日本の感性をよみがえらせよう

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変わらぬ日本

 
日本の劣化を象徴する日教組はじめ反日左翼団体、朝日新聞などのマスコミ、自国の国益より支那朝鮮に配慮する愚かな政治家たち、そして文部省。彼らは反日支那人江沢民の来日をおもねるが如く、現状の日本の教育を最前線で憂う愛国者 福地惇先生の発言を槍玉にあげ、更迭したのです。
この事件に関して福地先生が最も尊敬する西尾幹二先生が199812月にこのように書いております。
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調査官更迭は仕組まれた罠 文部省だけが軽挙妄動した
 
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評論家 西尾幹二
  
江沢民氏来日に照準
文部省の主任教科書調査官 福地惇氏が「近隣諸国条項」を批判したとして1126日更迭処分された事件には、従軍慰安婦問題と同様に再び左翼に仕組まれた明確な罠が読みとれる。問題が生じてから処分までが余りに短い。おおよそ23日なのである。
待ってましたとばかりに急いで処分した文部省幹部ないし文部大臣その人が左翼体質である可能性はきわめて高い。
問題発言の載った会員制月刊誌「MOKU」9月号が最初に人の目に触れたのは、版元によると9月初旬である。左翼関係者が問題化を目論んだのはいつかは分からないが、すぐに問題化せず、時期を待っていたのには理由がある。江沢民来日に照準を合わせるためであった。
共同配信記事1123日付を見て、それだけのことで有馬文相は24日に記者会見を行い、間髪を入れず「厳正に対処したい」と返答。
『朝日』に文相記者会見の記事が載ったのが24日夕刊であり、出版労連など6団体が福地解任の要請書を提出したのが25日である。その25日にかねて予定した通り江沢民が日本に来た。
25日と26日の『赤旗』に一連の関聯記事がのり、26日夕方に更迭処分が発表された。
電光石火の勢いである。まるで呼吸を合わせているかの如き素早さである。
不思議なのは文相が、出版労連など左翼6団体が文部省に要請書をまだ出してもいない前の日に、どこでどういう仕掛けがあったか、あわてて「厳正処分」を口走り、その通りにしたことである。背後に左翼の動きがあって、理科系で人文思想のない(あるいは最初から左翼に好意的な)文相がシナリオ通りに行動した、ということか、それとも江沢民訪日の生贄に身内を捧げることで文部省が内閣に忠誠心を示そうとしたか、のいずれかであろう。ばかげた話である。なぜなら小渕内閣は今回可能な限り中国の圧力に屈しまいと努力し、外相も私の見る限り日本の利益を守るために良くやったという印象だからである。ひとり文部省だけが軽挙妄動した。やらないでもいいことをやった。内閣の中で突出したことをやって、むしろ内閣を傷つけた。そして、日本国民を侮辱した。国民はこの大臣のしたことをしっかり覚えておこう。
 
日本人は悪魔か外道か
いわゆる「近隣諸国条項」は昭和57年の教科書誤報事件をきっかけに設けられるなど、成立過程に疑問があり、これの廃棄が今後保守政権内部で、中韓両国の内政干渉を排除するためにどうしても必要な案件になるであろう。
しかし今さしあたり、この条項は存在するのである。すなわち「わが国と近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いにあたっては、国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること」というくだりである。が、それを仮に認めるとしても、福地氏の雑誌発言は言論の自由の範囲にあり、どう考えても同条項に違反するものには読めない。
「近隣諸国条項」は近隣への「必要な配慮」をうたっているだけで、近隣諸国は正義の化身、日本は悪魔か外道という「全面屈服」を書けと言っているものではない。ところが現行教科書が文面においても、イラストにおいても、日本人を悪魔か外道のように描く、行き過ぎた誇張に堕している
ことを、われわれは実証してきた。
 
