久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜

オカリナ奏者で鹿児島在住の牧師が描くきらきらした日常。ぼちぼち更新していきます。

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オカリナ奏者として幾度もコンサートをさせていただいている。

本番前は独特の緊張があるし、
あのフレーズどうしても苦手だな、と思ったり、
ケアレスミスをしやすい箇所があったりする。

「練習は裏切らない」という言葉が個人的には好きだし、
事前の練習がしっかりできるに越したことはない。
本番でパニックになっても、練習がしっかりできていると
頭はパニックでも手は勝手に動く、という体験は幾度もしている。

しかし、いつもがいつも練習がばっちりというわけでもない。

先日は、テレビで、アーモンドチョコを食べると
頭がよくなる(正しくは、その人の能力の目いっぱいまでいきやすいのであって
その人の壁を超えるということではないらしい)というをの観て
実際食べてみると、感覚が冴えて、ミスしにくようにも感じたこともある。

今日のコンサートは、
前日にもコンサートがあったことでも、集中力を使い切り、
そのさらに前日は執筆原稿の締切日でもあって
精魂尽き果てる思いで書いたので、こちらでも疲労もたまった状態。
こういうときに追い込んで練習してしまうと、本番の集中力が心配という状況でした。

こういう場合、本番前に
下手に必死に練習しても、練習する割に、空回りし、
ミスタッチばかりを繰り返し、失敗するイメージが強化されてしまうことがある。

不安を感じている自分をしばし味わう。
何を大事にしているから、不安なんだろう?と思いめぐらすと
良い演奏をして聴衆に「受け入れられたい」「認められたい」というニーズが
あることに気づく。

「受け入れられたい」「認められたい」
         ↓
練習不足だから不安
         ↓
緊張感が高まり、体がこわばりだす
         ↓
ミスをしやすい状態になるのに
さらにどうにかしないとと焦り、さらに体がこわばりだす

という自分の状態を確認することができた。

ここからは今わたしが学んでいる非暴力コミュニケーションの話になるが
ニーズは他の手段や他の人からでもある程度埋められる、ということが言われる。

つまり、わたしのニーズである
「受け入れられたい」「認められたい」は
良い演奏や聴衆によらなくても満たされる。ということなのだ。

と言っても、本番前に周囲にいる人に
「受け入れて!」「認めて!」とすがりついても事はややこしくなる。

あとは神の前で静まるのみ。

「神さま、あなたはわたしがどれだけ失敗しても認めてくださるし、
受け入れてくださいますね」
とゆっくりかみしめながら語り、
父なる神にあたたかく抱擁されていることを思いめぐらし
実感していく。

「神さま、あなたはわたしがどれだけ失敗しても認めてくださるし、
受け入れてくださいますね」
とゆっくり語り、実感していくプロセスを5回繰り返す中で
不安は少しずつ消えていき、体のこわばりもほぐれていった。

さあ、本番。失敗したっていい。
ただ、美しさを、感動を表現していこう!と思えると
ワンフレーズ、ワンフレーズに余裕が生まれ、
ミスから自由になっていく。

自分でも集中力を途切れさせることなく、最大限の力が発揮でき、
充実した疲れをもって演奏を終えることができた。

本番を繰り返す中で、本番前の緊張感や不安との自分なりの向き合い方が
さらに見えてきている気がしている。


ちなみに、本番前の猛練習が悪い、というつもりはない。
つまり、今回の私のケースで言うなら、
猛練習の結果、
これで聴衆に「受け入れられる」「認められる」という実感が得られたなら、
不安や緊張から自由になったかもしれない。
それもひとつの道だし、選択肢。

あとは、自分のコンディションと相談、ということなんだと思う。

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