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何年か前にヒットした本21世紀の資本を読む機会があり、読んでみました。昨今叫ばれている格差社会についてピケティの21世紀の資本を読んで考えたのは、より豊かな人はより豊かに、貧しい人は生活水準が今の水準よりも維持できるかもしくは下がるしかなくなかなか裕福にならないのではないかと言うことでした。それを痛感したのはピケティの本にも書かれていた資本収益率(r)は経済成長率(g)より大きいr>gです。具体的に言えば元々ある資本を今の投資で言えば株やFXで運用して生まれる利益の方が、労働で得られる利益のよりも大きいと言うことなのだろうと言うことです。実際自分を取り巻く現状を考えても自分の知人なりで株やFXをしている人が増えました。その理由というのは今勤めている会社ではなかなか給与が上がらない、収入が増えないと言ったものばかりでした。そのような意見を言ったのは中小企業に勤めている知人で自分も中小企業に勤めていますが、やはり給与は一年、一年でなかなか上がりません。その為給与以外の不労所得を求めてしまうのだろうと思います。先ほども書きました豊かな人は豊かに、貧しい人は貧しい現状から抜け出せないかより貧困になる恐れと言うのは元々裕福な人間は投資のチャンスがある為、労働で得られる利益より投資によって得られる利益の方が大きいと言うことなのだろうと思います。元々資本のある裕福な人は元々ある資本を投資なり運用して利益を得ることができます。働いている人なら投資で得られた利益プラス労働で得られた利益が入ってくることになるので収入は増えると思います。その反対で貧しい人は元々の資本がない為投資のチャンスがありません。その為もうその時点で元々裕福な人との差、格差が生まれているのだろうと感じました。元々裕福な人は高い収入を得て、また裕福な人と貧しい人の生活環境、教育面から考えれば、裕福な人は潤沢な収入を自分の子供たちの教育にかけることができるので子供たちは高い学歴、知識、学習する習慣など得る事が出来ます。反対に貧しい家庭は教育にかけるお金がない為高い学歴、知識を得るチャンスが乏しいのだろうと思います。そしてその子供たちのつく職業も裕福な家庭の子供は医師や弁護士、各種資格の必要な知識労働に入るチャンスがありますが、貧しい家庭の子供たちは収入が低い、もしくは今よりも上がる見込みのない単純労働しかつけなくなると言うことだろうと感じました。そして裕福な家庭の子供たちは知識、収入、社会的地位が上がるので政治に参加するチャンスも増えます。政治に参加できると言う事は悪く言えば自分たちに有利な経済政策を国、地方自治体で作ることができる可能性があると言う事です。貧しい人は生活する為にはその政治的なイニシアティブを握った裕福な人たちの顔色伺いばかりしなければならなくなるのかもしれません。本にも書かれていた貧困層が右傾化するのは政治、経済でイニシアティブを握った人が貧困層の弱みを握って支配しているのではないかと言う事です。具体的には雇う方は富裕層、雇われる方は貧困層と言うことなのだろうと思います。貧困層は富裕層の顔色伺いばかりしていると自分で考える力がなくなり知識を吸収する意欲がなくなります。その人たちの子供はその影響を受けて勉強の意欲がそがれ、またその子も収入の低い単純労働しか出来なくなる可能性があります。言葉は悪いかもしれませんが今叫ばれているブラック企業はその単純労働の色合いの濃いものばかりです。反対に裕福な家庭の子供たちは知識を吸収するチャンスに恵まれ、知識を運用した質の高い、収入のよい仕事につくことが出来ると感じました。自分はこのように感じ、裕福な人の子供は裕福なままの人生、貧しい人の子供は貧しいままの人生と感じました。生活水準において中間層がなくなったのは裕福な人たちが政治、経済のイニシアティブを長年握り、貧しい人を思うように動かし、社会を変えた結果だと思います。それが大きな格差拡大につながったのではないかと思います。これを政治的に打破しようと思っても貧困層は富裕層だらけの議員が自分たちに有利な政策しか出さないと言う不信感しかありません。それが政治不信に繋がっていると思います。それでも今保守層、自民党政権が長く続いているのは地方の政治的な利権の下で働く貧困層が富裕層に媚を売るような感覚で組織票を投入しているだけだと思います。今の日本は二つのスパイラルがあって貧しい人は貧しさから抜け出せない、豊かな人はより豊かにこの二つのスパイラルが大きくなり、普通の家庭と言うか中間層が崩壊してしまったとこの本を読んで感じました。
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