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陛下の祈り(四方拝)

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四方拝(宮内庁書陵部蔵)
 
 
本ブログにご来訪の皆様は、元旦の早朝より、畏くも今上陛下が出御あそばされ、四方拝を行われたことはご存知だと思います。
数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、畏くも天皇陛下が御自ら行われることになっています。そのため、御代拝(ごだいはい)が認められません。
御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(畏くも天皇陛下の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となります。
ほかに、畏くも天皇陛下が元服(げんぷく)を迎える前は、御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、諒闇(りょうあん)(畏くも天皇陛下が喪に服している期間)は行われないことが慣例となっています。
四方拝の起源は明確には分かっていませんが、文献に見える初例は、『日本書紀』に記された、皇極天皇(こうぎょく・てんのう)が雨乞いのために四方拝を行ったのが最初とされています。千四百年前のことです。
元旦四方拝は、平安初期の嵯峨天皇の御代に始まったとみられ、中世、近世にも京都御所の清涼殿東庭で続けられてきた。
上記の画像はその当時を描いたものです。
左上の柱の陰に顔が隠れているのが天皇陛下で、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」という天皇陛下だけの束帯装束が見えます。そのすぐ前にいるのが蔵人頭(くろうどのとう)で、「御草鞋(そうがい)」という履き物を差し出しており、その次には近衛中将(このえのちゅうじょう)が御剣を捧げ持っています。寅の刻といえば図とは違って実際にはまだ暗いので、四方拝の座まで敷かれた「筵道(えんどう)」を殿上人(てんじょうびと)が紙燭(しそく)という灯りで照らしています。庭には、漢竹(かわたけ図の・左側)と呉竹(くれたけ)の間に唐人打毬(とうじんだきゅう)の図を描いた大宋(たいそう)屏風がめぐらされ、中に両面の短畳で三つの座が設けられています。図の上の方に見える青い畳は実際には北西側に置かれていることになりますが、まずここで北斗七星を拝します。次に図の右側、実際には北東側の紫の褥(にく=しとね)の座で天地四方を拝します。さらに図の下側、実際には南東側の青畳の座で山陵を拝するのです。このほか、張りめぐらされた屏風の中には、北向きに燈台と机を置き、机にはお香と花が供されてあるのが見えます。
『公事根源(くじこんげん)』という書物には「昔は殿上の侍臣なども四方拝はしけるにや、近頃は内裏・仙洞・摂政・大臣等の外は、さることもなきなり」とありますので、はじめは臣下の人々もそれぞれ自宅で行っていたようです。
四方拝は、明治四十一年に制定された皇室祭祀令(こうしつ・さいしれい)で規定され、戦前までは国家行事として行われていました。
現在も明治時代の作法に準拠して行われています。
現在、四方拝で畏くも天皇陛下が拝される諸神は次の通りです。

神宮(じんぐう)(伊勢神宮)
天神地祇(てんじんちぎ)
神武天皇陵(じんむ・てんのうりょう)
先帝三代の陵(みささぎ)(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)
武蔵国一宮(むさしのくに・いちのみや)・氷川神社(ひかわ・じんじゃ)
山城国一宮(やましろのくに・いちのみや)・賀茂神社(かも・じんじゃ)
石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう)
熱田神宮(あつた・じんぐう)
鹿島神宮(かしま・じんぐう)
香取神宮(かとり・じんぐう)

四方拝は、畏くも天皇陛下お一人がされる特別の祭祀で、その詳細は一般人はおよそ知る必要もないものですが、『内裏儀式(だいり・ぎしき)』や『江家次第(ごうけ・しだい』など、平安時代の儀式書には、四方拝の様子が記されています。
江家次第は、平安時代後期の有職故実(ゆうそくこじつ)書。著者は大江匡房で全21巻(現存19巻)からなっています。有職故実とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究することをいいます。当時は、知識に通じた者を有識者(ゆうそくしゃ)と呼んだ名残から、現在も深い学識・見識を持つ人を「有識者(ゆうしきしゃ)」と呼ぶのです。
 
