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「上昇指向」を持て!
などといきなり言うと、
どういう風の吹き回しだ!
とお叱りを受けるだろう。
確かにこれまで、
上昇指向などといった他者との関係性のみに着眼する在り方よりもまず、
他者を鏡とする自己を客体化し、知ることが近道だよ、と説いてきた。
上昇指向に囚われればそれは、他者との関係性のみに囚われているのみならず、
自己と他者の関わりにおいて、他者に介入し、他者を操作する権能を手に出来ると、
錯覚してしまう、その錯覚に対し、警鐘を鳴らしていた訳だ。
言語にそのような機能は生来備わっている。
がしかし、権能と、それがもたらす権限を手にした瞬間、ポンとそれらの力が備ったと錯覚してしまうことは、
甚だしい誤解だから、だ。
どちらを嗜好するかは別にして、
言語の、集団化を促進する催眠効果も、集団を解体する理性化効果も、
それを習得するにはそれ相応の教養と研鑽を積まなければなしえない。
ところが権能を手にしたとたん、それらもセットでわが身に備わると錯覚してしまう。
早合点も甚だしい。
だが、ここの所、交流をもった若人を見、或は聞いていると、
この「上昇指向」を強烈に欲している者と、
はなから諦めている者と、
ここでも二極化が進んだなあと感じずにはいられなかった。
自分の未来図への、社会の介入。
それが全てだ、と若人が感じずにはいられないのであれば、
それすなわち社会の歪さ、そのものであろう。
古代レベルの脳幹部と、
動物レベルの旧皮質と、
人間に昇華した新皮質があるように、
他者とのふれあいも、
それぞれにレベルが用意されている。
それが学習出来ない社会構造。
社会構造の変革がもたらした少子化の弊害は、
歪な学習がもたらした弊害をもセットでもたらした。
相当なショートカットだが、若人の指向的二極化も、
この弊害の現れ、と言えよう。
それにはまず、ふれあう機会の提供が不可欠だ。
心的、物的ふれあい。
本来、社会構造がもたらすべきこの学習の機会が、
社会から喪失し、社会がその喪失によって脅かされ、
今度はそれを、貨幣価値と交換する形で提供しなければならない現象は、
人の行く未来を暗示していると感じてしまうのはうがった見方か。
自分考即ち他人考だ。
他人考即ち自分考でもある。
上昇指向が、
まるで他者を実感できない若人の、
あたかも物に対する操作的な錯覚に陥らぬよう、
見えやすい他者でなく、
見えにくい我を考えていければと、節に願う。
それが、木漏れ日の元で、ゆりかごに抱かれ、すやすやと眠る赤子の居場所が至る所に在ることのできる、
我が願う世界への実現の一歩だからこそ。
そのような社会実現のためにこそ、他者の命の実感の共有と共に上昇指向を、持って欲しい。
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色即是空
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