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日本人として

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靖国神社(四)

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昭和天皇陛下 靖国神社 御親拝 御尊影
 
 
靖国の英霊を思い詠まれた明治天皇陛下、昭和天皇陛下の御製です。
 
 
よとともに 語りつたえよ 国のため
          命をすてし 人のいさをを
 
畏くも明治天皇陛下、明治37年の御製です。大意は、(国のために生命を捧げた人たちの功績を、いつの世までも語り伝えていって欲しい)
 
 
忘れめや 戦(いくさ)の庭に たふれしは
          暮しささへし をのこなりしを
 
畏くも昭和天皇陛下、昭和37年の御製です。大意は(忘れることができようか。戦場で亡くなったのは、みな家庭のくらしを支えていた男たちだったことを)
 
 
《歴代天皇陛下の靖国神社御親拝合計回数》
明治天皇陛下   七回
大正天皇陛下   二回
昭和天皇陛下  二八回
今上天皇陛下   五回(但し、皇太子殿下時代)

戦前戦後を通じて、靖国神社の春秋の例大祭では、皇室の勅使(天皇の使者)が差し遣わされ、「奉幣」が行われてきた。皇室の幣帛(へいはく=神に供える物)を、伊勢神宮と靖国神社に奉(たてまつ)る伝統は、現在に至るまで変更されていません。
終戦後、昭和天皇陛下は昭和20年11月20日に、初めて靖国神社にご親拝あそばされた。 それ以来、30年間ご親拝が続けられていた。しかし、昭和50年、秋の例大祭に昭和天皇陛下が参拝されて以来、今上天皇陛下の御代もご親拝は途絶えています。
今上天皇陛下におかせられましては、皇太子殿下時代には5回、参拝あそばされた。死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった戦没者は、天皇陛下がご親拝されると信じ、そこに栄誉を感じていたのです。昭和50年以降、天皇陛下のご親拝がないという日本の現状は、英霊の期待を裏切るものとなっています。
これは天皇陛下の責任ではなく、政治の責任です。
 
昭和天皇陛下におかせられましては、たえずご親拝の御意向を持ちつづけられていたのです。
天皇陛下の靖国神社ご親参拝は、内閣の指示があって、はじめて可能となるのです。それまで政府は天皇陛下の靖国神社ご親拝を許可してきたのです。
陛下が切望されていた「靖国神社御親拝」を、昭和五十年を境にして阻んだ原因には、次のようなものが考えられます。
同年8月15日、三木武夫首相が私人としての参拝を表明したため、憲法問題として公式か私的かの論議が紛糾した。このことが影響していることは明らかです。
また、日本の体制転覆を企む極左集団は、その闘争目標を昭和三十年代の政府と国会、昭和四十年代の学園闘争から、昭和五十年代には皇室へとかえたのです。
昭和五十年九月三十日の昭和天皇陛下訪米には、「天皇訪米絶対阻止」叫び、昭和五十年九月十五日、同時に三件の皇室へのテロ事件(伊勢神宮の内宮別宮の瑞垣御門焼き討ち事件、葉山御用邸火炎瓶事件、宮廷駅に接続する原宿駅での発煙筒事件)などが起こった。
この日から昭和天皇陛下訪米までの間、都内は、一万数千人の警察官を動員する程の非常事態となったのです。
昭和五十年代、左翼暴力集団による「反天皇運動」が激化する中、靖国神社への御親拝は、警備上の問題もあって差し控えられたものと考えられます。
また、国会においても、極左集団に呼応するように、昭和50年以降、社会党などから皇室を標的とする国会質問を行った。
秦豊参院議員(社会党)は参院内閣委員会において、昭和五十年五月二九日、皇室の御祭祀にまで難癖を付けたのです。
その内容は以下のとおりです。
 
【秦豊議員の「宮中祭祀・憲法違反」質問】
「侍従は国家公務員であり、天皇の名代ということも個人的な資格ということが許されないと思います。伊勢神宮は明らかに宗教法人であるというありようにあわせてこれは明らかに憲法二十条に抵触する習慣と思います。これを習慣として見逃すことは余りにも重大であると思います」
 
