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天皇陛下 御尊影
天皇陛下、皇后陛下 御尊影
君が代
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
天長節を臣民の一人として奉祝いたします。
天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、いつまでもお健やかであられることを祈念いたします。 畏くも天皇陛下におかせられましては、「祈る王」「祭祀王」といわれます。「地上の支配者」であるヨーロッパの国王とは異なります。
天皇陛下の大御心は御製に示されています。
「罪あらば吾れをとがめよ天津神 民はわが身の生みし子なれば」(明治天皇)
の御製に、明治天皇の国民に寄せる思いを感じ、
「我が庭の宮居に祭る神々に 世の平らぎをいのる朝々」(昭和天皇)
の御製に天皇の神々を敬う「まつり心」と平和を希求するお心を感得なされておられた。
「ふりつもる雪にたえていろかえぬ 松ぞおおしき人もかくあれ」
「日々のこのわがゆく道を正さんとかくれたる人の声を求むる」(先帝陛下)
の御製には、戦後日本の精神復興の指標と願いを実感なされておられた。この大御心は、荒んでいく日本人の魂への先帝陛下遺言でもあると思います。
今上陛下におかせられましては、国内の諸行事に行幸啓あそばされる時、宮中祭祀を先として日程を組まれておられます。「神事を先とし、他事を後にし」(順徳天皇)という天皇の「まつりごと」に対する基本姿勢は、今も皇室の伝統となっています。 皇紀2671年の歴史の中核にある万世一系の天皇陛下の精神が、今も昔も「宮中のこと、敬神が第一」(後水尾天皇)にあると感じた慶びは、何ものにも代え難いものです。
今上陛下におかせられましては、皇太子時代(小学六年)の昭和20年8月15日、栃木県の奥日光のホテルで先帝陛下の終戦の玉音放送を聴かれた。その時の心境を作文にお書きあそばされた。 今は日本のどん底です。それに敵がどんなことを言って来るかわかりません。これから苦しいこと、辛いことがどの位あるかわかりません。どんなに苦しくても、このどん底からはい上がらなければなりません。それに日本人が、国体護持の精神を堅く守って、一致して働かなければなりません。今までは、勝ち抜くための勉強、運動をしてきましたが、今度からは皇后陛下の御歌のように、次の世を背負って新日本建設に進まなければなりません。 また、学習院大学に進学なされた今上陛下は、昭和28年3月3日に、昭和天皇の御名代としてイギリス女王エリザベス2世の戴冠式に御出席なさることを主目的に、米国・欧州など13カ国を7ヶ月の日程で初の外遊に出発なされたが、その時に詠まれた御歌が「荒潮のうなばらこえて船出せむ 広く見まはらむとつくにのさま」でした。
昭和五十七年八月七日に、宮内庁の記者との会見で、「日本人の忘れてはならない四つの日」として、次の四つを挙げられました。
(一)昭和二十年八月十五日終戦記念日。 (二)昭和二十年八月六日広島の原爆の日 (三)昭和二十年八月九日長崎の原爆の日 (四)昭和二十年六月二十三日沖縄戦終結の日 そして、「こういう戦争は二度とあってはいけないと強く感じます」と仰られ、先の大戦で亡くなられた戦没者及び遺族に対して「多くの犠牲者とその遺族のことを考えずにはいられません」と、叡慮を賜っています。 畏くも今上陛下におかせられましては、平成六年に硫黄島に行幸啓あそばされ、慰霊行脚をなされた。翌七年には長崎、広島、沖縄を行幸啓あそばされ、慰霊行脚の最後の締めくくりは東京都の慰霊堂でした。また、外国をご訪問される際には、必ず先帝陛下の御陵である武蔵野御陵を御参拝あそばされます。 硫黄島での戦没者慰霊祈願では、多くの犠牲者を出した箇所で慰霊をされました。そして、還幸あそばされる機上で本土へ向かうとき、その慰霊祈願された場所から天に向かって火柱が上がったそうです。それは、今上陛下が慰霊祈願された事への亡き英霊の感謝を示すかのようでした。 硫黄島には、現在自衛隊が駐屯していますが、夜になると軍靴の足音と軍馬の足音が宿舎に聞こえるのだそうです。