日本の感性をよみがえらせよう

PC不調と、私事雑用多忙のため停止させて頂きます。

日本人として

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檄文(げきぶん)

檄文(げきぶん)
 
 
国民が拉致されたままで、
 
いつまでも取り返せない日本は
 
「独立国」と言えるのか?
 
どうして「国家」と胸が張れるのか?
 
国家の主権が侵され
 
何が・・・先進国か?
 
「人権を大事にする国」
 
どの面下げて
 
言えるのか?
 
 
北朝鮮の寒空で
 
日本国が救い出してくれる日を
 
今か・・・今かと
 
泣きながら「助けを待つ拉致被害者達」
 
「400名以上」とも言われている。
 
偉そうに・・「国会で議員でございます」
 
バッチをぶらさげ・・
 
ふんぞり返っている者に、
 
助け出す「意地も度胸」もない!
 
 
何度・・・・次々の「総理や担当大臣」
 
騙されたことか?
 
あの総理は良い人だから
 
何とかしてくれそうだと
 
期待もした・・・そのたびに裏切られた
 
北朝鮮に議員が行くたびに
 
金だけ「喜ばせ組み」に渡して帰る姿を
 
歯噛みした
 
そして・・・言う
 
「昔・・・戦争で日本は韓国や北朝鮮に迷惑をかけたから・・まだまだ謝罪と補償がいる」のだと・・・
 
自虐史観の薄ら馬鹿議員は言う
 
拉致問題と戦争を結び付けられて・・
 
まんまと「金」だけを置いて
 
「酒池肉林」のモテナシに満足して帰る
 
 
 
一体この国はどうなったのか?
 
国民は自分さえ幸せであれば
 
同胞が北朝鮮に拉致されて
 
今日も「ふるさと」を歌いながら
 
母を思い父を求めている声が聞こえないのか?
 
戦後66年
 
経済が発展し
 
科学や医学が進歩して
 
人々は金で全てが得られると錯覚した
 
物が豊かになればなるほど
 
心は貧しくなった
 
自分さえ良ければいい
 
自分の家族が豊かであればそれでいい
 
金・・金・・金ばかりを追い求めた
 
このむなしさは何なのか?
 
 
しかし・・・・天は「警鐘」を鳴らし始めた
 
自分よりも他人を思いやれ
 
国を守れ・・・と「天地が震動」し始めた
 
「絆」を大切にせよ・・と示唆し始めた
 
「国の防人」は、被災地で大活躍した
 
「国軍としての地位」を与えるべきだと
 
日本国中で声が上がり・・・
 
自衛隊ではなく「日本国軍」にと叫び始めた
 
「国軍の誇りと権限」があれば
 
拉致被害者も拉致領土も奪い返せるのだ 
 
 
 
何故・・・日本固有の領土が他国に奪われても奪還できないのか?
 
「北方領土や竹島」
 
すでにロシアや韓国実質的な支配をし「強奪」されている
 
「尖閣列島」の漁船が
 
海上保安庁の船に体当たりして
 
損傷させた事件は「国辱」である。
 
何なのだ・・あの中国漁船の無罪釈放は
 
どうしてこれほど国際的辱めに
 
国民は耐えられるのか?
 
戦後・・・われわれは「平和だ民主主義だ自由」だと
 
うつつをぬかして・・・
 
無念だが
 
「日本人の誇り」も失い
 
「武士の魂」
 
『気概も気迫』
 
全て見失ない
 
まるで・・・腑抜けの国民ばかりになり
 
他国から「腰抜け民族」と嘲笑されるようになった
 
成り下がったのか?
 
中国は尖閣列島を侵略し
 
いずれ沖縄に上陸し
 
米中は手を握り
 
戦車と銃で日本人
 
「チペット人やウイグル人」のように
 
次々に殺戮され
 
無抵抗に
 
なぎ倒すだろう
 
その後
 
「日本国」は、この地上から消えて
 
中国の「自治区」にさせられるのだ
 
元日本は「核実験の島」に変貌するだろう!
 
今は・・・まだ誰も目覚めない
 
戦後66年の怠惰の眠りから覚めるには
 
ミサイルを打ち込まれなければ
 
気がつかないのだ
 
いつまで惰眠を貪っているのか?
 