それに対して、角田内閣法制局第一部長は、あろうことか次のように秦議員の意見に賛意を表明した。
 【角田内閣法制局部長の「宮中祭祀・憲法違反」への賛成答弁】
「神社へお参りするという場合もいろいろな方法があるわけでございます。いわゆる神道の儀式によって正式に参拝をするというような、いろいろなやり方があると思いますが、そのやり方によって、ある場合は宗教的行為、あるいは宗教活動になるだろうと、しかし、非常に単純なおじぎをするだけではそういうものにならないというような考え方もあると思います。」
 

「皇室の祭祀」を誹謗中傷する意図をもった社会党議員の意見に、法制局が賛成して、皇室の伝統である祭祀のやり方まで容喙するという異常事態となり、また社会党に遠慮した、宮内庁は内閣法制局の意見に合わせて、昭和五十年九月以降、突如として、それまで明治以降毎朝行われてきた宮中でのお祭りを大幅に変えてた。それは、明治以来慣例となっている、侍従が陛下にかわって、毎朝、宮中三殿への代拝を行うのを次のように変更しました。
 
①浄衣に笏を持った姿をモーニング姿にかえ、
 ②宮中三殿の殿上での拝礼を、庭上からとした、
 ③御馬車での参進を自動車へかえた。(当時、宮内庁掌典補永田忠興氏の証言による)

それだけにおさまらず、伊勢神宮をはじめ橿原神宮や靖国神社への勅使が、従来の侍従から掌典へと変えてしまいました。
由々しき事態です。
昭和五十年以降の「靖国神社御親参拝中断」の真因も、社会党を始めとする野党による宮中祭祀へのいわれなき批判と、政府部内にこの批判に呼応する勢力が強くなっていったのです。

 
昭和五七年の昭和天皇陛下の御製に次の御歌、
 
「わが庭のそぞろありきの楽しからずわざわひ多き今の世を思へば」
 
昭和五十年以降の靖国神社参拝を含めた皇室祭祀への内外の攻撃をも強く御憂慮された陛下のお気持ちが込められています。
 
 
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」
 
前年の昭和六十年に靖国神社公式参拝した中曽根首相が、中国の内政干渉に屈し、この昭和六一年は靖国神社参拝を断念しました。
これは、日本政府の中国政府への「屈服・屈辱記念日」とも呼ぶべき、昭和六一年八月十五日に詠まれた昭和天皇陛下の御製です。
昭和天皇陛下は、日本政府の腰の据わらない対応に困惑されたばかりではなく、靖国神社へのご親拝が実現できないことを靖国神社に祀られている神々である英霊に詫びておられる叡慮がひしひしと伝わってきます。昭和天皇陛下が、靖国神社参拝を切望されていたことは、この昭和六一年の御製であきらかです。
 
畏くも昭和天皇陛下は崩御あそばされるまで、「靖国神社ご親拝」がおできにならないことに御心痛なさりあそばされておられた。そのことは、昭和天皇陛下が病床にあられながら、最後にご臨席された「全国戦没者慰霊祭」の日(昭和六三年八月十五日)に詠まれた御製で、あまりにも明らかであって、多言は要らないでしょう。
 
 
 
 
「やすらけき世を祈れどもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」
 
昭和天皇御製(昭和六三年八月十五日)
 
 
御國に命を捧げられた英霊は、畏くも天皇陛下のご親拝を待ち焦がれておられるでありましょう・・・一日千秋の思いで・・
 
 
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昭和天皇陛下、香淳皇后陛下、最後の靖国神社 ご親拝 御尊影
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

こんな日本でいいのか

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朝鮮式の水の飲み方を本会議場で披露する人たち。
なぜか?
何のために?
誰に見せるために?
普通に考えたら日本の国会議員であれば公の場でこういう恥ずかしいことはしないはずです。
 
しかし、これが現実なのです。
こういうことをして日本国民がどう思うか、考えが及ばないようです。
それほどまでに感覚がマヒしているとしか思えない。
 
こういうことは堂々とやっても、靖国神社への公式参拝はしない。
「国に殉じた方には敬意は当然」と言いながら、「公式参拝はしない」と表明した野田総理。
しかし、敬意とは公式参拝してこそ言える言葉ではないでしょうか。
公式参拝もしない総理が「敬意している」と口先で言っても何も伝わってくるものがありません。
総理としての自覚を欠いているとしか思えない。
 
