日本の感性をよみがえらせよう

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日本人として

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自画像を描く権利

国際派日本人養成講座からの転載です。現在多くの日本人が抱いている日本という国へのイメージつまり自画像は、実は戦後にGHQによって洗脳されて抱くようになったものである場合が多いのです。学校で教育される歴史、それは戦前と戦後ではまるで違います。誇りある先人の歴史は、今の学校教育では習うことはなくなりました。

■1.幸福そうなフランス人■

ワールドカップの喧噪のさなか、ある国際会議に出席するために
筆者はパリにいた。フランスが決勝リーグで勝ち進んでいた時期で、
一試合勝つ毎に、多くの若者が車から半身を乗り出しで国旗をはた
めかせ、クラクションを鳴らしながら、シャンゼリゼーを走り回っ
ていた。

会議を終えてメトロに乗ると、ちょうど帰宅時間のラッシュアワ
ーで、ほとんど満席だった。立ったまま、ぼんやりと社内の風景を
眺めていると、きりっとした格好のビジネスマン、デートに出かけ
るのか、しゃれた、しかし決して贅沢ではない出で立ちののパリ・
ジェンヌ。時折メトロに乗り込んでは、シャンソンをアコーディオ
ンで演奏して、小銭を集めている流しの芸人、、、

そんな光景をぼんやり見ているうちに、ふと、フランス人は日本
人より幸福そうだな、と思った。東京や大阪なら、一日の勤めを終
え、疲れ切った表情のサラリーマンやOLが多い。経済的にはフラ
ンスは日本よりも貧しく小さな国なのに、なぜ人々はこんなに満ち
足りた表情でいるのだろう。人々は自信と余裕に満ちた表情で、そ
れぞれの生活を楽しんでいるように見える。

今の日本が不景気で、明日への展望が見えないせいだろうか。い
や、高度成長の頃も、バブルの絶頂期でも、仕事に忙殺されるだけ
で、ゆとりや落ち着き、自信などというものはなかったように思う。

■2.フランス人の自画像■

フランス人の落ち着きと自信はどこから来るのか? そのヒント
は、翌日見物したベルサイユ宮殿で見つかった。その壮麗な建物の
南翼は、長さ百メートル、幅七、八メートル、高さ十メートルほど
の「戦闘の回廊」となっており、天上まで届く油絵がずらりと並ん
で、フランス王国の歴史的場面を描いている。

絵画の間には、いかにも勇敢で高潔そうな表情をした歴代の将軍
達が大理石の胸像となって並んでいる。フランスの子供達はこの空
間を歩くだけで、自分の生まれた国の輝かしい歴史を誇りに思い、
そしてそれを継承しようという志を抱くだろう。

フランスは、ファッションや料理、絵画、文学などの世界中の人
々のあこがれる文化を輸出している。しかし、それだけではない。
中世以来、フランスはヨーロッパ最大の大国として、長い栄光の歴
史を誇ってきた。その自画像に自足し、偉大な国民として生きてい
るという実感こそが、フランス人の幸福な表情の原因ではないのか、
無数の巨大な歴史絵画に圧倒されつつ、私はそんな事を思った。

■3.革命の犠牲者200万人■

数年前華々しく二百年祭を挙行したフランス革命も、その栄光の
歴史の輝かしい一頁である。

わが明治維新も、この革命の遠隔作用のもとになしとげられ
たと言える。しかし、この偉大な革命の真価が日本人に理解さ
れるまでには、長い年月が必要であった。[1,p4]

と賞賛されるフランス革命だが、その内実は、反乱、暴動、虐殺、
政治裁判、ギロチン、陰謀、暗殺、戦争がうんざりするほど延々と
続く。

たとえば、革命政府のカトリック教会弾圧やルイ16世幽閉に反
対して立ち上がったフランス西部ヴェンデ地方の農民は徹底的に掃
討された。

ヴェンデはもはや存在しない。女子供もろとも、われわれの
自由の剣のもとに死んだのだ。私は彼らをサヴネの沼に葬った。
子供たちを馬で踏みつぶし、女たちを虐殺したから、野蛮が生
まれることもない。囚人を一人でも残したと咎められるような
ことはしていない。すべて処分した。...道という道は死体で
埋まっている。死体が多すぎるので、何ヶ所かではピラミッド
のように積み上げねばならなかった。

この地方を組織的に破壊し、反乱者を殺戮するよう命じた国民公
会の指示を忠実に実行したフランソワ・ウェステルマン将軍の報告
である。大砲での処刑、船倉に閉じ込めたままの溺死刑、子供を馬
で蹴り殺す刑等々、犠牲者は約40万人に上る。

