祀まで、復活されて一所懸命に神を祀られ祈られておられるということです。天皇とはもともと祭祀王ですから、ある意味それがお仕事ではありますが、ご高齢の陛下には大変負担の大きいことであろうと思います。みそぎや潔斎など、肉体的な負担を伴うものも多いと聞いています。
それほどまでに祭祀を熱心になさる陛下のご心境を拝察して、誰かが、日本の今の現状にとても危機感をお持ちであるからだといいました。幕末の孝明天皇も、やはり国を憂えられ、非常な危機感の中、一生懸命祭祀をなさったという話ですから、きっとそのとおりなのでしょう。
天皇陛下は、古来より、親が子を思うように国民を慈しまれ、時には誇りに思われ、時にはとても心配なさって絶えず国民のために祈られてきました。
戦後の国民のいろんな闘争の激しい険悪な状態は、昭和天皇もひどく御心を傷められた御様子で、そうした昭和天皇を香淳皇后はお慰めする言葉もないと、和歌に詠まれていたことがあります。
 

つぎつぎにおこる禍ごとをいかにせむ慰めまつらむ言の葉もなし

  みこころを悩ますことのみ多くしてわが言の葉もつきはてにけり

                                 (香淳皇后御歌)

昭和天皇の御製で、国民に向けたお気持ちを読まれたものに、
 
ふりつもる み雪にたへていろかへぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ
                              
 (昭和天皇御製) 

「松ぞ雄々しき人もかくあれ」願われながらも、国民の現状をご覧になると、きっと苦悩されておられたのであろうという気がします。

  わが庭の そぞろありきも 楽しからず 
                     わざはひ多き 今の世思へ   
 (昭和天皇御製)

そして、今上陛下もやはりさまざまなニュースが流れる中、どれほど国民のことを心配されておられるか、私達が時には憤りを覚えながらニュースを聞く以上の悲痛なご心境ではないかと御拝察いたします。
そのような中、今回の震災がおこり、天皇陛下は、ビデオメッセージを発表されました。これはまさに勅語であろうと思います。このメッセージの中で、陛下は、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。」というふうにおっしゃっておられます。国民がみな家族のように苦難を分かち合い助けあうことを望んでおられるのです。
私達日本人は、古来より、天皇を国の中心として仰いで、長い歴史を過ごしてきまし
た。貴族や武家政権で、実質的な統治権は離れても、その統治権は天皇からお預かりしたものであるという意識は常にあり、真の権威は変わることなく天皇にありました。
そうした国柄の日本が、戦後の占領憲法で、統治権を天皇にないとする占領憲法のもとで、65年という歳月を過ごしてきました。長い日本の歴史の中で異例の歳月です。
この憲法が、日本国民の中から生れたものではなく、押し付けられ、さらに極東裁判史観によって洗脳された状態で、平和憲法と称して続いてきたもので、その成立も本来違法であり、その精神にも日本の文化や伝統から生れたものは、なにもないのははっきりしています。
西欧の階級闘争から生れた民主主義を、日本は、まるで今までは民主主義のなかった悲惨な国であったかのように、ありがたがって受け入れましたが、日本は、歴史上革命が起こったことのない、万世一系の天皇が中心におられる国です。それは革命の必要がなかったということであり、天皇と国民が親と子のように信頼しあって、天皇は国民を大御宝と呼ばれ、大切に慈しまれ、国民もそんな天皇に命を捧げても悔いないほどの忠の心を持ってきました。それこそが日本流の民主主義と言ってもいい国柄ではないでしょうか。
あの敗戦後の昭和天皇のマッカーサーとの会見の逸話、そして全国を巡られた御巡幸のお姿、そして震災のたびに被災地を慰問される今上陛下のお姿、まさに日本の国柄のありかたです。今回の震災で、多くの国民が日本人であること、そして日本の国というものに、心を振り向けたといわれます。
今こそ、真の日本の国柄を真剣に考える機会ではないでしょうか。天皇という存在が日本人の心の支えであり、日本の中心と言える存在であることを、はっきり認識するときが来ていると思います。
占領憲法の違法性をはっきりと暴露して、無効宣言をすべきです。そして、幕末から明治維新を起こしたように、今こそ大政奉還すべき時だと思います。誤った物質主義の唯物史観に彩られた民主主義を脱して、真の日本的な神武建国以来の民主主義に帰る時だと思います。