良識的認識の範畴
福地氏は現行小学校教科書が、「ほとんど戦争に対する贖罪のパンフレットなんです。それで、侵略戦争を二度としないようにするためには、どうしたらいいかということが最後の結びになっている。僕はちょっと気が滅入りました。あの戦争はよかったとはいえませんが、わけありでああいうことになったわけで、日本だけが悪いという感じで書かれると、子供たちが本当にどういう気持ちがするだろうかと思いますね」と述べているが、氏は現行教科書が「近隣への配慮」を越えて「全面屈服」となっていることを批判しただけで、なんら近隣諸国条項に違反していない。
「贖罪のパンフレット」という言葉がいけないということだが、それは低劣な教科書の実態をおおい隠して、検定制度は立派にやっているとのみせかけの権威を守りたい文部省の言いがかりにすぎない。
今の歴史教科書の下劣さが政治パンフレット以下ですらあることは、文部官僚諸氏が文部省を離れて、一私人の常識に立ち還れば、残念ながら一人として例外なく認めざるを得ない処であろう。
福地氏が「わけありでああいうことになった」と戦争を説明した内容は、仮に日本というものがなくて、中国と朝鮮だけだったら、東アジアはどうなっていたか、に関連して、中国はロシアとイギリスに上手に分割されたのではないか、日本の中国進出には、そういうことを阻止した面もあった、というリアリスティックな判断に終始している。これは左翼歴史家を除く、今日の近現代史家の大半が所有する良識的認識の範畴に入るといっていい。
 
こういう立派な現実思考の歴史家を追い落とすことで、このレベルの人物が調査官を志さなくなり、今後の検定内容がさらに劣化することを私は最も恐れている。しかもそれが文部省の左翼迎合競争の虚栄に発するとしたら何をかいわんやである。
昭和57年当時「近隣諸国条項」の成立に抵抗し、首相官邸に反抗した気骨ある先輩文部官僚を少しは見習ったらどうなのであろう。(にしお かんじ)
 
 
この事件からすでに14年。日本は変わらず・・・
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
まずは福地先生の小論文を読んで頂いた後に、今回は福地先生に関わる重大なある事実をお話ししなければなりません。・・・
 