また都市部では、ギロチンによる粛正の嵐が続いた。

グレーブ広場で、ついで革命広場と転覆王座の壁でギロチン
がたえまなく働きつづけ、多いときには連日、5,60人の犠
牲者が荷馬車で運ばれてきた。パリでは、革命政府が活動を始
めた1793年3月から、「テルミドール9日」でロベスピエール
が没落する1794年7月までに、1862名が処刑された。テルミド
ール後の処刑まで含めると最終的には2639名が犠牲となった。
斬首されたのは、貴族よりも職人や小商店主の方が多く、狂信
というより惰性から処刑が行われた。

このような恐怖政治が、各地で行われた。最終的な犠牲者は200
万人に上ると推定されている。[2]

■4.革命の暴走・迷走■

「自由、平等、博愛」という人権宣言の精神ですら、その作者はオ
ランダとの交渉の中で、こう語ったと伝えられている。

そのさい、フランス側の過酷な条件をおしつけて、24時間
以内の回答を強要した代表は、ほかならぬシェースであった。
オランダ代表が、「人権宣言」の作者が弱国をこんなにいじめ
るのは、どうしたことかと嘆いたのに対して、シェースは平然
として、「原理は学校のためにある。権益は国家のためにあ
る」と答えたという。[1,p31]

前節の農民虐殺や恐怖政治を見れば、シェースのこの言葉を待つ
までもなく、「自由、平等、博愛」がいかに革命の実体とかけ離れ
た空虚なスローガンであったかがわかる。

フランス革命が最初から王政打倒を狙ったものではなかったのは、
革命のシンボル、三色旗の真中にブルボン王家を象徴する白を挿入
している事からも明らかである。しかし封建貴族達は国外亡命し、
外国勢力と結託して革命つぶしを狙い、ルイ十六世も他国の王室に
フランス侵攻を依頼する「売国」的な行為で愛想をつかされ、革命
の熱狂のはずみで処刑されてしまう。

だが、近代国民国家を作り上げるには、国民統合のための中核が
不可欠であり、結局それを求めて、その後八十年もの間、フランス
人は振り子のように共和制と王政・帝政を繰り返す迷走を続けなけ
ればならなかった。

■5.明治維新とフランス革命■

こうしたフランス革命の遠隔作用のもとになしとげられたと言わ
れる我が明治維新の実態はどうなのだろうか。

ルイ十六世に相当するのは、封建領主の頭目たる徳川慶喜である。
慶喜は外国勢力の介入を排除し、自ら大政奉還を行う。国外から革
命をつぶそうとしたフランス貴族とは正反対に、日本の武士は維新
の中心となり、さらに自らの特権を放棄して四民平等を実現した。
そして「王政復古」の形で、皇室を統合の中心に据え、あざやかに
近代国民国家建設を果す。

明治維新全体での犠牲者も西南戦争を含めても、2〜3万人と、
フランス革命の200万人とは、2桁も少ない。

また政治制度のうえでも、明治維新以後わずか二十余年でアジア
最初の議会をつくって、近代的な憲法を持った。有権者の対人口比
は1.1%で、革命40年後のフランスの有権者の比率は0.6%よ
りは進んでいる。[3]

大虐殺、粛正、その後のナポレオン戦争、そして帝政への揺り戻
し、と二転三転したフランス革命に比べれば、わが明治維新とは、
民族の叡智と自己犠牲の精神が主導して、はるかにスムーズに国民
国家建設に成功した、世界史上にも希な例と言えるのである。

■6.自虐的自画像の押しつけ■

とはいえ、いまさら日本人がフランス革命を貶めて、彼らの自画
像にケチをつける必要もない。彼らなりに「自由、平等、博愛」を
世界に先駆けて唱えた自らの先祖を誇りとし、子孫としてその理想
の継承を志す事に異議を唱える権利は他国民にはないのである。

しかし、日本人がこうしたフランス人の自画像を受け売りして、

主権在民の精神が日本の憲法に明記されるためには、さらに
数十年、昭和二十一年まで待たねばならない。[1,p4]

とまで卑屈になるのは愚かしい。日本人にも、自分自身の自画像
を描く権利があるはずである。

フランス人の幸福そうな表情は、自らの自画像に誇りと自信を持
ち、そこに現れた先祖の理想を継承発展させようと志す所から来る
ようだ。とすれば、上記のような「自虐的」自画像を押しつけられ
ている現代日本の青少年は、幸福になる権利を奪われているとも言
える。

「幸福追求の権利」は日本国憲法第十三条に謳われているのだが。

[参考]
1. 世界の歴史10、フランス革命とナポレオン、桑原武夫編集、
中公文庫、S50
2. 「戦後憲法の原型」とは何だったのか、明日への選択、H9.8
3. 私が反日歴史教育に挑んだ決定的な動機、藤岡信勝、正論、H9.1

