久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜

オカリナ奏者で鹿児島在住の牧師が描くきらきらした日常。ぼちぼち更新していきます。

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「教会に説教者がいなくても、youtubeで説教を聞いた後、
感想なんかをシェアする時間が持てたらといいと思うんですよ」
ある大学生のキリスト者と話していたとき、そんな主旨の発言があった。
(自由に発言できる雰囲気の中の発言なので、
この上述の発言に苦情を入れないでくださいね〜)

ネットの時代が来る前、
長距離電話の費用も高く、県外に電話は気軽にできるものでもなかった。
書店にない本を注文しても、本屋に届くのに1か月ほどかかった。
商品を買う際も価格の比較が困難で、
住んでいる地域での価格で買うしかなかった。

そうなると、
その地域に牧師がいる意義はとても大きい。
高額な電話代をかけないまま、そばですぐに相談できる存在は心強い。
youtubeで説教を聞くなんてできないのだから、
リアルに牧師がいることはありがたい。
専門書を入手することも困難だし、
手に入れる情報もネットがなければ限られるため
神学教育を受けた牧師がそばにいることはありがたい。
そういう牧師が遣わされた地域で居住できるよう
衣食住が整えられ、会堂があるに越したことはない。

しかし、ネット時代で、動画チャットを含め双方向通信が
世界中のどこからでもできる場合、
その地域に牧師がいる意義は以前よりも小さくなる。
相談も動画チャットでできる。
説教はyoutubeや動画チャットからのライブ中継でも成り立ち得る。
ネット上の情報も豊富であり、専門書もアマゾン等で注文すれば数日内に届く。
その場合、牧師がその地域に居住する意義は低くなっているように思う。

ネット以前の20世紀の日本の教会の場合
経済成長の真っただ中、老後の不安も感じず、大胆に献金ができた。
しかし21世紀の日本は団塊の世代は定年を迎え、労働人口は減り、
景気が良いとしても先行き不安で企業は内部留保し、庶民にまでお金は回らない。
庶民も将来を心配し、献金も控えたくなる。
長年、教会に通い、献金してきた人はこれまでの傾向を
維持しようとするかもしれないが
もし、今、キリスト者になった場合に、
かつてのキリスト者同様に大胆に献金できるかというと
そもそもの経済的な背景が違うことになる。

そうしたことを考えると、
信徒数十名の教会で
一牧師家庭を迎え入れることにしてきた20世紀後半の教会の在り方が
21世紀にも引き継がれることは困難なように思う。

アマゾンの登場で、地域の書店は潰れていっている。
キリスト教書店も存続の危機にある。
しかし、どうもそれは書店だけのことではないような気がしている。
地域の書店が不要とされていっているように、
地域に牧師が在住することが不要とされていくようになるかもと思うのだ。

もちろん、本を手に取れる書店が必要だという声と同じく
リアルに牧師がいる状況が必要だという声もあるだろう。
その思いを否定したいと思わないし、むしろ、尊重したい。
しかし現に書店が衰退していっているように、
リアルに牧師が必要とされる状況も減退していく流れは
否めないように思うのだ。

(ベテランの信徒はこれまで同様、リアルな地域在住の牧師を必要とするのだろう。
しかし若者の信徒が同様に必要とするか?というのが本稿の趣旨と言える。)

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