 
教科書誤報事件は偶発事件だったのか
 
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高知大学名誉教授 福地惇
 
日本を永久に抑え込みたい旧敵国は、日本の近隣諸国をも巧みに利用する策略をしてきた可能性が高いと私は見ている。一種の「以夷制夷」戦略の実行である。それと思しき事例は多数に上るが、紙幅の関係で、日支関係における歴史認識問題を取り上げよう。
1982(昭和57)年6月下旬に突発した教科書誤報事件は、今では多くの人々の記憶からは薄らいでいるのだが、実に怪しく重大な事件であった。
時あたかも、高度経済成長で経済力を付け、エズラ・F・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979=昭和54年)で持ち上げられ、強国に復興できたと国民の多くが自信を回復していた時期である。この事件は、歴史教科書問題で一見大した問題とは思えなかったが、事態はこうだった。
この年、教科書出版各社が文部省の検定審査に提出した高騰歴史教科書はいずれもあの戦争を「日本軍が華北に侵略」と記述したが、それを検定調査段階で文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせた、と有力新聞各社が大々的に報道した事件であった。
新聞報道直後の文部省の調査で、その事実はなく、「誤報」であったと直ちに判明したが、シナ共産党、韓国政府の異常で猛烈な日本政府非難が沸騰してしまった。北京政府は、書き換えは日中共同声明の精神に違反すると厳重抗議してきた。韓国政府もこれに倣った。日本の左翼はもちろん大いに同調した。狼狽した鈴木善幸内閣はシナ共、韓国と左翼の攻勢に屈した。「侵略戦争で多大なご迷惑をおかけしました、教科書の内容を歴史の事実に遭うように直させますのでお許しください」と降参したのだった。謝罪証文として教科書検定基準に「近隣のアジア諸国と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」との文言が追加された。所謂『近隣諸国条項』である。時の内閣官房長官は、後の首相宮沢喜一である。近隣諸国の威圧に屈して「降参」すれば、その後はかなりの確率で立身出世できるのである。その事例は多数に上る。
実は、前年(昭和56年)の衆参同日選挙で自民党は圧勝して、経済成長で国民の自信も大いに回復してきたところで、同党は長らく問題にされていた左翼偏向歴史教科書の改善対策に前向きで取り組むことを決定していた。大いに注目すべき事実である。しかし、この騒動で自民党の歴史教科書改善政策は棚上げを余儀なくされただけではなく、謝罪の政府見解と『近隣諸国条項』、で再び取り上げるのは困難な事案に化してしまったのだ。
歴史教科書問題が異常なのは、「家永三郎教科書裁判」が象徴していた。戦前を悪しざまに叙述し過ぎると文部省検定は家永本を不合格とした。これをネタに家永と左翼反日運動団体や運動家が教科書検定は憲法違反だと訴訟を起こし、何と32年間(昭和40年〜平成9年)も係争が続いた異常さだった。日本の左翼がその主導者だが、一連の事態の背後に北京共産党政府や韓国政府の対日かく乱工作がなかったと言い切れるだろうか。
1982年の教科書誤報事件も、日本の左翼マスコミと北京やソウルの対日工作機関との連携による謀略の臭いがするのだが、当時の政権や国会、そして関係当局は真剣にこの問題の背景に探りを入れたのだろうか。かくして、今では政界も言論界も学会もこんな問題は大したことではなかったかのように、忘れたようなふりをしている。シナ共産党や韓国政府が「歴史カード」を縦横に活用して、教育問題への内政干渉や対日威圧外交を堂々と展開し始めたのは、この事件が大きな契機だったのである。
(日本戦略研究フォーラム季報掲載より 画像は福地先生から頂きました)
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福地先生は高知大学教授を経てから文部省の歴史教科書の検定にあたる主任教科書調査官(日本史担当)に就任なされました。
そして問題の平成109月、福地先生は会員制月刊誌「MOKU」(黙出版)の平成108910月号の「西郷隆盛と勝海舟」をテーマにした座談会を行い、その座談会で教科書検定基準の「近隣諸国条項」を批判したとして、福地先生は主任教科書調査官の更迭処分を受けました。
しかし、その内容が処分を受けるべき内容であるのか皆さんにも読んで頂きたく以下に掲載いたします。この時の出席者は福地先生と外交評論家で元駐タイ大使の岡崎久彦氏、お茶の水女子大名誉教授の勝部真長氏の三氏です。(以下敬称略)
 
岡崎 「…戦後は平和主義だからよくて、戦前は帝国主義だからけしからんというわけですね。ああいう歴史観というのは直らないですかね」
福地 「ちょっと無理ですね。私は今年の四月から文部省の教科書調査官になったんですが、平成十年度は小学校の社会科で六年生から日本史が入っていまして、それを読むと、近代史が幕末から現代までの半分ぐらいあって、ほとんど戦争に対する贖罪(しょくざい)のパンフレットなんです。
…僕はちょっと気が滅入りました。あの戦争はよかったとはいえませんが、わけありでああいうことになったわけで、日本だけが悪いという感じで書かれると、子供たちが本当にどういう気持ちがするだろうかと思いますね」
岡崎 「現代のモラルを過去の歴史にあてはめて考えるということをやめるということにならないのかな。文部省の中でそれを正面から取り上げてもだめですか」
福地 「難しいですね。というのは、政府がそういう方針で、鈴木内閣の宮沢官房長官の教科書問題のとき以来、歴代首相がずっと謝っていますからね。しかも、教科書検定のときに、近隣諸国条項というのがあって、日本は侵略戦争をして悪かったと書いていないとまずいんです。そういうがんじがらめの体制になっていますから。教科書を書く人が、戦前から戦後の日本というものをあまり貶(おとし)めて書きたくないと思っても、それができないわけです…」
岡崎 「日本がいなかったら、おそらく清国とイギリスの同盟でしょうね」
福地 「同盟にいけるまで中国が立ち上がったかどうか。あそこは蒋介石、毛沢東が出てくるまでは四分五裂ですからね。ロシアとイギリスに上手に分割されたんじゃないですか」
岡崎 「そうですね。黄河流域と揚子江流域の間あたりで分割された可能性がありますね」
福地 「日本の中国進出には、そういうことを阻止した面もあったわけです。ところが、小学校六年生の社会科の教科書には、南京大虐殺を匂わせる記述が必ず入らないといけない状態になっています。上海事変から南京攻略まで、写真入りでかなり詳しく書いてあって、非戦闘員である中国の婦女子、あるいは無辜(むこ)の民を凌辱したと書いてあるわけです。戦争ですから、そういうこともあったでしょうが、そういうことばかりを教科書で子供たちに教えている国というのはないと思いますね」
「世界大戦の悲劇が強烈だっただけに、日本は戦争というものに対してアレルギーになり過ぎたんですね。すべて戦争は悪ということになってしまった。…戦争というのはいいものじゃないですが、やむにやまれぬ状況での戦争なんです。自分たちの母国を守りたいというのは人類の本能で、それは二十一世紀になっても変わらないと思うんですね。ところが、日本の戦後教育は、その本能が間違いだとずっといってきている。それで日本は生き残っていけるんでしょうか」
「戦後の歴史学というのは、現代のフィルターをかけて、そこに合わせ過ぎちゃっているんですね。当時の人はなにを思って、なにをやっていたのか。似たような言葉でいっているんだけれども、その言葉そのものの概念がかなり違うわけです」・・・・・
 