■ おたより: ゆーやさんより

自由・平等はともかく、博愛の名の下になぜ戦闘や処刑ができる
のか、謎でした。シェースのことばの引用を読んで得心しました。

「博愛と訳されていることばは、身内に対してむけられる愛であ
って、兄弟愛と訳すべき。人類愛的な博愛という訳語は正しくな
い」と、小学生か中学生のころに担任から聞いた事があります。
フランス語を解しませんので、単語の意味がそうなのか、革命の実
態を考えるとそう訳すべきということなのかはわかりませんでした
が。

■編集長より

博愛と訳されているfraternite(英語ではfraternity)とは、
先生の言われるとおり、兄弟愛とか同志愛と訳すべきでしょう。
時に共通の目的で結ばれた団体の中での結びつきを意味します。オ
ームやナチスや共産党の中でも同志愛ならありますよね。

多くの市民をギロチンに送り、また自らもギロチンにかけられた
ロベスピエールは、「共和主義者以外は共和国の市民ではない」と
述べています。ということは、共和制に賛成しない人間は、その市
民としての権利を認めず、殺しても良いということになります。

さらにロベスピエールの友人、サン・ジュストは、「共和制はそ
れに反対するいっさいのものを絶滅することによって成立する」と
語っています。殺してもよいどころか、積極的に絶滅すべきだ、と
いうのです。この意味でも、フランス革命はまさしく後のロシア革
命や中国の文化大革命の先駆と言えましょう。

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悠仁親王殿下 御尊影
 
平成18年9月6日、秋篠宮文仁親王妃紀子殿下が男子をご出産あそばされた。命名の儀にて悠仁(ひさひと)親王殿下と命名あそばされた。秋篠宮文人親王殿下以来、皇室に約41年ぶりの親王殿下の御誕生でした。
あれから5年、お健やかに御成長あそばされ、臣民の一人としてに心からお祝い申し上げます。
誕生時には、インドネシアのユドヨノ大統領など21か国の元首から天皇陛下・皇后陛下へ、31か国の元首から天皇陛下へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた。

皇室に関することは、皇室典範という法律に定められており、皇室典範は、戦前は憲法と同格の地位にありましたが、戦後は一般の法律と同じ位置づけになっている。国会で制定がされ、改正もされる。
皇室典範は、皇位つまり天皇陛下の御位を継ぐ方について、皇統に属する男系の男子と定めています。
男系とは、家系における男性の系統。皇室においては、父方を通じて天皇陛下とつながっている系統である。また、父親・祖父などが天皇であり、男性をたどっていくと天皇陛下とつながっている方を、男系の方と言う。
 
悠仁親王殿下は、皇位継承順位において、皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下に継ぐ第3位となられます。皇太子徳仁親王殿下・秋篠宮文仁親王殿下の下の世代には現在、内親王殿下であられ、今後、もし皇太子徳仁親王殿下に男子がお誕生にならない場合は、悠仁親王殿下が将来皇位を継承されることなるでしょう。悠仁親王殿下のご成長で、ひとまず、皇太子徳仁親王殿下の世代の次の世代に天皇陛下になられる方が得られた。
しかし、悠仁親王殿下御誕生によって、問題がすべて解決したわけではなく、いまのままでは、将来皇室には、悠仁親王殿下お一人しかいらっしゃらなくなるかもしれないのです。
 
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皇室
 
 
 
