日本の感性をよみがえらせよう

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今亡き、大兄・敬天愛人(ブログ名)さんのご遺志を継ぎこの記事を書かせて頂きます。
戦後、今以って日本国憲法に指一本触れることもできないこの憲法とは何なのか。
ユダヤ人モルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』より掲載させて頂きます。
 
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「日本国憲法」。
日本人はいまだ、この憲法の本質がユダヤ的思考の所産であることを全くご存じないように思われる。今日、日本人の皆様がこの憲法に潜む矛盾から逃れる道は、この憲法の奥に秘められた本質をできるだけ早くつかむため、先ずそのルーツを白日の下に晒すことであろうと思う。
この憲法は戦後、一指だに触れさせず、いまだ大威張りで日本国民の頭上にあぐらをかいている。これは信じられないようなタブー現象である。日本の「革新(=左翼)」勢力がこの憲法に一指だに触れさせじと身体を張っているのは論理のひとかけらも見出せない。
日本人にとって焦眉の問題は、いかにしてこの非論理的なタブーを打破するかということである。
日本国憲法の支柱は「自由」、「平等」である。 自由、平等を支配・被支配関係のある国家へ持ち込むことは建設的なものと考えられる。もちろんこれは被支配者から見てのことである。フランス革命はこうして成功したのである。
しかし、このような考えを直感的に日本へ適用したのは全く持って認識不足の一言に尽きるのである。なぜなら、日本は万世一系の天皇を頂く君民共冶の鏡であったからである。
日本のような「和」の保たれた社会へ「自由」、「平等」を持ち込むとどういうことになるだろうか。
恐るべき分裂現象を起こすであろう。「和」はたちまちにして破壊されるであろう。事実、戦後日本は今日みる如く世界で最も「和」のない国となってしまった。
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モーゼ氏は第一次欧州戦争後「ドイツの1%のユダヤ人が政権を取り、迫害されていた自分たちユダヤ人のためにワイマール憲法をつくったのです」と言い、「日本国憲法はワイマール憲法の丸写し」と言っています。以下、日本国憲法のモーゼ氏の解説を読むことで日本人の覚醒を即したい。・・・・・ 
 
イメージ 2第九条
第九条の「戦争の放棄」という言葉の意味するところは「武装解除」にほかならない。
マルクス主義国家論にみる如く、国家を転覆させるのを至上目的とするなら、国家破壊の最大の障害物となるのは軍隊であり警察力である。したがって戦争反対、平和に名を借りて「軍縮」をとなえ始めたのも、第一次大戦後のユダヤ勢力にほかならない。軍縮という耳触りのいい言葉だが、これの狙いとするところは、列強の武装解除への第一歩でしかない。
 
第十一条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」。
「基本的人権」という言葉から読み取れることは、被害者意識から出発した概念ということである。長年、差別、迫害されてきたユダヤ人の血の出るような要求であったのだ
第十三条
「すべて国民は、個人として尊重される」。
「個人として尊重される」というのは、個人主義思想の導入が目的であることは論を持たない。個人主義というものは国家崩壊の第一歩と考えられているものであり、これは第十二条の「自由」と密接に関係ある問題で、第十一条の「基本的人権」とも関係あるものである。個人主義に自由をプラスし無限大にこれを追及されればどういう結果になるか、国家内部の不統一、混乱を助長するものであることは説明の要はあるまい。 十三条の「生命に対する権利」ということだが、日本語としても「生命の権利」というのはおかしいであろう。日本へそのようなものを持ち込んでもピンとこない。次にある「幸福追求」という言葉も何も言っていないに等しい。ところがユダヤ民族にとってはこれすら十分に、否、全くと言っていいくらい追及できなかった過去の歴史がある
イメージ 3第十四条
「すべて国民は、法の下に平等」。
最大の問題を内蔵するもので、「平等」の押しつけである。仏教の教えでも「平等のあるところ不平等あり、不平等あるところ平等あり」といっている。戦後の日本においてこの「平等」という言葉くらい世の中をまどわせたものはないであろう。天から授かった神の言葉の如く神聖視している者も多い。
 