起きて
 
起きて
 
目を覚まし
 
ここまで日本人をだめにし
 
骨抜きにした
 
「占領憲法に体当たりせよ!」
 
全ての諸悪の根源が、
 
この「占領憲法」にあることは「明々白」だ
 
勇気のある者は
 
「占領憲法に体当たりせよ!」
 
       (けんむの会 会長 佐藤素心)
 
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転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

前回の記事を書いている時に、たまたま検索で、松浦光修氏の講演筆記を見付けました。今上陛下が日本の敗戦の年の11歳の時から、今に至るまで、皇室破壊の勢力とずっと戦われておられるという話が書いてありました。感銘をうけたので、最後のほうを少し引用させていただくことにします。


引用開始

「醜の御盾」として

なぜ今上陛下は、昭和六十一年という御代替わりが近いことが予感される時にあって、あえて「後奈良天皇」のお話をされたのか?
それは多分「あるいは自分も、大嘗祭を行うことができないかもしれない。しかし、それでも私は後奈良天皇のように、民を思う心は失わないつもりである」という、悲壮なご覚悟を示されたものだったのではないでしょうか。

結果的に大嘗祭は民間の心あ る人々の熱烈な運動の甲斐もあって、辛うじて行うことができ、そのことを陛下もお喜びであったといいます。
しかしその前の昭和天皇のお葬式である、「葬場殿の儀」の時は、鳥居と真榊が設置されたものの、国家儀式の「大葬の礼」では、左翼政党が「憲法」に抵触すると騒ぐので、その時だけ鳥居が撤去される実にみっともない無礼な儀式になってしまいまして、私などは記憶に新しいとこです。

沖縄でのテロ事件では身体を張って先の大戦の悲しみを背負う県民の心の傷を癒され、大嘗祭では左翼勢力の妨害に伝統を守ろうとされつつ、それをできないことも覚悟されたのです。これらの「戦い」はほんの一端にすぎませんが、私たちは改めて陛下が、実は「戦後」という時代とずっと戦ってこられたことを、深く心に刻んでおかなくてはならないと思います。

もっとも「戦い」続けていらっしゃるのは皇后陛下も同じです。皇后陛下はマスコミの根も葉もない残酷な「皇后様バッシング」も受け続けられ、ご心労のあまり、平成五年のお誕生日、十月二十日の朝、突然お倒れになられています。
ちなみにその「皇后様バッシング」をリードしていた雑誌が、そのころの『週間文春』ですが、その背景について、私の友人の八木秀次さんはこう語っています。

『WILL』は創刊当初から、加瀬英明さん(外交評論家)の皇太子殿下批判などを 展開してきた雑誌です。花田紀凱編集長は『週間文春』(文藝春秋)編集長時代、両 陛下の批判を繰り広げ、結果として皇后陛下を失語症に追い込んだ人です。今また 皇太子殿下に対して、同じ轍を踏まなければよいのですが。
(武田恒泰・八木秀次 『皇統保守』[平成二十二年PHP研究所])

かつて『週刊文春』で皇后様バッシングを続けていた編集長と、同じ人が今度は違う雑誌の編集長となり、近年、西尾幹二氏、橋本明氏などの筆を通じて「雅子様バッシング」ひいては「皇太子様バッシング」を繰り返していたことは、皆様ご存知のとおりです。そのことについて私は『正論』の本年の十月号で徹底的にかなり厳しく批判させていただきました。
なぜか、それ以後ピタリとその類の記事がその雑誌から消えました。私としては懸命に書いた甲斐もあったというもので、喜ばしい限りです。しかしかつての「皇后様バッシング」もそれはひどいものでした。

それがとうとう皇后陛下のお声を奪ったのです。今から考えると、なぜあれだけ徳の高い皇后陛下が、あれだけひどい誹謗中傷にさらされなければならなかったのか、と不思議に思う方もいるでしょうが、当時はそれを阻止しようとする言論は全くではないですが、あまりなかったのです。

お気の毒に皇后陛下は、翌平成六年になってもお声が戻りませんでしたが、その年の二月十二日、硫黄島の慰霊の旅の途中、硫黄島・基地庁舎の中で戦没者の遺族を御接見されている途中、東京都遺族連合会会長に、突如お声を発されます。こういうお言葉でした。

「ご遺族の方たちは、みなさん、お元気でお過ごしですか」

それがご回復後の第一声でした。場所が場所で、場面が場面です。
硫黄島の灼熱地獄のなか、勇敢に戦い散華していった英霊たちは、皇后様の慰霊で救われたのではないでしょうか。魂を救う者のみが魂を救われる、ということがここで起こったのではないでしょうか。
これはなんとも神秘的で、劇的な出来事というほかありません。
ともあれ、天皇陛下も皇后陛下も「戦後」という時代と立ち向かい、傷つきながらも堂々と戦っていらっしゃる。ご即位以来二十年間、どれほどお苦しみとご心労を乗り越えていらっしゃったか、私どもには想像もつきません。
私たちも国民の一人として、せめて何らかのお力になるべきでしょう。陛下にまるで石を投げつけるような人々から私自身はたとえ貧弱なものであっても「盾」になりたい、と思っています。