系図をご覧いただくと、理解し易いのですが、三笠宮崇仁親王殿下に繋がる女王殿下、今上天皇陛下に繋がる内親王殿下は、はご結婚されると皇籍を離れあそばされる。
このままでは、皇室はますます縮小し、先細りになってしまいます。
 だから、いま私たち臣民は皇室について真剣に考え、皇室の存続と皇位継承の安定を願っていかねばなりません。
 日本文化をよく知る外国人の中には、日本の最大の特徴として、皇室の存在を挙げる人が殆どです。彼らには、これは大きな驚きなのだ。古代から今日まで帝室がずっと続いているということなど、諸外国では考えられないことなのです。しかも、男系男子により『血筋』を『神代』から継承している万世一系の皇室の伝統に日本人でありながら、このことに気づいていない人が多い。
 日本の国柄は皇室を中心とした一大家族制度のようになっている。これは、人為的でなく自然につくられてきた実に優れた合理的な組織であると説いている。
 こうしたわが国に伝わる伝統は、人と人、人と自然が調和して生きる人間の生き方です。家庭では、親子や夫婦が調和して生きる。また、祖先を敬い、子孫の繁栄を願って生きる。そうした家族が多数集まって、一つの国を形成しています。その国の中心には、皇室があり、国民が皇室を中心とした一大家族のような社会を築いているのです。
大東亜戦争後の昭和天皇陛下巡幸、東日本大震災での天皇陛下、皇后陛下、行幸啓、皇族方の行啓、に見る皇室と国民との紐帯。これが日本の伝統的な国柄です。これは人為的に作ったものとは違い、自然に作られてきたものであり建国以来我々の祖先と、皇室が長い年月をかけて醸成した國體の精華なのです。
 このような伝統を持つわが国において、皇室の存在は、極めて重要なものであります。
扇で言えば、要にあたる。美しい扇も、要をはずすとバラバラになってしまいます。
大東亜戦争後、我国は本来のわが国の姿を見失っています。
GHQは、占領政策の目的を、日本が再び米国及び世界の脅威とならないようにおき、日本の弱体化を図りました。弱体化の政策が計画・実行されました。
 最大の問題点は、天皇陛下のご存在です。教育勅語・国史・修身の廃止。これはわが国独自の歴史や道徳観を否定するものだが、わが国の歴史・道徳は、天皇陛下と国民の結びつきなくして考えられない。
しかも神道指令は、国家と神道の結びつきを断つものであり、いわゆる人間宣言は、天皇陛下の神聖性を否定するものでした。最大の施策は「日本国憲法」であり、現行憲法は天皇陛下の権限を少なくし、伝統的な役割を損ねるように仕向けました。
 一連の政策は、天皇陛下の権威を引き下げ、天皇陛下と国民の紐帯を弱めるものでした。これが、日本弱体化政策の核心となったのです。
GHQは占領統治を円滑に行なうために皇室のご存在は認めたものの、皇室を縮小させました。皇族に経済的な圧力が加えられ、11の宮家が廃絶され、51人の皇族が臣民と同じ立場になりました。残ったのは、直宮(天皇の子や兄弟の宮)のみでした。一気に消滅させようとすると、日本人による抵抗・統治が困難なため、徐々に皇室が衰退していくように仕組んだものなのです。
 そのため、戦後の皇室は、苦難の連続でした。皇籍を離れられた宮家の苦労は厳しいものでした。
皇室の運命と国民の運命は切り離せない。教育勅語で教育を受けられた世代の大変な努力によって、戦後の復興がなり、経済成長がされ、今日豊かな社会を私たちは享受しています。しかし、日本弱体化政策の効果は、近年になってじわじわと表われてきています。
 
国民の大多数は、皇室の伝統を知らず、女性天皇と女系天皇の区別も知らなかった。今もまだその深い意味を知らない人が少なくない。知識不足のまま、世論は女性天皇を支持し、女系継承でもよいという方向に傾いていた。
小泉元首相は通常国会で、有識者会議の答申内容に基づいて、皇室典範を改定するという強硬な姿勢だった。政治家の多くは、有識者会議の答申内容をよく吟味することなく、多数決によって皇室典範の改定を決めようとしていました。
平 成十八年三月七日、東京の日本武道館で「皇室の伝統を守る一万人大会」が開催され、一万三百人が集った。
金美齢氏(当時、台湾、総督府国策顧問)が次のようなことを述べた。
 「紀子妃殿下ご懐妊と聞いたとき、一瞬、神風が吹いたと思った。大戦の時、私は台湾にいたが、日本人として生きていた。2600年の歌を歌った。必ず神風が吹くと信じていた。しかし、その時は、神風は吹かなかった。どうして今、その神風が吹いたのか。皇室典範の改定は、大戦よりも日本の骨格を揺るがす国家的危機だからではないかと思った」

神風が吹いたとは、まさにそのとおりです。
しかも、待望の親王殿下御誕生でした。
 
しかし、今日でも女帝・女系容認論の議論は続いています。
悠仁親王殿下の御誕生によって、日本人は貴重な時間を与えられたのではないか。この間に、日本の国柄、皇室の伝統について、私たちは理解・認識をもっと深めていく必要があるのではないでしょうか?
戦後、臣籍降下した11宮家のうち、現存しているのは6家。うち5家に、皇太子より若い男子が14名おられ、うち8名は独身という。敬宮愛子内親王殿下の年代の男子も3名いらっしゃいます。もとは皇族の方々だが、終戦後、GHQによって半ば強制的に皇籍離脱した家の方々です。こういう方々に、皇族に復帰していただいてはどうかという意見もあります。
旧皇族の復帰には、反対論・慎重論もあり、またそれへの反論もあり、これから本格的な議論が行なわれるでしょう。皇室の伝統を維持するために、慎重な上にも慎重な検討を重ね、国民の叡智を集め、適切なあり方を求めていくべきです。
 現在何もしないでいれば、その時、宮家はみな絶家になっており、敬宮愛子内親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下の皇族方もご結婚によって皇籍を離れています。悠仁親王殿下が、たったお一人になっているということになりかねません。
 