この福地先生のご発言は全くその通りであり、何も問題などありません。
近隣国から付け入られる近隣諸国条項こそ問題なのであります。
この月刊誌が出た時は何も騒がれずにいました。しかしその6ヵ月後、江沢民が来日するに当たり共同通信がこの座談会を配信し、朝日新聞を筆頭にマスコミが騒ぎ出したのです。
すると元東大教授である有馬文部大臣は「実にけしからん発言だ」と言って福地先生を更迭しました。文部省は福地先生を文書による厳重注意処分にした上で教科書調査官を解任し初等中等教育局付にしたのです。
 
これに対し反日左翼団体はこのような声明を出しました。
 
昨年11月に一連の不穏当な言動によって教科書調査官を解任された福地惇氏が、今年4月1日付をもって初等中等教育局視学官に任命された。私たちは、検定中の申請本の内容を一方的に公表して守秘義務に違反した福地氏を、文部省が視学官という重要な職に任命したことに抗議する。
私たちは、福地氏がすでに表明しているような、政府の公式見解とも矛盾し、国際的にも通用しない特異な歴史観にもとづいて、視学官としての立場から地方教育行政や教育実践研究などを指導したり、学習指導要領の伝達講習にあたったりするのであれば、その弊害はきわめて大きいものとなることを危惧するものである。
私たちは、福地氏が視学官としての業務を行うにあたって、公務員として当然守るべき日本国憲法の平和・民主主義の原則とその原点である侵略戦争の反省の立場を堅持することを求めるものである。また文部省は、すべての文部省職員が、日本国憲法・教育基本法の原則に立ってその業務を行うよう、指導を徹底すべきである。 私たちは、上記の当然のことが実行されるよう、ひきつづき監視を強めることをここに表明する。
                                                                                    1999年4月23日 
                                                                                           「教科書に真実と自由を」連絡会 
                                                                                            子どもと教科書全国ネット21   
                                                                                           日本出版労働組合連合会     
                                                                                            歴史教育者協議会         
 
 
以上の経緯、皆さんはどのように思われたでしょうか。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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「天皇制」という言葉を使っている人がいます。また、ある意図をもって使っている人もいます。
しかし、日本人として、この「天皇制」という言葉は使うべきでないでしょう。
『天皇制という呼称を使うべきではない理由』という谷沢永一氏の著書があります。
ここから一部抜粋して記事とさせて頂きます。・・・・・
 
世には、皇室に反感を抱いている方もある程度は見かけます。
その方々の信念を尊ぶこと決してやぶさかではありません。
単に見解の相違として袂を分かつのみに終わります。
しかし、皇室を敬愛することひとかたならぬ人なのに、事情をご存知ないものだから、胸中に崇信の念を持ちながら、「天皇制」という呼称を無意識で、何の気なしに使っておられる方々が少なくありません。
 
