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日本人として

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反日日本人(五)

 
 
 
日教組(にっきょうそ)というのは、日本教職員組合の略で、 日本最大の教職員労働組合です。
日教組は、GHQによって、作られました。GHQは、勇敢で聡明な日本人の団結を弱め、 愛国心やモラルを剥奪することによって日本人を骨抜きにし、日本を弱体化させるため 、日本の歴史と道徳を抹殺しようと企てました。アメリカは、日本の進出によって欧米列強がアジアに築いた植民地や権益を奪い取られたことを恨み、また蔑視の対象であった東洋の小国が大国アメリカを敵に回して果敢に戦ったことを恐れ、 日本が二度と脅威とならないよう徹底的な「精神的武装解除」をおこなった
のです。
まず、それまで教育界で重きをなしていた教職員を1946年(昭和21年5月)公職追放します。
そのためには、教育の現場で、占領政策にしたがって、従米的反日的な教育を実行する日本人が必要です。そこで、それを担う教師を組織する労働組合を創出しました。それが日教組です。
1945年(昭和20年)12月の連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)の指令に基づき、全教(全日本教員組合)・教全連(教員組合全国同盟)などの教員組合が発足。 日本国憲法の公布(1946年11月)/施行(1947年5月)・教育基本法制定(1947年3月)に呼応して、全教・教全連などが、1947(昭和22)年6月、日本国憲法/教育基本法の理念普及と、階級闘争を運動方針とする統一的な教員組合として日教組を結成。マルクス主義歴史学者の羽仁五郎が代表に就任しました。
後にGHQはこれを後悔してアカ狩りに転じるのだが、まだ庇護の対象であった社会主義者はGHQの後ろ盾を得て、猛烈な勢いで情宣活動を開始する。
 
「広く全日本および全世界の労働者農民諸君と手をたずさえて我国に残存するあらゆる悪秩序と闘い、これを徹底的に打破して、豊かな民主主義教育・文化の建設に邁進することを厳粛に誓う」(1947(昭和22年)年、日教組結成大会での宣言)

もはや労働組合の域を脱し、政治結社のようなものです。
日教組が発足する前年の1946(昭和21年)年から約十年間は、過激な自虐贖罪教育が徹底的に行われた時期で、この期間に学童/学生期間を過ごした者は、現在に至るも非常に偏った反日的思想傾向を持つとされ、所謂、団塊の世代です。
一部の団塊の世代は、日本の社会主義化を目指して、後に安保闘争へと突き進んでいきます。
55年体制がスタートした、1955(昭和30)年頃から教育正常化運動が始まり、ようやく日教組の横暴に歯止めがかかったが、その影響力は現代に至るまで長く続いています。
日教組は、社共両党の影響の下で、教育の場で、労働組合運動、社会主義運動を行ってきました。日教組は日本の社会主義化を目指して、青少年の洗脳を担ってきました。その影響には重大なものがあります。発足当時は、100%近い高い組合加入率でしたが、近年は30%前後と下ってきてはいるものの依然として侮りがたい組織力があります。
しかも、部落解放同盟とも連携しています。
部落解放同盟はヤクザと関わりが強く、元公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏は 「日本のヤクザの60パーセントが同和(部落解放同盟)である」 と明言しています。
 
人権、平和を高らかに叫ぶ日教組ですが、教え子たちに拉致事件にはなぜ口を閉ざします。
それは、日教組が社会党と同じく、革命を唱え、北朝鮮を賞讃しているからです。
産経新聞の阿比留瑠比氏は、自身のブログで、
ミスター日教組と呼ばれた槙枝元日教組委員長のことを次のように述べています。
 
 
 