一臣民が皇統を論ずるのは不敬ではありますが、無知な為政者、皇室を貶める為政者・学者に委ねるのは危険です。
今上陛下、皇族方の思いが最も尊重されるように・・・・
 

悠仁親王殿下のお健やかなるご成長を願って・・・


 
 
 



皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
皇室 彌榮 彌榮 彌榮
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
 
悠仁親王殿下 萬歳 萬歳 萬歳
 
 
 

転載元転載元: 美しい国

来年春からの公立中学校での教科書の採択で自由社や育鵬社を狙い撃ちした採択妨害が
各地で起きているという。妨害されるほど自由社や育鵬社がひどいのだろうか。
 
自由社は、
「占領期間中にその国の憲法まで変えることは行き過ぎで、戦時国際法で禁止されていました」
と日本国憲法の成立過程が国際法違反だと書いている。
育鵬社は、
「議会審議では、細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択されました」と議会審議が統制されていた事実を書いた。
至極まっとうである。これを書かない方が問題であります。
 
 
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昨日の新聞に宝島社の企業広告がありました。
「いい国をつくろう 何度でも」
 
しかし、今の日本は日本を「いい国」と言ったら空幕長を辞めさせられる国なのだ。
日本をいい国にしよう、と言ったら「とんでもないことだ!」と叱られそうだ。
 
しかし、よりによってこの広告の写真は昭和20830日のマッカーサーが厚木基地に来たときのやつだ。
これでは「戦後のマッカーサーがやったような、いい国をつくろう」
ということにしか受け取れないが、
おかしくないか?
 
いい国をつくろう、で田母神閣下とはいかずとも、
明治維新や明治天皇というような発想はなかったのか? 疑問があるところです。
 
しかもこの広告掲載の日は野田内閣発足の日でありました。
宝島社はこの企画は6月からあったというが、広告の出来はよくないが、余りにも出来過ぎた話だ。
 
宝島社は広告の意図をこう説明したようだ。
「敗戦や災害など、これまで幾度となく苦境に直面してきた日本。
日本人はそのつど、不屈の精神と協調性を武器に国を建て直してきた歴史があります。
世界のどこを見ても、これほどしぶとく、強い生命力を秘めた国民は存在しないのではないか。
そんな気さえするのです。『いい国つくろう、何度でも。』この投げかけを通じて、
日本人が本来持っている力を呼び覚ましてみたいと考えました」
 
一見もっとものようですが、ここにあるような国の立て直しに必要な、
不屈の精神と協調性、更には勤勉で、嘘をつかず、約束を守る、という日本の精神は、
やはり戦前の教育、教育勅語や修身に学んだ人たちがたくさんいたから成し遂げられた面が多い。
しかし、戦後教育は民主主義という名のもとに個人主義、権利、平等、自由といい、
強制はよくない、手をあげる体罰はよくない、まして根性や精神教育などは日本の悪しきモノの如く、
葬り去られている昨今だ。
戦前のよき教育を失ったのもマッカーサーの占領下でのことだ。
 
マッカーサーが厚木に来た前日の829日、
大統領のトルーマンはマッカーサーに「米国政府の初期の対日方針」を通達しました。
そこには、
「日本国が再び米国の脅威となり、または世界平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」
とある。
そして、マッカーサーの検閲30項目、神道指令などにより日本のよき伝統を壊した。
これはOSSから指示されたものであった。
これらはもはや「いい国をつくろう」というものではない。
 
1920年代のアメリカはアメリカ共産党が結成され共産主義の脅威にさらされましたが、
連邦法に基づく大統領令で共産党を取り締まり全員逮捕しました。
その残党が日本の敗戦後にGHQに潜り込んでやってきたのです。
アメリカで出来なかった社会主義政策を日本でやろうと“近代化”や“民主化”と言って
農地改革、財閥解体、労働組合という指令を出し、
昭和23年までの日本はまるで社会主義の実験場のようでありました。
 
また、日本破壊に貢献するのが日本の共産主義者たちの跋扈です。
マッカーサーとやって来たハーバード・ノーマン。
彼の最初の仕事は104日「マッカーサー指令」により、
徳田球一、志賀義雄ら16名の共産党員を府中刑務所から釈放することでした。 
 