 
第十五条
「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。
これも日本国民からみれば当たり前のことに過ぎない。ではなぜこれが組み込まれたかというと、これもやはりユダヤ人の被害者意識から出ているものである。ユダヤ人はそれぞれが居住する国々で常に公務員から差別的に扱われてきたのである
第十七条
「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」。
日本でも何らかの手違いにより事故としてこのようなことが皆無ではないかもしれないが、ユダヤ人にとっては明らかな意識的不法行為が日常茶判事だったのである。
第十八条
「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」。
このような社会がなかったわけではないが、日本の歴史には全くない。ユダヤ人はこれとほぼ同様な扱いを受けていたわけである
第二十条
第二十条はユダヤ人にとっては死活問題である。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」。
これはワイマール憲法の丸写しであり、これの意味するところはワイマール政権下のドイツにおけるユダヤ人の権利に関係している。つまり、当時のドイツで1%に過ぎないユダヤ人がドイツと同等の権利を確保、維持するためには「国教」があってはならないとしているのである。国教ということになると、どうしても99%のドイツ人の宗教であるキリスト教がその地位を得るのは当然すぎるほど当然である。こんなものを教条主義的に日本に持ち込むのはユダヤの知的水準の低さを示す何物でもない。しかるに日本では、これにとらわれて首相の靖国神社参拝が議論されるのであるが、そのたびにユダヤ人として恥ずかしい思いをする。
「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」。
この問題について一言するならば問題は全てキリスト教、ユダヤ教のもつ極端な排他性にある。八紘一宇の思想を基調とする神道、和を基調にする仏教とは自ずと次元が異なるものである。憲法に持ち込まれたこの条項は、ユダヤ教の持つ排他性のしからしむるところである。排他性のない高度に理性的な日本の宗教界に本能的、動物的な他の宗教が強引に割り込み宗教の次元を下げていることにほかならない
第二十一条
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」。
集会の自由は、ユダヤ人の示威のために必要であったのだ。結社の自由も同様である。
第二十二条
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」
日本ではこのようなことが問題となったことはないといってよい。一方ユダヤ人にとって、これは大問題である。ゲットー(隔離地区)に閉じ込められ移転の自由もなく、職業と言えば金貸しの如き“賤業”しか許されなかったユダヤ人の切実な要求であることはすぐわかるはずである。
 
イメージ 5第二十四条
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。
ここでまた平等を吹き込んでいる。もともと第二十四条は男女同権とはいっておらず夫婦同権を謳っているだけなのだが、これがマスコミその他によって男女同権にまで知らぬ間に拡大されてしまった。人間は自然の摂理として両性は全く異なった天分を持たされているにもかかわらず、これを単純に平等に扱おうというわけである。これは自然の摂理に対する冒涜である
この問題に関しては先例がある。ロシア革命後のユダヤ勢力はソ連においていわゆる「婦人国有」政策を押し付けている。これはどういうことかというと、生殖作用の成熟した年齢より四十二歳までの女は男に対して肉の欲求を拒むことが出来ない。而して生まれた子供は家庭の手を煩わさず国家が引き取って養育するというものである。女は家庭に縛られることなく一定の夫に貞操を守る義務がなく、子供は国家が養育してくれるのであるから母として世話する必要もなく労働に男と同権で参加できるというものである。ソ連で女が男と全く同様の重労働に精を出しているのはこの名残である。
 