畏くも天皇陛下は大晦日の夜、御湯(みゆ)で玉体(ぎょくたい)(畏くも天皇陛下の身体)を清められ、黄櫨染御袍で出御され、御座に着座された天皇陛下は、御笏(みしゃく)(「笏」とは、よく神主が手に持つ白木の板)をおとりになり、北に向かい、新しい年の属星の名字を七回唱えられます。
 
①貪狼星(どんろうせい)(子年)
②巨門星(こもんせい)(丑年、亥年)
③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年)
④文曲星(ぶんきょく)(卯年、酉年)
⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年)
⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年)
⑦破軍星(はぐんせい)(午年)
 
再拝(さいはい)(深く拝む動作を二回繰り返すこと)に続けて、呪文が唱えられます。『江家次第』によると、その呪文は次のようなものです。
 
賊冦之中過度我身(賊冦の中、我が身を過し度せよ
毒魔之中過度我身(毒魔の中、我が身を過し度せよ
毒氣之中過度我身(毒氣の中、我が身を過し度せよ
毀厄之中過度我身(毀厄の中、我が身を過し度せよ
五急六害之中過度我身(五急六害の中、我が身を過し度せよ
五兵六舌之中過度我身(五兵六舌の中、我が身を過し度せよ
厭魅之中過度我身(厭魅の中、我が身を過し度せよ
萬病除癒、所欲随心、急急如律令。
 
ここで注意したいのは、原文中の「過度」という言葉です。
学術研究においては、一般に道教の常套句的文言として「守りたまえ」の意味として解釈されてきました。中国語の古代辞書『説文解字』や『経籍餐詁』によると、
「過」とは
・すぎる、わたる、よぎる、あまねく
「度」には
・ここでは、悟らせるを意味します。
 
すなわち、罪障は我が身を通して悟りへ至らしめん、「罪障から私を守ってください」ということではないのです。
この世に起こる罪障をすべて引受けられることを意味します。
陛下の民(臣民)を陛下が身を挺して護ってくださっておられるのです。
臣民は、難事が起こると、安易に限りを尽くして「魔除け」を望みます。しかし、陛下は引受け遊ばされておられるのです。
臣民は安易なほうへ流されます。しかし、陛下は困難をすべて受入れられるのです。
 
罪あらば我を咎めよ天津神民は我が身の生みし子なれば
 
大逆を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた、明治天皇の御製です。
御身を害しようとするものでさえ、自分の子であると庇う心をお持ちなのが、天皇陛下という存在なのです。
先帝陛下もマッカーサーに対して「我が身はどうなってもかまわぬ。国民を救ってほしい。」と覚悟を示しあそばされました。
臣民が始めた戦争でしたが、最後は臣民を護るため、ご聖断あそばされ、食糧難にあえぐ臣民を救われた。
 
我国には現在、内閣総理大臣はじめ大臣が存在します。かっては国政を預けられた氏族を大臣(おおおみ)と呼びました。
政(まつりごと)は、祭事(まつりごと)と同じ読み方をします。語源は同じ意味になります。すなわち、政と祭事は一体なのです。政は祭事なのですから、政治は祭事、神事であり、ご神示に則って執り行われるのが、本来の姿であり、『祭政一致は』は日本の伝統でした。
しかしながら、現在の政(まつりごと)は神意に則ったものとは程遠い状況です。
また、政(まつりごと)の混迷を現した世相も乱れています。
 
しかし、陛下は一億三千万人の「罪障」を引受けておられるのです。
まつろわぬ民も同じ「赤子」として・・・
 
 

転載元転載元: 美しい国

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良識ある日本国民の皆様には、お健やかに新春をお迎えのことと存じます。

皇紀二六七二年の新春を奉祝いたし、貴方様には謹んで新年のお慶びを申し上げます。

昨年は格別の御厚情を賜りまして、ここに厚く御礼を申し上げ、本年もご指導、ご鞭撻の程を宜しくお願いいたします。

本年が貴方様にとって、日本国にとって、幸多き年となりますようお祈り申し上げます。

皇紀二六七二年 平成24年 元旦 財団法人・日本遺族会、近野滋之

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_36034388_2?20120103090354

東日本大震災発生により、世界各国から日本へ救助隊派遣や義捐金が贈られましたが、大東亜戦争終結まで同じ統治領(植民地ではない)だった韓国と台湾について、マスコミは韓国のことしか取り上げません。

