久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜

オカリナ奏者で鹿児島在住の牧師が描くきらきらした日常。ぼちぼち更新していきます。

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【金城さんの語る強制集団死】
今から70年前、
米軍が沖縄本島に上陸する前に
まず上陸した慶良間諸島の渡嘉敷島で
強制集団死のその現場にいた 金城重明さんから
直接、お話を聞くことができました。

米軍が渡嘉敷島の南部に上陸し、
日本軍と住民は北部へ逃げる中、
村長からの「天皇陛下、万歳」の声が上がり、
これは玉砕の合図と受け取った村民は
棒切れや石で家族・身内を打ち殺したとのこと。

米軍に投降すれば、鬼畜米英に非道な扱いを受けるのだから
死んだほうがマシだと教えられてきた背景があったとのこと。

金城さんの話を聞いていて
自分の家族を本当に殺したのか、はっきり言わず、あいまいなところがあります。
棒や石で殴り、悲鳴は聞こえたと語りますが、
その先ははっきり語りません。
それゆえ、ネットで見ても、そういう金城さんの発言を拾って
集団自決はなかったのだ、という主張もされています。
しかしまた、そんな残酷な光景は記憶が飛ぶこともあるでしょうし、
語るに語れない苦しい光景でもあるかと思います。
わたしが同様の立場で自分が家族を殺して生き残ったあと、
はっきり語ることができるかを問われると言葉に詰まります。

ちなみに、渡嘉敷の集団自決(強制集団死)が沖縄地上戦で一番多いとのデータも
あります。

村長は「集団自決をしろ」「玉砕しろ」と言ったわけではありません。
別に軍や自治体の長の命令で死んだわけではない、と言われれば
そのとおりかもしれません。

しかしまた、明言されなくても、言葉にされていない圧力、空気は
あっておかしくないわけで、
そこのところは、よくよく考える必要があると思います。

【弱い者が夕暮れ さらに弱い者を叩く】
THE BLUE HEARTSの「トレイントレイン」の歌詞にそんなのがあったと思います。

金城さんの話だと
強制集団死の現場で、金城さんは死ぬに死ねず、
それなら、米軍に切り込んで、殺されようと思い、
米軍のところに行こうとします。

すると、村長をはじめ、村のお偉いさんたちは強制集団死の現場から去り、
生き延びていたこと、
また、斥候の日本兵にも出会い、日本兵も集団死をせずに
生き延びていたことを知り、愕然とします。

結局、米軍に捕らえられ、保護され、金城さんは生き延びることになります。


そんな話を聞きながら、
強制集団死をせざるを得なかったのは、本当に弱い立場の人たちだったのかなと
思わずにいられませんでした。

村の中でも強い立場の人は逃げ場があるのです。
日本兵も逃げ場がある。
そして、沖縄に送られず本土にいた日本兵にはもっと逃げ場がある、
という言い方もできるのかもしれません。

そして、何もこれは70年前の日本の話じゃないように思うのです。

たとえば
飢餓に苦しむのは本当に弱い立場の人たち。
多少なりとも強い人は逃げ場があって食べていけるし、
飢餓の人を助けないまま生きることができるのです。

住んでいるところに基地がなく逃げ場がある人は
基地問題に苦しみ、逃げ場のない人たちを助けずに生きることができます。

そう考えると、
金城さんの体験した 村のお偉いさんだけが悪いのか、
日本兵だけが悪いのか、というと
同じような身勝手さが自分自身にあるんじゃないかと
思わされるのです。

そしてまた、村のお偉いさんも、渡嘉敷に派遣された日本兵も
地上戦の危険から離れたもっと強い人たちから
弱い立場にされた人たちでもあることも
否定できないと思うのです。

「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く」
そんな構図があるように思うのです。


【卑怯な心、最も弱いところに寄り添う心】
金城さんが「平和とは共に生きること」とおっしゃったことが
印象深く心に残っています。

共に生きるよりも、自分はちょっと強い立場でいたい、と
共に生きることを選ばずに
誰かを弱い立場のままにしようとする、自分の卑怯さを見つめたいと思います。

最も弱い者が弱い者どうしで傷つけ合うことをせざるを得ない状況に
追い込むことのないように見つめる目を持つ必要が感じます。
最も弱いところに寄り添う心が必要なのでしょう。

言うは易しです。
金城さんからの話を聞いて
これからどう生きるか、大きなチャレンジを受けています。

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