ですから宿舎の四隅には塩が置かれたそうです。 しかし、それでも、毎晩、足音が聞こえ、止まなかったそうです。ところが、畏くも今上陛下が硫黄島を行幸啓あそばされ、慰霊を捧げあそばされ、真心を手向けられたその夜から、軍靴と軍馬の足音が聞こえなくなったそうです。畏くも今上陛下が還幸あそばされる時に、慰霊祈願あそばされた場所から天に向かって火柱が走ったのは、硫黄島に眠る戦没者二万千九百柱の御霊が機上の陛下をお見送りし、感謝の意を示めするかのようであったといいます。 畏くも今上陛下の戦没者慰霊行脚の旅は、その所々で亡き御魂を鎮められる旅であられるのです。 佐々淳行氏が「天皇ー最高の危機管理機構」と題し、(ワック出版「歴史通」五月号掲載)次のように述べられています。 三月十六日に今上陛下が国民に向けて発せられたお言葉を踏まえて、「我が日本民族は、一世紀に一回ぐらいの割合で起こる国難に直面するたびに、救国の危機管理機構=天皇によって危機を乗り越えてきた。
平時、我が国では、天皇陛下を『権威』としていただいている。しかし、一旦緩急あって非常事態に直面すると、時の政権は、天皇に『権力』をもっていただいて事態を収拾してきた。そして、体勢が安定すると、また権威に戻っていただく形を繰り返してきた。代々、天皇陛下は、神道において天と国民を結ぶ仲保者・祭祀長という立場を占めてこられたのである。」と総括された上で、我が国の天皇と他国の君主の違いを説明され、昭和天皇の戦後の全国御巡幸と御製、そして、自ら警備の任にあたった想い出を踏まえながら、皇太子時代からの今上陛下と皇后陛下のご様子を語り起こされている。 その中で、次の記述は印象的です。 昭和五十年七月十七日、沖縄解放同盟(黒ヘル)と戦旗派(赤ヘル)の過激派二人が、沖縄のひめゆりの塔の壕内に数日前から潜み、慰霊のためひめゆりの塔を訪れた皇太子ご夫妻に火炎瓶を投げつける事件があったとき、佐々氏は、警備責任者としてその現場にいた佐々氏は述べています。 「いきなり火炎ビンを投げつけられれば、男性でも後ずさりするのが一般的だろう。実際、沖縄県警は退避してしまい、残ったのは皇宮警察本部の警衛官十七名のみだった。 その時、皇太子妃(皇后陛下)は皇太子殿下(今上陛下)の前に半歩進まれ片手を殿下(陛下)の前に差し出し、身を呈して暴漢から守ろうとされたのである。 その光景は、今も私の目に焼き付いて離れない。」と・・・ このひめゆりの塔の前の皇太子ご夫妻が、今、天皇皇后両陛下として、東日本大震災の被災地を行幸啓あそばされ、破壊された被災地に向かって黙祷され、避難所を廻られてて被災者を激励された。
関東では放送されていませんが、読売テレビの「そこまで言って委員会」という番組で、話題が天皇陛下の被災地行幸啓になり、地震発生以来、陛下が為されてきたことが出演者から一通り話されると、それを聞いていた桂ざこば師匠が、感極まって泣きました。
恥ずかしながら、筆者も目頭が熱くなりました。
両陛下は、避難所の人々を親しく激励あそばされた。激励された人々の顔は皆すがすがしく、異口同音に元気を戴きました、勇気付けていただきました、と感激を語っていました。 この天皇皇后両陛下のお姿と被災地の国民の様子を見ているとき、この光景は、「日本でしかあり得ない尊い光景だ」と感じました。
北畠親房公が神皇正統記に記したように、「(万世一系の)我が国のみこのことあり。異朝にはこの類なし」とはこのことです。 日本は、一国一文明一王朝の国です。これは他国ではあり得ない誇りです。日本人にしか感じられない至福です。
今上陛下は、被災地の人々を慰め励まし、自衛隊をはじめ救助復興にあたる組織の人員の労苦をねぎらい努力に感謝され、さらに、全国民に一致協力して復興にあたるように呼びかけられました。
これは、まさに、非常時における「統治者」として呼びかけられておられ、ここから、真の危機克服が始まってきている。このことは、世界が感嘆する紛れもない事実です。今上陛下のお言葉に直に接した被災地の人々の表情や言葉から明らかです。
「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すへからす」