「天皇制」という言葉はもともと日本にはない言葉であります。
この言葉をはじめて使ったのは1922年(大正11年)1122日、コミンテルンが日本の労働者階級に呼びかけた次のような挨拶でありました。
「武力干渉と天皇制の政府とに対する日本の広範な労働者大衆の益々高まりゆく憤激の結果であった」
このソ連のコミンテルンというのは、世界共産主義革命の実現を目的とする共産主義者の国際組織であり、日本に対しては天皇を否定し”制度”にして解体することを目論んでいました。
 
そして、大正12315日の日本共産党の秘密会議で討議された革命運動の行動綱領にはじめて「天皇制」と書き込まれたのであります。
この呼称を共産党は決して外部に漏らしませんでしたが、昭和8年前後の一時期だけ非合法のプロパガンダに用いましたが、さっぱり効果はなかったのです。
共産党員でない日本の一般国民は、昭和201020日の『赤旗』第一号に「我々の目標は天皇制を打倒して」と記されるのを見るまで「天皇制」という言葉があることも知らなかったのです。
我が国は日本神話の天地開闢(てんちかいびゃく)以来、「天皇制」という不敬な呼び方を使ったことはありませんでした。日本人が言い出したのは昭和の戦後以降であります。使わせようとしたのは共産主義者や左翼の我が国体破壊を目論んだ連中でありました。それを何も知らない国民は自然と使うようになってしまったのであります。
 
これを見てもわかる通り、この「天皇制」という言葉はソ連共産党が指導して、世界革命を目指すコミンテルンによる造語であり、共産主義の天皇抹消の闘争目標である「天皇制打倒」、「天皇制廃止」と言いきる時に使われた言葉であり、天皇陛下を罵り、辱しめ、貶め、いやしめ、憎むための言葉であります。
天皇陛下は制度によっているものでもなく、機構に属しているものでもありません。我が日本の国体そのものであります。ゆえに「天皇制」という呼称は事実に即していない間違いであります。
しかし、保守の振りをした転向者は、この「天皇制」は使うことは間違いではないと言います。決して惑わされることないように注意したい。
 
我が国の皇統が確立して以来、天皇という尊称は揺るぎなく一貫して続いているのです。
『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』、『続日本紀』、いずれも等しく、天皇(すめらみこと)、または天皇(てんのう)と読み慣わしていました。
北畠親房は『神皇正統記』の冒頭に、「大日本者神国也。天祖(あまつみおや)・・・・」と記し、皇統一系、皇胤一種である伝統は唐天竺(からてんじく)よりも優れた文化を保持している事実を強調しており、天皇を崇敬することは日本人として途絶えぬ本性であったわけであります。
天皇陛下を、そして皇室を「天皇制」などと天皇抹殺を意図した共産党、コミンテルンの悪意に基づく呼び方は二千年を通じてどこにも見当たらないのであります。
 
我が国は天皇陛下と申し上げる以外、他に呼称はあり得ません。
真っ当な日本国民はこの言葉の意味することを理解し、断じて「天皇制」という言葉を用いるべきではありません。
 