この人は、 日教組の委員長を12年間も務めた その世界では有名人ですが、現在の知名度はどうなのでしょうか。いろいろなエピソードがありますが、とにかく 北朝鮮のことが大好きだった ようで、1974年の著書「チュチェの目、朝鮮を訪ねて」の中で、次のように書いています。
《この国には泥棒がいない。泥棒とは、富の片寄ったところに発生する。この国には、泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから、警察官もいない》
ある時期、北朝鮮をユートピアであるかのように礼賛した人々がいたようですが、その典型的な1人だったのかもしれません。 1991年には、北朝鮮から「親善勲章第1級」も授与されています。 まあ、日教組の関係団体には、 日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会などというところもありますしね。槙枝氏は、わずか5年前の2002年2月には、「金正日総書記誕生60周年祝賀」に寄せて、こんな文章も書いています。
《わたしは訪朝して以降、 『世界のなかで尊敬する人は誰ですか』と聞かれると、真っ先に金日成主席の名前をあげる ことにしています。(中略)主席に直接お会いし、朝鮮人民が心から敬愛し、父とあおぐにふさわしい人であることを確信したからでした》(「キムイルソン主義研究」第100号)
拉致事件のことなどは、まったく頭になかったのでしょうね。なんだかなあ、という感じです。…話がずれましたが、私が槙枝氏にインタビューしたのは1995年8月11日のことでした。当時、 村山政権下で日教組と文部省が歩み寄り 、日教組執行部が「日の丸・君が代強制反対の棚上げ」「学習指導要領の是認」などの運動方針を打ち出していたので、果たして日教組は変わるのかについて見解を聞いたのです。結果は、まあ国会開会中の国会前に座り込んでいる教育労働者の姿を見れば分かることですが。
 
 

ソ連・東欧での共産主義体制の崩壊、地上の楽園と鼓舞し、賞讃した北朝鮮も経済は破綻し、日教組への新規加入者が減り、勢力は後退しました。しかし、今日もなお、一部の組合員たちは共産主義そのものへの根本的反省を行っていないようです。
イギリス・イタリアでも議会主義的左翼政権の結果は、総じて経済活力の喪失、国家の「病」の悪化、青少年犯罪の増加、無気力・無職能の若年失業者の増大を生みました。共産党という名称も、多くの先進国では消え去りました。しかし、教育界においては、今なお、歴史の法則的必然性によって資本主義の次の段階には社会主義が実現する、という旧観念が根強く保たれているのです。
  そして、今日も、日教組の一部の頑迷な教師たちは、青少年に旧観念を教え込み、反日日本人を製造しています。
 
 
戦後日本を占領したGHQは、占領初期において、こうした反日日本人を誕生させることによって、日本を弱体化しようとしました。そして日本人が分裂し、自ら自国の国益に反することをするように、日本の社会に仕掛けを行いました。但しそれは、米国の国益を損ねない限度においてであったはずですが、しかし、一端、誕生した反日日本人は、米国の思惑を超えて成長・増大し、想定外となったのです。その大部分は旧ソ連や共産中国を利する勢力となりました。その一方、占領政策や共産主義の謀略に目覚め、「国際常識としてのナショナリズム」を取り戻した人々が、インターネット等の普及により、闇の部分が明るみになり、近年は増えてきてはいますが、道のりは遥か遠いです。
 

転載元転載元: 美しい国

修身について
 
 
修身について八木秀次氏がいいことを書いています。
一部加筆して掲載しておきます。
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「修身」は戦前の教育にあったものです。
大東亜戦争後の昭和201022日、
GHQは『日本教育制度に対する管理政策』という第一の指令を手始めに、
次々教育に関する指令を日本政府に命じました。
これらの指令は軍国主義教育の解体を目的としたもので、極端な国家主義、神道主義、
軍国主義教育の禁止と教材の排除、それらの提唱者と実践者の教職からの追放、
民主主義教育の奨励、自由主義者や反軍国主義者の復職を命じたものでした。
 
さらに1231日、GHQは日本政府に『修身、日本歴史及び地理停止に関する件』という指令を出し、
修身、国史(日本歴史)、地理の授業停止とこれらの教科書の回収を厳命しました。
教科書は地区ごと回収され、中央に送られた後、全て廃棄処分にされて製紙の原料となりました。
その後、地理と歴史はGHQの承認を得た教科書が作成されて授業が再開されましたが、
修身の教科書は編集さえなされませんでした。
 
