日本の感性をよみがえらせよう

PC不調と、私事雑用多忙のため停止させて頂きます。

憲法

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
自衛隊、かく救済せり!  
 
一人の女性自衛官の言葉が忘れられません。
 
「自分の命よりも尊いものを見つけました。
 それは、国を守る事です。」
 
 
自分の携帯食料を被災者に渡し、
自らは空腹のまま作業していた自衛隊員たち。
黙々と肉体的にも精神的にもつらい活動に従事している彼らに
報いるには何が必要かーーーーーー
 
とても全文打てないので、この後はピックアップした文章です。
 
菅総理が「自衛隊10万人増員」を打ち出し、
総力戦となった。
なにせ陸海空自衛隊合わせても24万人の組織である。
米軍などなら、「10万人体制」には、交代要員や後方部隊を加味し、
30万人は要すると考えるだろう。
 
防衛省・自衛隊が再三、
「人が足りない、予算が足りない」と訴えてきたにも関わらず、
防衛予算の異常なまでの削減、自衛官の削減を続けてきた政治は、
どのような反省の弁を考えているのだろうか。
 
それに、震災発生後もロシアや中国海軍ヘリは何度も接近し、
尖閣諸島には漁船が大挙して訪れていて、
海空の警戒は緩められず、
陸自も新燃岳や不発弾処理にもあたっており、
苦しい人員のやりくりで、災害派遣に臨んでいるのだ。
 
2週間以上は着替えもできず、お風呂も入れなかった。
入浴ができるようになってからも、
被災者に入ってもらってから最後に入っている。
 
それでも彼らは、黙々と作業をしている。
来る日も来る日も津波により性別もわからないご遺体を収容する
精神的な負担は計り知れないが、歯を食いしばっている。
 
その真心に報いるためにも、
相応の予算や人員、装備を施す事が求められる。
 
だが、自衛隊の本来の存在意義は国防。
今後、国を守るに足る組織になるかどうか・・・
 
私たち国民は、自衛隊に係る予算問題や整備不備について認識し、
国に改善を求め続けなければならないと感じる。
 
 
ところで、3月16日の、天皇陛下のビデオメッセージで
自衛隊などが危険な状況の中で日夜救済活動を進めている努力に感謝し
労をねぎらうとの御言葉があった。
 
自衛官から
「ありがたく歓喜に至ります」「何よりの励みです」と、声が寄せられた。
 
また、その後、陛下より自衛官に対し
「足りない物はないか」「困っていることはないか」
といった御下問があったといい、
いくつかの項目に記入したというあるベテラン自衛官は、
「書く手がぶるぶると震え、我知らず涙が出ました。」
と、語ってくれた。
 
〜〜〜〜〜以上 抜粋〜〜〜〜〜
 
10万人が、これほど過酷な事と、みなさんご存知でしたか?
陛下より御下問があった事も・・・。
私は何も知りませんでした。
 
申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちと、
こんな素晴らしい天皇陛下をいただいた感動でいっぱいです
陛下は、お手元金で自衛隊に援助されるはずです。公の為ならサッと出され
自分の為ならわずかの事務用品費も節約されます
 

 
 
 
■それに比べて昨日の、被災者と話す時腰に手をあてていたが
腰に手をあてるのは「お前の話は聞かないと」言う意味らしい。
 
 
今の菅政権こそ、日本破壊日本弱体化そのものである
総理大臣が反日・左翼の韓国人幹事長も反日左翼の韓国人である。
日本の国会のトップを反日・左翼の韓国人に牛耳られているのだ
 
これは知らなかったで済まされない問題である。自分の家に盗賊が入って
来て占領されているのである。これこそが日本の危機である
 

 
 
 
 
 
    
       連載 「私の日本憲法論」      
       占領憲法の非真理性とその影響
 
 
 
今はまだ占領継続中である
 
「もう戦後ではない」という語が、最近よくきかれるのでありますが、
占領憲法が横行して、それに支配されている間は、占領軍の精神に
支配されているのでありますから、
 
 
戦後どころかまだ戦中で、占領継続中なのであります
ゲバ棒を振りまわして日本の大学や交通機関をマヒさせている大学生は、
この占領軍の占領憲法に指嗾(しそう)せられて日本破壊、日本弱体化
ために活動しているのであります。
 
 
私が日本の現在の政治体制に反対するというのは、現在の政治体制は
占領軍の精神でできた憲法に支えられてできているから、いわば現在の
政治体制は、占領軍の傀儡政治体制であるからであります
 
 
だからその政治体制の首班たる佐藤総理大臣が、「私の在任する限り
この憲法を改正しません」とたびたび言明するのは当然のことであります。
 
 
もし佐藤総理が占領精神の延長でないならば、
こんな「憲法の精神を守ります」などとは言わないに違いないのであります。
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ

 今回の震災は、千年に一度の大災害だという話もあります。たしかにそうかも知れません。これほどの広範囲にわたって、被害が出たという話は歴史上にも聞いたことがなかったことですから。869年の貞観の大地震と似ているといわれますが、そのようなめったに起こらない地震が、いまこの時に起こるというのも、人智を超えた何かのめぐり合わせなのかも知れません。

 天の意志などという言い方を嫌う合理主義者もいるでしょうが、あの恐ろしい津波のどんどん押し寄せて、人家も車も、大型車両も、電車すら押し流してしまうあの脅威を前に、改めて人間は、普段は自然に生かされていたのだということを思い知らされた気がします。

