久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜

オカリナ奏者で鹿児島在住の牧師が描くきらきらした日常。ぼちぼち更新していきます。

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水谷先生のブログに
『ノンクリスチャンからの相談に学ぶ〜「塩気なき塩」問題』という記事があり、
http://blog.chiisana.org/?eid=1358951
いろいろ考えさせられています。

社会的にも尊敬される仕事しているクリスチャンの両親をもつ息子が
性的に自制できておらず、
交際している女性と性関係を持ち、ノンクリスチャンである親が
クリスチャンの言う愛とは本物なのか?という厳しい話であります。

仕事が社会的に尊敬されようが/されまいが、
(聖書が罪ということを生業とするものでない限り)職業に優劣をつけるものではないと
思いますし、
社会的に尊敬される仕事のほうがかえって、
ダブルスタンダードで生きざるを得ない誘惑もあると思います。
世間に対し「尊敬される像」を演じなければならないのですから。
ありのままでその仕事に取り組めるのなら、それが良いに決まってますけども。

私も、学校教員の両親のもとで育ちました。
自分の親の仕事が社会的に尊敬されてる、なんて言うのもおこがましいですが、
生徒でもないご近所さんたちからも「先生、先生」と呼ばれるのですから、
社会的にも尊敬される仕事のように思います。
それもあってか、友人たちからは
「学校の先生の子どもは変なヤツが多い」とか良く言われておりました。
それだけ教員はダブルスタンダードでなければやっていけない、という人もそれなりにいるのではと
思わされます。
(牧師も似たような境遇ゆえに、ダブルスタンダードに陥りかねないことは認めます。。。)

さて、性的に自制することですが、
聖書から教えを聞いて、理性的に理解し、意志をもってコントロールできるなら
それに越したことはないでしょう。

ただ、それだけで考えるのでなく、
このブログでもいくたびかネタで語っている「孤食とセックス」
http://blogs.yahoo.co.jp/sjy0323jp/17015815.html
のことを丁寧に考えてみる必要もあると思っています。

それは、家庭で家族で食卓を囲む機会の少ない、
つまり孤食している子ほど、セックスの初体験が早いそうであり、
またセックスが生活の中に日常化する、という統計結果が
大葉ナナコ著「いのちはどこからきたの?」に書かれています。

これは、ダラス・ウィラードが「心の刷新を求めて」の中で
神との関係で正直に生きていない人々にとっては、身体がおもな快楽の場となります。(89頁)
と対応することだと思います。
家族で食事をする(ある意味、口を通しての健全な快楽)ことなく、孤独で食事するとき、
身体は快楽を求め、聖書的でない性関係の中に飛び込んでいかざるを得ない大きな誘惑の中に立つ、
と言えます。

ジャン・バニエはその著書「愛と性の叫び」において
端的に言えば、性欲への暴力的表現と渇望は「家庭」が感じられない時に起きるのです。(186p)
と語っています。
これは、彼がラルシュ共同体においての経験に基づいて語っています。
私に協力してくれたアシスタントの人々と一緒になって、少しずつホームを生活の場、優しさと友情の場、
「我が家」としてゆく努力を積んでゆきました。
こうして暴力は減少し、それとともに、抑制のきかなかった性的行為もかなりおさまってゆきました。
彼らに人間らしい表情が戻り始めたのです。(前掲書、31p)

ラルシュ共同体が大切にしていることは食事だそうです。
「かなの家」が「ラルシュかなの家」へ変わるのに6年の歳月が必要だったそうですが、
それについて、後藤敏夫先生は「共に生きるための霊性」(第1回)において
その過程での最大の生活上の変化は、
仕事中心の生活から食事中心の生活になったことだそうです。
以前は、食事の間も仕事の話をしていたのが、ある時からそれを止め、
互いに食卓を囲む仲間に心を傾けるようになります。
形式的だった誕生日のお祝いなども、より心を込めてするようになります。
私たちが互いに受け入れられなくなると、
まず何よりも同じ食卓につくことが苦痛になります。
主イエスの宣教の中心には、罪人との共同食卓がありました。
と書いてあります。

聖書の言葉を学び、知的にも理解し、性的に自制することが必要であるのですが、
これは真理の半面のように思われます。
福音が受肉するのは、御言葉だけでなく、聖餐も必要です。
そして、聖餐の実質が問われるのは、礼拝の聖餐式だけでなく、各家庭の食卓ではないかと
思わされるのです。

共働きは、いろんな面で大変でしょうし、
子どもが大きくなれば、孤食させてしまう誘惑も大きくなるのかもしれません。
(まぁ、共働きでなくても、起こりうることでしょうが…)
それによって、家庭の食卓が軽んじられるのなら、
性的な自制がますます困難になります。
共に食事をすること、それを祭りとすること、
それに賭けていくことが必要と思えてなりません。