台湾からは200億円を越える義捐金が贈られて、復興の支援にと訪日旅行もしていますが、一方の韓国は、在韓日本大使館前に捏造した従軍慰安婦の碑を設置するなど、上から目線で金をたかろうとしています。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_36034388_3?20120103090354

私は一民族主義者として、真の日台友好を望む立場として、台湾による尖閣諸島・従軍慰安婦問題に抗議の記事を書いていますが、韓国が日本軍=極悪としていることが捏造だと証明するために、本日は、台湾統治時代の日本兵を簡単にご紹介させて頂きます。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/821449/img_821449_36034388_4?20120103090354

助けてくれた日本人の将校さん

昭和20年の春、台湾南部を走る満員の汽車のステップに立ち、振り落とされまいと必死に鉄棒に掴まっている12、3歳の少女がいた。名は楊素秋(日本名:弘山貴美子)さん。

台南第一高等女学校(4年生の旧制中学)を受験するための参考書などを詰めたリュックを背負い、3日分の米と野菜を入れた布袋2つが両腕に痛いほど食い込んでくる。

隣に立っていた20歳ぐらいの日本人の将校さんが心配そうに「大丈夫ですか」と聞くが、もう返事をする気力も残っていなかった。将校さんが「その荷物を捨てなさい。早く捨てなさい」と言った。

ちょうど汽車は鉄橋にさしかかった所だった。鉄棒から片方の手を離して荷物を捨てた時、ゴーと鉄橋に渦巻く列車の轟音にハッとした楊さんは、左足をステップから外してしまった。「助けて」と叫ぼうとしたが、目の前が真っ暗になって、意識を失ってしまった。

遠くで聞こえていた大勢のざわめきが、段々と近くなってきた。誰かが頬を叩いている。「気の毒にね。いたいけな子供が。顔が真っ青だよ。」「いやぁ、その軍人さんがいなかったら、この子は川の中だったな。」

気がついたら、楊さんは知らないおばさんの膝の上に抱かれていた。おばさんはニコニコしながら「ああ、よかった。息を吹き返さなかったら、どうしようかと心配していたのよ」と、楊さんのおかっぱ頭を撫でた。

台南駅につくと、おばさんは楊さんを抱いて窓から外に出してくれた。窓の外には、あの将校さんが待ち構えていて、楊さんを抱き降ろした。

汽車のステップの上に立ち、自分の荷物を抱えて立っているだけでも大変なのに、その将校さんは気を失って転落しかけた楊さんをとっさに掴み、引っ張り上げてくれたのだった。下手をすれば自分も一緒に落ちてしまうかもしれないのに。

「あのう、、、お名前を教えていただけますか?」と楊さんが聞くと、将校さんはプッと吹き出し、「ハハハ、子供のくせに。いいから気をつけて帰るんだよ」と将校さんは手を振って、汽車に乗り込んだ。

爽やかな笑顔だった。汽車が遠くかすんで見えなくなるまで、楊さんはそこに立ちすくんでいた。将校さんへの感謝を繰り返し、武運長久を祈りながら。

楊さんは、その後、名前だけでも聞いておけばよかった、と50年以上も悔やむことになる。生きている間にもう一度お会いして、お礼を言いたい、、、そんな思いを抱きつつ、楊さんは戦後、成人してから小児麻痺の子供10人と健常者の子供20人を預かって育てあげた。

あの将校さんは自分の命を助けてくれただけでなく、他の人に尽くす力も与えてくれたのだった。

自分の国の兵隊さんは、こんなに素晴らしい

台南には日本陸軍の第2歩兵連隊が駐留しており、年に何回かある記念日には閲兵式があった。その行進の歩調は、イチニ、イチニとピッタリ揃っていて、沿道を埋め尽くした人々が、みな固唾を呑んで見とれていた。

ある日、演習があって、楊さんの家の前の木陰で休んでいた兵隊さんが立ち上がろうとした拍子に銃を落としてしまった。上官がそれを見て、兵隊さんに鼻血が出るまでビンタを張った。