 まあ、天の意志であるかどうかはともかく、この未曽有の災害とは言え、こうした災害に日頃から何らかの対処をしているのといないのとでは、やはりその被害の程度も違ってくると思います。千年に一度の災害だから、日頃の対処程度ではなんの意味もなかったというのはやはりちがうと思うのです。もちろんそれでは対処しきれなくて、災害はひどいものになったとは思いますが、それでもやはり違いはあったはずです。

 米紙ウォールストリート・ジャーナルも、日本は100年以上にわたり建物の耐震化をしてきたから、地震で多くのビルは持ちこたえたと言っています。おそらく歴史建造物の頑丈さから言えば千年以上と言っても間違いではない気もしますが、とにかく今回、最初の広範囲にわたっての大きな揺れでも、揺れの規模の割には被害が少なかったのは、日本だからこそでしょうし、その後の津波はもうどうしようもなく凄まじい物だったですが、それでさえも、もし津波の怖さを日本人くらい知っていなければ、もっと何十倍もの被害であったのかも知れません。

 災害に対するたゆまぬ準備と、心構え、これは被害を最小限に留める為の決定的な要素です。

そして災害とは、自然災害だけではないのが、この人間社会のどうしようもない現実です。私は、これについては、すずもとさんが、ブログ「日の出を望む」で、震災直後より、それをなんども警告されていることに、非常に感銘を受けました。震災直後は、震災の状況、救援、日常への影響など、目の前のことしか見えなくなりがちですが、この災害に備えるということは、自然災害だけではないことにも心を向けなくてはいけません。

イメージ 1
放射線量の検査を受ける赤ちゃん

 外国からの侵略、或いはテロ、これらも同じくらい或いはもっとひどい災害をもたらすのです。家族を亡くされた方々の悲痛な映像は、涙なしではみられないくらいですが、その光景が、自然災害以外でもいつでも起こりうるのだということを、もっと認識しなくてはいけないのではないでしょうか。日本の周りは、中国、ロシア、北朝鮮、アメリカと多くの核保有国に囲まれているのです。もし一発の核ミサイルが発射されたら、いや一発とは限りません。迎撃不可能な数のミサイルが降ってきたら、自然災害とは比べものにならない被害が出るのです。

このまえテレビ朝日の、「朝まで生テレビ!」でホリエモンが、中国が日本に攻めてくるわけがない、そんなことをしても中国に何の得もないといっていましたが、ほんとうにそうでしょうか。中国の人民軍のトップは先日、十年以内に日本を核攻撃するつもりだと、軍内部の講話で話したという記事を見ました。人口増加による資源食料の争奪の生存競争を生き残るために、核は、他民族の人口を消滅させるのに有効な手段だと言っていたということです。そして日本を手始めにいずれはアメリカも掃除すると言っていたそうです。(http://homepage3.nifty.com/tamogamironbun/参照)

戦後日本は、占領軍から押し付けられた憲法を守ってきました。あの前文の、敗戦国の戦勝国への詫び証文のような文章、私たち日本人は悪いことをしてきましたが、二度とあなた方「公正と信義の国々」に、戦争を仕掛けることなど致しませんという内容の卑屈な宣言は、これが誇りある国家の憲法かと思われるものです。

このあいだの尖閣諸島領海侵犯事件でも、この憲法の卑屈な精神は、まさにこの内閣において結実したかのような、対応となりました。その後の外交交渉においても、史上これ以上ないほどの卑屈さでした。軍備というのは自衛のためだけでなく、国家の威厳の象徴でもあるのです。平和は力の均衡の上に成立しているのです。友愛と言いながらいくら握手しても、威厳を持たない国家は、ばかにされるだけです。

北方領土を取られ、竹島を取られ、そして今度は尖閣諸島、次には沖縄、対馬と次々、外国は領有宣言を始めるでしょう。そして最後には、本土まで来るかも知れません。

かつて、中国共産党の機関誌『人民日報』(1964年6月24日)に問答方式で、“力”に対する考え方が載ったことがあります。

───国力とは何か。                                              
 国力とは武力である。武力なくして国力はありえない。
 ───独立とは何か。
 独立とは武力である。武力なくして独立はありえない。
 ───自由とは何か。
 自由とは武力である。武力なくして自由はありえない。
 ───平等とは何か。
 平等もまた武力である。武力なくして平等はありえない。
 国力、独立、自由、平等、すべて武力によってかちえられるものであり、武力のみによってかちえられるものであり、武力のみによって護られるものである。これは従来も現在も、階級闘争における普遍的な原理である。」

 このように言っているのです。ここにいう武力とは必ずしも物量や物質的破壊力を指しているのではありません。国家の権威または力の象徴としてあるのです。
 こうした考え方の中国が、卑屈極まりない日本に対して、国家として同等の敬意を持つとは考えられないことです。敬意を持たない相手に対しては、ただ蹂躙して、日本自治区か日本省にしてしまうことでしょう。その時、震災津波以上の苦痛が襲ってくるかも知れません。