イメージ 6第二十五条
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。
恐らくこのくらい耳触りのいい文句もないのではないか。これの意味するところまことに結構である。続いて「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。
恐らく日本国憲法のイメージづくりにもっとも貢献している条項の一つであろう。
かつてユダヤ人は職業を制限されており職業選択の自由がなかった。だからユダヤ人の願望はとにかく最低限の生活が出来る仕事にありつくことであった。これをかなえるためにワイマール憲法の第163条がある。他人に頼って生存するには不平等の極みである。たとえこのような慈善を受けて生存してもそこには借りが残るというのが本当の平等な感覚ではないか。しかしこれを社会福祉という耳触りのいい表現にされてしまうと、ついその本質を見抜く努力を怠ることになる。
これはユダヤ人にするとタルムードの思想にのっとった写しに他ならない。日本国憲法のこの条項をよくえぐってみる時、その底に秘められた悪弊の恐ろしさはただものではない
第二十六条
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」。
この条項も何も言っていないに等しい。明治以来、日本では教育の機会均等が奪われたためしはない。文盲率がほとんどゼロという世界で最高の読み書き算盤のできる民族である。しからばなぜこの第二十六条を一見してばかばかしいと感じないのだろうか。
なぜGHQのケーディスは日本国憲法にこれを書き込んだかというと、これもワイマール憲法からの教条主義的丸写しである。ドイツのユダヤ人にとっては教育の機会均等というのは最大の夢の一つであった。つまりこれはドイツ在住のユダヤ人に教育の権利を与えるのが目的で、日本を知らずに憲法丸写しするとは信じ難い。
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これらを読むと日本国憲法とは一体誰のための憲法であるのか考えさせられます。
国家を持たず、迫害、差別され、自由も平等も全くなかったユダヤ人の願望である憲法と、万世一系の天皇陛下と自然の恵み豊かな我が国で、命にかかわる迫害も差別もなく、自由も平等への不満もない日本国民にこの日本国憲法は全く適合していなかったのです。
しかし、戦後六十有余年も長きにわたってこの憲法を保持していることによって日本人が知らない間に日本は悪い方に変質している事実を見逃すわけにはいきません。
総体的にみると、日本社会は益々混沌、殺伐とし、考えられないような凶悪な事件が増え、自分さえよければあとは関係ないと平気で言う国民が増え、家庭を崩壊させるために女性を社会に出し、子供を産まないようにさせ、親の面倒を看ずして孤独な老人が増えて孤独死していく。働かなくても国が生活を保障し、金持ちからお金を奪い配分していく、・・・。その先にあるものは何かは想像できるでしょう。
今も日本人の血にある日本精神(真面目、正直、勤勉、嘘をつかないなど)がこれらを抑制していますが、これも徐々に退化しているのが現実です。
 
ユダヤ人のモーゼ氏はこう言っています。
「自然の摂理として平等というものは決してあり得ない」そして「自由と平等は決して両立しない」。
日本の実態に即した日本人のための憲法ではないということだけは日本国民は広く認識して頂きたい。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 
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日本に民主主義は必要か? 
と訪ねると、多くの日本人は「当然、必要!」と答えるはずです。
しかし、戦後日本の“虚構”を悟った目覚めた日本人は「必要ない」と言うでしょう。
なぜか? この意味は覚醒していない人には理解できない。
この民主主義という毒がある限り、戦後日本を今も立ち直らせることが出来ないものなのかもしれれません。 その覚醒への一助として、ユダヤ人であるモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』より一部掲載させていただきます。これは、昨年暮れに亡くなられた大兄・敬天愛人(ブログ名)も以前、連載で取り上げていたものですが、私も大兄のご遺志を継ぎ、数回に分けて取り上げてみたいと思います。
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真の日本の世界に冠たる長所は、残念ながら戦後の日本にはもはやないのである。
ということは戦前までの日本には存在したということである。・・
かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きを言っている。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分はやむを得ず民主主義を選ぶのである」
 
ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。
ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。
私は最初その意味がわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。
日本の天皇陛下と国民にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。
 
日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、またイラン王室でも、君主はみな国民大衆に対して搾取者の地位にあるものである。したがって亡命する時は財産を持って高飛びする。
これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。
しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。
私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこう言ったであろう。
「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨てて、速やかに東洋の偉大な国 日本へ馳せ参ぜよ」と。
ここで非常に重要なことをルソーは言っているのである。民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物に過ぎないということである。
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イメージ 2民主主義という言葉は理想の君民共治が出来ないからつくられたのだという。 西洋では、君主というものはそれこそマルクスの言う支配者、搾取者であり、一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじる運命にあります。
しかし、日本の天皇陛下は西洋などの君主と違い、決して搾取することはないのでマルクス主義などが日本で振りかざしても全くの空論でしかないのです。それを馬鹿な左翼らは「天皇は搾取していい暮らしをしている」と言った時期がありましたが、マルクス主義を日本に当てはめるために根拠なき無理を言っていたのであります。
 