ぶたれながらも兵隊さんは気を付けをしたまま、敬礼して「ありがとうございました」と言うだけだった。その敬礼は崩れず、実に格好良かった。

その様子を息をこらして見ていた楊さんは、子供心にも軍の厳しさを感じ取った。兵隊さんでだらしのない人は一人も見たことがなかった。自分の国の兵隊さんは、こんなに素晴らしいのだと、楊さんたちは誇りにしていた。

昭和18年、楊さんが5年生の時には、台南市でも米軍の爆撃が激しくなり、一家で祖母のいる大社村という田舎に疎開した。そこにも日本の若い兵隊さんたちがおり、日本語の話せる楊さん一家に、自然に遊びに来るようになった。

楊さんの母親は兵隊さんたちを自分の子供のように可愛がって、おやつやご飯をたくさん作って、たらふく食べさせた。満腹になって帰って行く兵隊さんたちには「明日もおいで」と声をかけた。

兵隊さんたちは、お礼代わりに、水汲みを手伝ってくれたり、また支給品の三角巾や薬を使わずに持ってきてくれた。

中には自分が使っていた立派な万年筆を楊さんの父親にあげようとして断られると、「お願いですから使って下さい」と半ば強引に置いていった兵隊さんもいた。

兵隊さんたちはお互いの間では「おい、こら」などと言っているのに、楊さんに向かうと「喜美ちゃーん」とニコニコしていた。子供にはとても優しかったのだ。

軍隊では時々映画を見せてくれるので、そういう時は「喜美ちゃーん、映画に行かんか」と誘ってくれる。楊さんは「はーい」と言って元気に家を飛び出す。5年生で小さな楊さんは周りが皆兵隊さんばかりで画面が見えないので、いつも肩車してもらうのだった。

(国際派日本人養成講座)抜粋
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog361.html



日本統治時代の台湾は「助けてくれた日本人の将校さん」と感謝をしていますが、韓国は捏造した従軍慰安婦の碑など反日国家で、平成24年は民主党政権倒閣・反日勢力根絶のために戦いましょう。

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転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

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沖縄のこととなると沖縄以外の日本人の多くはマスコミの受け売りで、その報道のままを真実と思っている人が多いかもしれません。米軍基地問題も沖縄県民の全てが反対しているように思わされ、集団自決も日本軍の強要が「あった」と思わされ、毎回何かあると大きな集会が開かれて沖縄の人たちの気持ちを踏み滲むようなことはしてはいけない、・・・。 などと思ったらあなたは詐欺にあったと同じです。
しかも、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」のような左翼作家の虚構の本が、今やすでに真相が証言されているにもかかわらず訂正もされずに販売されているのです。
真実を語る歴史的良書は絶版にされても、こういう左翼の悪本はいつまでも販売され続けています。
そして、「琉球新報」や「沖縄タイムス」のような左翼マスコミが大手を振って偏った報道を流し続けていることこそ沖縄の不幸であります。
思うに、沖縄こそ「言論の自由」もなく「思想信条の自由」もない違憲な県であるかもしれません。
日本の国益に沿うようなことを主張したり、正しい歴史を言うと、強硬な言論弾圧に遭い、中には退職にまで追いやられ職を失ったり、身の危険さえもあるともいわれています。
 
平成231227日、防衛省がまとめた「辺野古評価書」の運送が沖縄県庁前で左翼反対派に阻止され引き返しました。これは民主党政権のお粗末さも原因でありますが、この左翼反対派のやっていることはまともではありません。またそれを援護するような「琉球新報」や「沖縄タイムス」も異常です。
国のやることを左翼の反対闘争や第三国の圧力で捻じ曲げられること自体おかしいのです。
反対派は200人との反日マスコミ報道でしたが、どう見てもそんなにはいないのではないか。彼らの報道はもはやまともには受け取ることは出来ません。
 
沖縄反日左翼マスコミの援軍のもと、左翼反対派は勢いづいて、行政をもまともに機能させなくしたり、言論を封殺したりと、違法な状況が当然のごとく行われているのです。
これが沖縄の姿なのです。いや、日本の現状なのであります。
 
