久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜

オカリナ奏者で鹿児島在住の牧師が描くきらきらした日常。ぼちぼち更新していきます。

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2018年5月22日に非暴力コミュニケーションのトレーナーで
合気道も実践しておられるディビッド・ワインストック氏のワークショップに参加した。

ワインストック氏のワークショップに参加しながら
彼が伝える五要素(地・水・火・風・空)のシェイプ・シフティングを
キリスト教的に消化して、祈り、思い巡らしていくと
大変豊かなものになるように思えたので、
以下、簡単にメモを残しておきたい。

主に信頼し、善を行え。
この地に住み着き、信仰を糧とせよ。旧約 詩編37・2

いろんなことに心奪われて、地に足がついていないことがある。
神からの天からの恵みも地があってこその収穫であったりもする。
今の自分にできることを地に足をつけて歩む。
神が大地を通して与えてくださる恵みへの感謝。
それらを祈り、思い巡らす。

最も大切なこととしてわたしがあなたたちに伝えたのは
私も受けたものです。新約 Ⅰコリント15・3

キリスト者として大きな流れの川の中にいる。
背にした川上には
天地創造から始まって、旧約のストーリー、新約のストーリーがあり、
教会の歴史があり、今のわたしまで信仰のバトンが渡されている。
川下に向かって未来があり、その先には新天新地、すべてが完成し、
すべてがプラスに変わった世界がある。

目の前の出来事に失望し、落胆しやすいが、
背にはどれだけ多くの神の物語があっただろうか。
身近のところで、親しくしつつも先に召天した信仰の先輩たちの姿があり、
今も横には多くの信仰の仲間がいる。

直近の目先の未来に失望することはあっても
川下の行きつく先には神が完成させる世界がある。

問題を目の前にしながらも、
どの聖書のストーリーを自分のストーリーとして受け止め、力を得るだろう?
どの聖書の言葉をしっかりと握るだろう?
主イエスが共にいること、
存命か否かに関わらず、たくさんの仲間が周囲にいる。

困惑の中にいるとそれらは見えなくなりやすいが
改めて、大きな川の流れの中にあって、
聖書のストーリーを、聖書の言葉をしっかりと握りたい。
主イエスと信仰の友たちが周囲にいることに力づけられ、
未来の完成から目を離さないでいたい。
それらを祈り、思い巡らす。

炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、
霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
新約 使徒言行録2・3−4

川の流れの中で、神の物語からの力を得たなら
炎のような舌(言葉)をもって語りだすことになる。

言葉に力がないなら、川の流れの中で力を得ることが不十分なのかもしれない。

心を燃やし、言葉を語る。生き方をもって表現する。

それらを祈り、思い巡らす。

イエスはその話している言葉を聞き流して、
会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
新約 マルコ福音書6・36(口語訳)

キリスト者は時にまじめになんでも受け止めすぎるかもしれない。
非難や侮辱までも。
しかし、イエスは聞き流したことをこの個所は告げる。

相手の話に耳を傾け、謙遜に学ぶ必要もあるが
不用意に何でも飲み込み、受け入れるものではない。

火のように信仰を表現すれば、
反発として非難や侮辱があってもおかしくはない。

馬耳東風。
右から左に聞き流す。
あなたを非難する言葉、侮辱する言葉は
風が吹き抜けるように、もう遠くへ行ってしまったことを
幾度も味わう。

それをイメージしながら、受け流す練習をする。

力を捨てよ、知れ わたしは神。旧約 詩編46・11

地では大地を意識し、水では創造から新創造まで意識し
火では信仰の表現を意識し、風では受け流すことを意識した。
「空」では自分が積極的に動くことをやめ、
立ち止まろう。

何もせず、ただ神の前にいる。

それもまた祈りである。

キリスト者の中には
この五要素(地・水・火・風・空)を仏教的なものとして忌避する人もあるだろう。
それはそれで尊重したい。
私自身は、五要素(地・水・火・風・空)の仏教的な意味は基本的に知らないし、
盛り込むつもりもない(知りもしないのにわかった風なことも書けないし…)。
キリスト教的な意味合いのみで十分豊かなものがあると思い、
シェアさせていただいた。

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