水谷先生のブログに書かれたクリスチャン家庭のケースがどうであったかは
わかりませんが、
社会的に尊敬される仕事であればあるほど、
ダブルスタンダードに陥る可能性が高く、
その息子は親の姿につまずきを覚えたのかもしれないですし、
食卓を軽んじるような共働きゆえに
さらに自制がきかなくなった可能性は充分考えられるように思えます。

「塩気なき塩」はもしかしたら、「食卓なき家庭」から生まれ出たのかもしれない…と
思わされています。


ちなみに…その1
現在、独身で一人暮らしの方は、一緒に食事する友達を大切にすることって
自制しやすくするためには、あるに越したことはないと思います。



ちなみに…その2
水谷先生のブログ記事にあった
>神様が本当に悔改めて欲しいと願っているのは未信者でなくて、教会の方じゃないんですか?
というノンクリスチャンのご意見ですが、
ダラス・ウィラードは
ペテロの言葉を借りれば、「裁きは神の家から始まらなければならない」からです。
教会こそ魂の堕落が顕著に現れる場所です。(前掲書、79頁)
と語っていますが、
この言葉を謙虚に、重く受け止めていきたいですね。
これをおっしゃったノンクリスチャンは聖書的な鋭い視点をお持ちなのだと思わされています。


ちなみに…その3
この記事を書きながら、思いましたが、
両親共働きだったことを、どこかまだ受容しきれていない自分がいますね。
うちの両親は精一杯子育てしてくれたと感謝していますし、親を責めるつもりもないのですが、
今ひとつ、両親が共働きだったことを恵みとして受け入れ、
乗り越えるべきものを乗り越えていない自分がいることに
気づかされています。
(要するに自分自身の課題です。)

まぁ、やっぱりさみしいものでした。両親共働きっていうのは。。。
両親それぞれがいろんな意味で自立していたこととかいろいろ有益な点はあるんですけどね。

この記事に

閉じる コメント(6)

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うーむむむ いろいろと考えさせられます。食事、ともに食事をすることは聖なることなのですね。
うーむむ 母として明日の朝から賭けていかねばならないと思わされました。
独身のころクリスチャンの友人とともにする食事の良さを知ると、たまらなく一人でする食事がいやになって、結婚を真剣に祈りました。
一緒に食事する友人がいることは、当時の私の大きな支え、生命線でした。
>福音が受肉するのは、御言葉だけでなく、聖餐も必要です
このことを、はっきりと理解することはできないのですが、なにか涙がでてきました。 削除

2010/4/20(火) 午前 1:24 [ Pmori ] 返信する

Pmoriさん、コメントありがとうございます。
本ブログ記事を真摯に受け止めてくださっていることを感謝します。
Pmoriさんの感じてきた食卓の大切さがご家庭にも伝わるといいですね。

2010/4/20(火) 午前 9:36 くぼき 返信する

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確かに、と思わされました。私の周りをみても、子ども時代育った家庭が複雑な人は、自身の結婚が早い傾向がある気がします。逆に、全く結婚しなくなる人もいますけど。。
自身が育った家庭での経験が(それが幸福な思い出であっても、辛い思い出であっても)、それが自身の結婚生活に良い方向に用いられることを願うばかりですね。
「結婚前の性交渉はいけない」と言うことは正しいし必要ですが、久保木先生のように「なぜ誘惑を断ち切れないのか」の背景を知る努力もして、その人に思いやりをもって関わっていくことを忘れてはいけないと思います。切り捨ててはいけないと思います。
人をただ非難することは誰にでもできますが、その人を愛すということは本来クリスチャンの特権でしょうから。
私たち自身も罪人にすぎないことを忘れたくないなと思わされました。

2010/4/20(火) 午後 0:00 mariko_tiny_sparrow 返信する

Sparrowさん、コメントありがとうございます。
子ども時代の体験が大人としての生活、結婚や性生活に及んでいく…それも否めないことなのでしょうね。
正論だけでなく、背景を知る努力、愛する姿勢、どれも必要ですよね。最後の、自分も罪人にすぎない…という視点、決して忘れてはならないことだと再確認させられました。ありがとうございます。

2010/4/20(火) 午後 5:37 くぼき 返信する

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拙い記事からさらに鋭く考察し深く掘り下げていただき感謝。拙ブログにて絶賛紹介します。

2010/4/21(水) 午後 10:17 [ 水谷潔 ] 返信する

水谷先生、コメントありがとうございます。
ご紹介もいただけるようで感謝です。
水谷先生が紹介したような現実をごまかさずに直視し、考え、祈り、いろんな意見がキリスト者の中で交わされる中、キリスト者の性倫理と生活がボトムアップされればと願います。

2010/4/22(木) 午前 7:13 くぼき 返信する

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