『万葉集』にある「今日よりは顧みなくて大君の醜の御盾と出で立つ我は」のあの「盾」です。そのような思いで私はこの十年ほど、ささやかなながらも、左翼教師集団・日教組と、あるいは易姓革命・共産党革命を導くことになる「女系天皇」を唱える、いわば亡国勢力と言論で必死の戦いを続けて参りました。
しかし、私個人としては、それなりに多少の敵は倒してきたつもりですが、日本全体からすれば残念ながらあまりにも微力です。
そして日本は今、ずるずると崩壊への下り坂を、特に民主党政権になってからは速度を増しつつ転がり落ち始めています。
私たちの使命

そのような現状で私たちは何をすべきか?最後に「私たちの使命」についてお話します。一言で言えば「ご聖徳」をありがたがってばかりいて、それで終わっていていいのか、ということです。
幕末の志士たちは陛下の御心に応えて立ち上がり、日本の危機を救いました。日清、日露、大東亜戦争などで散華した英霊たちは、この世に二つとない自らの命をささげて、祖国日本をお護りくださいました。ありがたがって、それで終わりでは、私たちは先人に対してあまりに申し訳ないのではないか、と思うのです。

私は皆さんに「大きな事をしてください」などと、いうつもりはありませんし、その資格もありません。
けれども身近なところでいくらでも私たちは、両陛下の「楯」としてささやかな働きができるのではないでしょうか。
皇室をめぐることだけでも、様々な懸念が生じています。第一に「女系天皇」を唱える人々が再び息を吹き返してきている、ということです。
八木秀次さんが、平成二十一年十一月号の『正論』に書いているところによりますと、宮内庁は今年はじめから非公式に「女系天皇」容認のための勉強会を発足させ、「女系容認」の学者を呼んでいるそうです。「女系容認」の人々は「事務方の政府高官と宮内庁筋」と結託して、「陛下のありもしないご下問を持ち出し『大御心』を捏造」するというという、不敬きわまりないことまでしているようで、詳しくはその八木さんの文章をお読みください。

改めて申しあげますが、「女系天皇」は神武天皇以来、つまり建国以来、一貫して男系で継承されてきた皇室の伝統を破壊するものであり、「女性宮家」は、その「女系天皇」への道を開くものであり、いずれも絶対に容認できるものではありません。旧宮家の神武天皇の、男系男子の血統を引く方が皇籍に復帰していただき、そこにできれば、今の女王様が嫁いでいただく、これが伝統に即して皇位継承の危機を乗り切る唯一の方法です。
すでに継体天皇のときなどに、その例があります。もしも「女系天皇」が擁立されたら、それは「革命」を意味し「万世一系の皇統」が断絶したことを意味します。

こればかりではありません。岡田克也外務大臣は去る十月二十三日の閣僚懇談会で、国会開会式の陛下のお言葉について「陛下の思いが少しは入ったお言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と、不敬極まりない発言をしています。さらに、ご即位二十年の十一月十二日を「臨時祝日」にすることも、民主党の反対で実現せず、さらにはこの年末にいたって、ご存知の通り、とんでもない不敬極まりない事件が起きています。

民主党の小沢一郎幹事長は、国会の延長を最小限にとどめて、百四十三名の民主党国会議員を中心とする総勢数百人の訪問団をひきつれて、中華人民共和国を訪問していますが、その頃平野官房長官は十二月七日と十日(小沢、胡錦濤会談の日)に、宮内庁に電話をかけ、胡錦濤国家主席の後継者と目される習近平が十四日から来日するのにあわせて天皇陛下との会見をセットせよ、と宮内庁に命令しています。
来日の五日まえです。

ふつう陛下との会見は少なくとも一ヶ月前に申し込むのがルールとなっているのに、権力に任せてまことに無礼と僭越のきわみの政府命令を民主党政権は出しています。

増長するのにもほどがあります。私は、はらわたが煮えくりかえりました。『週間文春』によると、両陛下は昭和天皇の御代から大切にされてきた、あらゆる国のその立場にある人に、公平にわけへだてなくお会いするということが、簡単にないがしろにされたと仰ったそうです。

これは明らかに政府が皇室を対シナ土下座外交に政治利用・・・というより私的利用しているとしか見えません。習近平は、ウイグル弾圧の中心人物。十二月十五日、その汚れた手で、陛下の手を握ったのです。十五日は、賢所の御神楽奉納の聖なる日でした。それにぶつけてきた、としか思えません。いったい民主党の首脳部の人々の心の中は本当に「日本人」なのでしょうか。彼らの心の中はもしかしたら、もうすっかり「外国人」なのではないでしょうか。