さて、ここに沖縄の真実を知る大変よい本が出版されました。左翼作家・大江健三郎の「沖縄ノート」に対して、「新・沖縄ノート」として『誰も語れなかった沖縄の真実』(著者:恵隆之介)です。
 
沖縄在住の著者であるからこそ沖縄の真実の姿が書かれております。
恵さんは「序」で「左翼に絶対屈するなと激励された」と書いています。
また、「私は殴り殺される覚悟で本当の沖縄を書いた」ともあります。
もはや沖縄の真実はマスコミでは知ることは出来ません。
12月に出たばかりの本なので内容は書けませんが、当然私も知らなかった沖縄がここにありました。
これぞ「真実の沖縄ノート」といえるでしょう。
真実を語る著者が殴り殺されないように、多くのご支援をお願いしたいと存じます。
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 
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昨日は靖国神社の放火に対する記事を書きました。
巷では、その犯人は在日韓国人であり、ツイッタ―にこのように書き込んでいました。
「・・靖国神社なんて、世界中から忌み嫌われてる神社、放火したって、誰も悲しまないだろ!?逆に、世界中がみんな喜ぶよ。俺は英雄」
 
 ”俺は英雄”。
靖国神社に放火して英雄であるわけがありません。
韓国では反日行動をとればとるほど英雄気分になると言いますが、こういうのを愚かな馬鹿者というのです。
 
真の英雄とは、お国のために、たとえ負け戦であるとわかってはいても、赤誠の命を投げ出して、お国のために尽くすことであり、この誰にも簡単に出来ない尊い自己犠牲の精神こそ誠の英雄たるものであります。その我が国の英雄たちが死して会おうと言いあったのがこの靖国神社です。
もし放火の犯人が在日韓国人であり、本当に英雄になりたければ、自分の同胞たちを飢餓や弾圧、拷問、さらには獄死させ、非人道的に苦しめている独裁者・金一族の北朝鮮に対して命を捧げて戦うのが真の英雄たる道であります。
靖国に火を放って、すぐに逃げ出して隠れているような小者が英雄であるわけがないのです。
 
日本統治時代を生きた韓国人が書いた著書『日本統治時代を肯定的に理解する』という本があります。
その中には今の反日韓国人が主張することと全く違うことが書かれています。
「日本統治時代に生まれ、数え年二十歳で終戦を迎えた者として、この世を去る前に率直な心情を書き残したい気持ちで」書いたものであると「序」の部分に書いてあります。
台湾も、朝鮮も日本の統治を知る世代は日本の”ありがたさ”を肌身で感じて理解されています。
そして、日本の統治時代を知らない世代の韓国人が、ありもしないことで日本を攻め立てるのはやがては韓国自身が困ることになるはずである、と指摘しているのです。
この著書の中に、「阿川弘之氏『特攻隊のまぼろし』を読む」と題した部分があります。
今回の事件とかさねてみると見えてくるものがあります。
・・・・・
 
