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【中央日報】【社説】日本ネチズンの行きすぎた行動…勝った私たちが負けよう

2010.03.03 13:10:09

抗日独立運動を称える3・1節に韓国ネチズンたちが日本のホームページに大々的なサイバーテロを敢行した。攻撃対象になった先は日本内嫌韓世論の拡散地である「2ちゃんねる」だ。ネチズンたちはリセットボタン(F5)を連続して押すなどの方法で、数十分以内にこのサイトの掲示板大部分をまひさせてしまったという。怒った日本のネットユーザーが韓国の民間サイバー外交使節団であるバンクと青瓦台ホームページを反撃したことから、これらサイトがアクセス不能状態になった。

韓日間にサイバー戦争が勃発したのは昨日や今日のことではない。独島(トクト、日本名:竹島)領有権、教科書歪曲など敏感なイシューが出る度に、両国のインターネット掲示板は相対国を誹謗する文で騒々しかった。そんな掲示物が発端となってホームページ攻撃をするケースもたくさんある。今回の3・1節サイバー戦争も2ちゃんねるにキム・ヨナ選手の金メダル獲得とロシア留学中に殺害された韓国学生に対してひどい悪意的文が掲載されたのがきっかけになった。これに激怒した韓国ネチズンたちがあるポータルにコミュニティまで結成し、D−DAYと攻撃法などを広く知らせると数万人が参加したというのだ。

もちろん日本のネチズンたちの文の内容がいただけないのは事実だ。限りなく幼稚だ。それでもサイバーテロで対応したからと正当化されるわけではない。厳密に言えばDDoS攻撃に違いない犯罪行為というのが専門家たちの指摘だ。釈然としない判定で韓国女子ショートトラックチームの金メダルを剥奪したジェームズ・ヒューイッシュ審判の住所、電子メール、電話番号などプライベートな情報をインターネットに漏出させたことも同じだ。彼がいくら憎いと言っても他人のプライベート生活を侵害するのは明白な過ちだ。

バンクーバー冬季五輪で韓国選手団は韓国若者たちの情熱と意気を世界に広く知らせた。誇らしい彼らだけに私たちのネチズンたちも大らかになろう。ノー金メダルの悲しみが大きいから日本のネチズンたちがあのように出てくるのだ。その審査を理解して寛大に対応しよう。キム・ヨナ選手のニックネームである「大人輩」のように。稚拙なけんかに正面から対抗すれば、私たちもまったく同じになる。時に負けることが勝つことだ。



【中央日報】【コラム】泣くな、浅田真央(1)

2010.03.03 16:00:47

♯跳溢襦淵船隋Ε侫鵐劵腑鵝剖綯覆判奉洙(ソ・ボンス)九段はともに1953年生まれだ。 韓国囲碁史上またとないライバルの2人は73年、満20歳の時に初めて会った。 37年間に盤上で向き合ったのは363回。 通算成績は119勝244敗。 徐奉洙が3局に2局の割合で負けている。 しかし徐奉洙は絶対的第1人者に絶えず挑戦した。 跳溢襪15年間に国内の全タイトルを獲得する間、徐奉洙は全タイトルの挑戦権を掌握した。 簡単には独走を許さなかった。

89年の第1回應氏杯世界プロ囲碁選手権を制覇した跳溢襪蓮中央日報に自分の囲碁人生を連載した。 跳溢襪呂海書いた。

「徐九段は15年近く私のライバルとして、私が成長する力を与えてくれた。 誰も一人では成長できない。 常に刺激を与えて奮発させてくれる相手がいる時こそ人は成長する。 ヤマ場を迎える度に徐九段は好敵手になり、私を勉強させてくれた。 囲碁は宿敵がいる時に発展してきた」

跳溢襪第1人者として君臨した15年が「跳溢觧代」ではない理由がここにある。 勝率は徐九段の敗北を語っているが、韓国囲碁の80年代は「趙−徐時代」として残った。

♯キム・ヨナは完璧な演技で勝った。 勝負の決定版のオリンピック(五輪)で浅田真央に23.06点差をつけて完勝した。

同じ年齢のライバルのキム・ヨナと浅田は14歳の時に初めて対戦した。 2004年ジュニアグランプリファイナル大会だった。 キム・ヨナは35.08点差をつけられて2位に終わった。 浅田の圧倒的な勝利だった。 2005年世界ジュニア選手権も同じだった。 2006年の同じ大会でキム・ヨナはようやく浅田に勝った。 しかしジュニア舞台では浅田が絶対優位だった。 跳溢襪慮斥佞里茲Δ法当時の浅田はキム・ヨナを奮発させてくれる相手だったのだ。 シニア舞台でキム・ヨナは一歩ずつ前進した。



【コラム】泣くな、浅田真央(2)

昨年の浅田は不振だった。 一進一退だった2人の勝負が傾いた。 メディアはキム・ヨナの金メダルが‘予約’されたと早くから予想していた。 しかし浅田はそう簡単な相手ではなかった。 24日のショートプログラムで見せた演技は期待以上のものだった。 キム・ヨナとは逆に喜怒哀楽を隠せない浅田はこの日、自分の最高点を見て涙を浮かべた。 地獄のようなスランプと競技の重圧。自ら納得できる演技を終えて涙が出てきたのだ。

結局、浅田はキム・ヨナの壁を越えられなかった。 「キム・ヨナと同じ世代でなければ1位になれたはず」と言った06年トリノ五輪女子フィギュア金メダリストの荒川静香の言葉は、まさに浅田の思いだろう。 勝負が決まった直後、浅田はNHKとのインタビューで言葉を続けられないほど涙を流した。 しかしすぐに「振り返ってみると非常に楽しかった。 こういう大きな舞台をまた楽しみたい気がする」と話し、2014年ソチ冬季五輪を約束した。

2010年女子フィギュアの第1人者は誰が何と言ってもキム・ヨナだ。 しかしキム・ヨナが頂点に立つまでキム・ヨナと浅田はお互いを見ながら成長してきた。 また、キム・ヨナは歴史上最も偉大な演技で、浅田は実戦で2回のトリプルアクセルを決めた最初の女子選手として、フィギュアを発展させた。 だから、世界2位になりながらも気落ちしていた浅田に言いたい。 最も偉大な選手と戦ったあなたも偉大だと。 よくやったと。



【スポニチ】タラソワ・コーチ噛みついた“得点高すぎる”

2010年02月25日

ライバルが出した驚異のハイスコアに、浅田を指導するタチアナ・タラソワ・コーチがかみついた。キム・ヨナが78・50点の世界歴代最高をマークしたことについて「ジャッジもスコアも考えられない」と批判した。

 浅田の演技中はリンクサイドで激しいガッツポーズを見せ、引き揚げてきた愛弟子と熱く抱擁。「すべてのパフォーマンスが凄く良かった。トリプルアクセルも良かったし、ノープロブレム」と称えたが、それだけに4・72点差をつけられての2位発進が許せなかった。

 高血圧、腰痛など体調に不安を抱え、昨年10月のロシア杯以降は直接指導から遠ざかっていた。五輪参加も危ぶまれていたが、治療を受けて7キロもダイエットし、浅田のサポートのため駆けつけた。過去に指導者として男子シングル、ペア、アイスダンスを制しており、浅田に“五輪完全制覇”の夢を託す。


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▲キムヨナ選手と浅田真央さんのスパイラル

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