少なくとも私には彼らは平成の蘇我、平成の道鏡、平成の足利、平成のコミンテルンにしか見えません。一言で言えば民主党はもう明らかに「朝敵」になっている、といっていいと思います。

「ご聖徳」を仰ぐ心があるなら、次はそれにお応えしようとする気力をふり絞らなくてはなりません。一人一人の心にその気力が満ち、行動につながる時、ようやく日本の「再生」への重い歯車は、少しずつ回り始めるのではないかと思います。
歴史上のその具体例を挙げておきましょう。孝明天皇の御製と伝えられるものに、次のようなものがあります。


孝明天皇の御製

戈とりてまもれ宮人ここのへの みはしのさくら風そよぐなり


歌の意味はこうです。「さあ、宮中の者たちよ、武器をとって、守りをかためなさい。御所の端の桜には風が吹きつけ、今にも散りそうであるが、今の日本の状況は、それくらい危ういのであるから」。

おそらく、この御製への「返し歌」として、宮部鼎蔵の和歌は詠まれたのであろうと思います。宮部鼎蔵は熊本藩の志士です。幕末の志士・吉田松陰を知らない人はいないと思いますが、宮部鼎蔵はその親友で、のちに池田屋で新撰組に襲われ、四十四歳で殉難しています。
宮部鼎蔵の和歌はこうです

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宮部鼎蔵

いざこども馬に鞍置け九重の みはしのさくらちらぬその間に

歌の意味はこうです。
「さあ子供たちよ(この「こども」というのは、天皇の「赤子」つまり「国民よ」という意味でしょう)出陣のときがきた。馬に鞍を置け。早くしないと、皇居の端の桜が、散ってしまうぞ。それからでは遅すぎるのだから」

人間は、いつの時代も公私ともにさまざまな問題や課題を抱えながら生きています。それは幕末の志士たちも同じです。
けれども多くの人々は何を最優先にしなければならないのか、ということを忘れて、うかうかと人生を過ごしてしまいがちです。志士たちは、自分は何を最優先にすべきか、と考えてその一点のために自らの人生を燃やしつくしました。
私たちも、公私共に多忙な毎日ですが、時に心を沈めて「私は私の残りの人生で、何を最優先に実現したいのか、そのためには明日からどう生きるのか・・・」としばし立ち止まってゆっくり考えてみることも必要なのではないでしょうか。
本日のお話が、皆さんにとってその「きっかけ」となれば幸いです。

引用終わり

警神たちへ・・

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花や飲み物の供え物が絶えない港町交番=岩手県宮古市
 
 
多くの同胞の生命と財産を奪った東日本大震災の発生から、もうすぐ7ヶ月になろうとしています。
震災発生直後、多くの警官、役場職員、消防署員、消防団員、民間人が一人でも多くの方々に助かっていただきたいと、自らの命も顧みず、避難誘導、救助等に命を賭されました。
それらすべての方々を民間人であっても、私は殉職と呼びたい。
人としての天命を全うされたのだと・・・・
殉職された方々にも家族はあっただろう。
最後まで、役場の放送で避難を呼びかけた女性職員もあったし、
命を懸けて、職務を全うした人が多いのに、今の国会を見ていると悔しさがあふれてきます・・・・・
今の政治家など瓦礫(がれき)以下だと・・・
 