まず、「特攻隊のまぼろし」を一部引用させてもらおう。
初老に近い中年男たちが、七、八人、ビールを飲みながら国際問題を論じている。
大学教授、新聞記者、綜合雑誌の編集長、会社顧問の自衛隊OB、大物議員の元秘書、職種経歴はさまざまなれど、ある意味でみんなそういう問題の専門家、世代としては、日教組最も華やかなりし頃、初等教育を受けた世代に属し、直接の戦争体験はもっていない。(中略)
「みんな」の中に一人だけ、第二次大戦に従軍した爺い、つまり私(阿川)が混じっていて、新しい国際関係論なんかよくわからないから、黙って聞いていたら、話が台湾のことに及んだので、ちょっと口を出した。(中略) そのへんから、台湾の将来について議論が白熱化してくる。李登輝さんはじめ台湾の人たちが、半世紀かけて築き上げたあの蓬莱(ほうらい)の島を、北京(中国共産党)の方で、これ以上もう待っていられない、「武力解放」すると言い出したら、我々(日本人)はどうするのか。台湾人は正直な話、「一つの中国」なんて望んでいやしない。(中略)
日本の統治時代に入って以後、台湾では日本流の近代化が行われ、日本流の生活様式が取り入れられた。押し付けだったにもかかわらず、彼らは今尚それを高く評価してくれているし、さらに大きく発展させている。その、大陸に先んじて近代化し、大陸よりはるかに自由で豊かになった台湾人の生活を、武力で奪い取る動きが起こった時、アメリカはすぐ海軍を出動させるだろうが、日本政府は例によって、曖昧なこと以外も言えず、何の実際的援助も出来やしない。そんな政府のむ方策に準じて、我々も知らん顔していいのか。
「小生、はばかりながら、国際的にはこれでも退役ジェネラルなんだ。台湾空軍のF16を一機貰い受けて来る。A君、お前テストパイロットだったんだから操縦桿握れ。B君、君は台湾問題に情熱を傾けた国会議員の元秘書だろ、俺の席の横にもぐり込め。三人で中華人民共和国海軍のミサイル艦に突入、特攻戦死して、せめてもの日本男児の心意気を世界に示そうじゃないか」(中略)
私は、どんな面から考えても、先の大戦末期の特攻戦法を容認出来ない。この放談も、もし本気なら受け入れかねるお話なのに、聞いているうちに涙が出て来た。(中略)
日本の対米戦争に則して言えば、戦争の悲惨を一番痛切に味わったのは、ガダルカナルその他の島で餓死自決した陸海軍将兵と、特攻隊に編入されて出撃し、還ってこなかった若者たち、及びその遺族だろう。
ただし、彼ら無念の魂魄がこの世にとどまっているとして、
「戦争は悲惨だから、いたる所に涙の種をまき散らすから、祖国よ、どんなことがあっても二度と武器をとるな。日本を除いて、世界には平和愛好国ばかり、誰に何をされても見て見ぬふりをしてろ」と訴えるかどうかは疑問である。
この五十四年間、彼ら、特に特攻隊員の「死せる魂」は、祖国の経済的な復興ぶり、世相人心の移り変わり、少年少女のお作法、一部の人の護憲平和運動を、多分、小首をかしげる思いで眺めて来た。
「若い命がいかに大切なものか、それを捨てさせられるのが、自分にとっても家庭にとってもどんなにつらい悲しいことか、我々、身にしみて知っている。あんたたちの観念論とちがうんだ。しかし、国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている。いつまで羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いているのかね。生き残りの皆さん」と言いたいのを、黙してずっと語らずにきた。
それが、今日は驚いたろう。戦後生まれの日本の子供、いや中年男三人、隣邦を救うため、特攻を口にしはじめた。これはこれはと、彼らの頬に、戦死後初めての静かな笑みが浮かんだのではあるまいか。
そう空想したら、涙が出て出て止まらなくなったのであった・・・」
 
朝鮮動乱が起こった1950625日当時、僕(著者)はソウル大法大四年に在学中だった。
628日にソウルが共産党軍に陥落してから家族とともに楊平に疎開し、10月、ソウルの修復と同時に復帰、すぐ陸軍通訳将校に志願入隊。
短期訓練の後、12月に任官して547月まで満39カ月、軍に服務した。
この朝鮮戦争で、韓国軍415千人と、米軍33629人、その他連合軍約36百人が戦死した。
これらの犠牲の上に韓国は共産侵略を免れ、曲がりなりにも今日の自由と繁栄を築きあげたのだ
今、韓国や国外に住む韓国人とその子孫は、すべて自身が有能なるがゆえにこれだけの水準に達したと思うであろうが、もしこれらの犠牲なくば、今は全て金正日のバッジを胸につけ、彼の独裁の下に恐怖と飢餓におののくか、あるいは既に飢え死にしたであろう
 
僕は19537月の休戦協定以来、今に至るまで、韓国国民最大の課題は韓国の民主化、次が北朝鮮国民を共産独裁の苦痛から救い出すことであると信ずる。
北にある我が数千万の同胞は、いわば左翼独裁集団に拉致され、人質として首根っこを押さえられている状態なのに、金大中政権は太陽政策なる名分を振りかざして彼らに大量の食料と肥料を与えている。
人民は依然として飢えて死ぬのに、政権は益々太っていくのは実に見るに堪えない。これは北朝鮮の人民にとって日本統治35年の圧迫をはるかに上回る精神的苦痛であり、物質的悲劇である。
 