この志賀義雄は昭和27年、日教組の教育を見て
「何も武力闘争などする必要はない。共産党が作った教科書で社会主義革命を信奉する日教組の教師がみっちり反日教育を施せば三、四十年後にはその青年が日本の支配者になる。教育で共産革命は達成できる」と言った。
こういう連中が日本を左傾化させていったのです。
 
GHQ労働課長セオドア・コーエンは
「日本の革命占領政策は日本民族のフリーメイソン化政策、家庭の崩壊、世代間断絶、国民無気力化に眼目を置いた」と言い、
マッカーサーはホイットニー民政局長に「華族廃止」を指示し、
14宮家のうち11宮家が廃止され、残ったのは昭和天皇の弟君の秩父宮、高松宮、三笠宮だけとなった。
 
このようにマッカーサーのやったことと「いい国をつくろう」というのは相容れないものではないか。
・・・・・・ 
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

ご遺骨が語る大東亜戦争の真実
                                                                                                チャンネル桜キャスター
                                                                                                戦後ジャーナリスト
                                                                             佐波優子
大東亜戦争で戦った全ての将兵に感謝の声を!
 
私は、今でもずっと耳に残り忘れられない事があります。
ある日本人が将兵に向かって、口汚く
日本軍は残虐な侵略行為をして、今でも私たちは恥じている
罵(ののし)って去った後に、悲しそうに呟(つぶや)かれた将兵の言葉です。
 
 
「わしらは長生きしてはいけなかった。戦争で悪いことをして憎まれている」。
私は胸がはり裂けんばかりの辛い思いでした。

戦後日本は、アメリカの日本弱体化政策に操られ、日本の為に戦った将兵を、
ずっと悪者扱いにしてきました。生まれてくる子供達、孫達のことを思い戦った
将兵の方々は、その孫達から、悪人と敬遠されてきたのです。
 
 
どんなに辛く悲しい思いをしてこられたことでしょう。この悲しい思いを払拭し、
大東亜戦争を戦って下さった全ての将兵に感謝する空気に満ちた社会を
一刻も早く実現するために尽力して行きたいと思います。

特に、私は今、靖国神社に参って、英霊に感謝を捧げるのと同様に、ご存命中の
将兵の方々にも感謝の思いをお伝えしたいと思い、
 
 
 
「祖父達の戦争体験をお聞きする孫の会」を立ち上げました。若い方々に
大東亜戦争の真実を知って貰えば、感謝の心が芽生えると思ったからです。

さらに、祖国を守ろうとされた将兵の方々の精神を継承し、そのご苦労の一端を
偲びたいと思い、予備自衛官にもなりました。ここから、先人が死を賭した祖国の
防衛を真剣に考えて行きたいと思います。
 
 
 
駐:私の父は海軍でした。詳しい事はわかりません。この文章の如く何も語らず。
  家族の為に黙々と働き90歳近くで亡くなりました。母が言ってました。
  お父さんは、おじいさん(母の父)が手をまわして死なないように戦地に行かせ
  なかったから、おじいさんを憎んでると言っていたのを思いだします。当時は
  分かりませんでしたが。この頃父も生き残った事に恥じていたのではと思う
  ようになりました。
 
  年若くして試験を受けて海軍に入ったようです。職業軍人です。この記事を
  目にする前に私の父は海軍で何をしていたのだろう、調べて見たいと思って
  いた所です。それと生き残った軍人さん達が恥じる事無く元気に明るく生きて
  欲しい、又私達も感謝する国民にならなければならないと、佐波さんとまったく
  同じ考えを持っていました。
  
  それと妻の父も赤紙で陸軍に召集され、ソ連に抑留されていました。明るく
  面白、可笑しく、シベリアの話をしてくれました。トイレは穴を掘って丸太を
  渡してするようですが、朝になると固まっているので、つるはしで壊すんだと
  また、濡れタオルも一度回転しただけでカチンカチン氷りタオルが立つと
  笑いながら話してくれました。
  
  唯1度伊藤忠の瀬島龍三も抑留されていたのを話したら、初めて怒った顔して
 、あいつらは高級士官だからわしらと違う都会の方で待遇が全然違う。と言った
  のを聞き、本当は死ぬか生きるかの苦しみを味あわれたのを感じました。
 
  ※軍籍簿の調べ方などお知りの方いましたら教えて下さい。
 
 
 

転載元転載元: サイタニのブログ


       昭和38年 靖国に参拝した米空軍士官学校士官候補生たち  

 御来訪感謝申し上げます。

 昨日16日でお盆が終わりました。今年も靖国参拝が叶わず残念だったのですが、産経新聞系のイザブログでワシントン特派員の古森義久記者が、5年前の小泉政権時に米国の学者が産経新聞に寄稿した「小泉首相の靖国神社参拝への国際的考察」を紹介していました。靖国というと、とかく感傷的になりやすい日本人とは違い、米国人らしいあくまでも理詰めで靖国の存在意義について説いている、素晴らしい論説文です。
 お読みになった方もいらっしゃると存じますが、当ブログでも引用紹介させていただきます。