 すずもとさんがいわれるように、国防こそ危機管理のもっとも重要なものです。


以下「日の出を望む」より転載

改めて問われる危機管理



今回の最大規模の地震では大きな被害が出ました。
多くのプレート、火山がある日本列島ではこのような自然災害から逃れることはできません。
だから誰かに攻めることはできませんが、対策次第で被害も大きくなったり、小さくなったりしてしまいます。
 
中略

でも、危機管理は自然災害、その他事件、事故にとどまりません。
わすれてはならないのが国防です。

アメリカの「軍は悪、戦前の日本は悪」という洗脳教育やその後の反軍教育、憲法の制約もあったおかげで国民の自衛隊に対する評価は低いものでした。
また、アメリカの核の傘があったおかげで経済政策に邁進し、世界第二位の経済大国に上り詰めることができましたが、一方国防政策はタブー視されてしまいました。
ソ連が崩壊し、各地で紛争が起こるようになり、国際情勢は変化します。
ヨーロッパではソ連の影響下にあった東欧諸国が民主化に向けて動くようになりましたが、東アジアでは未だに一党独裁で共産主義国家であるベトナム、北朝鮮、中国が存在しています。
周知の通り、北朝鮮はミサイル発射実験を行ったり、核開発をしたり、拉致を行ったりと我が国を脅かすことを行ってきました。
そのおかげで我が国もようやく国防の重要性を少しは認識し始め、有事法制の整備がおこなわれることとなりました。
2001年のアメリカ同時多発テロが起こると、国内でテロが起こる危険性からテロ対策特別措置法が制定されることになりました。
イラク戦争が起きると、自衛隊を海外派遣できるように法律が制定され、2007年にはようやく防衛庁が防衛省へと昇格しました。
 
ただそれでも不十分です。
相変わらず憲法に武官の存在、自衛権の明記をしていませんし、自衛官を完全にコントロールしようとする誤ったシビリアンコントロール、専守防衛、武器使用の制限、武器輸出三原則、非核三原則、平時における行動の制限などの国内法の問題、スパイ防止法、情報管理法、民間防衛の不十分、有事における交通網の制限、軍事学がないなど教育上の問題など克服するべきだと思われる問題は多くあります。
弾薬も少なく、1.5回分しか戦闘できないそうです。継続的に戦闘できない。
せいぜいアメリカ軍が来援するまで持ち堪える戦闘力を備えるべきでしょう。
また、防衛省を「国防省」、自衛隊を「国防軍」と改めるべきでしょう。
防衛と言っても何を守るのか?もちろん、国民、国家である。
 
自衛といっても正当防衛のように一般感覚で扱ってはいけない。
軍隊の場合、真っ先に敵部隊を壊滅または駆逐させなければならない。
相手国が攻撃するとわかっているのに、何もしなければこちらがやられる。
そもそも「専守防衛」とは字の如く「一点を徹底的に守る」ということである。
大東亜戦争末期のことを思い出せばわかるでしょう。
サイパン島防衛、硫黄島防衛、沖縄防衛・・・。
本土防衛のために一点を集中して徹底的に死守するということです。
そのためには領空、領海外で敵部隊の進入を完全に防ぐために撃退しなければなりません。
敵部隊に突破されれば、本土決戦です。
けれども当時、航空部隊はマリアナ沖海戦で壊滅、連合艦隊はレイテ沖海戦で壊滅し、制海権、制空権は失っていました。
B29爆撃機によって面白いように爆撃され、最後はソ連の参戦と原子爆弾投下によって日本は降伏しました。
 
今の海上自衛隊、航空自衛隊は世界第二位と呼ばれる迎撃能力を持っています。
F15戦闘機、イージス艦、世界トップクラスの対戦能力、哨戒能力。
ですが、防衛大臣の「防衛発動」が下されるまで自衛隊は何もできませんし、武器使用も平時は緊急回避、正当防衛の時しか認められていません。
だから相手国に思いのまま攻撃されます。
たとえ民間船舶であっても黙って見過ごすのみ。
ミサイル戦の時代、もし大都市が攻撃されれば甚大な被害を蒙るでしょう。
更に近未来、宇宙戦争、サイバー戦争が起こったらどう対応するのか?
情報網が一瞬にして破壊されます。宇宙空間からピンポイントで攻撃されるようになるでしょう。実際に中国軍が自国の古い人工衛星を破壊する実験に成功しました。超音速ミサイル、無人戦闘機、偵察機、戦闘用ロボット、レーダー光線も開発されるでしょう。
今回の国大最大規模の大地震、大津波でも甚大な被害を蒙ったのに・・・。
 
危機管理の多様化、大量破壊兵器の拡散という脅威、宗教、民族対立、紛争、中国の台頭、アメリカの国力低下など国際情勢が変化し、緊迫する中で、日本は対応を迫られるでしょう。
資源、エネルギー、食料の確保をほとんど海外からの輸入に頼っている日本。
アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に囲まれている日本。
このままいけば2020年代には米中の軍事バランスが逆転するといわれています。
既に台中の軍事バランスは逆転したといいます。
そうすれば即座に中国軍は台湾支配に乗り出すでしょう。
日本にも何らかの攻勢を強めてくる可能性も否定できません。
憲法の制約があったために未だに領土問題、拉致問題を解決できない日本。
それらを解決するためには我々国民が国防の重要性を認識し、一刻も早く国内法整備を政府にさせなければなりません。
2010年代重大な岐路に立たされています。
中華大帝国の属国になるか自主独立するか。
 