天壌無窮の我国の國體であられます。
今日、12月23日は極東軍事裁判で言われなき罪状で執行された、殉難七士の命日でもあります。起訴は先帝陛下の誕生日でありました。
日本人はこの屈辱も忘れてはならない日でもあります。
天長節です。 国旗を掲げましょう。
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転載
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天長節を日本国民として心より慶祝を申し上げ、天皇陛下の御健康、御長寿、皇室の弥栄を祈念致します。東京裁判で不当に処刑された東條英機大将等七烈士、殉国烈士の追悼、日本国民は正しい歴史認識を子孫へと継承を
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米国オバマ大統領
平成3年、雲仙・普賢岳噴火で、お見舞いの言葉をかけられる、天皇陛下、皇后陛下 平成7年、阪神・淡路大震災で、被災者にお見舞いのお言葉をかけられる天皇陛下 平成23年、東日本大震災で、お見舞いの言葉をかけられる天皇陛下、皇后陛下
元巣鴨刑務所の刑場跡(サンシャイン東池袋中央公園)にある、東京裁判で不当に処刑された東條英機大将等七烈士、殉国烈士の慰霊碑
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アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】
大東亜戦争で我国が戦った国は、朝鮮半島の国家でも中国共産党でもありません。政権未承認交戦国も含めて交戦国は合計52ヶ国です。
中華人民共和国 の国家成立は昭和24年、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の国家成立はそれぞれ、昭和23年です。 下記にご紹介するオランダとは、昭和16年12月10日に交戦状態に入っています。 平成3年に日本傷病軍人会代表団がオランダを訪問した際の、アムステルダム市長の歓迎のスピーチです。 多くのブログ文献等で紹介されていますが、これが真実です。 以下に全文引用します。 アムステルダム市長のスピーチ 日本軍は、戦闘が終わると敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作りました。 日本人の武士道精神を表した写真です。 山東戦線の彰徳で墓標を建て慰霊祭を営んだ。(「中国無名戦士の墓」)昭和13年 「孟子廟に参拝する日本軍人の心得」 1、孟子は孔子と共に支那人の最も崇拝する偉人である。 我々、日本人にとっても精神的文化の恩人である。 2、参拝する者は、故国において神社 仏閣に参拝すると同様の心得を持って慎み深く行動すること。 3、模範的行動が皇軍の名誉を発揚し支那民衆に 日本軍が親しまれる力となることを忘るべからず 現地市民の間でも日本軍は、規律に厳正で シナ軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていた。 中国人の子供を中心に正月万歳(昭和13年) 日本軍部隊へ毎日来て遊ぶ中国人の子供(天津) 大東亜戦争後、日本人は自信を失いました。占領政策によって勝者の歴史観、価値観を押し付けられました。戦後66年祖国の素晴らしさ、民族の素晴らしさを教えず、過去の行いの悪い部分ばかりを、捏造、誇張して教えてきました。こんないい加減な教育では、誇りが育つどころか、誇りを傷つけていくばかりです。誇りを失った人間は、恥を知らず、名誉を大切にしない。周囲の目や他者の評価に無頓着になり、だらしのない人間になり、無責任で自己中心となります。または自虐的で、自嘲的ともなるのです。
またこれら、誇りを持たない人々が政治家となり、指導者となり、拍車をかけているように思います。