そういう意味でも日本には万世一系の天皇陛下がおられ、「民のかまど」が示すように常に国民とともにあり、常に国民の幸せを祈っておられるのであります。 陛下は国民を大御宝とし、その祈りは大御心として国民の心に宿り、国民は億兆心を一にして天皇陛下に仕え奉るのであります。そして、このことが全く自然に出づるのであります。
我が日本のこの形こそ君民共治であり、ここには「民主主義」という言葉は必要ないのであります。 天皇陛下という我が国体がルソーの理想をも超越しているのです。
 
イメージ 3西洋の君主は大衆から搾取した莫大な財産を持って保身に努めています。だからこそ、いざ革命、戦争、政変となると直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命をはかるのであります。
しかし、我が国は敗戦という大混乱の中で、昭和天皇はマッカーサーとの会見で開口一番、「自分のことはどうなってもいいから、国民を救ってほしい」と切り出したのです。
欧米の常識では亡命と財産の保全が当然と思っていたので、マッカーサーはこの天皇陛下のお言葉には大変仰天したのでありました。 西洋の常識と日本の常識はこれほどかけ離れているのであります。
 
 
イメージ 4ヨーロッパの王朝はみな混血王朝で外国から国王や王女を入れてきました。我が国は万世一系の天皇陛下をいただく世界にも例のない国なのです。世界のあらゆる国の支配者と被支配者の関係をみると、万世一系の天皇をいただく日本人は如何に幸せであるか、しかし、肝心の日本人がわかっていないことが一番の不幸なのであります。
 
だからこそ現在、無教養な政治家や愚かな専門家から「女性宮家」などという発想が出てきて、その民間の夫も皇族にする、という訳のわからない馬鹿な発想が出てくるのであります。
また、我が国には搾取も支配者もないのです。せいぜい搾取というならば現民主党政権の景気浮上も社会保障の中身もない単なる増税のための“増税”こそ国民を苦しめるだけの搾取といえるでしょう。
 
我が国では万世一系の天皇陛下の存在こそ民主主義という言葉をはるかに超越していることを知るべきではないでしょうか。
 
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「敗北主義」の蔓延

 
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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
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なぜ「大東亜戦争」と呼称すべきなのか
 
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高知大学名誉教授 福地惇
 
連合国軍総司令部は昭和201215日、日本政府に対し、国家神道の禁止と政教分離の徹底を支持する覚書を出すが(神道指令)、その中で「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じた。
「大東亜戦争」の呼称は昭和161212日の閣議で、「今次対英米戦を支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と決定したことによる。いわば日本にとって戦争の大義を示した言葉である。
米国がそれを否定し、「太平洋戦争」と呼称することを命じたのは、あの戦争が文明と人道に対し野蛮な挑戦をした日本を懲らしめ、平和と民主主義を願う文明・正義の戦争だったというアメリカにとって都合のよい認識を日本国民に刷りこもうと意図したからである。
 
そもそも戦争とは当時国双方が互いに妥協不能の政治的、軍事的、経済的な対立に立ち至った時に発生する。だから当然、双方に言い分も理屈も正義もある。 どちらも根本には国威、国益を擁護・拡大したいという国家の本能が盤踞するが、一方が邪悪で不義、他方は善で正義だということはあり得ない。
大東亜戦争の真実は、我が国側からすれば、国家の大義と国益を死守するための「防衛戦争」であった。「開戦の詔書」はそれを表明している。だからこそ私は「大東亜戦争」と呼ぶ。
 
日本は連合国を向こうに回して勇猛果敢に戦った。 ルーズベルトは日本の「無条件降伏」を望んだが、日本圧服を目前にした19454月に病没。後任大統領トルーマンは、本土決戦で予想される双方の甚大な人的・物的被害や大戦後の国際政治を勘考する現実主義の国務長官代理グルーや陸軍長官スチムソン、英国首相チャーチルら堅実な政治家との合意の上で、日本に国家存続の最低条件を突き付けて降伏させる形での終戦をめざした。「ポツダム宣言」がそれである。
 