転載終わり


 
 

国家主権と人権と

 日本国憲法で、おかしいと思うことは、私は国民主権という言葉だと思います。国民一人一人に基本的人権があって、それが守られるべきものであるというのは、当たり前で、それは意味がわかりますが、主権というのはそういう基本的な人権とは違って、主権は国家にあるべきものだと思うのです。日本国憲法では、国家には軍備を持つことも認められていませんし、普通に国家として持っている権利、つまり主権をかなり制限されています。というか、主権は国民にあるのですから、国家にはないといったほうがいいのではないでしょうか。実際、主権者である国民は、権利を主張して国家を訴えているわけですから。日本の主権はバラバラに国民一人一人に分割されているわけです。この分割された主権を多数決で、意思決定して国家の方針とするのでしょうが、なんか今にも国家が空中分解しそうな気分になります。
ところで国家と主権について、考えさせられる記事が国際派日本人養成講座にありましたので、転載します。

転載開始

■1.「それは内政干渉だ」■

平成14年11月9日、ローレス国防次官補(東アジア・太平洋担当)が来日して、異例の強い言葉で日本外務省と田中均・アジア大洋州局長の「暴走」を正面から論難した。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/89/c9a9a9bd6ce3dec61647df13d320f17e.jpg http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/43/0d1fa4f2b9aae9a079a154e3438a72ff.jpg

席上、米側が、核開発を認めた北朝鮮への重油供給をストップする方針を示したことに対して、田中局長は「それでは北の社会が崩壊し、日本に難民が押し寄せる」として、対北宥和派がよく用いる「難民カード」を出したところ、ローレス氏は「北朝鮮の難民には船も油もない」と一蹴した。

そこで田中局長が「しかし、わが国には拉致問題があり、、、」と反論した所、「北の現体制が変わらない限り、拉致問題は解決しない」として、朝鮮銀行系の金融機関に公的資金を投入することも、日朝貿易もすぐにストップすべきと、強く迫った。

田中局長が「それは内政干渉だ」と声を荒げて反論しようとしたが、ローレス氏は次のように一蹴したという。

内政干渉ではない。ミスター田中、あなたはいったい何を守ろうとしているのか? 日本の金融機関から北朝鮮にカネが流れていることは国際的に明らかだ。そのカネで北朝鮮は何をしている? テロリストを支援し、核開発をしているではないか。内政干渉? 冗談じゃない! あなたが行おうとしていることこそ、国際的なルール違反だ。しかも、重大な違反だ」

■2.「あなたはいったい何を守ろうとしているのか?」

あなたはいったい何を守ろうとしているのか?」というローレス氏の反論は、論争の核心をついている。田中局長の言い分は、「朝鮮銀行系の金融機関への公的資金投入」も「日朝貿易」も、日本政府の内政問題であり、それについてアメリカ側からとやかく言われることは、国家主権の侵害だと言うのである。

ローレス氏は、それを「内政干渉? 冗談じゃない!」と一言のもとに切り捨て、公的資金投入や日朝貿易の方が「国際的なルール違反だ」と言う。これらが北朝鮮に核開発やミサイル開発の資金を与え、日本ばかりかアメリカまで核ミサイル攻撃を受ける恐れを増大させている

■3.「国家主権」と「人権」■

「内政干渉? 冗談じゃない!」という言葉も、単なる売り言葉に買い言葉ではなく、北朝鮮宥和派の田中局長の矛盾を衝いた言葉である。というのも、北朝鮮が拉致・覚醒剤密輸・領海侵犯など日本に対して内政干渉よりもはるかにひどい主権侵害をしているのに、それらは不問に付し、同盟国アメリカからの日米両国の安全に関わる要求を「内政干渉」と突っぱねるのは、まさに「冗談じゃない」としか言いようのない二重基準だからである。

拉致被害者5人が帰国した約1週間後の10月23日、5人を再び北に帰すのかどうか、という問題で、田中局長と阿部晋三官房副長官の間で激論があった。

「5人が北朝鮮に戻ったあと、日本に再帰国する保証はあるのか」
安倍氏の問い掛けに田中氏は明確な答えを返せなかった。安倍氏は「5人が二度と日本へ戻って来なかったら、世論を抑えることができない。そもそも拉致は国家主権の侵害だ」と迫った。
田中氏は「外交には段取りがある」と述べ、こう反論した。「5人を戻さなければ私の交渉パイプが維持できない」

「私の交渉パイプ」とは北朝鮮の「序列順位が極めて高い軍関係者」との事だが、ここでも田中局長が守ろうとしているのは、その怪しげな外交パイプであって、ようやく帰ってきた拉致被害者をどう護るかという人権問題については、何も考えていないのである。そして安倍氏の主張する「そもそも拉致は国家主権の侵害」という視点がない。

『国家主権』を蔑ろにする者は必ず『人権』を無視するのです」とは、中西輝政・京都大学教授の言であるが、まさに田中均局長はこの「国家主権を蔑ろにし、人権を無視する者」の典型である。