 
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「歌会始の儀」

 
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宮城・宮殿「松の間」で行なわれた「歌会始の儀」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。
天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。
歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後,年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。
歌御会始は,江戸時代を通じほぼ毎年催され,明治維新後も,明治2年(1869年)1月に明治天皇により即位後最初の会が開かれました。以後,改革を加えられながら今日まで連綿と続けられています。
明治7年(1874年)には一般の詠進が認められ,これまでのように皇族・貴顕・側近などだけでなく,国民も宮中の歌会に参加できるようになりました。
明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることとなりました。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり,今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したものであります。
明治15年(1882年)からは,御製を始め選歌までが新聞に発表されるようになり,明治17年(1884年)からは官報に掲載されるようになりました。
大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,その附式に歌会始の式次第が定められました。これにより,古くから歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりました。しかし,大正15年12月,大正天皇崩御のため昭和2年には歌会始は行われなかったので,実際に歌会始と呼ばれたのは昭和3年(1928年)の歌会始からです。
そして,先の大戦後は宮内省に置かれていた御歌所が廃止され,在野の歌人に選歌が委嘱されました。また,広く一般の詠進を求めるため,お題は平易なものとされました。預選者は,式場への参入が認められ,天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになりました。召人は広く各分野で活躍し貢献している人々を選び,陪聴者の範囲や人数を拡大しました。また,テレビの中継放送が導入されて,さらに多数の人々が歌会始に親しむことができるようになりました。こうして歌会始への国民参加は,ますます促進されました。
長い歴史を有する宮中の歌会始は,明治と戦後の改革によって世界に類のない国民参加の文化行事となりました。短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ,これを披講する宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは,誠に喜ばしいことであります。
毎年1月の歌会始の儀では,天皇皇后両陛下の御前で,一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人(めしうど)の歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌(みうた)と続き,最後に御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。
この儀式は,読師(どくじ)(司会役),講師(こうじ)(全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい)(第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう)(第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行されます。
宮内庁HPより引用
 
 
天皇陛下御製
 
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
 
 
皇后陛下御歌
 
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
 
皇太子殿下
 
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
 

皇太子妃殿下
 
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
 

秋篠宮殿下
 
湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ
 

秋篠宮妃殿下
 
難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
 

秋篠宮眞子内親王殿下
 
人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり
 

常陸宮殿下
 
海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり
 

常陸宮妃殿下
 
被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす
 

三笠宮妃殿下
 
今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ九頭竜川の岸の川原に
 

寛仁親王家彬子女王殿下
 
大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか
 

高円宮妃殿下
 
福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中
 

高円宮承子女王殿下
 
紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青
 

高円宮典子女王殿下
 
対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり
 

高円宮絢子女王殿下
 
海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる
 
【召人】

堤清二さん
雲浮ぶ波音高き岸の辺に菫咲くなり春を迎へて
 
【選者】

岡井隆さん
いのちありてふたたびドナウ源流の岸べをゆきし旅をしぞ思ふ
 

篠弘さん
かはらざりし北上川に花びらが岸のほとりの早瀬を走る
 

三枝昂之さん
なほ朽ちぬこころざしありふるさとの岸辺に灯る甲州百目
 

永田和宏さん
舫ひ解けて静かに岸を離れゆく舟あり人に恋ひつつあれば
 

内藤明さん
源は雲立てる山ゆつくりと流るる川の岸辺をあゆむ
 
【入選者】(年齢順)

茨城県 寺門龍一さん(81)
いわきより北へと向かふ日を待ちて常磐線は海岸を行く
 

埼玉県 佐藤洋子さん(77)
対岸の街の明かりのほの見えて隠岐の入り江の靜かなる夜
 

奈良県 山崎孝次郎さん(72)
相馬市の海岸近くの避難所に吾子ゐるを知り三日眠れず
 

長野県 小林勝人さん(71)
ほのぼのと河岸段丘に朝日さしメガソーラーはかがやき始む
 

大阪府 山地あい子さん(70)
しほとんぼ追うて岸辺をかける子らつういつういと空はさびしい
 

千葉県 宮野俊洋さん(67)
春浅き海岸に咲く菜の花を介護のバスが一回りせり
 

カンボジア 渡辺栄樹さん(65)
子らは浴み岸辺に牛が草を食(は)むこぞの我らが地雷処理跡
 

京都府 大石悦子さん(57)
とび石の亀の甲羅を踏みわたる対岸にながく夫を待たせて
 

福島県 沢辺裕栄子さん(39)
巻き戻すことのできない現実がずつしり重き海岸通り
 

大阪府 伊藤可奈さん(17)
岸辺から手を振る君に振りかへすけれど夕日で君がみえない
 
 
 