我が国政府はポツダム宣言が「國體」が護持されると確認した上で降伏し、同宣言の条件による連合国軍の軍事占領管理に国家の命運を委ねた。占領支配に直面した我が国にとって必要だったのは、ポツダム宣言の誓約を超えた占領政策には巧妙に抵抗し、面従腹背しながら政策の内実を空洞化するなど「講和後を見据えた我慢強い被占領側の政治」であったろう。それが出来なかったことは、それまで対外戦争の大敗北を経験したことのなかった我が国の弱点だった。
この弱点ゆえに、占領政治推進のためにねつ造された太平洋戦争史観を鵜呑みしてしまい、「無条件降伏」したのだからという諦念のもとに専制権力たる占領軍政府に迎合した日本政府は、国家体制変造に抵抗できなかったばかりか、「敗北主義」の蔓延を阻止しなかった。
 
小泉首相の解放感謝(2003年に訪米した小泉首相はブッシュ大統領との会談で、日本の占領統治について日本を解放してくれて有難うと感謝した)の談話は何を意味しているか。 民族の弱点に付け込んで醸成された「敗戦国体制」と、それを支える「敗北主義」的な意識、この占領政治の呪縛が半世紀以上経ってもなお日本を重く拘束し続ける魔物であることに、我々は改めて思い起こさねばなるまい。
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戦前、日本では「太平洋戦争」「日中戦争」などという言葉はなく、「大東亜戦争」「支那事変」でありました。確かに一時占領中はそういう呼び方を強制されていたのでやむを得ませんが、それを戦後六十有余年、今でも正しいと思い込んで使い続けているところに日本人の魂が抜かれた姿があるのです。
東京裁判、そして日本国憲法の「自由」と「平等」という矛盾するものを「民主主義」という虚構ですっかり騙されている日本人は、その狡猾な意図さえも考えることを拒絶してしまって、現在の安楽に浸ってしまっているのです。
 
戦後から現在も売られている歴史の本の多くは「太平洋戦争」という言葉で書かれています。
これはアメリカ側の立場で書かれた本だということを理解していない日本人が多いかもしれません。
連合国が”正義”で、日本は”悪”。 これこそ日本にとっては自虐史観であります。
学校も、新聞も、テレビも、当然のように「太平洋戦争」という言葉を使っています。
これらすべてがアメリカの立場からの植え付けられた歴史観です。アメリカの立場の歴史観を正しいと思いこんでいる日本人の姿は世界的にみても異常であります。
そのことを教えない教育の在り方も占領中のまま何も変わっていないということであります。
 
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捏造された歴史

 
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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
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「敗戦国体制」護持という迷夢 占領統治のためにねつ造された歴史
 
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   高知大学名誉教授 福地惇
 
言うまでもなく、現代日本の国家基本法は日本国憲法と教育基本法である。
この基本法の出自には重大な疑惑が塗り込められており、これを護持する政治姿勢に大問題が存在している。
結論を先に述べれば、現行の国家基本法は今次大戦の勝利者である米国軍人の最高司令官が本国政府の意向さえ軽視して、ポツダム宣言という国際的協約を踏み躙り、奸策を弄して被占領国日本に理不尽に下賜したものである。
これは敗戦国日本を半永久的に「属国的な半国家」に抑え込む施策であり、日本の国家・国民のためのものではない。それ故に私は、現在の国家体制を「敗戦国体制」と呼び、この体制を善美で正しいとする観念を「敗北主義イデオロギー」と称する。
「敗戦国体制」の特徴は、第一に歴史の正当性を担う「国体」を最低限容認したかの如く装いながら、実際はそれを形骸化して、我が国の歴史の中心に連綿として存在する国家統合の基軸である天皇を、あたかも“選挙王”のごとくに貶めた点である(憲法第一章第一、四条)。
第二に、主権国家の国防権を実質的に剥奪され、国の安全保障を独自に担保できない奇形な状態に固定した点である(憲法第九条)。
講和条約締結後の我が国の政治は、不覚にも「敗戦国体制」の根幹=「日本国憲法・教育基本法」を自ら不磨の大典として押し戴き、護持してきた。
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小泉純一郎首相は20039月の自民党総裁選挙で「小泉構造改革で日本を蘇らせる」と熱心に主張した。「蘇らせる」とは仮死状態に陥った者を蘇生させることである。
では一体我が国はいつ、何を原因として、いかなる「仮死状態」に陥ったのか。
小泉首相はそれについては何も説明しない。対立候補の亀井静香氏は、「小泉首相が訪米してブッシュ大統領と会談した際に、米国の日本占領統治に触れて、日本を解放してくれて有難うと感謝したと伝えられるが、それは間違った歴史認識であり国政の最高責任者としての見識を疑う」と批判した。
亀井氏の小泉批判は正しい。しかるにその正しい批判は、世間からはさほど注目も評価もされなかった。なぜか。
ポレミック(挑発的)な表現を用いれば、我々日本人の多くが意識の奥底で自らを“負け犬”だと納得しているのではないか。侵略戦争を行った軍国主義の時代に比べれば、平和と民主主義の戦後が正常なのだと思い込んでいるのではないか。だが私に言わせれば、先の大戦を侵略戦争と決めつける“戦後の常識”の方が異常なのである。
 