戦後の我国では、誇りある歴史が教えられてきませんでした。占領下でそれまで日本人が持っていた歴史観が否定されました。その歴史観とは、神話の時代から2千年以上もこの国で生きてきた民族の歴史である。ある民族を滅ぼすには、その民族の記憶と言語を一定期間奪えばよいと言われています。ここにいう記憶とは歴史です。歴史を伝承する言語、民族固有の歴史観を奪えば、その民族はやがて滅亡します。
戦後の日本人には、占領後すぐ、連合国の立場による「太平洋戦争史観」が植え付けられました。新聞に連載され、全国の学校に本が配付されて教え込まれ、ラジオなどでドラマ化されて、『真相はこうだ』という番組で全国に放送されました。極東軍事裁判の判決を是とする東京裁判史観が、それを補強し、戦後の歴史教育のもとになっています。
大東亜戦争を、太平洋戦争と呼ぶのもこの為です。だから、これまでの歴史教育の内容を改め、誇りある歴史を教えることが必要であり、急務なのです。
国の真実の歴史をを教え、誇りをもてるようにしないと、国民は精神的にだめになってしまうでしょう。自国の歴史や伝統に誇りを持つことは、祖先への尊敬や感謝を持つことにつながり、子供たちは、自分の命が祖先から受け継がれてきたものだと感じます。自分の存在は、祖先のおかげだと気づく。それによって、自分が生まれてきた意味、生きていく目的、自分の担うべき役割を理解することができる。そこに、人への思いやりや、助け合いの心が育つのです。
日本に生まれてよかった、日本人に生まれてよかったという感情を持つにいたると、自ずと誇りが生まれてきます。そして、日本人のよさを保とう、誉れを保とう、名を汚してはならないという「意思」が生まれてきます。
知れば知るほど、日本という祖国に誇りがこみ上げてくるのです。 日本は素晴らしい国です。平成3年 アムステルダム市長のスピーチがそれを語っています。 「私たちは日本人です。」
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高志さん(旧ブロガー名)のブログより、以下を掲載いたします。
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毎週やって来る介護師は昭和52年生まれだという。今、放送されているドラマや戦争の回顧録に興味を持っていて、一つには話を私に合わせるためか、しきりに「坂の上の雲」の登場人物の名を挙げたり、「山本五十六」と口走るので、日露戦争や大東亜戦争(太平洋戦争)について、どの程度知っているのか聞いてみた。
ところが何も知らないのである。日露戦争と大東亜戦争の区別がつかない。一体、学校の成績は如何だったのかと、一寸心配になるが、頭が悪い事はない。普通に高校を卒業し、4年制の医療大学を出ている。それでいて、日露戦争も大東亜戦争も知らないというのだから驚いた。
よく聞いてみると、歴史は必須科目ではなく、受験には関係のない科目なので、勉強しなかったのだという。中学でも殆ど習わなかったと言うが、まんざらウソでもなさそうだ。自虐史と称される様なウソの歴史を教えられるのは困るが、何も教えないのは、間違った歴史を教えるよりも悪い場合がある。何も知らないから「従軍慰安婦」がいたと言われるとそうかと思ってしまうのだ。今年は歴史教科書の採用を巡って各地で問題が起きた。 教科書を選定する権限は教育委員会が持っている。しかし、実際に選定する現場には教育委員に成り済ました日教組の組合員が紛れ込み、自分たちに都合の良い教科書を選んでいることも分かって来た。これは教育の自由を逆手に取るもので、児童や生徒は教科書を選ぶ自由を奪われた上に偏向した教育を押し付けられている事になる。「自由」は彼ら自身の為にのみ存在するという訳だ。 ドラマ「坂の上の雲」は少々雑な出来だが、この様な事態の下では、やらないよりは、やって良かったというものであろう。これだけ歴史を知らない国民が増えている現状を知ると、そう評価するしかない。昨日は奉天会戦が辛勝ながら3月10日に決着。日本海海戦が始まったところで終わった。東郷司令長官の右手が高く上がり、それを左に大きく回す。「取り舵一杯」を命じたのである。三笠に従う各艦は1隻、又1隻と同じ場所で敵前回頭して、敵艦隊の進路を塞ぐ、有名なトーゴー・ターン (T字戦法)の場面だが、そのつづきは次に回す。 ・・・