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 【靖国参拝の考察】ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006年05月25日 産経新聞 東京朝刊 1面

 ■毎月訪れて、敬虔さ示せ 
 私は日本の近代史、とくにナショナリズム、民主主義、文化などを専門に研究する米国人学者として、靖国神社をめぐる論議には長年、真剣な関心を向けてきたが、自分の意見を対外的に表明することは控えてきた。靖国問題というのは日本国民にとって祖国への誇りや祖国を守るために戦没した先人への心情にかかわる微妙な課題であり、あくまで日本国民自身が決めるべき内面的な案件だと考えてきたからだ。

 ところが最近、中国だけでなく米国の論者たちが外部から不適切な断定を下すようになった。だから私も日本の自主性への敬意を保ちつつ、遠慮しながらも意見を述べたいと考えるようになった。私の意見は日本の国民や指導者が自らの判断で決めたことであれば、靖国参拝をむしろ奨励したいという趣旨である。その理由を、これまでの論議でほとんど語られていない観点からの考察も含めて説明したい。

 民主主義社会の基礎となる個人の権利や市民の自由は他者の尊厳への精神的な敬意が前提となる。とくに敬意を表明する相手の他者が死者となると、それを表明する側は目前の自分の生命や現世を超えた精神的、精霊的な意味合いをもこめることとなる。

 死者に対しては謙虚に、その生前の行動への主観的な即断は控えめに、ということが米国でも日本でも良識とされてきた。死者を非難しても意味がないということだ。ましてその死者が祖国のための戦争で死んだ先人となると、弔意には死の苦痛を認知できる人間の心がさらに強い基盤となる。その心の入れ方には宗派にとらわれない信仰という要素も入ってくる。

 以上が現在の米国でも日本でも戦没者を悼むという行為の実情だろう。小泉純一郎首相の靖国参拝もこの範疇(はんちゅう)であろう。首相自身、自分の心情を強調し、政治的、外交的な意味を否定しているからだ。それに対し外部から無理やりに政治や外交の意味を押しつけ、参拝の中止を要求することは人間の心を排除し、民主主義の基本を脅かすことになりかねない。個人の精神の保ち方や信仰のあり方が脅かされるからだ

 だから私は挑発的と思われるかもしれないが、小泉首相に年に一度よりも頻繁に、たとえば毎月でも靖国を参拝することをまじめに提案したい。そうすれば首相は反対者の多くが主張するように戦争や軍国主義を礼賛するために参拝するのではなく、生や死に対する精神、信仰の適切な応じ方を真に敬虔(けいけん)に模索するために参拝していることを明示できる。その明示の最善の方法は信仰にもっと積極的になることであり、そのために儀式上どのような祈念の形態をとるかは首相自身の権利として選べばよい。

 首相は戦没者の慰霊には靖国ではなく千鳥ケ淵の無名戦士の墓のような所に参ればよいという意見もある。しかし普通、生きている人間が死者に弔意を表することには現世を超越した祈りがこめられる。信仰とはまったく無縁の世俗的な場での戦没者への追悼では遺族にとっても重要な要素が欠けてしまう。国家としての追悼として不十分となる。

 米国でもアーリントン墓地での葬儀や追悼にはなんらかの信仰を表す要素がともなうことが多い。往々にしてキリスト教の牧師らが祈りの儀式を催す。葬儀が教会で行われるのも同様だ。日本でも葬儀が寺や神社で催されるのは、別に参加者が一定の宗派の信者でなくても、死者に対し精神あるいは心情からのなにかをささげるからだろう。靖国参拝も現世を超えるそうしたなにかをともなう慣行だといえる。靖国に参拝するためには神道の主義者でも信者でもある必要はないのだ。この事実は靖国参拝が特定の宗教への関与ではないことを裏づけている。宗派を超えた深遠な弔意表明とでもいえようか。

                ◇

■教皇庁も認めた「慣行」

 小泉純一郎首相の靖国参拝はいまや現代の政治課題にされてしまったが、その靖国問題に少し距離をおき、歴史をさかのぼってみよう。一般に靖国をめぐる論議は戦後だけのことと思われているが、実際には戦前の一九三〇年代にも似た現象があった。三〇年代の日本といえば、多くの歴史学者は個人の自由が抑制され、とくに宗教の自由は国家神道で阻害され、なかでも日本のキリスト教徒たちの自由や権利が、靖国神社により侵されていたとみなしがちな時代である。