■4.「国家主権」は「人権」を護るために生まれてきた■

なぜ「国家主権」を蔑ろにする者は必ず「人権」を無視するのか。中西教授はこう説明する。

なぜかというと、「国家主権」はそもそも「人権」を護るために生まれてきた制度そのものだからで、「国家主権」があって初めて「人権」が護られて存立する。

したがって、今回の拉致事件のように、「国家主権」がしっかりしていないからこそ、国民一人ひとりの「人権」が侵害されるのです。

家庭が凶暴な隣人の言うがままになっていたら、子供の安全も守れない。家庭が自由と独立を維持してこそ、子供を護ってやれる。
拉致問題というのは、その子供の一人が誰かにさらわれてしまった、という問題なのである。それでも親が平気で何もしないのなら、残った兄弟たちは、自分たちがさらわれても、また親は何もしてくれない、と思うに違いない。家庭への信頼はなくなり、また子供たちの人権も不安にさらされる。

国家主権がしっかり守られてこそ、国民の人権も守られる、これがまっとうな国家での原則である。国家を人権を抑圧する機構だと考えるのは、子供を虐待する家庭か(北朝鮮のように)、あるいは世間知らずの我が儘な子供が親に逆らっている(現代日本の左翼のように)というような異常な場合についてのみ言える事である。

■5.「日本という国がこのままではいけない」■

平成14年の9月17日、小泉首相訪朝の日に、拉致被害者横田めぐみさんの死を告げられた母・早紀江さんは、こう言った。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d9/011c0f5c16ccb0a1c075b45396158432.jpg

人はいずれみな死んでいきます。めぐみも自分の命を犠牲にして日本という国がこのままではいけない、ということを教えてくれた。濃厚な軌跡を残してあの子はその命を捧げました。

まさしく拉致事件によって、今まで我々が国家主権を蔑ろにしてきたあげく、ついには国民の人権まで守れない状態にまでわが国が衰弱してしまった事に多くの国民が気づいた「日本という国がこのままではいけない」と知った。

めぐみさんの父親・横田滋氏が代表を務める「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」では、送金停止と船舶入港阻止を内容とする北朝鮮制裁法の設立を要求している。

それは自国民の人権を守るために、国家主権を発動すべきという主張であり、その内容は冒頭のローレス氏の主張とほぼ同様である。いやしくも自国民を守ろうという気概のある国なら、この程度の制裁は当然であろう。少なくともそれを交渉のカードにして「圧力」を加えるくらいの事は考えるべきだ。

■6.「わしは日本を信じる。おまえも日本を信じろ」■

国家主権を蔑ろにし人権を無視するのは、ひとり田中均局長だけではない。その先輩の槙田邦彦・アジア局長もかつてこんな発言をした。

たった10人のことで日朝国交正常化交渉がとまってもいいのか拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する。(平成11年12月、自民党外交部会)

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/66/487a9cf675242de3df7b6344441116c5.jpg

「たった10人」という言い方に、氏の酷薄な人権感覚が窺われる。その10人の一人がたまたま自分の娘だったら、と少しでも犠牲者家族の心底を思いやれば、こんな言い方はとてもできないはずである。そこには公僕として国民の人権を護ろうという使命感どころか、同じ日本人として同胞の苦しみ悲しみを思いやるという同情心すら見られない。

そもそも国家が何らかの「国益」のために、政策として拉致された人々を見捨てたとしたら、国民はもはやそのような国家を信じなくなるだろう。国民はいつ自分たちが「見捨てられる」側に廻るか、分からないからだ。国民が税金を払うのも、いざという時には警察や自衛隊によって自分たちを護ってくれるという国家への「信」があるからである。この「信」が失われてしまえば、国家は成立しえない。これ以上に「国益」を損なうものはない。

拉致されて、北朝鮮によって死亡したと通告された増元るみ子さんの父、正一さんは79歳で亡くなる直前、子息である照明さんに「わしは日本を信じる。おまえも日本を信じろ」という言葉を残された。

日本を信じる」とは、わが国が国民の人権を守るために、出来る限りの事をしてくれる国家だと信ずるという事だろう。今の政府は信ずることはできないかもしれない。しかし、日本国民が「今のままではいけない」と気づけば、かならずや国民の人権を守るために、主権を発動する国に立ち直るはずだ、と正一さんは信じていたのだろう。

■7.主権とは自己犠牲の歴史の上に築かれるもの■

国民を護るためには、主権を行使する公僕が自らの生命の危険を冒さねばならない場合がある。領海侵犯した北朝鮮工作船が停船命令に従わず、銃撃を仕掛けてきた際には、海上保安庁職員は危険を顧みずに応戦した。工作船には拉致された国民がいるかもしれず、また国民を蝕む覚醒剤が積まれているかも知れないからである。

この時には我が方は2名の負傷者のみで、幸いにも犠牲者は出なかったが、一朝事ある時に、自らの命の危険を顧みずに、国家の主権を担って国民を護るのが、軍人の職務である。その職務のために命を捧げた人々の慰霊を執り行う事は、国民を護ることが国家の責務である事を確認し、今後もその責務を果たし続けるという国家の意思表明にほかならない。

主権とは単なる概念ではなく、自己犠牲の歴史の上に築かれるものなのです。

と中西教授は指摘する。日本国民にとって「自己犠牲の歴史」を象徴するのは靖国神社である。したがって首相の靖国神社参拝は、今後も国家が国民を護ろうとする決意の表明であり、それは国家主権を象徴する行為なのである。