昨日の産経新聞に、「警神」たちへ 無残な交番に感謝の合掌という素晴らしいコラムが記載されていたので引用したい。
 
「大きな津波が来ます。高台に避難してください」「津波が来ます。急いで避難してください」
 震災発生直後のようすをとらえた映像で、轟音(ごうおん)や悲鳴に混じって途切れ途切れに聞こえる拡声器の警察官の声が耳に残る。最後の最後まで住民に避難を呼びかけていた、あの警察官は無事でいるのだろうか。
 映像には、車のない港の堤防沿いの道を走るパトカーもあった。アナウンスしながら逃げ遅れた者がいないか確認しているようだった。あのパトカーは津波から逃げ延びたのだろうか。
                   ◇
 岩手県宮古市鍬ケ崎(くわがさき)の宮古漁港は損壊した跡は残るものの、魚の積み込み作業が行われ、活気が戻っていた。その傍らにある宮古署港町交番は今も無残な姿をさらしている。
 勤務していた2人の警察官は津波にのみ込まれ、殉職した。
 交番には花束が手向けられ、国旗が掲げられている。誰が津波で汚れた国旗を洗ったのだろう。
 「お勤め、お疲れさまです。安らかにお眠りください」。折り鶴とともに高校生のメッセージ。「鍬ケ崎のためにありがとうございました」という書き置き。一つ一つ読んでいると、がれきの向こうから路線バスがゆっくりと走ってきた。前から2列目に座る老女が窓越しに交番に向かって、静かに手を合わせるのが見えた。
5人体制の港町交番で、中村邦雄さん(54)と村上洋巳さん(43)は、その日非番だった。地震発生で2人は官舎から自主参集で署に上がった。制服に着替えた中村さんは家族に「じゃあ、行ってくる」と軽く声をかけた。
 2人は津波警報でごった返す署からパトカーで漁港周辺に向かった。小野寺勝善副署長は「自らの判断で持ち場の住民誘導を行っていたのでしょう」。
 中村さんと村上さんが激しい口調で高台への避難を呼びかける姿が多くの人に目撃されている。港に防潮堤はなく、第1波で周辺が浸水した。
 立ち往生した救急車から搬送中の病人を救助しているところを第2波が襲った−。
 3月14日パトカー発見、4月4日に村上さんの遺体が発見された。中村さんの遺体はいまだに見つかっていない。
 住民が供える花や飲み物が絶えぬ港町交番。すでに取り壊しが決まっている。
                   ◇
 2年前の夏、佐賀県唐津市肥前町高串の増田神社を訪ねた。JR唐津駅からレンタカーで山道を抜けると、目の前は海を挟んで長崎県だ。山にへばりついたような高串は小さな漁港と温泉以外、何もないように思えた。中学生だろうか、釣り竿(ざお)を持つ男の子に増田神社の場所を聞くと、「『増田さま』は先の二股を右です」と教えてくれた。
明治28(1895)年、新米の増田敬太郎巡査はコレラが流行していた高串に赴任する。当時は防疫も警察の任務だ。現場を一目見た増田巡査は感染拡大の原因は隔離の不徹底と判断した。すぐさま感染者を隔離し、交通を遮断、誰も手を出そうとしない遺体を背負い、埋葬した。そして、赴任3日目に発病する。
 「村人の世話をするために来た私がかえってお世話になるようになり、申し訳ありません。高串のコレラは私が背負っていきますからご安心ください」。その翌日、増田巡査はこう言い残して死亡、25歳だった。
 遺言通りコレラは収束、以来、高串で伝染病の流行はなく、地元の人々は感謝の思いで巡査を神様とあがめるようになった。巡査を火葬した小松島は神聖な島とされ、漁師は島に一礼してから沖合に向かう。
 毎年7月の夏祭りでは、白馬にまたがる巡査の山車が繰り出される。最期まで住民の命を守る使命を全うした巡査は「警神」と呼ばれている。
                   ◇
 今回の震災で多くの警察官が警神となった。死亡・行方不明は宮城県警14人、岩手県警11人、福島県警5人。女性警察官もいる。多くは避難する住民の最後尾で任務を全うした。
 私たちは、父を失った子に、夫を失った妻に、子を失った父母に何ができるだろうか。神社とは言わないが、最後の任務をできる限り詳細に記録し、遺族に残しておきたい。
 「みんなを助けようとして最期まで『みんな逃げて』と叫んでいたんだよ。最期まで警察官だったんだよ」。遺(のこ)された幼い子にそう言い聞かせることができるように。警察官だった父を、夫を、子を自慢できるように。いつまでも遺族や住民の胸に残る警神であってほしい。いくら感謝しても足りない一国民の願いである。(将口泰浩
 
冒頭にも述べているように、震災発生直後の我身を顧みぬ尊い行動。
震災後も、自衛隊、海上保安庁、警察、消防、役場職員の決死の救助、捜索活動。
彼らの獅子奮迅の活躍は、世界からも賞讃されました。
それを支えたのは、「天命」であったとしか言葉が見つかりません。
 
戦後復興の歩みを半世紀以上にわたって見続けた政治評論家、三宅久之氏は、「日本人はつらい時にこそ耐え抜いて力を発揮する。東北は必ず立ち直る」と述べています、しかしこうも述べられています。
「だからといって政府が怠慢でいい訳がないじゃないか。敗戦から高度成長期、国民は政治を信頼し、政治家も一心不乱に邁進(まいしん)した」と、現在の政治状況に対し深い危惧を感じておられます。
 