政治家、特に総理になった人間は近年、靖国神社には公式参拝しない日本。
その姿勢は国が靖国に祀られた英霊たちを認めないと言っているに等しいことともいえます。
しかし、これほど冷たい仕打ちはない。
もはやA級戦犯など日本にいないことはすでに広く知れ渡っており、これは理由とはならない。
 
英霊たちの死を総理が、つまり日本という国が受け入れないということです。
英霊たちは誰のために、何のために、散華されたのでしょうか。
御国のために散華されたのです。
そのことを認め、国家として参拝するのが国の責任であり国の長の務めであるはずです。
総理になる者は口先だけではなく黙って行動で示してこそ日本国の総理といえます。
他国が何を言おうと毅然と参拝することが本来あるべき姿なのです。
そして、英霊がきっとお望みされている天皇陛下の御親拝こそ政治が決断すべきことです。
しかし、政治のふしだらさは冒頭の写真の通りであります。・・・
 
思うに、英霊たちも本当はもっと生きたかったに違いない。
妻や子供たち、父や母とともに暮らしていたかったはずです。
しかし、「国」が戦争という非常事態であり、
国がなくなるかどうかの事態であったからこそ、
「私」をすてて「公」のために自分の命を捧げたのです。
これを、好戦的であったとか、軍人が悪かった、などという人間がいますが、
国のために殉じた死者に鞭打つその姿勢は、もはや本来ある日本人の精神に反するもので、
チャイナや朝鮮の精神と同じではないかと思うところです。
 
英霊たちが涙をのんで潔く戦ったからこそ今の日本があることに感謝もできない。
戦わねば今の日本はなかったのは誰でも理解できるはずです。
そして、本来そこをきちんと教えるのが学校教育であるべきであると思います。
戦わねば植民地の生き地獄を味わって日本がすでに消滅していたかもしれない。
あり得ないことではなかったはずです。
 
我々の先輩たちはかつてアジアの植民地支配からの独立にご尽力されました。
我々日本人は、先輩のやってきた大義を忘れ、
その先輩たちを悪いやつだと批判し、散華した先輩たちを感謝することもせずに、
日本は平和憲法という名のもとに民主主義という名の社会主義と、
平和という名のひ弱で道徳観のない堕落しただらしのない国になっていることの自覚もなく
平和を謳歌していると錯覚しているのです。
 
チャイナがチベットや新疆を併呑した植民地主義に対しても何も言えず、
我が同胞を北朝鮮から救い出すこともできない日本。
そんな今の日本が先輩たちを、悪い、悪い、と責めることができるのか・・・ 考えて欲しい。
 
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

靖国神社(三)

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靖国神社
 
 
靖国神社(一)では靖国神社のあらまし、靖国神社(二)では、靖国問題の根っこについて持論を述べさせていただきました。
今回は、世界から見た靖国神社について述べさせていただきたいと思います。
 
靖国神社(一)でも述べましたが、どこの国でも、祖国を守るために斃れた戦死者に敬意を表する場所があります。
アメリカのアーリントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地、中国の人民英雄記念碑、インドネシアのカリバタ英雄墓地など、形は様々ですが、国民の魂のより所とも言うべき聖地になっています。
いかなる宗教を持とうとも、国のために亡くなった人々の魂を鎮める場所を求めるのは世界共通の心情であり、近代国家の成立とともに世界各国はそれぞれの伝統に基づいて戦歿者追悼の国家施設を生み出してきました。
交通手段の発達とともに外交使節や政治家の往来が活発化し、相手国を訪れた際には戦歿者追悼施設に敬意を表することが外交儀礼のひとつとして重視されるようになりました。
 