日本の教育、特に歴史に関しては多くの問題がありそうです。
私は歴史が好きで若いころから数々の本を読んでいますが、
歴史があまり好きでない方はお金を出して買ってまで歴史の本を読もうとは思わないはずです。
つまり歴史の知識は学校で教わったままということです。
よく言われているように学校では意図的に(?)近代史は飛ばしながら進めていくので、よくわかりにくいものです。ましてや試験に関係ないとなると自ら深く追求することはないのは当然です。
こう考えると、日本の教育というのは我々日本国民に近代史を教えるべきではないとしか思えないのです。これではチャイナや韓国から歴史について文句を言われても返す言葉もなく唯々諾々従うしかないでしょう。特に領土問題は近代史にかかる部分が多いものです。
縄文時代や弥生時代を一生懸命時間をかけて学んでもしょうがないと思えるのです。
私の持論ですが歴史の教育は近代史から始めるべきです。そして時間が余れば縄文・弥生を流す程度でいいでしょう。
問題はその近代史を嘘の歴史、東京裁判史観の自虐で教えられることは避けねばなりません。
これらは戦勝国という連合国の都合の悪いものを隠すために作られた歴史で、日本を貶めるための歴史であることを理解すべきです。
正しい歴史を学ぶには『大東亜戦争への道』から学び始めるといいと思います。
・・・・・・・・・・
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動画は是非ご視聴ください。
本年7月7日に投稿した記事の再記載です。
本日、ポール・リシャール『告日本国』 を再記載しましたが、師と仰ぐ愛国者、さくらの花びら大兄さまが、拙記事にコメントいただきました。
「日本人はよくこの言葉をかみしめて、先人の偉業を知り、これに恥じぬよう日本国のために尽くすべきです。」と・・・・・
たった一世紀前の先人は素晴らしかった。
まるで別の国のようになってしまった日本。
とても哀しく思います。
さくらの花びら大兄さまが仰せのとおり、現世の我々は恥を知り、先人の偉業を継承すべきです。
今ならまだ間に合います・・・同じ日本人のDNAが流れているのですから・・
以下本文
戦後の徹底したGHQ、反日勢力によって情報操作され、日本人が祖国を最もひどい差別、悪い国だと未だに信じている多くの国民がいます。
インターネット等の普及により、今まで我々の目に触れ無いように隠されていた事実が少しずつではありますが、明るみになっています。
米国は現在でこそ、オバマ大統領の誕生など、自由と民主主義の国、あるいは人権の擁護者のように振舞っているが、その根底は、人種差別と奴隷制度によって支えられて来た国である。人が人を犬のように鎖につなぎ、あるいは、家畜のように市場で品定めをして売買する。ヨーロッパ人が言う、キリスト教的な博愛とは、「同じ宗教を信ずる白人同士に限られた話」であり、異教徒や有色人種は、当時、博愛の対象ではなかったのです。
博愛が、全人類的博愛であれば、宗教戦争も、世界の植民地化もありえない事であったはずです。
アメリカと言う国は、歴史的に調和を欠いた国です。白人と黒人、白人とインデアン、キリスト教徒とユダヤ教徒、黒人と韓国人、韓国人と日本人、さまざまな対立と闘争が、ずっと繰り広げられてきた。また、アメリカの歴史とは、開拓の歴史であり、開拓の歴史とは、すなわち侵略の歴史なのです。
第一次大戦後、戦後処理を行った「パリ講和会議」(1919年1月18日開会)において、アメリカ全権であったウイルソン大統領は、世界秩序回復の為の、14か条を提唱。
この会議には、日本からは、西園寺公望侯爵、牧野伸顕男爵ら64人の代表団を送りました。そして日本代表団は、、「15番目の提案」をしました。それは、「国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべき事」と言う提案でした。
当時、唯一有色人種の国家として、「五大国」と呼ばれ、先進国の仲間入りをしつつあった日本でしたが、人種的偏見によって不当に扱われるのを避ける狙いもありましたが、1919年当時としては、「人種差別を撤廃する」と言うのは非常に画期的な主張でした。