「政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう」
 9月13日、野田佳彦首相は臨時国会での所信表明演説の最初にこう述べた。
確かに言葉だけは頼もしい・・
しかし、三宅久之氏は、「今や政治家の言葉は鴻毛(こうもう)より軽い」と揶揄されておられます。
何度もぶれる震災の復興増税や脱原発などの政府方針、失言で就任まもない閣僚が辞任する茶番劇の繰り返しに、「政治家は自らの発言に責任を持たねばならない。これはいつの時代も変わらない」。
 
上述した、震災発生直後の我身を顧みぬ尊い行動をされた多くの方々、震災後復旧、捜索に天命を全うされた方々に、恥じぬ政治が行われる日が果たしてくるのでしょうか?
 そして、政治家だけではなく、日本国民すべてが、殉職された方々に恥じぬ行いをしなければなりません。
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

神社のお話(三)

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竈神(高野山金剛峯寺)
 
 
我々の祖先は「火」を神聖なものとして、生活していく上で欠かせないものとして、暖をとったり食物を煮炊きしたりする炉(ろ)や竈(かまど)の神さまを大切にしてきました。また、竈の煙が盛んに出ることは、家が栄えるしるしともいわれ、竈の神さまは家の神としての性格も持っています。
 
人は「火」を扱うことによって集団生活が始まったと言われています。日本では、縄文時代の中期ごろの竪穴(たてあな)住居の内部に炉がもうけられていましたが、それ以前は火はおもに屋外でたかれていました。この頃から一つの屋根の下で火をかこんで家族が共同生活する住まいが生まれました。
かまどは元来は釜をおく場所の意味でしたが、生活の中心となる火所として、家や家族自体を表象するものともされました。そのため家や家族をかまどや煙を単位としてかぞえる風習もあり、今日でも家をたてることを「かまどを起こす」、破産することを「かまどを返す」、分家を「かまどを分ける」ともいいます。
 
聖帝(ひじりのみかど)と呼ばれた仁徳天皇の御製

 
高き屋にのぼりて見れば煙り立つ
 
              民のかまどもにぎはひにけり
  
難波高津宮から遠くをご覧あそばされた仁徳天皇は、人家から炊煙が上がっていないことを深く憂慮され、「貧しくて炊くものがないのだろう、都がこうなら地方はなおひどいだろう」と仰せられました。
そして三年間租税を免除し、その間は率先して倹約に努められ、三年後、どの家のかまどからも煙が立ち上っているのをご覧になって、詠まれた御製です。

竈(かまど)は生活そのものであったのです。
竈(かまど)の神さまは、火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神とも言われています。
神道では、竈三柱神(稀に三本荒神)をかまどや厨房・台所に神札を以て祀る信仰があります。
竈三柱神は奥津日子神(おきつひこ)・奥津比売命(おきつひめ)・軻遇突智、火産霊(かくずち)とされる。オキツヒコ・オキツヒメが竈の神で、軻遇突智が火の神です。
一般には上記画像のように、かまどや炉のそばの神棚に幣束や神札を祀りますが、祀り方の形態は地方によって変わります。
 
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東北地方に伝わるカマ男、火男
 
東北地方の陸前(宮城県や岩手県)では、竈近くの柱にカマ男、火男、カマジンなどと呼ばれる粘土または木製の醜い面をかけて祀る風習があります。
 
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釜神さま
 
 
火は、危ないから「火の用心」 神聖だから「火の要鎮」ともいいます。
上記にも述べていますが、軻遇突智、火産霊(かくずち)さまは火の神で、静岡県秋葉神社は防火の神として有名で秋葉講は全国に及んでいます。
昭和十八年から、平成13年まで、宮中賢所で内掌典を勤められ、平成12年11月 勲四等瑞宝章綬勲、内掌典長までなされた高谷朝子氏が、火について次のように述べられています。
 
朝子語録:その13 「お鍋の底」
 お鍋を五徳から持ち上げまして、他所へ置きます時には、お鍋敷き等を
敷いて、お鍋を置くことが大切な心得でございます。
 何故ならば、底が熱いからという事だけではございません。炊事の時、
お鍋をお火にかけますと、底がお火に当たりますので、清いお火を汚さな
い為に、お鍋の底も清くして、お鍋敷きの上にのせましてございます。
   (注)お火は清いものとされています。
 
朝子語録:その18 「淨火」

 火は日であり、さらに霊(ひ)であって、誠に尊い霊妙なものでございます。
上代より引継がれました、賢所の尊いお火は決しておしめり(お消え)になりませぬよう内掌典は命をかけてお守り申し上げます。菜種油にしみ込みました、
 お燈心の清い小さな御火でございます。天津火継とも教えられました。
 