戦前、靖国神社も多くの外国要人、国家元首が参拝しました。
多くは欧米からの参拝でした。それはタイを除く多くの民族が、欧米の統治下にあり、独立国家ではなかったからです。
昭和六年八月二十七日、大西洋単独飛行で有名となったアメリカの飛行士リンドバーグ夫妻が、昭和七年三月二日、イギリスのリットン卿一行が参拝しています。
リットン卿一行とは、国際連盟リットン調査団のことで、我が国の満洲政策を実地に調査し、批判的な調査報告書を提出したことでよく知られていますが、我が国の行動を非難したグループでも、靖国神社には正式に参拝している事実を知る時、戦争の評価とは無関係に、戦歿者に敬意を表することが国際儀礼であることを改めて実感させられます。
昭和十六年十二月八日の大東亜戦争勃発とともに、参拝する外国要人の顔触れもがらりと変わり、我が国の同盟国の要人と、大東亜戦争を契機に欧米宗主国の軛くびきから脱し、独立を獲得し始めたアジア諸民族の代表者たちが次々と参拝しています。
 
大原康男著『神道指令の研究』では次のように述べています。
 
未曾有の敗戦の中で、敵・連合国のGHQは我が国を占領し、「再びアメリカを始めとする連合国の脅威とならないようにする」ため、我が国の諸制度に根本的な改変を加えてきた。特にGHQの中には、軍国主義・超国家主義を廃絶するという観点から、靖国神社と護国神社の廃絶を主張する者もいた。
しかし、ポツダム宣言で保障した「信教の自由」という建前はもちろん、それ以上に靖国神社・護国神社の存続を願う一般国民の願いを無視することはできず、神社の廃絶まではいかなかった。
特に神道に対して敵意丸だしの神道指令を起草したGHQの民間情報教育局(CIE)の幹部は、当初、神社の祭典は軍国主義的な行事や扇動的な説教があると思い込んでいたようであるが、終戦直後の昭和二十一年二月、靖国神社の祭典を視察した際、軍国調とはおよそかけ離れた静かで簡素な、しかも清浄な感じのものであったため、予想に反した強い印象を受け、これがきっかけとなって、靖国神社のみならず神社神道に対するGHQの認識が大きく変わったようである。
 
我国を侵略国として非難するためにGHQが開催した政治ショーである極東国際軍事裁判の効果もあって、国際社会において我が国は残虐な侵略国家との烙印を押さた。当然のことながら、靖国神社に対しても圧倒的なマイナス・イメージを植え付けられたのです。それでも、肉親を戦争で亡くした日本人の大多数は靖国神社に対する崇敬の思いを変えることなく、国家による靖国神社護持を強く政府に求めていきました。
しかし、GHQの政治宣伝に惑わされることなく、靖国神社を日本の公的な戦歿者追悼施設と見なす外国要人(在日米軍幹部を含む)も決して少なくはなかったのです。
神道指令の法的拘束により、日本政府は表向き靖国神社にかかわることはできなくなり、訪日する外国要人に靖国神社参拝を勧めることは難しい事態となったにも関わらず戦後、靖国神社に参拝した外国要人たちのほとんどは自ら望んで参拝してくれたのです。
その行動は外交的な儀礼にとどまらず、我が国の戦歿者に対する、特別な思いの現れとして受け止めることができます。
戦前に比較して、外国元首の参拝が少ないのは、外務省が「靖国神社は日本の公的な戦歿者慰霊施設ではない」という考えをもっているからである。実際にアメリカのアイゼンハワー大統領が参拝して日本の戦歿者に敬意を表したいと要望したのに対し、外務省が難色を示して潰れたことがあり、中国などから首相の公式参拝を批判された昭和五十四年以降は、参拝を公式日程に入れることを希望した元首級の要人に対して、外務省が婉曲的に反対しているので、元首クラスの参拝は、ほとんど実現を見ていないのが真実です。
 