修身はこのようにして葬り去られ、その後、日本の教育ではまともに取り扱われることはされませんでした。
GHQ同様に日本人自身も「修身」を国家主義の軍国主義のイデオロギーの宝庫とみなし、頭ごなしに否定してきました。
しばしば修身教育の復活ということが恐れられ、道徳教育さえ忌避されました。
その結果、学校の「道徳」の時間はホームルームと化し、
ある場合には「同和教育」や「人権教育」、「平和教育」の名のもとに日教組の教職員やそれと連携関係にある民間団体のイデオロギーを子供たちに教え込む時間となったのです。
「道徳」をあえて「人権」と言い換えている学校もあったくらいです。
道徳を「価値観の押しつけ」、「強制」だとと、くだらない理屈をつけて教えたがらない教師たち。
そういう教師に限って自己中心で我がままで、自分の価値観は子供たちに押し付けているのです。
 
「修身」は日本人が思うほど怖いものでしょうか。
多くの人は修身の教科書さえ見ないまま修身を恐れているのでしょう。
修身の題材は今まで記事で書いてきたように我が国の歴史から採られているものが多いのです。
我が国の歴史の中には活きた教訓や愛情があふれています。
その多くは感動的な話が多く、日本人として我が国に自信と誇りを持つことができます。
それが子供たちの夢や希望、勇気となるのです。
それほどまでに先人達は自らを律し、正しい生き方のためには命を賭けて生真面目に向き合ってきたのです。
 
修身の廃止とともにこれらの立派な話は消された現在の日本。
今の子供たちは自分が「こういう人間になりたい」という具体的な人物像を失っているといいます。
戦後のある時期までは修身に変わって努力、忍耐、勇気、責任、友情、根性などの大切さを子供たちに教えていたのはスポーツ漫画でした。
それが80年代以降は「まじめの崩壊」と言われ、努力、忍耐、責任、勤勉、根性など大真面目に語ること自体恥ずかしいこととされたのです。
その結果はどうだろうか。
 
今日の教育荒廃の原因にはさまざまあるはずです。
しかし、その大きな一つに子供たちの個性や自主性を強調するだけで、
努力や忍耐、責任、勤勉などの徳目を含む道徳教育を怠ってきたことがあることは間違いないはずです。
子供たちは「尊敬できる人格」や「優れた人格」を示されることなく、
マスコミを通じて「崩れた姿」ばかり見せられているのです。
すでに子供の親たちにさえ道徳やモラルの欠如は甚だしい限りです。
戦後消された真実の「歴史」とともに「修身」を教育に取り戻さなければいけないのではないか。
・・・・・
 
「ふくしゅう」
 
よい日本人になるには、忠義の心を持たねばなりません。
 
お父さんやお母さんには孝行を尽くし、兄弟とは仲良くし、友達には親切にし、
 
召使いを憐れみ、近所の人にはよくつきあわねばなりません。
 
何事も正直で、心のとがめるようなことはせず、
 
勇気があって、辛抱強く、物事にあわてんようにし、
 
自分のことは自分でし、そして、難儀をこらえねばなりません。
 
また、体を丈夫にし、倹約を守って、仕事に精を出さねばなりません。
 
その他、礼儀を守り、自慢をせず、恩を受けては忘れんようにし、
 
人をそねむようなことなく、度量を大きくし、人のものを大事にせねばなりません。
 
かように、自分のおこないを慎んで、よく人にまじわり、
 
その上、世のため人のために尽くすように心がけると、
 
よい日本人になれます。
 
(第一期(明治三十七年)尋常小学第三学年より)
 
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 
 
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                         (太田恭三郎)
 
太田恭三郎
 
明治三十六年、二百五十人ばかりの一団を先頭に、
日本人渡航者が相次いで、フィリピンに向かった。
フィリピンの首都、マニラからおよそ三百キロ北の高い山の中に、
バギオという町を新しく建設するため、その手始めとして、険しい山坂を切り開き、
三十五キロという長い道路を作ろうとしたのである。
岩が落ちてきて、人が怪我をする。出来かかった道は、すぐに崩れる。
そのため、フィリピン人も、アメリカ人も、支那人も、
これまで果たすことの出来なかった難事業を、今はしとげてみせようというのである。
 
日本人は、辛抱強くて、よく働いた。
けれども、やっぱりこの仕事は生易しいことではない。
何人も病気になったり、けが人もたくさんできた。
その上、日本人が一番困ったのは、急に食物が変わったことである。
このまま仕事を続けていたのでは、みんな病気になってしまうかもしれない。
 