新年恒例の「歌会始の儀」が12日、宮城・宮殿「松の間」で行われました。
今年のお題は「岸」。畏くも天皇、皇后両陛下や皇族方のお歌のほか、1万8830首の一般応募(選考対象)から入選した10人の歌が、古式ゆかしい独特の節回しで披露された。 
畏くも天皇陛下のお招きで歌を詠む召人は詩人・小説家の堤清二さん(84)が務めた。
 畏くも天皇陛下におかせられましては昨年5月6日、東日本大震災のお見舞いで岩手県を訪れ、ヘリコプターで釜石から宮古まで移動した際に、上空から見た被災地の印象を詠まれあそばされた。
 
 皇后陛下におかせられましては、被災地で行方不明になったの家族のお気持ちをとらえられ、戦後外地、シベリアから抑留者の引揚げ、などさまざまな待たれる人の姿を詠まれあそばされた。
皇太子殿下におかせられましては中学3年の修学旅行で東北を訪れたときの光景を題材にされた。
皇太子妃殿下におかせられましては、東日本大震災の被害に心を痛めあそばされ、平成8年に福島市土湯温泉町のハイキングコースで見た美しい自然と被災地の人々への思いを歌に込められました。
 
 
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歌会始の儀で朗詠を聞く最年長入選者の寺門龍一さん(中央左)=12日午前、宮城・宮殿「松の間」
 
 
 
 
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歌会始の儀で朗詠を聞く沢辺裕栄子さん(後列右から2人目)=12日午前、皇居・宮殿「松の間」
 
 
 
 
来年の歌会始のお題「立」
 
 
 
 
大和言葉の「うたふ」の語源は「訴ふ」で、和歌は声に出して歌う(読み上げる)ことに本来の意味があるということです。
しかも、それが千年以上の伝統をもつ雅びな披講の流儀で現代の我國に活きており、毎年公式の正月行事として続けられることの文化意義は大きく、世界に誇れるものであります。
 
 
 
 
 

 
 
 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳



畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。


転載元転載元: 美しい国

欺瞞の日本

 
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                          ( 守るべきは憲法9条ではなく我が祖国日本です)
 
 
歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
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欺瞞の美辞麗句「平和と民主主義」と欺瞞の貶め言葉「邪悪な侵略戦争」
 
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                                                                               高知大学名誉教授 福地惇
 
 
あの戦争の大敗北で我が国は亡国の淵に立たされたのである。ところが、巧妙な敵国の占領支配は、狂暴な大陸侵略戦争をした日本軍国主義者が悪であり、軍国主義者を育てた日本の古い歴史が悪である。
日本国民は権力者らに騙されて無謀な戦争に駆り出された犠牲者である。それゆえに、新日本国民は「恒久の平和を念願し、・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、われわれの安全と生存を保持しよう」(占領憲法前文)と旧敵国に誓わされた。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」とは、欺瞞的で壮大な虚構のお笑い草だが、そう信じなければ国際社会に復帰できないかのように脅されたのである。つまり、占領憲法(軍事占領下に憲法制定はできない)によって、我が国は「亡国の淵」に立たされたまま、平和と民主主義にすがることで「新日本」として再生させて戴くが如き欺瞞的幻想に晦まされた形となった。
 
だが、「平和と民主主義」なる言葉は、連合国(戦勝国)が敗戦国日本を永久に下位国家に位置付ける手段としての「美辞麗句」の類なのだ。民族やその歴史と国民国家を軽視するこの「美辞麗句」を法源とした「占領憲法」を押し戴かされることで、真の独立回復への可能性は厳しく閉ざされたわけである。
欺瞞の上に成り立つ「憲法」を肯定するには、戦前の祖国の歴史を自己卑下し、軍国主義者が邪悪な戦争を推進したからこうなったのだと自虐する以外にない。
日本の歴史は古く長く、そして誇るべき美点も多く、あの戦争も敵国が言うような邪悪な侵略戦争ではなく、むしろ根っこから邪悪なのは敵国側だと信じ続けなければ話は別になるはずだった。しかし、占領時代は固より、所謂「独立回復」以後の長い期間、そのような主張をしようものなら、軍国主義者だとか戦争を美化する愚か者、「平和と民主主義」の新日本への道を妨害する者と非難され、異端者のレッテルを貼られ、社会の枢要な位置から排除されたのである。占領支配者は、そのような仕掛けを構築し、彼らに媚びへつらった日本人に事後を託したのだ。
 