 
竈(かまど)神を祀る、火の神を祀る、これらの風習は、昭和二十年代までは残っていましたが、生活様式の多様化のともない、現在は祀られていないのが実情です。
 
植村花菜さんが、亡き祖母との思い出や自身の半生を表現し、大ヒットした曲「ト
イレの神様」。紅白歌合戦でも歌われました。日本のしきたりを、柔らかく優しく伝え教えながら、孫の心身共に健やかな成長を願う。そしてその祖母に様々な感情を抱き成長する様子は、まさに典型的な日本の家庭のようであり、聞いていて心が豊かになりましたね
日本では古来より厠(トイレ)には神様がいらっしゃるとして信仰されてきました。厠だけではありません。上述の竈(かまど)の神様、大黒柱、門口、井戸に至るまで神々が宿り、崇敬してきました。
ことに厠は唾を便壺に吐いてはならない、裸で便所に入ってはいけないとか、和歌山県の北部地方では、厠には咳をしてから入らなければならず、便所に唾を吐くと盲目になるとういう伝承もあり、様々な禁忌(きんき)が全国で伝承されています。禁忌とは逆にご利益もあって、厠を綺麗にすると美人になるとか、妊婦さんが便所掃除をすると、可愛い子供に恵まれるなどの信仰もあります。お正月には注連飾りをしたり、お幣束を奉ったり、お供え餅を上げたりする地方もあるようです。
神道では主に厠の神は、古事記や日本書紀の神話に見るところの、埴山昆売命(はにやまひめのみこと)と弥都波能売神(みづはのめのかみ)、とされており、往古より上記に示すような信仰、感謝と祈りが捧げられてきました。
リフオームでトイレを水洗トイレに改修するときなど、お祓いと感謝のご祈祷をしてきました。様々な厠の恩恵に感謝し、畏敬の念を持ち、例えば厠を埋めて改修する、長年の恩恵に深い感謝と祈りを捧げる。これは神の国日本に於いて、常に神々と共に生きる、日本人の在るべき姿です。
しかし、最近、地鎮祭はするものの、解体のお祓い(感謝のご祈祷)などをしなかったり、トイレや台所などは、一部改修だからと、神事を行わず、事を行っている様子が多々みうけられます。その方々は特に神々に対する感謝の念が無いと言う訳ではないようですが、ただ気づいていないと思いたいです。
今は植村さんのお祖母さんのように、日本の風習や伝統を、子々孫々に語り繋いでくれる、ご年配も少なくなり、近代化された設備や技術も、神々の存在を感じづらくさせているのも事実でしょう。 この様な時代だからこそ神々に感謝し、崇敬のこころを伝えてゆかなければならないと深く感じています。
 
親から子、子から孫へ、麗しい日本のこころ、習俗を伝承していきましょう。
 
 
 
 次回につづく・・・・
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

靖国神社(完)

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靖国神社
 
日(ひ)の本(もと)に生(あ)れ出(い)でにし益人(ますひと)は 神より出(い)でて神に入(い)るなり (江戸時代の伊勢神宮の神官 中西直方)
 
「祖先の神があってこそ生まれ出た自分、その自分もやがては祖先の神のもとへと帰っていくのだ。」というこの歌は、日本人の死についての昔からの考え方を明確に表現しています。
 
我国の宗教観の中心には、自然崇拝と並んで祖霊崇拝があります
ともに現代人が近代化・西洋化の中で失いつつあるものです。
祖霊崇拝とは、先祖の霊を祀るものであり、祖先崇拝ともいいます。
筆者が仕事上の拠点としている、兵庫県神崎郡福崎町で生をうけられた民俗学の草分けといわれる柳田国男先生は、昭和20年戦争末期に執筆した、著書『先祖の話』のなかで、「日本人の死後の観念(かんねん)、即ち霊(れい)は永久に、この国土のうちに留まって、そう遠方へ行ってしまわないという信仰(しんこう)が、恐らくは、世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」と述べています。

日本人にとって、「死ぬ」ということは、仏教で説いているように、十万億土(おくど)のかなたに消え去っていくということではなく、死後人はやがて祖霊(それい)となり、さらに祖先神(そせんしん)へと昂(たかま)っていき、この世の子孫の生活を見守っていて下さると考えてきました。

民俗学の世界では、亡くなってから間がない人や、不慮の事故、異状死を遂げた人は「ほとけ」と呼ばれても決して「神」とは呼ばれません。しかし、死の穢(けが)れの清まる期間を経て、弔(とむら)い上げを済ませた「ほとけ」は「かみ」となるのです。「ほとけ」はひとの個性がまだ残っており、この世に未練がありますが、死者から個性が消え、祖霊として一括される神性を獲得すると無条件に子孫を包み込む神と昂(たかま)っていきます。
 ここで重要なのは、人の御霊(みたま)は、歳月の経過によって、浄化されるとともに、家族をはじめ人々からの「まつり」を受けることによってさらに浄化と昇華をし、神格性を持つということです。稲魂(いなだま)を育て、水を配り、子孫の生活を温かく見守る守護神・氏神となるのです。
 