この様子を知って、義侠心を起こしたのは、マニラの街に住んでいた太田恭三郎であった。
恭三郎は、早く明治三十四年からマニラへ渡って、そこで日本雑貨の輸入業を営んでいた。
渡航した時は、まだ二十六の若者であったのである。
恭三郎は日本人渡航者たちの苦しみをみては、じっとしていられず、フィリピン政府に相談して、
これを救う工夫をするとともに、自分で漁師からいわしを買い求めて送ることにした。
続いて梅干しやたくあん漬けなどをたくさん送り届けた。
このことを聞いた日本人たちは、
「太田さんは、偉い人だ。太田さんは、有難い人だ」
と、心から感謝して元気づき、一生懸命に働いたので、間もなくフィリピンの島に、
ベンゲット道路という立派な道路が、日本人の力で出来上がったのである。
 
ところが、今度はその日本人たちに、仕事のなくなる時がきた。
早くもこの様子を見た恭三郎は、またしてもこれを救ってやろうと思い立ち、
「ダバオこそ日本人の新しく働くところだ」
こう考えて、行く末を心配する日本人たちを励ましながら、ます百八十人だけをダバオに送り、
マニラ麻を作らせることにした。
その頃、ダバオは非常にさびしいところであった。恭三郎は、まだ二十九歳にしかなっていない。
三十八年には、二度ほど日本人をベンゲットからダバオへ送ったが、
二度目の時には、自分も一緒になってミンダナオ島のダバオに移り住むことにした。
 
そうして、今までの輸入業をやめて、太田興業という新しい会社を作り、
広大な畑に麻を栽培し始めたのである。
「日本人にマニラ麻がうまく作れるものか」
と、ばかにしていたアメリカ人やスペイン人をしり目にかけて
恭三郎の会社はだんだん大きくなっていった。
それだけではなく、腕のある日本人たちは、引っ張りだこで、
みんなに麻の作り方を教えるようにさえなった。
 
「有難い。これで日本人は、ダバオに落ち着くことができる」
恭三郎は、心から喜んだのである。
恭三郎の一生の望みは、どうしたら日本人が、海外でよく栄えることができるか、
ということであった。この望みに向かって、いつも全力を尽くした。
ダバオに落ち着いたのも、せっかく苦心した麻が暴風のため一夜で倒されてしまったことがある。
その時恭三郎は、
「こんなことで、負けてなるものか」
と、雄々しい気持ちを奮い起して、日本人たちを励ましながら、
一生けんめいになって復旧に努めた。
 
また、干ばつのときに困らないよう、畠に水を引く大きな工事を始めたり、
いつも先々のことを考えながら、細かく気をつかって、仕事をした。
恭三郎は日本人のために学校を作ったり、慰安の設備をしたりした。
その上、フィリピン人も日本人にならって、幸せになるようにと大きな心から、
病院を建てたり、道を開いたり、港をつくったりした。
大東亜戦争になって、フィリピンの島々から、アメリカ人を追い払うことのできる前、
すでに恭三郎は、ダバオ開拓の父と仰がれる大きな事業を成し遂げたのである。
ダバオのミンタルというところ、フィリピン群島第一の高峰アポを背にした緑深い山の上には、
恭三郎の立派な記念碑が立っている。
(第五期(昭和十六年)・初等科修身四より)
 
 
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

反日日本人(四)

 
 
動画は是非、ご覧ください。記事を読む以上にわかり易いです。
※動画は埋め込みコードが無効となっていますので、you tubeで見るでご覧くださいませ。
 
 
 