ところで、英米の対日戦争の目的は、東アジアの勇者日本、古い歴史とまとまりある民族文化を保持する独立主権国家を壊滅し策略に嵌(は)めて戦争を誘発して、大打撃を与えた。而して、二度と再び彼らの「脅威」にならぬように巧妙な保護監察の条約で縛り、つまりは永久に彼らの支配の下に置く策略を展開した。それが占領支配で推進されたことであった。戦時国際法を完全に無視してまでも、徹底的に過酷・悪逆な軍事攻撃で日本に大打撃を与えたのは、恐怖で敵を畏怖させる、正にその為であったのであって、世界征服の野望を秘めた大陸侵略の軍国主義者を懲罰するというのは、表向きの事実を曲解した屁理屈に過ぎなかったことを我々の先達たちは悟るべきであった。
 
何時も綺麗事で自らの正体を幻惑する名人が米英連合国だったのである。本当は極度に邪悪な敵の正体を知る者はパージの運命に晒(さら)された。だから逆に敵を畏怖し本心で利敵行為をする日本人は、新しい平和と民主主義の時代を知る者として優遇された。つまり、占領権力が厳命した思想を肯定し、平和条約以降もその姿勢を取り続けた者たちが社会の枢要な位置を占拠し、そのような敵国に媚びへつらった戦後指導者に教育されて疑念を持たずに育った世代がそれに続いたのである。だから、対米英蘭支ソ戦争の大敗北から早くも60有余年が経過しても、社会的権力配置関係は基本的には米国に占領されていた時代の延長線上で、今日只今の平成時代の不本意な政治・外交・軍事・経済の状況へと立ち至っているのである。
敵の正体を知らず、己自身をも知らない戦後日本人、「戦う毎に必ず危うし」と、正に孫子の兵法に言うとおりである。(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
・・・・・・
 
正しい歴史を知る福地先生は、東大卒業にあたり、名門大学は紹介して頂けなかったと言います。なぜなら、当時は安保闘争真っ盛りで、左翼が幅を利かせて、“左翼でなければ人にあらず”の如く、左翼的自虐史観しか名門大学への紹介はされなかったと言います。そのため、福地先生は「お前のような右翼は島流しだ」と言われながら高知大学に送られたそうです。
 
「平和と民主主義」という欺瞞。
日本は戦後、戦争もなく平和に過ごし、経済発展も、豊かさも経験してきました。それは日本人がまじめで勤勉ということもありましょうが、やはり奇跡に近い状況であったといえます。
それが出来たのは決して「平和憲法」のお陰ではなく、日米同盟の役割はあったでしょうが、この状況が今後も続くという保証もなければ、その可能性もないのです。
であるのに、日本は今も米国の防衛を頼りにしながら、チャイナには経済や製造の役割を依存し、日本国内は近隣国の工作員やスパイを抱え込み、肝心の日本人はお国のことも領土のことも憲法も関心が薄く、今がよければ、自分さえ楽しければと、目先の安楽に身を置き、自分勝手で自己中心的な振る舞いが様々なトラブルや殺人をも招き、この国は一体この先どうなっていくのか、政治家すらその将来像を描くことが出来ずに、劣化日本に歯止めがかからないのであります。
 
日本の近隣国には人間の命を何とも思わない国があり、そういう国というのは年々軍事力を増強し、その力を背景に自分に都合のよい主張を他国に押し付けているのです。これらの国と日本はいつかは衝突することは無きにしも非ずで、ある可能性は年々高まりつつあるのは気のせいでありましょうや。
その万一のための我が国の態勢は全くの想定外の状態であり、欺瞞の「平和と民主主義」とスパイだらけの劣化した日本では、戦う前に勝負がついているのではないか、と危惧しております。
日本の周辺は敵だらけ、日本国内も敵だらけである、と気づくこともできない欺瞞の平和に、いつになったら日本人は気付くのでしょうか。世界の中で日本だけが例外であることはあり得ないのです。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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