世界各国の練習艦隊が遠洋訓練の途中、日本に立ち寄り、日本の戦歿者に敬意を表するべく靖国神社に正式参拝するケースもあります。
戦後初めて正式参拝に訪れた外国軍隊は、フランスの練習艦隊でした。
昭和三十八年二月十一日午前九時、遠洋訓練の途中、日本に立ち寄った巡洋艦ジャンヌ・ダルク号、護衛艦ビクトール・シェルシエ号の士官候補生及び乗組員百六十名は分乗したバスから降りて、神門前に整列。軍楽隊を先頭に隊列を整えて発進した。真っ白な手袋にゲートル、礼装用の剣を携え、中庭に参進。横隊に整列し、修祓の後、ジャンヌ・ダルク号艦長ストレリー大佐が本殿木階下に花輪を奉奠、この時ストレリー大佐以下全隊員軍楽隊の奏楽とともに捧げ銃をし、一分間の黙祷を捧げました。
昭和三十九年十月七日には、練習艦隊で来日中のイタリア陸海空三軍の士官候補生九十名が、ジュリオ・アンドレオツテイ国防大臣、練習艦隊司令官ダラデーネ海軍中将とともに参拝してくれました。
 
大東亜戦争で被害を蒙ったと主張する中国人や、欧米統治下における中間管理者としての地位を失った東南アジア諸国の一部華僑が今なお、大東亜戦争のシンボルとして靖国神社を非難していることはご存知だと思います。
しかし、
「アジア=大東亜戦争の被害者」という構図だけでは、なぜアジアの要人たちが次々に靖国神社にそれも自主的に参拝するのかは理解できないでしょう。
アジアには、中韓両国とは違った感情が存在しているのです。
昭和三十年代に入ると、大東亜戦争とその後の独立戦争を勝ち抜いて独立を達成したアジアの要人たちの参拝が増えてくる。特にビルマ(現ミャンマー)、インドネシア、タイの要人が参拝しました。
ビルマのタキン・バセイン副首相は何度も来日し、そのたびに靖国神社に参拝しています。
ASEANセンターの中島慎三郎氏によると、タキン・バセイン氏はある時、靖国神社の社頭で参拝し、涙を浮かべてこう語ったという。
 
「ビルマの独立のためにたくさんの日本兵が死にました。アジアが貧乏で弱いから、独立というビルマ自身の仕事を日本兵に頼みました。(インパール作戦では)二十万以上の日本兵が死去しました。いまもビルマの山野に眠っています。ビルマ人は兵隊さんに申し訳無いと思っています。ビルマ人は兵隊さんの志を忘れません。兵隊さんよ、ビルマを立派な国にするから見ていて下さい。兵隊さんが作ってくれたタイ・ビルマ(泰緬)鉄道は使っています。兵隊さん、ありがとう。」  と・・・・
 
 
ビルマは、独立運動の指導者として有名な「三十人の志士」が日本軍の鈴木敬司大佐(南機関)によって育てられた上、昭和十八年八月一日、日本軍の支援のもと独立を宣言した(国家代表バー・モウ)という経緯もあって、日本を抜きにしては独立を考えることはできない歴史を持っています。
 
インドネシアの政府関係者の参拝も多いのです。
三百五十年にわたってオランダに支配されたインドネシアはその間幾度となく、反オランダ独立闘争を起こしましたが、その都度制圧されていました。
それだけに、僅か七日間余りで宿敵オランダを打倒した日本軍に対する期待は熱狂的でした。そして日本軍に物資や労務を提供する代わりに、インドネシア人による軍隊(独立義勇軍=ペタ)の結成や官僚組織の確立、教育体制の整備などを日本軍の支援のもとに着々と進めました。
日本軍は降伏しましたが、二日後に独立を宣言し、再び植民地化を目論むイギリス、そしてオランダ軍と四年間にわたって激しい独立戦争を戦い抜いた。この独立戦争のために、日本軍はひそかに大量の武器や資金を提供しただけでなく、約千人(一説では二千人)の日本兵がインドネシアに残り、独立軍の一員としてオランダと戦ったと言われています。
インドネシアのサンバス少将が昭和五十年代のある時、ASEANセンターの中島慎三郎氏とともに靖国神社に参拝し、こう嘆やかれたそうです。
 
「アジア諸国の独立を促した大東亜戦争の勇士たちを尊敬し、その英霊に敬意を払おうと思っているのは、何も日本人だけではない。大東亜戦争はわれわれアジアにとっての独立戦争だったのであり、その意味で、靖国神社はアジア独立の聖地でもあるのだから、それにふさわしい威容を備えてほしい」
 