■8.靖国神社と国家主権■

平成13年、小泉首相は就任前に終戦記念日8月15日に靖国神社を公式参拝するという公約を掲げていたが、中国の圧力に屈し、13日に前倒し参拝をした。これは日本の主権が中国の影響下にある事を、日本国民の前にも国際社会においても明らかにしたのである。

あるアメリカのアジア戦略の専門家はヘラルド・トリビューン紙で、「小泉はあえて15日に行くべきだった。そしてこのカードをもう中国が使えないようにすべきだったが、彼はそういう絶好の機会をとりこぼした」と書いた。

一方、平成14年2月に訪日したブッシュ大統領は明治神宮を参拝したが、複数の情報ソースによれば、大統領は当初、小泉首相を伴って靖国神社を参拝することを外務省に打診したとされる。これは中国の靖国カードを無力化し、日本の主権を回復させてアメリカにとって自立した信頼できる同盟国にしたい、という意図があったのだろう。小泉政権はこの二度目の絶好の機会をも取りこぼしてしまったのである。

■9.蜂の命をかけた一刺し■

中西教授は福沢諭吉が「文明論之概略」の蜂の針の喩えを引用しながら、次のように説く。

われわれ庶民は普段の生活においてはそれぞれ家業に勤しみ、日常生活を営み、そして楽しみ、喜びを追求して生きていればいいわけですが、しかしそこ(国家主権)に触れれば命をかけてでも突き刺すという一つの針を、国民一人一人が持っていなければ国家は成り立たず文明の恩恵は享受できない、と説いているのです。蜂はひとたび刺せば、自分は死んでしまいます。それほどまでに主権国家の独立とは、個々の国民にとっても、人間としての根元的な生と密接な関係にあるものなのです。

(文責:伊勢雅臣)
転載終わり

日本流民主主義

 ここ最近、日本国民は選挙のたびに政治がおかしくなっていくような感じがするのではないだろうか。選挙の前はマスコミや多くの評論家によって盛り上げられたスローガンを信じて、選挙に行き、そしてそのスローガンによって多数を獲得した政権を、しばらくすると裏切られた、騙されたと感じる。
 この選挙のたびに行使される有権者の権利、一票の投票、これが主権者というものの価値であるらしいが、いったい主権者とはなんなのだろう。日本国憲法ではこうして国民は政治を決定する主権者と言われているが、投票したからと言って、思うように政治が変わったわけではない。一票の価値が、日本の政治を決定する数千万分の一という微々たる数値である上に、その多数の方に入ればまだしも、少数の側になればゼロではないか。さらに多数の方に入れた人も、こんなはずではという結果になれば、いったい主権者とは何のことなのかと思ってしまう。
 だいたい主権者と言われてなかった戦前でも、選挙は行われていたのである。もっとも女性参政権は戦後であるが、これは世の中の流れにしたがって、たとえ戦前の体制であってもやがてそうなっていたであろうから、これは別問題だと思う。
 戦後日本は民主主義になったと言われ、その象徴のように国民主権という言葉が唱えられた。この民主主義はまるで絶対的価値のように教えられてきたが、現代の日本を見ると、人間の道徳的水準は明らかに後退してきているようにしか見えない。教育は学級崩壊と言われるような荒れた現場もあるというし、自分の親の居所さえ不明で、親の年金だけは不当にもらって平気な顔をしている者もあり、あるいは親殺し、子殺しという事件の頻発、家族の絆、社会の絆がどんどん薄れてきている感は否めない。
 このアメリカから直輸入のような民主主義は、本当に日本に合っているのだろうか。日本国憲法には多くの国民の権利が書いてある。国家には義務ばかりが書いてある。民主主義とは個人の利益の保護という思想であり、せんじ詰めれば、利己主義の価値観ではないのか。利己主義を行うために各個人の利害調整をして、社会全体で、うまく各個人が最大限に利己主義になれるようにしている制度ではないだろうか。西欧社会はキリスト教を前提とした社会であるが、そこには人間の法のさらに上位に、神の法という意識があって、そのためにこの民主主義でもやっていけているのではないか。
戦後、日本は民主主義で、確かにある種の解放感はあった。それは利己主義が解放されたということではないだろうか。社会の絆、家族の絆、それはときには、個人に犠牲を強いることもあるのである。それは考え方の問題であり、それを犠牲と考えないで奉仕できる人間もあり、自由にやりたいことがやれずに家族や社会の犠牲になっていると考える人間もあるだろう。その複雑さに耐えて、日本人は生きてきた。その複雑さに耐えた人間を、戦後の目線は、主体性がなくただ我慢して隷属してきたように評して、戦後にその絆をたち切ってやりたいように生きる人間を主体性を持った人間だと評してきた。ほんとにそうなのだろうか。複雑さに耐えた人間は、その時間の経過と共にやはり精神の成長をつかみとっているのを私たちは見るではないか。そして現在、その複雑さに耐えられないわがままな人間ばかり増えてきている。その人間たちも、虚しくどこか投げやりな生き方しかできなくなっているように見える。
 先日の記事で、論語が脳を活性化させるという話を書いたが、論語のように公に奉仕するという考え方は大脳の新皮質すなわち人間特有の脳の部分を活性化させるという研究結果である。そのためストレスをうけても、欝の方に向かわずにむしろ脳の活性化につながってしまうという。人間は神聖さと獣性の間を生きているのであり、どちらか一方では健全には生きられない。公のためにという奉仕精神、それはいわゆる社会貢献だけではなく、家族のために、他人のためにという意識の中で、初めて人間らしさが出てくるのである。日本では公というのは、もともと大親家という意味であるらしい。自分の親、さらには本家、そしてさらにさかのぼって天皇へとつながる観念なのである。公とは、家族、共同体、国家、なのである。公の中で生きる日本人は、まさに絆を生きた人間なのである。
古事記、日本書紀では、神武天皇が即位されたときに、八紘を覆いて家と為さむと言われた。この家の観念、家族といい、国家という、家というのは愛情があって成り立つものである。天皇が代々国民を大御宝(おおみたから)として慈しまれた。そのような慈愛で成り立つ国を日本民族は理念とした、これが本来の日本的な民主主義ではないだろうか。
 昭和天皇が、日本の近代における民主主義は五箇条の御誓文に始まると言われたのは、まさに日本的な民主主義がすでにあって、それを条文化したものが五箇条の御誓文であるということだと思う。そして遡れば聖徳太子の十七条憲法であり、神武天皇の建国の詔であり、さらには天照大御神の御神勅になるのではないかと思うのである。
 日本国民が古来から考えた公の思想、それは国家であり、悠久の歴史を持ち、自分のいのちにつながるものであった。だから大日本帝国憲法には、第一条に萬世一系の天皇これを統治すと書いてあるのである。実際に統治行政を行うのは内閣であったが、日本の中心には万世一系の天皇という存在があるという、国家の悠久性を国民すべてが意識することができるように、国民全員が家族のような意識が持てるように、そう書かれていたのである。しかし、現在の国民が主権者たる国家は、いま生きている人間の利益調整のための信託組合と化してしまった。国家は利害調整の機関であり、ときには訴訟相手にもなる。国家と自分との間は、命のつながりなどという関係ではなく、利害関係なのである。これが、アメリカが押し付けた占領憲法、日本国憲法によって出現した日本社会である。
 そして、現在その政権を担当するのは、学生運動上がりの左翼思想を持ち、日本という歴史深き国の誇りなど微塵も感じられない謝罪外交を行う内閣である。この有様を、過去の先人は、天界よりどのような思いで見ていることだろう。