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ポール・リシャールは、フランスの詩人、弁護士、キリスト教の牧師でした。彼の生涯は、東西の精神文化の交流と人種差別撤廃の活動に捧げられました。
21世紀の世界が生んだ大哲学者です。
神学・法律・哲学博士であり、フランスの国民から、本当に愛され、尊敬された人物です。
 そのポール・リシャール博士が、日本の存在を高く評価しています。
20世紀初頭、西欧文明に行き詰まりを感じていたリシャールは、西欧文明の欠点を克服するには東洋の精神に学ぶしかないと考えました。
大正5年(1916)に日本を訪れた彼は、約4年間の滞在期間に、日本の愛国者たちと交友を結び、彼らに多大な影響を与えました。
大正8年に、第1次世界大戦後のパリ講和条約で日本が人種差別撤廃案を提案しました。日本國内では人種差別撤廃を求める期成大会が行われるなどの動きが高まりました。これに感激したリシャールは、大会の決議文をフランス語に翻訳して、各国の指導者に送るなど、人種差別撤廃の実現に努めました。しかし講和会議では、日本の提案は米英により不当にも否決されてしまいました。
当時東洋で、唯一白人國家に対し意見が言える國家は日本だけでした。
侵略國家、軍国主義などと揶揄され、誹謗される我國は、人種差別撤廃を唱えた國なのです。
これが真の姿です。
リシャールが滞日時代に書いた『告日本國』(大正6年、1917)という著書があります。この著書は日本の世界史的使命と日本人への期待を歌い、今日も多くの人に賞讃されています。
 
 
「曙の児等よ、海原の児等よ
花と焔との国、力と美との国の児等よ
聴け、涯しなき海の諸々の波が
日出づる諸子の島々を讃ふる栄誉の歌を
諸子の国に七つの栄誉あり
故にまた七つの大業あり
さらば聴け、其の七つの栄誉と七つの使命とを
独り自由を失はざりし亜細亜の唯一の民よ
貴国こそ亜細亜に自由を与ふべきものなれ
曾て他国に隷属せざりし世界の唯一の民よ
一切の世界の隷属の民のために起つは貴国の任なり
曾て滅びざりし唯一の民よ
一切の人類幸福の敵を亡ぼすは貴国の使命なり
新しき科学と旧き知慧と、欧羅巴(ヨーロッパ)の思想と
亜細亜の思想とを自己の衷(うち)に統一せる唯一の民よ
此等二つの世界、来るべき世の此等両部を統合するは貴国の任なり
流血の跡なき宗教を有てる唯一の民よ
一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは貴国なる可し
建国以来、一系の天皇、永遠に亘る一人の天皇を奉戴せる
唯一の民よ
貴国は地上の万国に向かって、人は皆な一天の子にして、天を永遠
の君主とする一個の帝国を建設すべきことを教へんが為に生れたり
万国に優りて統一ある民よ
貴国は来るべき一切の統一に貢献せん為に生れ
また貴国は戦士なれば、人類の平和を促さんが為に生れたり
曙の児等よ、海原の児等よ
斯く如きは、花と焔との国なる貴国の
七つの栄誉と七つの大業となり」(大川周明訳)
 
 
 
七つの栄誉と七つの大業とは、
 
一 日本はアジアで唯一、真の意味からも欧米の植民地にならなかった唯一の民の国である。
 
二 日本は他国に隷属、支配されなかった唯一の民の国である
 
三 日本は、一度も滅びるような事もなく、日本列島の中で繁栄した唯一の民の国である
 
四 日本は、欧米などの西洋とアジアの東洋の思想や精神を自己のうちに統一できる唯一の民の国である
 
五 日本は、宗教戦争をおこした事のない神道を持てる唯一の民の国である
 
六 日本は三千年以上も一系の天皇を奉載する唯一の民の国である
 
七 日本は世界に優れた 日本人として、統一ある唯一の民の国である
 
ポール・リシャール博士は、この七つの栄誉を述べて、日本は七つの使命、七つの大業があるといっています。
 世界に大きく貢献しないといけないといっているのです。
そしてその中の最大のポイントして、天皇陛下の存在があります。
世界にはたくさんの王室がありますが、歴史でみれば、武家政権の国王にしかすぎないのです。

 新しく政権についた所が、前の政権を滅ぼしているのです。
中国などが顕著な例です。
終戦の詔勅をラジオで聞いた事で、全國民の思想を玉砕から降伏と変え、整然として世論がまとまった事や、終戦後、天皇陛下が、丸腰で、全國を御巡幸あそばされ、それを國民が喜んで迎え、陛下と国民がお互いを励ましあって、復興に向う姿に、こんなことは世界史のどこにもない、奇跡だと述べています。
日本人は、君権と民権を調和統一した理想国家を実現せよ」とリシャールは言います。「そもそも君権といい民権といい、その源は天に発する。君主は、天の統一的方面を、人民は天の差別的方面を、地上に代表するものである。従って、本来両者の間には何ら矛盾衝突があるはずがなく、真のデモクラシーとは、真の天皇主義の別名であるはずである。君民は本来一体である。君主にとって、人民が『大御宝(おおみたから)』であるとすれば、人民にとっても君主は『大御宝』である。これは相補い一体となっているものである」と。
 
賢者リシャールは、我が国の伝統に真のデモクラシーを見出し、日本人に理想国家実現を期待したのです。私たち日本人は、自国の国柄を理解して日本の使命を自覚し、誇りとべきです。
東日本大震災発生後、全世界から賞讃と、支援の声が上がっていますが、歴代の天皇陛下、我々の祖先、先人が築きあげた君臣一体のお国柄が世界に貢献した、賜物であることも忘れてはなりません。
 
共産主義の思想は、平和を乱すことはあっても、世界平和に寄与したことなどないのです。
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国


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