占領協力者、共産主義者、社会主義者と反日日本人を述べてきましたが、今回は、「進歩的文化人」について述べたいと思います。
「進歩的文化人」とは私から言わせれば、所謂同胞を裏切った卑怯者です。
彼らの誕生は、戦後の公職追放へと遡ります。
反日日本人(一)でも述べましたが、占領協力者がGHQとともに行った
昭和21年1月の「公職追放令」に端を発します。
GHQは、戦後初めての総選挙を前にして、突如、公職追放令を出しました。これによって、各界の指導者21万人が職を追われ、生活権を奪われ、「格子なき牢獄」につながれました。政党の立候補者にも多くの追放該当者が出たので、政党・教職者・愛国者は大打撃を受けました。そして、その後任の公職には、占領政策に協力的であり、また極東軍事裁判に肯定的な考えの者が多く就くことになりました。
言い換えれば国の屋台骨を背負っていた方々は、公職追放され、三番手の人材が公職に就いたのです。
大学教授、文化人、有識者たちは、戦犯の汚名や公職追放を恐れて、一斉に宗旨替えし、日本の歴史を歪曲、アメリカの民主主義を礼賛して、占領政策に協力しました。エリートほど首がかかっているので、占領軍に迎合し、極東軍事裁判やGHQ製憲法を賛美・励賛し、戦前の日本を断罪しました。東大では、横田喜三郎、大塚久雄、丸山真男、大内兵衛、坂本義和などの多くの「進歩的」?な学者たちが、教授の椅子を手に入れました。
宗旨替えこそ、日本人への大きな裏切り行為です。
彼ら進歩的文化人の実態は、実は反日日本人であり、また容共的であるのが特徴です。当時の吉田茂首相は彼らを「曲学阿世の徒」と呼びました。
エリート層であった彼ら進歩的文化人に教育された学生たちが、官界、教育界、マスコミに多く送り出されましたので、今日では、彼らの弟子や門下生の人脈が、日本を支配していると言っても過言ではありません。
谷沢永一氏は著書『悪魔の思想』のなかで、進歩的文化人の代表12人の実像を、彼ら自身の発言を引用して、明らかにしています。その12人とは、先ほどの東大教授5名以外に、鶴見俊輔・同志社大教授、安江良介・元『世界』編集長・現岩波書店社長、久野収・『週刊金曜日』編集長、加藤周一・評論家、竹内好・元都立大教授、向坂逸郎・元九大教授・社会党顧問、大江健三郎・作家などを挙げています。
彼らの学説・理論・主張に共通するのは、米国の占領政策を肯定し、極東軍事裁判の追認の上に成立ち、また、祖国日本と日本人を愚かで、遅れており、罪深いものという見方も共通した認識です。それは、米ソ対立構造が生んだ、時代のイデオロギーと、反日的侮日的な自虐感情が混ざり合ったものです。
エリートとして日本的民衆を見下す冷たい視線・感情さえも感じられます。
  特に歴史と文化に対する見方については、彼らは西洋欧米の価値観によって、日本の歴史・文化を判断する傾向にあります。それは一見、客観的論理的なようでいて、実は欧米の学問の理論や概念を、日本に当てはめたにすぎないものです。歴史の概念装置について言えば、西洋史の概念である封建時代、帝国主義、ファシズムなどの概念が、日本の歴史に機械的に当てはめられます。そして、欧米と日本との偏差を、遅れや特殊性として理解しようとします。そして、日本の固有の特長を否定し、近代化=民主化=欧米化を進めようとします。日本の伝統は半封建的前近代的と一面的にしか評価されません。世界史の中での明治維新や日露戦争の評価は非常に低く、明治以降の歴史は侵略的好戦的と断じています。
まったく、彼らの論理は破綻しています。
我国の歴史、文化は固有のものであり、世界に類をみない、建国以来の民主主義国家です。
進歩的?文化人の彼らの考えの核心には、資本主義の後に歴史法則の必然として社会主義が実現する、という観念があります。言い換えると社会主義の信奉、或いは社会主義への同調です。彼らは、「戦後民主主義者」を自称していましたが、その民主主義とは、反日的で従米か従ソの容共共和主義という国籍不明の観念でしかなく、彼らに薫陶を受けた現在の日本を担っている政治家・経済界・識者・マスコミが国籍不明の輩が多いのはその影響です。
70年安保の時代には、反日左翼の影響で、多数の学生たちが安保廃棄・共産革命の運動に参加しました。その背後には、彼らを扇動する「背後の元凶」がいました。それが進歩的文化人です。大学には、革命教育をする教授連がいました。
しかも、中学・高等学校には、彼らに薫陶を受けた日教組の教師が存在しました。
その教師が民主党幹事長、興石氏であり、70年安保で挫折した反日左翼の学生、菅前総理であり、民主党議員なのです。
進歩的文化人が社会に与えた影響は図り知れません。
赤に染まった政治家を育て、世論を形成し、言論を統制し、保守勢力から政権をも奪取しました。
彼らを背後で操っていたのは、スターリンの亡霊です。正確には、1932年テーゼです。これは、国際共産党=コミンテルンの対日運動指令書です。それは、実は、ソ連の国益のためのものであり、スターリンの日露戦争の敗北に対する復讐心、有色人種への人種差別感情に満ちたものであったのです。
 