イメージ 1

ここから「美しき国」より引用
わたしたちの国は、どこでどう壊れてしまったのか?日本人は戦後65年で、どんな大切なものをなくしたのでしょうか?
かっての日本人はどのような人間だったのでしょうか?
かって日本に滞在した外国人から見た日本人を見る。
※美しき老熟
「日本の文化についてとりわけ顕著な一事は、老年の人達の地位である。 青年達が活気に満ちていることはどこの国でも同じだしかしこの国の老人達は一際すぐれている。 この人達こそ、日本の精神的基礎を成すもののように思われる。 ほかの国だったら、老人の生活といえばいかにも孤独である、年来の友人達は次第に世を去り、自分は活動力を失い、乏しい収入を当てにしてあたかも隠遁者のような生活を送らねばならない。
活動を続けようと焦りながらも、所詮青年に伍することはできないのである。 アメリカでは比較的よい地位にある老人が、白髪を蓄えて紅顔の青年に立ち交っている。 しかしこれとても真実の姿ではないのだ。 ところが日本では老いるにつれて、ますます伝来の文化的環境にしっくりはまってくる。 友情にしても、そのときどきの単なる同情ではなくて精神的、芸術的な仕事と関心との極めて自然的な交換である。 日本では、老齢と共にいよいよ高い境涯へ入っていくような印象だ。 また青年もこういう高尚な境地に自分の行動の確実な基準を求めるのである。
この国の老年の美しさは、まさにここに由来する。(「世と絶って」極まりなく簡素な生活をしている老人は、寡っての「時めく」時代よりも高い尊敬をうけている) 私はこのような例をいくつも見た」
◇ブルーノ・タウト (1880〜1938)ドイツの建築家。 
 
※子供のしつけ
「思うに、子供時代の折りおりの輝かしい幸福を奪うことなしに、いかなる環境にある子供にも完全な礼儀作法の衣を纏わせるこの国の教育制度は、大いにほめられるべきです。
これに匹敵する例はオーストリアとイタリアの幼い王子王女のあいだで、1,2、回見かけた以外、ほとんどみたことがありません。かってオーストリアとイタリアのカトリックの王家や貴族の家では、つねに高度な立居振舞いの規範が強いられたことに加えて、家の伝統や雰囲気といったものが圧倒的で、子供は生まれた時から、それらの影響のもとに人格を形成したものです。
こちらでは、うまく説明できないのですが、しつけというものが血のなかに流れていて、例外なく外にあらわれてくるのです。
日本の子供が、怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけていくのは、見ていてほんとうに気持ちのよいものです。 彼らに注がれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包み込み、その性格の悪いところを抑え、あらゆるよいところを伸ばすように思われます。
日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりしません。 青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、大人の好き嫌いに劣らず重要視されます。
実際、物心がつくかつかぬかのうちに、日本の子供は名誉、親切、孝行、そして何よりも愛国心といった原則を、真面目かつおごそかに繰り返して教えられます。我が英国の小学生ならば、小馬鹿にして笑いころげるところでしょうが」
◇メアリー・クロファード・フレイザー(1851〜1922)イギリス人女性。