サンバス少将の訴えがいまの日本人にとって奇異に聞こえるのは、日本人のほとんどが、そもそも大東亜戦争自体は日本人だけの戦いではなかったという事実をすっかり忘れ去ってしまっているからで、当時日本人だった韓国、台湾、パラオの人々、同盟国だったタイ、フィリピン、ミャンマー、自由インド仮政府、中国の汪兆銘政権の人々が大東亜戦争をともに戦ってくれたという事実をも知らないからです。
 
インドネシア独立戦争の指導者の一人ブン・トモ情報相は昭和三十二年にこう述べている。
 
《われわれアジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人にたいして何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、“これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。それなのに日本にだけ担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった。》(ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』)
 
「大東亜戦争はわれわれの戦争である」と思っているからこそ、いくら連合国や中国・韓国などが大東亜戦争を侵略戦争と非難し、靖国神社を軍国主義の中心と批判しても、そして当の日本の外務省が嫌な顔をしてもなお、アジアの要人たちは靖国神社に特別の思いを寄せ続け、自ら望んで靖国神社に参拝し続けてきたのではなかったのではないでしょうか?
 
我が国の為政者たちは、靖国神社公式参拝を見送っても、一部の保守層から反発があるだけだと安易な思考しかありません。しかし国際的に見れば、一国の首相が靖国神社に参拝しないということは、「為政者たるものは自国の戦歿者に最大級の敬意を払うべきである」という国際常識に背を向けることであり、そうすることによって欧米諸国からもアジア諸国からも、侮りと不信感を持たれ、国際的信用も失っていることを知らねばならないし、日本の信用は先人の血によって得られていることも忘れてはならないのです。
 
世界の常識は日本の非常識とはこのことです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

靖国神社(二)

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靖國神社
 
 
 
前回は、靖國神社のあらましについて述べさせていただきました。
今回は靖國問題の根っこについて、述べたいと思います。
 
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、日本という国の根幹に関わるる大きな問題なのです。
今現在、日本列島に住む我々日本人は、日本の國がどうあるべきか?独立した國でありたいのか、自分の國を護って行こうとする意志があるのか、建国以来の文化、歴史、伝統を護り、継承していく意思があるのか、単なる個人の寄せ集めの國ではなく、戦前のように纏まった國でありたいのか、何より大事なことは、先祖と現世の我々、未生の子孫との間に、生命と愛情の絆のある國であろうとするのか?ないのか・・深く、大きな問題なのです。
独立自尊の精神を持ち、国家主権を堅持しようとする国民は、自ら国を守ろうという意思を持ち、他国への依存や隷従をよしとしない国民は、そのために努力を惜しまず、母国の文化や伝統を大切にし、それを継承・発展させようと考える国民は、先祖や先人に対し、感謝と尊敬を抱きます。
我らの子供や孫、さらに将来それに続く子供達への責任と愛情を持つ国民は、先祖や先人への愛情を持ち、そういった意思を持つ国民は、過去の歴史において自国を守るために命を捧げた人々に誠の感謝と尊敬を惜しみません。そして、国を挙げて、心から戦没者の慰霊を行うでしょう。
反対に、独立自尊の精神を失い、自ら国を守ろうという意思を持たない国民は、過去の世代の貢献に対して鈍感となり、戦没者の慰霊に無関心となるり、ますます独立心を失い、国家主権を保とうとする意志の弱い国と成り下がります。母国の文化を粗末にし、歴史を忘れ、単に自分達の世代の快楽や我欲、繁栄をのみ追い求める国民は、先祖や先人に恩義を感じることがなくなっていくのです。こういう国は、諸外国の圧力によって、平時からじわじわと溶解していき、一旦緩急あって、戦いとなれば、侵略者に対してあっけなく敗れ、占領・支配され、蹂躙され、滅亡にいたる。それが現在の日本の国の姿ではないでしょうか?
戦後、國を裏切り、同胞を裏切った多くの日本人がいます。人権、平等、の美名の名の下に、國の体制転覆を目指している日本人は、後者に当たります。
建国以来、國を護る為に、我々の先祖や先人が命を捧げたということは、自分の命を犠牲にしてまでも、國を守り、自分の家族やその時代の國民のためだけではなく、これから生まれてくる子孫や、将来の国民のためでもあったということを忘れてはならない。
戦後のわが國では自分を犠牲にして国のために尽くした人々の行為が正当に評価されず、名誉も与えらず、今後、国民が窮地にぶつかった時、評価されることもなく、誇りも名誉もない死とわかっていながら、誰が貴い生命を賭けて國を守ろうとするでしょうか?
現世の若い世代には、大東亜戦争で米国と祖国日本が戦ったことすら知らない人もいます。國を衰退させる為に反日教育をしている、日教組教師から教えられた嘘・捏造の歴史を疑うこともなく信じています。
また、確たる歴史認識もなく、行政の長「内閣総理大臣」が世界に向けて贖罪を繰り返している有様です。
戦没者の慰霊という問題は、過去に亡くなった人たちの慰霊という問題だけではありません。
現在、そして将来に渡って、自国をどのように国を維持し、発展させていくかという問題につながる日本人の根っこの問題なのです。
 