進歩的?文化人とこの記事では?を多用しましたが、早い話、1932年テーゼから進歩のない、思考を停止した、愚者にしかすぎません。
ロシア、北朝鮮の共産主義が破綻し、中共をもが、共産党一党独裁でありながら、捻じれた経済政策をとっている今日、彼ら進歩的?文化人の論理は破綻しており、「国を売る」ことを目的と」している以外に何もありません。
彼らは一切、責任をとることなく、母国「日本」を裏切り続けています。
 
「己の我欲だけを護る為に」
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、次回は今現在、病める日本の教育に巣食っている日教組について述べたいと思います
 

転載元転載元: 美しい国

沖縄でちょっとした出来事が起きました。
いや、ちょっとではない、今の沖縄の悪い縮図のようなものが見えてくる。
いや待て、沖縄だけではない。日本に巣食う日本をダメにしていく構図がそこにある。
沖縄の不幸もここにあるのではないか・・・。
 
沖縄県石垣市、与那国町、竹富町からなる八重山採択地区協議会が選定して決まった育鵬社の
公民教科書を竹富町教育委員会が反対し、ついには県教育委員会が竹富町の主張を後押しして
ひっくり返して、東京書籍の教科書を使うことになったという。
 
東京書籍はご存知の通り自虐の左翼教科書と呼べるものです。
特に公民では「地球市民をめざして」と左翼思想を教えようとしている。
これは「市民」は教えるが「国家」は教えないという偏った教科書と言えます。内容をみると、
『多文化社会』として、
「日本に暮らし税金を納めている外国人の選挙権や被選挙権について各自の意見を出して話合ってみましょう」とともに「各国の定住外国人の参政権」という表をわざわざ示しています。
『平和主義』では、
日本の軍事費はアメリカ、ロシアに次いで世界第3位となっている表を示して、
「自衛隊は自衛のために必要最小限度の実力でなければなりません」と教えてきた。
『人権』では、
「日本には約63万人の在日韓国・朝鮮人が住んでいます。その多くは、1910年の日本の韓国併合以来、移住を余儀なくされた人たちや、また、日本に連れてこられて、意思に反して働かされた人たちとその子孫です。これらの人たちは、民族の誇りを守り、さまざまな分野で活躍しています。しかし、就職などの差別はなくなっていません。また、選挙や公務員になることなども制限されています」。
領土の関する記述も日本の主権も希薄で、これぞ左派教科書といえるものです。
 
さて、今回のことは簡単に言えば、
法に従って決まった教科書が自分たちの気に入らない教科書に決まったため、
「そんなのいやだ!」と反対して、自分たちのやりたい教科書にさせたということです。
それを後押ししたのが日教組であり県教育委員と沖縄メディアだった。
自分たちの「我」を通すためにはルールも法も関係ないのです。
しかし、一方では自分たちの「我」を押し通すためには思想・信条の自由などと
憲法や法律を盾に猛反対の闘争を繰り広げているのです。
彼らの好き勝手にさせては日本の法も秩序もルールも、マナーも崩壊するばかりです。
しかし、これが日教組の目指す教育であり、それによって乱れ切った日本の姿なのかもしれない。
行き過ぎた個人主義で権利や自由を都合よく使い、責任や義務は知らんぷり。
日本の近年の多くの悲惨な事件の要因もここにあるといえるかもしれません。
 
決まるまでには議論があっても一旦決まったことには従う。
この当然のことに教育関係者ができないのだ。教育関係者として“かなり”問題です。
 
今回、各自治体の教育委員長はともに育鵬社には反対しているのだ。
それを知った上で県教育委員会は「各教育委員の多数決で決めてもらう」と迫った。
「各教委の代表者ら8人による同協議会では賛成多数で育鵬社が採択されたが、
教育委員全13人の採決では竹富町の委員5人が全員反対のため、
反対8人、賛成5人となり、採決を取った場合、逆転不採択となる。」(産経新聞)
このやり方でははじめから結果は見えているのです。
 