「草葉(くさば)の蔭(かげ)から見守る」という言葉がありますが、ご先祖さまの御霊(みたま)は、常に私たちの身近にいらっしゃって、私たちを見守っています。この祖霊(それい)を慰め、霊威(れいい)が昂(たかま)っていただくために行う「祭(まつ)り」を「先祖まつり」といいます。お盆や春秋のお彼岸の行事などは、今では仏事のように一般には思われていますが、祖霊(それい)をおまつりすることは、もともと仏教にはない我が国の固有(こゆう)の習俗(しゅうぞく)です。
 
古い時代の日本では、旧暦の一月十五日と七月十五日ごろの満月を中心として、年に二回、神さまのご来臨(らいりん)を願い、祖霊(それい)の祭りを行っていました。私たちは、大層にぎやかな時、あるいは楽しい時には「盆と正月がいっぺんに来たようだ」などと表現しますが、実は「お正月」は、祖先神(そせんしん)や歳神(としがみ)さまといった「神々」をお迎えして行う「お祭り」であり、一方「お盆」は、祖先神までには昂(たかま)っていない「精霊(しょうりょう)」をお迎えして行う「お祭り」なのです。ともに、感謝と祈りを捧げるための対(つい)をなすお祭りです。それゆえに、お盆の行事とお正月の行事は、ほとんど共通する要素からなっています。
7月13日〜16日に行われる靖国神社の「みたままつり」正月一日の新年祭、春、秋の例大祭が行われるのはこの為です。
 
建国以来、畏くも天皇陛下は民の父母であり、、国民は天皇陛下を親のように慕ってきました。また畏くも天皇陛下は「祭祀王」であり、「神々に祈る者」として、靖国神社に御親拝されます。戦前のわが国では、戦地に赴く国民にとって、もし自分が戦死した時は、死後、靖国神社に神として祀られ、そこに天皇陛下が御親拝していただき、自分達に向かって拝礼していただけることが、大きな心の支えであり、慰めでありました。
 
靖国参拝とは、国家公共の行為としての慰霊として、日本という国が、単に独立した個人が集合しただけの社会であるのか、それとも生命・文化・歴史を共有した共同体としての社会でありたいのか、を明らかにすることなのです。そして、これは私的な愛を超えた、死者への愛、公共社会の一員としての博愛を、日本人個々が持つことができるかどうかという課題でもあるのです。
日本人は遠い昔から、神々、皇室、ご先祖(せんぞ)さまを敬い、感謝をする心を大切にしてきました。平穏な生活に感謝をしたり、日々の出来事を報告するなど、神棚(かみだな)や祖霊舎(みたまや、仏壇)に頭(こうべ)を垂れ、手を合わすことは、ごく自然な感情であり清らかな心のあらわれでもありました。

近年は個人主義の考え方が非常に強くなり、遠いご先祖から続いてきた家の意識や家族や親族の絆(きずな)の意識が希薄になり、国の為に命を散華された英霊の存在さえも蔑ろにしています。東日本大震災後の福島県民の皆さんへの風評被害が顕著な例です。
 
戦後、自分さえよければ、他人の苦しみや痛みをまったく無視するような風潮さえ生じてきました。被害者と加害者の間に、なんの関係も見られない殺傷行為や、社会に対する犯罪の多発傾向は、まさにこのことを証明しています。

前節、靖国神社(八)にブログ友であり、尊敬してやまない「さくらの花びら」大兄様に次のようにコメントいただきました。
 
「靖国神社の国家護持など当然のことなのですが、全てにおいて当然が出来ない日本です。」・・・・・・と・・

 
まさに、すべてのことにおいて、「お国柄を失った」病める今日の日本の病状が集約された言霊です。
 
 
「敬神崇祖(けいしんすうそ)」の心をもって、護国の神、靖国神社を守り伝え、お祭りを行う大きな意義とは「感謝(かんしゃ)と慰霊(いれい)」の誠を捧(ささ)げることでご祭神(英霊)やご先祖さまと、自分との間の命の繋(つな)がりを確認し、国家と個人の絆を深めていくことにあります。
 
 
靖国」という名は国の平和と、安寧の祈りが込められているのです。
 
 
 
 
 

 

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