日露戦争以降の我が国は、シナ大陸に条約や協定に基づく多くの権益・利権を有し、貿易も活発で大陸各地に活動する在留邦人も多かった。日支関係は密接だったが、第一次大戦後になって、シナ大陸において急速に頭角を現してきた蒋介石政権との複雑な利害と感情の対立が絶えなくなった。
ここで私は、当時の日支関係の背後の存在した事態悪化要因を指摘しておきたい。
第一は、蒋介石の背後にシナ共産党が、さらにその背後にコミンテルンが潜伏してアジア共産化の野望をたくましくしていたことである。彼らは“漁夫の利”を狙ってシナ全土撹乱戦略=抗日救国運動を煽りに煽り、抜き差しならぬ困難な情勢へ日支両国を追い込んだ。
第二は、米国の支那政策と我が国の大陸権益との摩擦・衝突である。1899(明治32)年、米国はフィリピンを獲得して東アジアへの関心を高め、出遅れたシナ大陸分割競争に参入しようと「門戸開放・機会均等」(国務長官ジョン・ヘイの声明)なるシナ政策の推進を開始した。それ以降、日本やロシアの既得権益との摩擦が始まる。次いで大統領ウィルソンの「自由主義」による世界新秩序が以降から、第一次大戦後のワシントン会議におけるシナに関する九カ国条約に至り、「門戸開放主義」は列強の承認事項となって我が国の大陸政策を強く制約するに至った。同時に米国の圧力で日英同盟は日英米仏の四カ国条約にすり替えられ、解消させられた。第一次大戦を契機に国力・勢威の順位は英米から米英に転じた。米国は大戦で甚だしく疲弊した英国を自陣営に引きずり込んだのである。米国の世界新秩序外交がシナの「門戸開放・機会均等」の原則を以って、我が国のシナ外交を撹乱・制約し、ついには松岡洋右外相の勢力均衡論による米国の行動掣肘(せいちゅう)という読み違いの日独伊三国同盟へと走らせた。これが米国の日本完全敵視への直接的な契機となったことは言うまでもない。こうした事態の推移は、国際情勢の趨勢の読み違えによる近衛文麿=松岡外交の重大な失敗であり、大きな国際政治の流れから言えば米国の独善的理想主義外交の勝利だったといえる。
第三は、第二の延長線上の事態だが、混迷するシナ大陸情勢に苦闘する日本の弱点に乗じた米国が、英国を引きこんで蒋介石政権を軍事的・外交的に支援、軍需物資を大量援助して日支事変正常化を妨害したことである(この間の経緯に関しては中村粲氏の『大東亜戦争への道』に詳しい)。
 
ともあれ、当時の我が国にシナ大陸全土制圧の野望はなく、日露戦争の勝利や第一次大戦で獲得した権益保全に精一杯で、したがって必死に蒋介石政権や米国政府との和解工作に腐心していたにもかかわらず、一方で日独伊三国同盟の締結という米国の日本敵視を決定づける最悪の外交カードを選択したことで、さらなる苦境に追い込まれた。こちらの苦境を見透かしたルーズベルトは米国の東アジア政策への我が国の屈従を求め、最後には経済封鎖を断行した。
このように多くの要素が重なり合ったことで、日本は最終的に国家としての自衛・独立のため、南方に石油資源を求めて進出し、対米英への宣戦布告に踏み切ったのである。見落とせないのは昭和41929)年9月に始まった世界大恐慌の後、欧米列強がブロック経済圏の強化に邁進したことである。国土狭小で資源小国の我が国にとっては、こうした世界情勢に対応する“やむを得ない運動”だったのである。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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平成17年11月に発刊された国際的数学者、藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)は発行部数265万部を超えるベストセラーとなりました。
アメリカの「論理万能主義」を批判し「だめなものはだめ」と主張。グローバリズムなどを真っ向から否定し、自国の伝統や美意識などを重んじることを説いた著書でした。
国際的数学者として知られる藤原氏は、これらの本で、いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことだと説いています。
藤原氏が武士道に関して述べた意見に焦点を合わせて、21世紀に求められる武士道精神について括りとします。