日本人は子供はしつけが行き届き、老人は輝いていると記述しています。
国家を背負う子供を大事にし、年輩を敬愛していた理想国家でした。
 引用終わり

開く トラックバック(1)

 大日本帝国憲法においては、天皇に統治権があるとされていましたが、実際には、憲法第5条の「天皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行う」、第6条の「天皇は法律を裁可し其の公布及び執行を命ず」は、議会が議決した法案は、天皇の裁可によって公布・執行に移されるが、天皇が議会の同意なく勝手に法律を公布する事も、さらに議会が議決した法律を裁可しないことすら、憲法違反であると考えられていました。
 しかし、天皇に統治権があると規定されることで、政治家は法令を天皇の名に於いて公布するということで、非常に重い責任を感じました。神聖なる天皇の名のもとに出される法律がいやしくも公正さを欠くものになってはいけないと慎重に反省を重ねて、立派な政策にしようとする努力が行われました。(「神聖を求める心 ――祭祀と統治の間」参照)
 明治時代の日本は、時の内閣が行き詰まって総辞職をすると、天皇が次の総理大臣を選んで指名し給い、組閣が行われました。政治がうまく行われなかったならば、「誰」に対して総理大臣や閣僚が責任をもつかというと、天皇に対して責任を取るのです。つまり、当時の政治家は、天皇の御心に反照して自己を反省したのです。天皇の御心から逸脱するとき、日本は危機に陥ろうとするのです。
 今の政治家は、自分の心や政治のやり方を、反照すべき鏡を持たないので、有象無象の賢しらな人間の知恵で何とかやりくりしているから、天意ともいうべきものが政治に現れないで、国内がガタガタと不調和に乱れるのです。
 占領軍が起草して日本に押し付けた現行日本国憲法には、その前文に「主権は国民にありと宣言し」と書かれていますが、国民は一人ではなく、多数です。多数が皆、主権者であって、自己の利益を主張するのです。いろんな利益団体も出来て、それらが政治家とくっついて権謀術策もあって、弱肉強食に陥るのは当然です。そして国家は多数の国民の主権にバラバラに分かれて空中分解してしまっているのです。国家に主権はなく、国民が主権者ですから、そのひとりひとりの国民が、憲法に定められた権利を行使出来ていないと思うと、国民は国家を被告として訴えるのです。国家を敵として訴えるのですから、これでは愛国心の起こりようがないしくみになっているのです。
 日本天皇の統治のやり方は、その十六菊のご紋章にあらわれている通り、天地八方十六方向の国民の声を聞くことによって国民全体が本当に福祉が得られるように政治を行うことだったのです。
 本当に私心なく、国民全体の福祉を願い給う無私の人格は天皇のほかにはいないのです。国民は、日本国家のどこかの位置に立っていて、偏らない位置にいないから必ずその考えが、私利だとか党利だとかいうもので汚され歪められているのです。
 それ故にいざという重大事に、人間的な欲や迷いに汚されない歪められない処置をしようと思ったならば、私心を空しくして天皇の御心の方に振り向く制度がつくられている必要があります。
 あの終戦時、閣僚も軍首脳も全ての重臣が、なすべき道を失い、いかにすべきかがわからなくなったときに、彼らは昭和天皇の大御心にはじめて振り向いたのです。そうしたら昭和天皇は、「自分のカラダはどうなってもよい、戦争をやめる」と仰せられた。そして大東亜戦争は解決したのです。もしあの時、昭和天皇の大御心に振り向かず、総理大臣や陸軍大臣が、私心を以て戦争の結末を処理しようとしていたならば、あんなみごとな、敵が上陸してくるのに、一滴の血も流さないで粛然として平和が回復し、過去の敵であったアメリカが、日本の味方となって(占領軍内の共産主義者の強い関与による占領政策は別問題として)食糧を供給し、産業復興資金を貸してくれ、ソ連が北海道に進駐したいと主張するのをマッカーサー元帥や、蒋介石が防いでくれるなどの事はなかったにちがいないのです。無私の心で、天意を受け給うた天皇の御裁断であったればこそ、あんな素晴らしい結果となり、日本が速やかに復興することが出来たのだと思います。
 もっとも、そうは言っても占領軍に現行の占領憲法を押し付けられたことは、この天皇統治という、日本の国にとっては理想の政治形態を失うことになってしまいました。天皇こそ、日本という生命を持った国家の象徴であり、長い歴史文化の象徴なのです。決して西洋の絶対君主制に見られる覇道の王とは違うものなのです。古事記神話から由来する民族の生み出した国柄であるのです。だからこそ昭和天皇が訪米されたときにアメリカ人の多くが、昭和天皇が歩まれるのを見て、「歴史が歩いていると実感した」と言っているのは、日本という国の歴史や文化も含めた全てが天皇において結実していると感じたからではないでしょうか。天皇はまさに日本の象徴ですが、その象徴であられる御存在として、その御存在の意義をもっとも生かす方法は、象徴という地位に押し込めて、政治から遮断することではありません。大日本帝国憲法の統治のあり方に戻ることだと思います。
 

開く トラックバック(1)


.
さざんか
さざんか
女性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(19)
  • あかねこ
  • pritomo
  • うまやど
  • まー坊
  • 地蔵
  • 櫻井よしこ大講演会名古屋
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事