この地区は昨年までは日教組の意向の強い現場教員らの人気投票で決めていたため
教科書はどうしても自虐の左翼教科書になってしまう。
大体、教職員が教科書の選定に口出ししてくること自体違法であるのです。
これを八重山採択地区協議会は教育委員らが責任を持って選ぶ本来のやり方に改めたのです。
これはこの地域の状況を考えれば当然です。
ここ数年チャイナの尖閣領有を脅かす行為に直接影響するこの地域にこそ、
領土記述をきちんとなされている教科書を、ということで育鵬社の教科書を選定したのです。
 
その採択を覆した結果に地元の左翼メディアは大喜びだ。
沖縄タイムスはこう扱っている。(カッコはさくらの花びら記入)
 
玉津教育長、崎原教育長は「何のためにやるんだ」「意味がわからない」と反発、議論は平行線をたどった。(一度決まったことを再度やる必要性はない。玉津教育長と崎原教育長の言い分はもっともである)
育鵬社版に反対が過半数を占めた新聞社の世論調査を提示しながら、合意を図ろうとする委員に対し、玉津教育長は「大事なのは世論じゃなくて法律です」と譲らない。
(これも玉津教育長の言い分が正しい。法治国家なのですから)
話し合い決着が困難な状況で、石垣市の仲本英立教育委員長(同地区教育委員長)らが全教育委員による多数決での採決を提案。すると崎原教育長は「数の暴挙だ。うちは教育委員が3人しかいない。民主主義じゃない」と猛反発。玉津教育長も「多数決には屈しない、絶対意見は変えない」と抗議した。
「時間がない。今日で一本化していきたい」とする委員らの賛成多数で、多数決が行われた瞬間、玉津、崎原両教育長は突然退席。教育長室に閉じこもった。
(決まったことに反対して時間をかけているのはどちらだ。自己中心のいい加減にしろ)
「私たちは間違っていない。意思は変えない」などと訴え続けた。
「責任放棄だ」。会場には、委員や傍聴した市民からの怒りとあきれ声が飛びかった。
(委員やここにいる市民は皆反対派で日教組寄りだ。そういう声だけを書くのは公正ではない)
与那国の入慶田本朝政委員長も「冗談じゃないよ。子どもじゃあるまいし…」と吐き捨てた。
(子供じゃあるまいし? 法に則り決まったことを”いやだ!”と反対している自分こそ我がまま放題の子供ではないか)・・・・
説得は約1時間にも及んだ。玉津教育長がようやく姿を見せ、協議が再スタートした。
育鵬社版の不採択が決まった瞬間、会場では静かにするよう指示されていた傍聴人の間から「よかった」という小声と拍手が起きた。中学生の子どもがいる男性(50)は「生徒のための教科書が選ばれて本当に良かった。保護者の願いがようやくかなった」と喜んだ。
玉津委員長は育鵬社版の不採択に憮然とした表情。最後まで協議会場に戻らなかった崎原教育長は、別の部屋で女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の対北朝鮮戦を観戦したり、たばこを吸ったりしていた。
(ここに印象操作がみえみえです。偏向左翼メディアのいつもの手だ。読者はこのように書いている意図を見抜かねばいけない) 
9.9沖縄タイムス)
 
この偏った新聞。これが今の沖縄を象徴するメディアなのです。
沖縄の不幸の大本は琉球新聞も含めてこんなバカ新聞が主流を占めていることにあるといえます。
自分の主義主張がすべて正しいという論調はバカバカしくて読んでいられない。
もはやこんなもの新聞とは言えない。池田教の聖教新聞顔負けである。
 
沖縄県内で教科書採択の法的権限を持つのは地区の教科書採択協議会です。
地区教育委員会で採択に違法性がない限り、協議会の答申のまま教科書採択を決定することになっているのです。
これを気にいらないからと言って反対するのは無償措置法にも反し法的採決もルールもない。
まさに日教組教育の姿ここにありだ。
 
学校教育、こんなことで日本はこれからいい国になるのか。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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