「広辞苑」では品格とは、、「品位、気品」をいう。「品位」とは、「人に自然にそなわっている人格的価値」、「気品」とは「どことなく感じられる上品さ。けだかい品位」をいいます。
人物を対象にした言葉であり、国家に対しては普通用いません。
しかし、国民一人一人に品格があってこそ、国民全体に品格が備わり、それがその国家に品格をもたらし、国家とは、日本人のことであり、その一員としての一人一人の品格が問われているのです。
藤原氏の父は、小説家、気象学者として名高い新田次郎氏です。
藤原正彦氏が武士道精神を持つようになったのは、氏の受けた家庭教育による。
「私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした」と氏は『国家の品格』に書いています。
「父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、『弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ』『暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ』と繰り返し言った。問答無用に私に押し付けた。義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう」
氏は、特に卑怯を憎むことを、心に深く刻み、
「父は『弱い者がいじめられているのを見てみぬふりをするのは卑怯だ』と言うのです。私にとって『卑怯だ』と言われることは『お前は生きている価値がない』というのと同じです。だから、弱い者いじめを見たら、当然身を躍らせて助けに行きました」と書いている。
家庭において父親から武士道の精神を植え付けられた藤原氏は、その後、今日にいたるまで、武士道精神を自分の心の背骨とし、武士道に対する理解は、拙稿「武士道とは(中)」でも記述していますが、その多くを新渡戸稲造の名著『武士道』に依っています。
「武士道には、慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心などが盛り込まれているが、中核をなすのは『惻隠の情』だ。つまり、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりであり、共感と涙である」と・・・

氏は論理だけでは世の中はうまくいかない、論理よりもむしろ「情緒」を育むことが必要だと述べ、また、それとともに、人間には、一定の「精神の形」が必要だと説いています。
氏は、次のように書いています、「論理というのは、数学でいうと大きさと方向だけ決まるベクトルのようなものですから、座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私は、こうした情緒を含む精神の形として『武士道精神』を復活すべき、と20年以上前から考えています」と。
国際的な数学者であり、歴史家や思想家でもない藤原氏が、このように言うところに、驚きと同時に強い説得力があります。

明治維新によって、身分としての武士は消滅しました。その後の武士道精神の変遷を、武士道精神の中核を「惻隠の情」と理解する視点から、藤原氏は次のように述べています。
「かつて我が国は惻隠の国であった。武士道精神の衰退とともにこれは低下していったが、日露戦争のころまではそのまま残っていた」
日露戦争での水師営での会見で、乃木将軍が敗将ステッセルに帯剣を許したこと、日本軍は各地にロシア将校の慰霊碑や墓を立てたこと、松山収容所では、ロシア人捕虜を暖かく厚遇したことなどを列挙しています。
「日本人の惻隠は大正末期にはまだ残っていたようである」
その実例として、氏は、第1次大戦後、ポーランド人の援助要請に応え、日本人が極東に残されたポーランド人孤児765名を救済したことを挙げています。

先祖であり先輩である明治・大正の日本人は、異国の人々の身の上を、わがことのように思いやり、親切このうえなく心を尽くした。まだほとんど外国人と接する機会のなかった時代であるのに、国際親善・国際交流の鑑のような行動を、人情の自然な発露として行っています。
こうした日本人の精神を、藤原氏は、武士道に重点を置いて、武士道精神と呼んでいます。

氏は、武士道は「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め」、大東亜戦争の戦後は「さらに衰退が加速された」と述べています。我国の大陸進出については、氏と筆者では大きく見解の相違があり、歴史認識の誤りもみられますが、ここでは触れないでおきます。
アメリカは占領期間、日本弱体化のためにさまざまな政策を行なった。「たった数年間の洗脳期間だったが、秘匿でなされたこともあり、有能で適応力の高い日本人には有効だった。歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる」
「戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまいました。しかし、まだ多少は息づいています。いまのうちに武士道精神を、日本人の形として取り戻さなければなりません」