韓国は、北朝鮮が国境線に並べたミサイルに怖じけづいたのか「戦争は悲惨なもの。どんなことがあっても避けねばならぬ」と、いきなり平和の天使と化した。政治家も一般国民も正義感に欠け、卑怯なのだ。同胞愛のかけらも見当たらない
拉致犯に首根っこを押さえられている同胞を救うには、軍に相当の犠牲があろうとも戦わねばならぬ。しかるに韓国軍のやっていることは何か。極端な不正腐敗に兵務非理、現役勤務将校兵らの間に原因不明の事故死が続出するありさまは何たることか。
「国はいつか、悲惨な覚悟で戦わねばならぬ場合がある」という話に、僕は全面的に同意する。
そして今の韓国こそ、まさにそういう場合であると信ずる
 
かつて朝鮮の若者たちも特攻隊に参加した。当時、朝鮮は日本に合併されて35年経った時点であるから、彼らの一部は日本人と同じ気持ちで、祖国に奉公する一念で、滅私奉公を遂げたのであろう。またその中には日本の国民たるを意識して、こうして日本のため一身を犠牲にすることは、朝鮮人の社会的地位を高めるためになるとして、身を挺した者があったかもしれない。
僕は洋の東西、時の古今を問わず、自国のためと信じて戦場に狩りだされ、命を賭した全ての国のすべての若者に、最大の敬意と同情を捧げる。その中でもこの特攻隊の、死ぬと知りつつ敵に突っ込んだ犠牲精神に対し、僕は言うべき言葉を持たない。・・・
  
ここには多くの言葉を要しないでしょう。
そして、今の日本人にも思い当たる部分はあるはずです。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

靖国神社へ放火

 
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                            (台湾 阿里山)
・・・・・・
26日午前4時10分ごろ、東京都千代田区九段北の靖国神社で、「門に火がつけられた」と警備員の男性から110番通報があった。警視庁麹町署が調べたところ、境内にある神門の一部が焼けていたが、警備員がすでに消火器で消し止めており、けが人はなかった。境内の防犯カメラに、男が火を付けるような様子が写っており、同署が放火容疑で調べている。
同署によると、神門は第二鳥居と本殿などの間に建てられている門で、木製の扉が幅約数十センチにわたって焦げており、油をまいたような跡があったほか、近くに灯油を入れていたとみられるカップ酒の容器2つがあった。防犯カメラの男は黒ずくめで、110番通報の直前、神門に液体をまき、火を付ける様子が写っていた。
インターネットの簡易ブログ「ツイッター」上には、外国人問題に関連して「靖国神社を、放火してやろう」などとする書き込みがあり、同署が関連を調べている。(2011.12.26 産経新聞)
 
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・・・・・ 
 
靖国の神門に火をつけたという信じられないことが起きました。
場所をわきまえない暴挙であり、一歩間違えれば大惨事でありました。
この神門はかつて統治していた台湾の阿里山の樹齢1000年と言われる巨大檜でつくられたものです。
また、その阿里山には日本の統治時代から日本の桜が移植されて、今では桜の名所となっています。
日本と台湾を結ぶ“証”でもあるのです。
 
間違った歴史観で日本を悪い侵略国だという考えからなのか、記事のように外国人問題なのか、
それはわかりませんが、靖国神社に放火など、日本の歴史を“正しく”理解できれば絶対に出来ないことです。
我々日本人の感覚からすると、たとえ非人道的な原爆を落とした恨みあるアメリカに対してさえ、アーリントン墓地に放火してやろう、とは思わないですし、放火などあり得ないことです。
そこは互いにわきまえるものでありますが、それを理解できない馬鹿者がいるのです。
また靖国で暴行事件を起こす台湾の高金素梅のような輩もいるのです。
 
靖国神社という日本人の魂のよりどころはこのままではいけません。
今ある我が国・日本を命を捧げて護って下さった方々のためにも、靖国神社は国家護持すべきです。
お国のために亡くなった方々を国が護持するのは当然の責務であります。
この当然のことが出来ない日本政府にも怒りがこみ上げてくるものです。
・・・・・・
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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