中国・韓国などからの靖国に対する恫喝など、さしたる大きな問題ではありません。為政者にありながら、諸外国に配慮などと、適当な言い訳に終始し、靖国に参拝せず、またこれ等に関心をもたない国民、蔑ろにする精神のほうが大きな問題です。
 
慰霊と靖国という問題は、国家、主権、道徳、生命、文化、歴史、伝統等が結集する国家・国民の重要問題です。言い換えると、日本人が互いを結ぶ絆に関わる大きな問題なのです。
 
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、次回は「世界から見た靖国」について述べさせていただきます。
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

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靖国神社(一)

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靖国神社
 
 
 
靖国神社は、明治二年(皇紀2529年)、明治天皇陛下によって、現在の東京都千代田区九段に創建されました。当初は「東京招魂社」と呼ばれましたが、明治12年(皇紀2539年に靖国神社と改称されました。
その淵源は、文久三年(皇紀2523年)高杉晋作の発議により、奇兵隊専属の招魂場として、元治元年(皇紀2524年)下関に桜山招魂場が完成し、現在は桜山神社となっています。全国で最初に招魂社として建てられた招魂社です。
 
 
靖国」という名称には「国の平和を願う」という思いが込められています。その淵源は古く、「日本書紀」のの神武天皇の条に「安国」の文字が見えます。「昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、此の国を目(なづ)けて曰(いわ)く、日本は浦安国(うらやすくに)、細(くはし)戈千足国(ほこちたるくに)、磯輪上秀真国(しわかみのほつまくに)」とあります。「浦安国」の「うら」は心を意味し、「安国」は安らかに治まる国、泰平の国の意味であり、『延喜式祝詞』の「祈念祭」には、「四方(よも)の国を安国と平らけく」とある。国の内外の平和を祈る言葉として、「安国」が使われています。
「浦安国」とは、古の日本を意味します。神祇の安寧慰撫と国の平穏無事 を祈り現在でも「浦安の舞」は各地の神社の例大祭などで舞われていす。靖国神社の名称を「安国」ではなく「靖国」と表したのは、わが国では重要な漢語は、中国の古典に典拠を求める慣習により、『春秋左氏伝』に、「吾は以て国を靖んずるなり」「以て国を靖んぜんと曰へり」とあり、これが出典とされています。
このように、「靖国」という名称には、平和への願いが込められている。命名は、明治天皇陛下によるとされています。
 