 だが現実はそうではなかった。日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。

 だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。

 その結果、日本のカトリック教徒は自由に靖国を参拝するようになったが、ローマ教皇庁が事実上の独立国家として日本政府の「靖国参拝は宗教的慣行ではない」という見解を尊重したことの意味は大きい。日本国民の自国への独自の価値観や愛国心をそのまま認めたということだからだ。日本という主権国家の内部での慣行への尊重だといえる。しかも、さらに重要なのは教皇庁が戦後の一九五一年にも三六年の靖国参拝に関する決定を再確認し、現在にいたっているという事実である。

 戦後も敬虔(けいけん)なキリスト教徒だとされる大平正芳氏や吉田茂氏などの首相が靖国に参拝している。参拝しても神道の宗教行事への参加ではないからだ。小泉首相の参拝も同様である。私人か公人かという区分も意味がない。米国ではブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても公私の別はだれも問わないし、それが宗教的礼拝であっても、米国内の仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。

 小泉首相の靖国参拝はA級戦犯合祀(ごうし)のために戦争の正当化となるからよくないという主張がある。私は、靖国が決してA級戦犯だけでなく、祖国の戦争のために亡くなったすべての人たちの霊をまつった神社であり、その先人たちの行動を絶対の正確さで善か悪かを判断する立場には現代の私たちはないし、戦犯とされる人の霊に弔意を表したから、その人の生前の行動すべてに賛意を表明するわけでもない、と反論したい。

 生きる人間は生や死に対し謙虚でなければならないとも思う。国家の指導者に対しては、彼らのいまの政策にはいくらでも反対し、非難もできる。だが遠い過去に死んでしまった故人の行動を非難しても、もう故人は弁護はできない。死者の行動の善悪をはっきり断定できるほど、私たちが完璧(かんぺき)だとも思えない。戦没者への弔意表明に関する限り、過去の戦争の是非のような判断は未来の世代、次の世界、あるいは神に委ねることが適切だと思う。

 米国では南北戦争で敗れた南軍将兵の墓地が連邦政府の資金で保存され、政府高官を含めて多数の米国人が訪れる。国立のアーリントン墓地にも一部の南軍将兵が埋葬されているにもかかわらず、歴代大統領が訪れ、弔意を表す。南軍はアメリカ合衆国に敵対して反乱し、しかも奴隷制を守るために戦った軍隊だった。

 小泉首相の参拝反対への理屈をそのまま使えば、米国大統領が国立墓地に参拝することは南軍将兵の霊を悼むことになり、奴隷制を正当化することともなってしまう。だが、米国の歴代大統領も国民の大多数もそうは考えず、戦没者のすべてが子孫からの敬意を受けるに値すると判断し、実際に弔意を表するのだ。日本側でそう考えたとしても、どんな支障があるのだろうか。

               ◇

■慰霊への干渉は不当
 中国政府が小泉純一郎首相の靖国神社参拝を軍国主義や戦争の美化と結びつけて非難することは あまりにも皮肉な倒錯である。
 いま中国が異様なほど大規模な軍拡を進めていることは 全世界が知っている。
 その軍国主義の中国が日本の首相の神社参拝をとらえて、軍国主義だと非難するのだ。
 首相が神社に参拝するからその国が軍事的だという主張は 悪い冗談のようであり、 靖国をあくまで糾弾するのならもっと真剣な理由を探してほしい。

 靖国参拝を軍国主義と結びつけるのは中国側の口実にすぎないのだ。中国が靖国を攻撃する背景には 政治や外交の武器にするという目的以外に、信仰や宗教を脅威とみて、反発するという現実がある。
 中国政府は共産党員に主導され、共産主義者はみな公然たる反宗教の無神論者だ。
 共産主義の教理上、あらゆる宗教や信仰を 本質としては認めないという立場であり、その非民主的な指針を民主主義の外国である日本に押しつけようとしているのだ。
 その指針の適用の行き着く先は、市民の自由や人権の弾圧となる。

 中国は日本のA級戦犯を非難するが、東条英機氏らがたとえどんな悪事を働いたとしても、毛沢東氏が自国民二千万以上を 殺したとされることに比べれば軽いだろう
 だが毛氏は死後に中国で最高の栄誉を与えられ、国民が弔意を表する。
 中国が日本に対して主張する理屈に従えば 生前の「犯罪」のために弔意を表してはならないことになるのだろうが、私は中国人が毛氏の霊に弔意を表する権利を認めたい。
 外部の政府や人間の関知することではないのだ
           

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 字数制限の関係上、敬天のコメントは控えますが、平素“反靖国”を標榜する連中の主張が見事に論破されています。
 
 


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