当時アメリカで人種差別と闘っていた、「全米黒人新聞協会」は、「我々黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」、「全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」と賞讃さえしています。
同上の動画をご覧いただいた方にはすぐ理解していただけますが、米国大統領ウイルソンは、この法案の投票結果が賛成多数となると、突如、このような重要法案は、「全会一致でなければならない」として、「不採決」を宣言し、日本の提出した「人種差別撤廃法案」を葬り去ってしまったのです。
ウイルソンは、理想的人道主義者のように言われているが、パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きており、自分の国内の事情を優先したのです。
この頃からの白人国家の対日政策がその後、日本の運命を決めたと言っても過言ではありません。
我国が人種平等であったことは、命のビザを発給して、ユダヤ系住民を国外に逃がし、日本国内で保護した、ユダヤ人保護政策をみればお解りいただけます。
神戸で難民生活を送ったユダヤ人女性によれば、「当時あらゆる国が官僚的にユダヤ人に門戸を閉ざしていた時代に、日本政府が、ほとんど有効期限のないビザを受け入れ、長期間延長を認めた事が忘れられない。この日本政府の行為は、神戸での人道的体験とあいまって全く独特なものだった」と述べています。
また大東亜戦争終結後、植民地を取り返しに来た欧米諸国に原住民義勇軍といっしょに、彼らの独立のため戦った日本軍人もいます。
アジア諸国は、死をも恐れぬ「日本精神」で連合国と戦いぬき、白人はついにアジア人を支配する事をあきらめ、独立を勝ち得たのです。
母体である日本は傷つき、難産の末に多くの国家が、解放されたのでした。
村山談話にあるように、日本はアジア諸国を侵略し、耐えがたい悲しみと苦痛を与えた・・・ 政治家は正しい歴史認識もせず、謝罪ばかり繰り返し、日教組により、歴史教科書を通じて罪悪感だけを植え付ける教育が行われている。
これは大きな間違いである。
多くの参考文献等で明らかになっていますが、
日本が戦ったのは、アジアの国々の住民ではなく、そこを200年も支配してきた、白人国家であり、日本には植民地など存在せず、日本は、住民に学校を作って教育を与え、病院を建てたり、子供たちに予防接種をすることを始め、道路港湾、鉄道など社会資本を整備した。(「日本が現地人に現地語を禁止し日本語を強制した」と言うのは間違い。)インド、インドネシア、マレーシア、ビルマを始めとするアジア諸国では、「日本軍が独立の為に戦ってくれた」ことを忘れていない人も多い。
1955年バンドンで行われたアジア・アフリカ会議において「民族の自決」と「反植民地主義」が掲げられ、アジアで起こったドミノ倒しは、アフリカ諸国へ波及して行った。アジア独立運動に関わった人々は、「大東亜戦争が無ければ、アジア・アフリカ会議は無かった。日本はアジアの国々の独立を助け自由をもたらした」と述べています。
極東軍事裁判で多くの日本人が裁かれました。はたして、白人国家は日本を裁き、占領する資格、権利があったのでしょうか。
日本人は裁かれることなどなかったはずです。
裁いたのは、多くの植民地を失い、権益を失った白人国家の怨念ではなかったでしょうか?
元記事には、故人となられた敬天愛人大兄さまが次のようにコメントいただいております。
「今の世界のカタチを作ったのは紛れもない先人たちの血と汗の結晶です。
決してコミュニストやユダヤでありません。」と・・ 現世に生きる我々がさも、国家の主人公のように振る舞い、先人の遺産を食い散らかしているような今日、国は皇室とご先祖さまより賜ったものです。
今日の我々が作り上げたものではありません。
子孫に恥ずかしくない日本を伝えましょう・・・・
皆さんの意見をお待ちしております。
誇りを持ちましょう・・・
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