靖国神社とは別に、千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。東京都千代田区にあり、靖国神社からは徒歩5分ほどの場所である。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、国立の合葬墓地として昭和34年(皇紀2619年)に建設されました。ここは昭和12年に勃発した支那事変以降の戦没者を対象としています。戦没者の遺骨のうち、名前が解らなかったり、あるいは名前は分かっていても遺族が解らないため引き取り手のなかったりする遺骨を収容しています。
記事の冒頭にもありますが、靖国神社は、明治維新以来の内戦・事変・戦争等で亡くなった人々を対象としています。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は墓であるから、遺骨が納められているが、靖国神社には遺骨は納められていません。位牌もなく、戦没者の氏名が記載された霊璽簿(れいじぼ)が置かれているいます。遺骨は各家族が自家の墓地に納め、位牌は主に家庭の祭壇で祀っています。
靖国神社は遺骨を収容する場所ではありませんから、別に氏名・遺族不明の戦没者のための墓苑が必要です。千鳥ヶ淵に埋葬されている人々の霊も靖国神社に祀られている。それゆえ、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、どちらも必要な施設なのです。
筆者の住んでいる姫路市にも、護国神社があります。
護国神社は全国各地にあります。これは、東京招魂社を前身とする靖国神社とは別に、各地方の藩などが創建した地方招魂社を起源とします。
上記の桜山神社とは別に山口県では護國神社があります。
靖国神社と護国神社は、本社と分社の関係ではありません。分社とは、本社以外にその分霊を分け祀った神社をいいます。しかしながら、靖国神社と護国神社は、ともに国事殉難者の霊を祀っており、靖国神社は全国、護国神社は主としてその地域を対象としており、祭神を一部同じくするので、提携しながら、慰霊・顕彰のための活動を行っているのです。
 
現在、靖国神社には、246万6千柱の御霊が祀られている。御霊は神社の祭神(さいじん)であり、柱という単位で数えられます。
祀られている人々のうち、特に多いのは大東亜戦争の戦没者であり、現在、213万3915柱です。現在も、新たに身元が判明した戦没者の遺族から合祀の依頼が続いています。
 
祀られているのは、軍人ばかりでなく、大東亜戦争に限ると、戦死、戦傷死、戦病死もしくは公務殉職した軍人、軍属、およびこれに準ずる者が、合祀の原則。軍属とは、軍人(武官)以外の軍に所属する文官・文官待遇者のことをいい、従軍看護婦なども含まれます。
 また軍人・軍属以外に、主婦、小中学校の児童・生徒、それに2歳にも満たない童女も、祀られている。
女性も約5万7千人含まれている。例えば、沖縄から鹿児島へ強制疎開する途中、撃沈された輸送船「対馬丸」に乗っていた生徒達、沖縄戦のひめゆり部隊、白梅学徒隊、終戦後、「氷雪の門」で知られる、ソ連軍の侵攻を内地に通報し自ら命を絶った樺太真岡(まおか)の女性電話交換手、ソ連軍の侵攻で虐殺された満州開拓の従事者といった人々も祀られています。
当時は日本国籍だった朝鮮人約2万1千柱、台湾人約2万8千柱も含まれています。
 
極東軍事裁判で「A級戦犯」と断罪され、処刑された昭和殉難者も祀られています。わが国は、昭和20年(皇紀2605年)8月15日昭和天皇陛下の「ご聖断」により戦闘は停止しましたが、昭和27年4月28日に主権を回復するまでは、引き続き国際法上の戦争状態にあり、極東軍事裁判以外にも「B・C級戦犯」の軍事裁判が国内外で行われました。この時期に連合国によって有罪・処刑された者は、公務に殉職した法務死と国が決議しました。その基準に基づいて、昭和殉難者も合祀されています。
 
戦没者の慰霊・顕彰は、どこの国にみられる普遍的儀礼です。どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。アメリカのアーリントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地等、形は様々ですが、国民の魂のより所ともいうべき場所になっています。
 
慰霊の方法は、国によってその国の宗教的伝統に基づいて行われています。アメリカのアーリントン国立墓地には、「無名戦士の墓」があり、その前で年3回、大統領が参加して、ユダヤ・キリスト教式の戦没者追悼式を行っています。戦没者の中に、ユダヤ・キリスト教以外の信者が含まれていても、国家による公的行事として行われています。異教徒であっても、国家の行事として、アメリカ国民は受け容れています。国民として当然だからです。
わが国においても、儀礼である戦没者の慰霊が、国家による公的行事として行われるべきであり、また、国家が靖国神社を護持するのは当然です。単一民族である我国は、独自の宗教的伝統に則って行うべきです。
 
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、次回に続きます。
 
 
 
 

 
 
 

転載元転載元: 美しい国

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