皆さんご存じのように、GHQから押し付けられた占領憲法により、主権独立国家として不可欠な国防を大きく制限されています。
憲法上、国民には、国防の義務がなく、「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」という文言のある教育勅語は、教科書から取り除かれ、国家が物理的に武装解除されただけでなく、日本人は精神的にも武装解除されました。結果、日本人は自ら国を守るという国防の意識さえ失ないました。
武士道とは、本来、武士の生き方や道徳・美意識をいうものです。武士とは、武を担う人間である。武を抜きにして、武士道は存立しえません。
自衛のための武さえ制限され、自己の存立を他国に依存する状態を続けている日本人が、急速に武士道精神を失ってきたのは当然の帰結です。
根本的な原因は、占領憲法にあります。占領憲法が、日本人から武士道精神を奪っているのです。この問題を抜きにして、武士道精神の衰退は論じられません。

氏は、武士道精神の中核は「惻隠の情」だとし、「弱い者いじめ」に見て見ぬふりをせず、卑怯を憎む心を強調し、氏のいうような武士道精神に照らすなら、例えば北朝鮮による同胞の拉致に対し、日本人及び日本国は、どのように行動すべきか、中国のチベット侵攻や台湾への強圧に対し、どのように考えるべきでしょうか。

これらの問題は、単なる道徳論では論じられず、日本という国の現状、自分たち日本人のあり様を、国際社会の現実を踏まえて論じる必要があるだろう。やはり、「この国の形」を決める憲法に帰結する事柄なのです。

市場原理主義について、次のように藤原氏は述べています。
「市場原理に発生する『勝ち馬に乗れ』や金銭至上主義は、信念を貫くことの尊さを粉砕し卑怯を憎む精神や惻隠の情などを吹き飛ばしつつある。人間の価値基準や行動基準までも変えつつある。人類の築いてきた、文化、伝統、道徳、倫理なども毀損しつつある。人々が穏やかな気持ちで生活することを困難にしている。市場原理主義は経済的誤りというのをはるかに越え、人類を不幸にするという点で歴史的誤りでもある。苦難の歴史を経て曲がりなりにも成長してきた人類への挑戦でもある。これに制動をかけることは焦眉の急である」と・・・

本ブログでも再三再四述べてきましたが、我国は誇り高い「道義国家」でした。
氏のいう「品格ある国家」とは、従来、道義国家といわれてきたものに近い。道義国家とは、人類普遍的な道徳を理念とする国家を指します。
力や富の追求ではなく、精神的な価値の実現を目標とする国家です。
氏は、この道義にあたるものとして、武士道精神を提示しています。
かつて武士道精神は、日本人に品格を与えていました。日本人が精神的に向上することは、わが国に「国家の品格」を生み出し、「品格ある国家」は、周囲に道徳的な感化を与える。こうした発想は、武士道に融合した儒教が理想とした王道や徳治に通じるものです。
氏の主張を掘り下げるならば、東洋の政治思想や、それを最もよく体現したわが国の皇室の伝統に思いをいたすことになるだろう。武士道は、発生期から尊皇を本質的要素とし、またわが国の国柄は、皇室の存在を抜きにとらえることが出来ないことを指摘しておきたい。

「政治や経済をどう改革しようと、そしてそれが改善につながったとしてもたかだか生活が豊かになるくらいで、魂を失った日本の再生は不可能である。いまできることは、時間はかかるが立派な教育を子供たちにほどこし、立派な日本人をつくり、彼らに再生を託すことだけである。
教育とは、政治や経済の諸事情から超越すべきものである。人々がボロをまとい、ひもじい思いをしようと、子供たちだけには素晴らしい教育を与える、というのが誇り高い国家の覚悟と思う」と氏は述べています。

「武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない」とも、氏は書いています。氏自身が、父親から武士道精神を教え込まれたものでした。家庭における父から子へ、親から子へという武士道精神の継承があってこそ、学校教育、社会教育はその効果を発揮すると願ってやまないのです。









転載元転載元: 美しい国


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